2-21【静かな雨音 11:~ルブルムからの商談 後編~】



「これは、領でつくろうと思っている物の、”試作品”です」


 それは、まだ配線材が剥き出しの、魔道具が大量についた黒いベストのような物だった。

 いきなり出てきた不格好な代物に、公爵夫人の表情が険しくなる。


 まあ、そう焦んなって。


「ファビオ、これつけて」


 モニカが横で床に座り込んでいたファビオに、持っていた試作品を突き出した。

 もちろん当然のように、彼の表情も状況が理解できないといったもの。 

 だが公爵夫人に投げられたとはいえ、彼が横にいたのは幸運だ。

 なにせこれから見せる物の被験者として、彼ほどの素晴らしい人材はこの場に他にいない。


 俺達は呆気にとられたままのファビオに試作品のベストを無理やり被せると、彼の胸の部分でベルトをしっかりと締めて装置を固定する。

 装置の位置が固まれば、ファビオの首に裏に身体接続用のセンサーを貼り付けて固定する。

 エリクに使ったものと違って、こちらは魔力式センサーで神経を読み取るタイプなのでこれだけでいい。

 性能は落ちるが、そもそもこの魔道具自体の性能が抑えめなので十分なのだ。

 そして、ベストから伸びた配線の一つを太くて分厚い輪のような金属製の腕輪に嵌め込むと、それをファビオの腕に通した。


 最後に、俺達の胸についてるやつを数倍無骨にしたような制御ユニットを、ベストの胸部分に装着すれば、あっという間に”商品”の完成である。

 俺達は、配線と魔道具が上半身にゴテゴテと付けられたファビオを、サッと見回して問題がないことを確認してから、制御ユニットのスイッチを”ON”に切り替えた。


《ようこそ、”ユニバーサルシステム”の世界へ》


 その瞬間、ファビオの胸元から声が流れ、部屋の中に響いた。

 完成品ではイヤホンなり骨伝導装置なりで静音化する予定だが、今日はデモンストレーションなのでスピーカー全開。


《新規利用者を登録しています。 これには時間がかかることがあります》


 得体のしれない物に取り憑かれたファビオが、助けを求める表情で周囲を見回した。

 だが部屋の中にいる中で俺達以外は、皆困惑の海の中で助けてはくれない。


《これは、あなたに秘められた可能性を見つけるための装置です》


 尚も起動の文言を続ける装置を、訝しげに見つめる公爵夫人。

 ただし、その瞳の色に否定的な感情は薄い。


《身体スキャンを行っています。 生体魔力網をスキャンしています》


 ファビオが体中を這い回る魔力の感触にブルリと震えた。

 独特の不快感だが、こればっかりはどうしようもない。

 だが震えるという事は、生体魔力網は存外にしっかりしているようだ。

 ファビオも案外、不器用なだけで、公爵家の子供というのは伊達ではないのかもしれないな。


IMU簡易化魔法装置の接続を確認。 【基礎魔法Lv.1】を獲得しました》


 よし! 問題なく起動したな。

 スキルシステムの方も、ファビオの体で機能している。

 それで、【基礎魔法Lv.1】っていうと・・・


 俺はインターフェースユニットに、基礎魔法スキルで使える”既成魔法”のリストを表示させた。


「ファビオ、”フレイムボルト”って言って」


 俺達の言葉にファビオが困惑の目でこちらを見る。

 だが俺達が見つめ返すと、恐る恐る腕を見下ろしながら呟いた。


「ふ・・・フレイムボルト」


 その瞬間、ファビオの右腕に装着された腕輪が唸りを上げて光だし、その中から深緑の炎が矢の形になって現れて、高速で放たれたではないか。

 しかも、ちょうどモニカの手に支えられていたファビオの腕の向いていた方向・・・公爵夫人の顔面に向かって。


 会議室の机の上を魔力の炎が飛ぶ。

 それは”才能なし”と断じられた者の中から飛び出したとはとても思えない程に精緻で・・・そして強烈だった。

 業火の矢は空気中を焦がし、触れる物全てを焼き尽くさんばかりの熱と光を放っている。


 そして、それが吸い込まれる様に公爵夫人の顔に飛び込み・・・


 ”バキッ”という音を立てて、炎の矢が公爵夫人のすぐ手前で止まった。

 

『・・・ッチ、はずした』


 モニカが心の中で悪態をつく。

 どうやら、”わざと”だったらしい。

 まったくホーロン人気質と言うやつは・・・


 だが、危害を加える気があったわけではない。

 というか、この程度で危害になる相手じゃないのだ。

 その証拠に、公爵夫人は素手で掴んだ炎の矢をなんでもない様に見下ろすと、そのまま捩じ切るように握り潰してしまった。

 近衛隊長の”将位スキル”にとって、今のは何でもないのだろう。

 忘れちゃいけないが、この人はルーベンよりも強いのだ。


 ちょっとだけモニカがクラウディアと同じ思考回路だなと思ったのは、内緒である。

 しかし、ただの嫌がらせだけで魔法を放ったわけでもない。


 公爵夫人は手を何度も握っては開き、今しがた握りつぶした炎の感触を思い出そうとしている。

 彼女の瞳には、確かな”興味”の感情が映っていた。

 そりゃそうだろう。

 魔法の才能がないと思っていた、魔法の教育を受けてもいない者の腕から、基礎的なものとはいえ高度に制御された完全なる”魔法”が飛び出したのだ。

 常識が覆されたと言っても良い。

 直に触れたのだから、幻でないことも分かっている筈だ。


「その腕輪が商品か?」


 エミリアが鋭い声で問う。

 それはまるで猛獣の唸りかと錯覚するほど、野性味を感じるものだった。

 だがモニカは首を横に振る。


「いいえ、これはそれの”活用方”の1つです。 もちろんこれも売りたいですけど、違うものを他の人が作ってもかまわないです。

 ほんとうに重要なのはこの部品」


 モニカはそう答えると、ファビオの胸につけた魔道具の端の方を示す。

 その四角いゴーレム制御ユニットは、胸の中央に付けれた一般的な”スキル制御用”の魔水晶に嵌め込む形で装備されていた。


「この中に、わたしの”呪い”がいくつか入っています。

 それをゴーレム機械の環境で呼び出して使ってるから、魔力さえあれば魔法の才能がなくても魔法がつかえるんです。

 もっというなら・・・」


 モニカはそう言うと、ベストの背中に付けられた吸魔装置に手を当てて、そこに魔力を流し込んだ。

 ファビオでは絶対に用意できないほどの大量の魔力を。

 すると今度は、ベスト全体が魔力で光だし、帯電するように”ブーン”という音を発しながら、薄っすらと深緑に光り始めた。


《外部ユニットに魔力を検知、使用可能な形に変換完了、魔力出力のブーストが可能です》


 魔道具のその宣言にモニカが満足げに頷くと、ゆっくりと手を話した。


「これはあぶないんで、つかわないで」


 ファビオがその言葉に怯えたように自身を見下ろす。

 一番近くにいる本人だからこそ、今手にしている力の強大さを感じているのか。


「本人の魔力も、ひつようありません」


 モニカがそう言うと、全員の目が鋭くなった。


 この世界には既に、魔力を肩代わりする方法も、魔法を保存しておく方法も存在する。

 だがそれらは全て、”魔力に精通した者”を必要とした。

 これはそれを肩代わりする道具なのだ。


 知っての通り、こいつはエリクが付けてるのと同じ”ユニバーサルシステム”の端末である。

 ただし遥かに簡素で、遥かに簡易的だ。

 だが、最高の”フロウゴーレム”を必要とするヴィオ完全版と違い、こちらは既存の技術と俺達の技術でも再現可能な代物におさえている。

 それは、つまり”量産可能な物”なのである。

 

「ほう」


 公爵夫人が感心したような声を漏らした。


「これからは、みんなが魔法士になれる時代です」


 モニカが念を押すように、この”商品”の宣伝文句を述べる。

 その”未来”を。





 再び席についた俺達は、先程までとは打って変わって、かなり熱心に商品の内容を問いただされた。

 どういった事ができて、どういった開発をしていて、どれくらいコストがかかるか。

 逆にできない事はなにか。

 無学な奴隷候補達にも生産が可能なのか。

 既存の似たような魔道具、例えば”杖”や”魔導”等との違いは何か。


 それに対して俺達は、できるだけ真摯かつ丁寧に答えた。

 目下の最大の懸案である製造技術に関しては、まだ少し研究の必要がある事も。

 ただしその内容については暈した。

 まだ取引していない相手に盗まれたくないし、”餌”として匂わせたい。


「既製の部品が多数使われているようだが、それはどうする?」


 机に置かれたユニバーサルシステムの魔道具を手に取りながら、公爵夫人が指摘する。

 流石、手広くやってるだけあって見抜くか。 


「そちらで用意してほしいです。 アオハ家なら、代替品の権利を持ってるんじゃないですか?

 わたし達は作り方を知ってるし、そっちは材料と、”販路”をもっている」


 モニカが毅然とした態度でそう答えた。

 この商品を製造するには、俺達だけでは無理だし、アオハ家だけでも無理だという事を強調する。


「つまりヴァロア領では、主に加工だけするということか」


 公爵夫人の言葉にモニカがコクリと頷く。

 すると公爵夫人は顎に手を当てて、何かを考え始めた。

 この魔道具に関わることのメリット、デメリット。

 それ等が天秤に乗せられていく所が、俺達の目にもハッキリと理解できた。

 そのなんともいえない、判決を待つ様な緊張感に俺達は身を縮こませる。

 彼女はただの商人ではない、”決定者”なのだと、いやでも思い知らされた。


 やがて公爵夫人がゆっくりと口を開く。


「根本的な問題だが、誰がそんな物を買うという・・・」

「買うわ」


 その時、いきなり公爵夫人の言葉をクラウディアがぶった切り、購入宣言を言い放つと、場の全員が驚いた表情をクラウディアへ向けていた。

 当然、公爵夫人も目を剥いて固まってるし、その向かいでは俺達も鏡写しみたいな状態だ。

 だがクラウディアは、俺達にまでそんな顔をされるのは心外だとばかりに眉を顰める。


「こんなもの買うしかないでしょ。 むしろ他に取られたら困るわ。

 モニカちゃんの言う”中核部”は理解できなくても、それで使えるこの魔法機は、これだけでも価値がある。

 ファビオが、あれだけ綺麗な魔法を使えたのよ」


 クラウディアそう力説すると、公爵夫人に”売れ”とばかりに、手を伸ばして俺達を指指す。

 それに公爵夫人が困惑した表情を向けながら、チラチラとこちらを窺った。

 

「・・・というように物好き以外には売れないものに対して、領まるごとの供給力は過剰だと思うが・・・」

「はいはい! 軍の標準装備にしまーす! とりあえず100万個くらいは買えるよー!」


 またも差し込まれたクラウディアの横槍に、公爵夫人が頭を抱えた。


「・・・こちらの負う苦労に対して、取り分が少ない。

 ・・・そちらが何か差し出せ」


 どうやら遠回りに話す事を諦めたらしい。

 確かに実際に供給する段になれば、誰が一番苦労をするのかは明白だ。

 特に100万個ともなれば、材料を確保するだけで一苦労だろう。


 だが、何かを差し出せか。


「わたしの結婚・・・ですか?」


 モニカが問う声には、少し不安気な色が乗っている。

 先程と違って、今はもうそのカードは切ってもいい段階だ。


 だが公爵夫人は首を横に振った。


「いや。 国へ恩を売るだけならいざしらず、もはやマグヌスの庇護下でもあるあなたの婚姻に、この話の担保になるほどの商品価値はないわ。

 少なくともアオハには。

 貧乏貴族を傀儡にするのと、市場を1つ丸々作るのでは労力が違うからな。

 そのリソースは、あなたをいくら辱めたところで捻出はできない」


 結婚したら辱める気満々だったんですか!?


『”結婚しろ”って、いわれなくてよかった!』


 俺達が揃って安堵のため息をつく。

 こんなのに毎日いびられたら、半年でディザスターが暴発するぞ。

 

 だが、それですら足りぬとは。


「じゃあ、何をわたせばいいですか?」


 モニカが恐る恐る聞く。

 あれだけ拘ってた婚姻を、あっさりと捨てるくらいのコストが掛かるんだとすれば、ヴァロア領にそれに見合う資産はない。


 だが、少し考え込んで出てきた公爵夫人の返答は、意外なものだった。


よ、こちらが渡すわ」


 その言葉に、モニカが”?”という表情を作る。

 こちらの払う分が足りないというのに、向こうが更に追加するとは何事か。

 するとそれを見た公爵夫人が、ここ数分潜めていた嗜虐的な笑みを再び浮かべた。


「我が家の傘下で、その分野の関連商会に大量の負債を抱えている所があるの。

 産業用の魔道具を扱うところなのだけれど、投資に対して収益が悪い・・・いや、ハッキリと大損害を出しているというべきかしら。

 魔道具関連はどうしても、ブランドイメージでアルバレス製に軍配があがるのよ。

 正直切りたいのだけれど、義父様のシガラミのせいで切れなくて困ってるの」


 公爵夫人がそこで、”さてどうしたものか”とわざとらしく、俺達の瞳を覗き込む。


「そこでヴァロア伯爵子、その商会を負債ごとあなたの名前で買い取りなさい。 そして、そこが領の全ての取引を管理する。

 我々が産業の面倒を見るから、あなた達はその商会の面倒をみてちょうだい。

 あなたに売るのならば、義父様も文句は言えないでしょうから」


『どういうこと?』

『連中の持ってる借金を俺達が払って、俺達の商売の管理を連中が全て支配下に置くってことだ』

『なるほど』


 俺の言葉にモニカが納得の感情を浮かべる。

 不良債権が不良債権を抱え、その上向こうに全てを握られる形になるわけだが、そこに否定的な感情はなかった。

 前者は想定外だが、後者は俺達の方向性に合致している。

 

「ちょっと待った! アオハ傘下の商会っていったら、全部大商会級じゃない!?」


 立会人のクラウディアが叫ぶ。

 その言葉通り、アオハ家は個々の細々とした店や工房を直接抱えているわけではない。

 その集合体、特に複数の商会の連合体だけを管理しているのだ。


「代金はどうするのよ、ただでさえ手持ちのお金に困ってるのに、ただの伯爵領でそれだけの資金は準備できないわよ」


 クラウディアはそう言って、この取引の無謀さを指摘した。

 同じ”貴族”という枠組みでも、アオハとヴァロアではあまりにも体力が違いすぎる。

 普通なら、こんな買い物は俺達にはできないだろう。


 だが公爵夫人はその声に対し目を横に向けると、俺達に向けていた”獲物を見る目”を何故かクラウディアに向けた。


「それはクラウディアが用意すればいいでしょ。 買い占める気なのでしょう? チャンスよ?」


 その言葉にクラウディアがつんのめるように、言葉をつまらせる。

 さっき”買う”と言った以上、その資金を提供しないとは言いづらい。


「ぐぬぬ、でもちょっとそれは・・・」


 だが、クラウディアほどの自分勝手な王族ですら、即決できない話とは。

 どう考えても、その辺の建物1つとかのレベルでは無いだろう。

 その反応に、俺達は自分達が買わされる商会の大きさと、その巨大な負債額を想像して身震いしそうになる。


 と、同時にピンとくることがあった。

 ひょっとしてこれ、俺達をダシに公的資金の投入を迫ってるって事か?


 それに気づいた瞬間、何故”公爵夫人”なんて大物が出てきたのか理解した。

 俺達という”最大の懸案”がかかる以上、クラウディアの財布の紐は緩くなる。

 件の商会の件は考えてなかったとしても、おそらく最初から”対ヴァロア領”だけでなく”対国家”も視野に入れて、あわよくば資金源にするつもりだったのではないか?

 

「どうする? ”ヴァロア伯爵子”。

 何なら魔草の販売や他の取引もそこを通せばいいぞ。

 アオハの息のかかった大商会だ、アルバレスの不義理者と違って渋りはしない」


 公爵夫人がまるで悪魔の囁きの様に、そう語る。

 それってつまり、”魔草も寄越せ”って意味なわけだが、その引きずり込むような力は、先程までの圧力にも負けないほど強い。

 思わず、モニカが逃げを打つ。


「えっと、わたしは当主じゃないから・・・」

「そんな言葉が役に立つと思うか?

 商会への持ちかけから、お前がもう既にかなりの実権を持っているのは分かっている。

 ヴァロアの嫡子として、今、ここで決めろ」


 だが、それを許さぬとばかりに公爵夫人は噛み付いてきた。

 逃げ場はない。


 そして確かに、俺達の手元にはじいちゃんヴァロア伯爵から、投げやりに送られていた”決定権”があった。


「・・・商会の名前は?」


 モニカが問う。


「”アルトヴラ・パスィ・カルセス”」


 公爵夫人はそう言うと、マグヌス語の文字で略称を続けた。

 意味としては”国際産業機械”か、随分と率直な名前をつけているらしい。

 地球語で近い発音の文字を当てはめると”APK”・・・

 意味ベースだとInternational Business Maschine とか? 略してIB・・・なんか嫌に計算機に強そうな商会に聞こえるな、おい。

 しかも略称の”アルトヴラ商会”だと、インテ・・・


 俺はすぐさま、その”何かに入ってそうな名前”で手持ちのリストに検索をかけた。

 商会回りを繰り返していただけあって、複数都市に窓口のある商会なんかは、ほぼ全て把握しているので、リストには当然、大商会級のこの商会の名前もある。

 だが調べてビックリ、なんと20の傘下商会と、200を超える工房を抱える、正真正銘の大商会ではないか。

 それをモニカに伝えると、すぐに興奮した感情と声が返ってきた。


『例の研究所、はいってる?』


 ”例の研究所”っていうと”アレ”か、そういや”あそこ”も今はアオハ傘下だっけ。

 もしこれで手に入るなら、モニカの”目的”へ一気に肉薄できる。

 だが、そうは問屋がおろさない。


『残念ながら、流石に外れの福袋に、大人気の高級品は入れてはくれないらしい』


 その研究所は、何年も前に組織整理され、不良債権の商会からは外されていた。

 おそらくアオハの意向では、”アルトヴラ商会”を徐々に縮小させる気だったのではないか?

 俺の返答を聞いたモニカが、若干の落胆を滲ませながらも、自分に言い聞かせるように気合を入れ直す。


 ”それは、取りすぎだ” と。


 そして、決意を込めた目でクラウディアをじっと見つめた。


「クラウディア殿下、マグヌスにゆうせんてきに導入するので、購入費用と初期投資分の資金を、わたし達に”ゆうし”してください」

「うーん・・・・・・分かったわ」


 するとクラウディアは、少し悩んだ様子を見せてから、意外にもカラッとした表情ですぐに受けた。

 さっき悩んでいたのは演技だったのか、それとも実は彼女の中では、もう決まっていた事なのだろうか。


「その代わり、できるだけ早く商品化してね。

 詳細な契約については、後日改めて担当者を決めて話し合いましょう」


 クラウディアはそう言うと、手をパチンと叩いた。


「話が決まったようなので、双方に告げます。

 できるだけ早く”アルトヴラ商会”の譲渡と、ヴァロア領の産業誘致に関する担当者を双方が任命し、報告を上げてください。

 その後、詳細な事業計画と取引に関する定款を設定し、継続可能かどうかを私が判断します」


 そう言いながら、俺達の隣のアルバレス人へ視線を送る。


「ジョルジュ殿、この件に噛むなら今ですよ?」


 クラウディアが誘いの言葉を告げる。


 だが、これは別にアルバレスに譲歩しているわけでも、それどころか協力を求めているわけでもない。

 ただ、話を向けることで釘を刺しているのだ。

 今のアルバレスに、この話に参加できる権利はないと。

 俺達個人に対する支援は手厚くとも、奴隷商売関係者に遠慮してヴァロア領の現状を放置し続けたのだぞと。


「残念ながら、私にその権限はありません」


 予想通りジョルジュは悔しそうにそう答える。

 だが、そもそもこの話に乗れるなら、とっくの昔にマトモな取引ができていた筈なのだ。

 チャンスはいくらでもあった。

 ”ユニバーサルシステム”を見せたのも初めてではない。


 クラウディアは最後にスコット先生とサンドラ先生を見やる。

 スコット先生は少し何か言いたげだが、サンドラ先生は特に問題はないといった、”条件付き納得”の表情だ。

 それを見たクラウディアは小さく頷いて、話を続けた。


「ではこれにて、ヴァロア、アオハの協定に関する初会合を終了とさせていただきます。

 双方、握手で終わりましょう」


 そう言いながら、俺達と公爵夫人へ”立て”と手で合図する。

 それに従って俺達はテーブルの横に歩み出すと、ちょうど立会人達の正面で、公爵夫人と相対した。

 公爵夫人の意外と大きな体が正面に来て、俺達は見上げる形になる。

 普段なら己の小ささを痛感して、モニカの機嫌が悪くなるその光景も、相手のそっくりな見た目に”ここまでは大きくなれる”とでも思ったのか、不思議と漂ってくる気分は良かった。


「よろしくお願いします、公爵夫人閣下」


 モニカがそう言って右手を差し出す。

 するとその手を、公爵夫人はすぐに取ってくれた。


「エミリアと呼べ」

「えっと、エミリア・・・様」


 モニカが少し言いづらそうに相手の名前を呼ぶ。


「浅からぬ縁になりそうだ。 だが、これでお前の首に縄をかけられる」

「はは・・・」


 物騒な事を言いながら握る手の力を強める公爵夫人改め”エミリア”に、俺達は冷や汗を浮かべながら苦笑した。

 これと付き合い続けるのは骨が折れそうだ。


 だが、それでも事態が色々解決した事で、俺達の中を安堵の感情が伝播した。

 ずっと抱えていた緊張が解けていく。



 ただ、今日の体調を考えると、少し解け過ぎたか。


 その瞬間、急激に血圧が下がった所を検知したのを最後に、俺達の意識が一気に闇の中に持っていかれたのだ。


『まずい!? 意識が飛ぶぞ!』


 俺がそう叫んだ瞬間、モニカの意識は既になかった。

 




 握手した瞬間、モニカの体がまるで魂が抜けた様に崩れ落ち、エミリアが咄嗟に握った手を引いてその体を抱き寄せながら支えた。


「モニカ殿!」

「どうした!?」


 ジョルジュが血相を変えて叫び、スコットが慌てて席を飛び出す。

 エミリアが握手の瞬間何かしたのか、そんな緊張感が部屋を一瞬で埋め尽くした。


「慌てるな! 息はある!」 


 だがその空気は、エミリアの一喝によって消し飛ばされる。

 現役の近衛隊長が持つその迫力に、スコットまでもがその場で立ち止まってしまった。


「まったく・・・」


 エミリアはそう言いながら、白色の魔法陣を展開し抱えたモニカの額に充てがう。

 すると少しの間、奇妙なものを見る様な表情を作り、視線を下ろして呆れ顔を作った。


「・・・クラウディア、こちらにこい」

「え? え?」

「早く!」


 エミリアの叱責にクラウディアが慌てて駆け寄り、何事かと覗き込んだ所を、エミリアに耳を掴まれてグイッと寄せられる。

 そしてエミリアに何かを耳打ちされたクラウディアは、少し驚いた表情でモニカと周囲を見比べながら、何故か困った声で関係者に語りかけた。


「あのー・・・えーっと、申し訳ないですが、殿方に下がってもらっていいですか?」


 クラウディアが普段見せないシドロモドロな声で呼びかける。

 だが当然、そんな言葉で納得できる者などいない。


「・・・? どういう事だ! 見せろ」


 スコットはそう言って、立ちはだかったクラウディアの脇を抜けようとした。


「うわっ、ちょっと待って」


 慌てて隠すようにクラウディアが体を寄せて隠そうとするが、スコットを止められる程の力はない。


「・・・」


 結果として、スコットは倒れたモニカを見て、そこで固まったしまったのだ。

 スコットの顔にバツの悪い、どう反応していいか分からない困惑が広がる。

 それをエミリアが横目でジロリと睨んだ。


「安心しろ、大したことではない。 気を失ったのも、緊張と重なったからだろう。

 ・・・そして見ての通り男に要はない」


 エミリアのその言葉に、クラウディアが引き継ぐように割って入る。


「と! いうことで、スコット先生はモニカちゃんの担当の調律者か医師を呼んできてくださいな。

 マグヌスの名にかけて、それまでの安全は保証しますが、健康の保証はできませんので」


 そう言ってニコリと笑うクラウディアは、なんとか落ち着きと体裁を取り戻していた。

 それもすぐに崩れるが。


「そこをどけ」


 ドンという音ともに、クラウディアが立ち上がったエミリアに肘でどかされたのだ。

 エミリアの腕には、グッタリとして顔色の悪いモニカが抱えられている。


「ベッドのある部屋はどこだ、案内しろ」


 エミリアはそう言って、後ろに並ぶ施設の案内人を睨むと、慌てて扉を開ける案内人に続く形で、モニカを抱えたまま出ていったのだ。






「良かったわね、お姉様」


 案内人に通された客室で、クラウディアがエミリアに声をかけた。


「何がだ」


 それに対してエミリアが、治癒魔法陣をモニカの額につけながら応える。

 本来の彼女の能力であればもっと根本的な事もできるが、数時間で専門医が来る環境で、診たこともない”王位スキル保有者”などという爆弾を弄るほど彼女は愚かではない。

 あくまで応急的に不快感を和らげているだけである。


「あの魔道具の価値は、モニカちゃんの力の一端よ。

 つまり”フランチェスカ計画”の恩恵を部分的に、いや、より広い形で享受するのと変わらないわ。

 それは長期的に見て、モニカちゃんを殺す手段が手に入るといっても過言じゃないのよ」


 クラウディアが面白そうな声でそう語り、エミリアの反応を覗うように見つめた。

 部屋の外でスコットがいるとはいえ、関係者がバタバタと方方に散っている今、外で今部屋の中に残っているのは彼女達だけだ。


 エミリアがモニカの額を撫でるように治癒魔法陣を動かしながら、まるで痛みを感じたように目を伏せる。


「寝てるとはいえ、本人の前でそんな事を言えるあなたが怖いわ」


 呟いたその言葉に、先程までの覇気はない。

 そして、それをクラウディアは見逃しはしなかった。


「いい加減、お母様から離れるべきではなくて? 少なくとも、その子の責任じゃないわよ」


 その急激な立場の変化に、エミリアが少しの間手を止める。


「・・・知ってるさ」


 やがて出てきた言葉には、自己嫌悪に近い新鮮な後悔が感じ取れた。


「本音ではね、お姉様の子の誰かと婚約させるべきだと思ってるのよ」


 クラウディアが何気なしにそう語る。


「趣味が悪いわよ」

「だから提案しなかったでしょ?」


 また少しの間、部屋の中を沈黙の空気が覆い、治癒魔法陣のかすかなノイズがハッキリと感じ取れた。


「・・・国のため?」

「お姉様のため」

「あなたの、その”荒療治好き”はどうにかならないの?

 ・・・私はもう忘れたいのよ」


 エミリアはそう言うと、疲れた様に肩を落とす。

 だが、クラウディアは離さない。


「嘘ね、全然忘れる気がないじゃない。 そういう子は代わりをもらうまで忘れないわ。

 現に飛びついてるじゃない。

 それにお姉様としてもそう思ったから、私に付いてきたんでしょ?」


 クラウディアのその言葉に、エミリアが深く息を吸い込む。


「付いてきたのはそちらだろう」

「あら? 私の覚え違いでなければ、傘下の番頭を送る予定だったはずだけれど?」


 クラウディアのその指摘に、エミリアは頭を振って治癒魔法陣を打ち切り立ち上がった。


「もういいの?」


 クラウディアが怪訝そうに問う。

 応急手当とはいえ、途中でやめて良いものなのか。


「この子の管理スキルが引き継いだわ。 ガブリエラと同じで自己学習能力を持ってるようね。

 それに・・・いつまでも敵対者が側にいるのはまずいでしょ」


 エミリアはそう言うと、部屋の出口へ歩みだした。

 その様子に、クラウディアが”やれやれ”と肩をすくめる。


「・・・正直じゃないんだから」


 するとエミリアが扉を開けながら立ち止まり、最後に厳しい声でクラウディアに告げた。

 

「部下に契約書を作らせなさい。

 金はあなたが出すのだから、融資を遅らせないでちょうだい」


 

 パタンという音を残してエミリアが部屋から出ていくと、あとに残ったのは寝ているモニカとクラウディアだけ。

 当然、静寂が場を埋め尽くしている。


「・・・ね? 本音では嫌ってないでしょ?」


 すると徐に、クラウディアがそう言いながら、眠ったままのモニカを見下ろした。

 だがその視線は、普段彼女がモニカに向けてきたものとは少し毛色が異なっている。


 モニカの反応はない。

 それでも、クラウディアはそのままモニカの耳元まで身を屈めるとそっと呟いた。


「・・・盗み聞きは行儀が良くなくってよ、小さなスキルさん」


 クラウディアは小声でそう呟くと、何の反応も示さないモニカの額の汗をそっと拭い、その内で何かが気配もなく蠢いたのを満足気に眺めてから立ち上がったのだ。

 

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