2-14【ヴァロアの”血” 16:~黒い太陽~】


 フェルズの街から、秘密の抜け道を通って1日程山の中を進み続けた場所に、それはある。


 公の地図には存在しない谷間に隠れるように獣よけの結界を張り、空からは見えづらいように斜面に埋め込む形で建物が連なっていた。

 ここは、ドラン伯爵に裏で雇われた山賊の拠点であり、奴隷産業の拠点施設。

 もう日も沈んだ暗闇の中、その建物群の中では近辺から集まった少年少女を留め置き、”出荷”に向けた準備が行われている。

 今はまさに明日朝出発の奴隷達の選別が終わり、行き先別の馬車の近くに移動させているところだ。


 拠点の中は奴隷を移動させる為の命令が引っ切り無しに飛び交い騒がしい。

 多くの者が夜だというのにせっせと動いていた。

 ただし、中年を過ぎたくらいの山賊の長の女は、崖沿いに作られた彼女の部屋で床に入っている。

 既にこの日の取引の清算は終わっており、翌朝の出荷備えて早めに就寝するのが彼女の日課だったのだ。

 

 だが、今日の彼女はいつまでたっても全く眠れないでいた。


「う・・・うん・・・」


 普通の山賊のイメージからはかけ離れたほど文化的な布団をかぶり直しながら、長が不快気に唸る。

 ある意味で規則正しい生活を送っている長は、いつもなら布団に入った瞬間に寝られるほど寝付きがいいにも関わらず、今日は全く眠気がない。

 そればかりか、絶えずそわそわと何かに急かされるような違和感ばかりが時間と共に増大し、瞼を閉じる度に言いしれぬ不安に襲われ、また目が覚めるのを繰り返した。

 明らかに何かがおかしい。

 本能というべきか、直感というべきか、とにかく血の中が泡立つような違和感だ。

 それが”逃げろ”と警告を出しているみたいなのだ。


「・・・寝られん」


 そう言いながら山賊の長が布団を捲りあげて起き上がり、水でも飲んで落ち着こうかとエンドテーブルの水差しに手を伸ばす。

 だが水を飲んだところで落ち着くことはなく、むしろ焦燥感は先程にも増して全身に重く伸し掛かっている。

 神経が過敏になっているのか、周囲の音もやたら大きく聞こえ始めていた。

 扉の向こうから、ガヤガヤという奴隷と山賊達の出す騒音がやけに耳について・・・


「・・・? いや・・・」


 これは・・・


 山賊の長が慌てて布団から飛び降り、厚い毛皮の外套をひっつかむ。

 今、外から聞こえている音は明らかに日常とは異なるタイプのものだったのだ。


「何事だ!?」


 長が扉を開け放ち、近くにいた部下に怒鳴りながら問いただす。

 するとその部下は、長の方を向いて怪訝な顔をして言葉に詰まった。

 彼も明らかに違和感を感じているが、それが何なのかまだ分かっていないらしい。

 埒が明かないと考えた長はその部下の返答を待たないで駆け出し、崖沿いに作られたスロープ状の廊下を下に向かって走る。

 だがこれでハッキリした、少なくとも長だけの違和感ではない。


 長の足下からは床板が勢いよく軋む音が響き、その音に驚いた顔の部下と何人もすれ違った。

 何人かは、長と同じように違和感に叩き起こされた顔色の悪い連中だ。

 長はそれを無視しながら、古木の手すりを塞ぐ雪を払い落として谷の下を覗き込む。

 そこに設けられた広場ではいつものように馬車が用意されているが、それを引く牛達が見えず、山賊の部下が夢遊病患者のようにフラフラとあちらこちらを見ながら徘徊していた。

 やはりおかしい。

 そう考えた長は駆け下りる足を速める。

 谷底の次に対岸を見れば、同じように下に向かって走る幹部達の姿が。

 きっと長の下の階でも、勘のいい誰かが走っているだろう。


 だがこのとき、長は本当に気づくべき”違和感”を見過ごしていた。



「どうした!? どうなってる!?」


 谷底にたどり着くと長は開口一番、不気味に静かな荷牛を前に屯する御者達に怒鳴る。

 すると御者達が震えながらゆっくりと長の方に振り向いて、その青白い顔を見せた。


「ああ・・・”かしら”、牛達が動かんのですよ、それも気の弱いエクレシアだけじゃなくパンテシアまで・・・」


 御者のその言葉に長は明らかな異常を悟る。

 人に高度に飼いならされたパンテシアは、飛竜に内蔵を引きずり出される痛みにすら慣れる動物だ。

 それがこんな振る舞いをするのは尋常なことではない。

 だがそれ以上に驚いたのは・・・


「実は、私らも足が竦んで動けんのですわ・・・」


 という御者の言葉だった。

 

 その言葉に長は慌てて周りを見る。

 すると広場にいた半分近くの部下たちが同様に震えながら、その場に凍りついたように固まっている様子が見えたではないか。

 と同時に、自分も体の内側がゆっくりと凍っていくような感覚に気づく。

 それに気づいた長は慌てて足に魔力を流して奮い立たせると、まだ動ける部下に命令を発した。


「”商品”の様子を見てこい!」


 その言葉に部下達が慌てて走っていく。

 これでいい、今重要なのは”この状況”の広場から一人でも多く退避させることだ。

 さらに長はその混乱の中で、偶然、広場の中に見つけた”自分の片腕”に向かって駆け寄っていく。


「”ニナ”!」


 長が叫ぶ。

 だが”ニナ”と呼ばれた女は返事をしない。

 長はそのままニナのもとに駆け寄ると、2mと少しの身長の彼女を見上げる。

 その顔は、虚空を見あげて無言で佇んでいた。


「ニナ! 何が起こってる!?」


 長がニナに詳細を問う。

 このニナという女は”官位スキル保有者”であり、それだけでなくアクリラを卒業した程の秀才で、この山賊の軍事力を管理する実力者だ。

 彼女なら、何が起こっているのかわかるのではないか。

 長はそんな期待を込めてニナの顔を見つめた。

 だが、ニナは一向にこちらを見ない。

 痺れを切らした長がニナの胸を叩く。


 するとようやく、ニナが反応を見せた。


「・・・かしら」

「ニナ! 何が起こってる!?」


 長がニナに再び問う。

 だがそれに対し、ニナは長の肩にそっと手を乗せた。


「・・・ありゃ・・・、無理だ」


 そう言いながら。

 その額を、冷や汗が伝い落ちる。


 その時、長は初めてこの場の異常事態をその目で確認した。

 正確には”何”に違和感を感じていたかだ。


 長がニナの前に手をかざし、それとニナを見比べる。

 そして周りの景色を。

 見えた・・・のは真っ暗・・・な谷の全景。

 さっき何故おかしいと思わなかった!?

 眼の前の景色に長が愕然とする。


 真っ暗であるにもかかわらず、谷の全景が一目で見渡せていることに。


 長が、ゆっくりと後ろを振り返りニナの視線の先を追う。




 そこに”太陽”があった。

 それも真っ黒な。



 見えていた理由は何でもない。

 凄まじい魔力の光で谷中が真っ黒に塗りつぶされていたからだ。



「ニナ! ”防御態勢”だ! 全員守備を固めろ!!!」


 長が谷全体に響き渡る声で指示を飛ばす。

 すると周りの山賊たちが一斉に太陽に向かって武器を構え、魔法師達の魔法陣が小さな点の光となって星空のように谷を色とりどりに染めた。

 これはCランク程度の魔獣でも蹴散らせる布陣だ。

 ニナの戦力を考えるなら、Bランクだっていけるかもしれない。

 だが肝心のそのニナは、仲間たちの行動を見て血相を変えたように叫んだ。


「やめろ! かしら、あれは・・・」


 だがその言葉は途中で打ち切られる。

 その瞬間、谷を先程までとは比較にならないほどの”恐怖”が駆け抜けたのだ。

 その恐怖に、長も凍りついて言葉が出ない。

 まるで全身が悲鳴を上げているかのようだ。

 そして長がやっとの思いで顔を”黒い太陽”に向けると、ちょうどその時・・・


 ”黒い太陽”が一気に膨張した。


 即座にニナが倒れ込んで伏せる。

 それを見た長を含めた周りの者が続く。

 それは本当に、”本能的な回避行動”だった。


 谷の内部を高速で波のような”なにか”が通過する。


 その波が全身を飲み込んで駆け抜けていったとき、長は自分が死んだのではないかと錯覚を起こした。

 周りを見れば、星々のように煌めいていた魔法陣たちが”波”に飲まれた瞬間に消えていく。

 全ての魔法陣があっという間にグチャグチャに変形して、吹き飛ばされていったのだ。


 長が立ち上がるために足に魔力を込めようとする。

 だが一向に全身に魔力が流れない。

 魔力による強化を失った長の体は驚くほど重く、全身の肉が下に向かって垂れ下がり、息することすら苦しく、これほどまでに自分が魔力に依存しているのかと突きつけられるようだった。


 重たい首を動かして上を向けば、ゆっくりと舞い降りてくる黒い太陽が目に入る。

 その太陽は生きているように脈打ち、その度に発生した波が谷全体を駆け抜け制圧するように力を奪った。


「ニナ・・・これは何の魔法だ!?」


 長がニナに問う。

 だがそれに対しニナは首を振った。


「これは魔法じゃねえ・・・いや、あれはなんにも・・・・してねえ。 ただ、俺達が勝手に怯えてるだけなんだ!」


 その言葉の意味を長は頭では理解できなかったが、感覚的には大いに納得した。


 黒い太陽が、わずかに雷のような轟きを放ちながらゆっくりとこちらへ近づく。

 そしてちょうど長まで50ブル程のところまで寄ると、そのまま同じようにゆっくりと下に降り始めた。

 近づくにつれて、眩しくて見えなかった太陽の中に牛の背に跨がる人の影が見えてくる。

 それも背中から羽の生えた・・・奇妙な少女の姿が。


「・・・・!?」


 だが長はその姿に見覚えがあった。

 それはまさに数日前、輸送中の奴隷馬車を襲い、苦虫を噛み締めた表情でここまで返しに来た少女の姿だったのだ。


「お前は・・・ヴァロア伯爵の!?」


 長がその名を呼ぶのと、その少女の顔が見えるのはほぼ同時だった。

 だが、少女の2つの目は先日見たものとは比較にならないほどハッキリと黒く光り、重装の牛の背から凄まじい覇気でもって長を見下ろしている。

 確か名前はモニカだったか・・・


「な・・・何用で・・・」

「話しに来た」

 

 長の問いに、モニカが短く答える。

 すると横で、ニナがまるで逃避するように頭を抱えて蹲るのが見えた。

 なんてことだ・・・あのニナがまるで赤子ではないか・・・

 長もモニカがアクリラに通っているという話は噂に聞いていた。

 だが、普段からニナという”アクリラの卒業生”を間近で見ていた長は、その実力を凄いとは思っていても、ここまで桁外れで規格外だとは想像していなかったのだ。


「何の・・・話で?」


 長がモニカの機嫌を損ねないように怯えながら、そう聞き返す。

 するとモニカはまるで冷酷な支配者のような、

 まるで頭の中に直接話しかけているかのような声で語り始めた。


「”モニカ・シリバ・ヴァロア”がお前達につげる。

 ”ここ”は今をもって廃業だ」






※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 その日の夕暮れ・・・・



 もう間もなく日が落ちようかというフェルズの街の壊れかけた城門の前で、ヘクターは目を剥いて眼の前の光景に驚いていた。


「おいおい、なんだこりゃ・・・」


 モニカの飛んでいった方向の山脈の切れ間から現れたのは、大量の少年少女達を乗せた馬車の車列だったのだ。

 フェルズの兵士達もその車列を見て驚いていることからして、普通の事態ではないだろう。


 御者の身なりは、”少々小奇麗な山賊”といった感じのもの。

 だがその粗暴な見た目に反して、落ち着きなく周囲を見渡しながら時折不安気に空を見上げており、馬車の隙間から顔を出す”おそらく奴隷だった”少年少女達もまた、不安気に空を見ては鳥に身を縮めていた。

 その行動からして奴隷契約は破棄されているのだろうが、これからの自分達の行く末がどうなるか心配らしい。


 そしてそんな車列を先導するのは、見知った槍使いの”女勇者”。

 ヘクターはその姿が誰か判別可能になると、門の兵士に軽く声をかけてから荒野に向かって飛び出した。


 女勇者のイリーナは、ヘクターが近寄ってくると若干の安心と大量の恥の混じった微妙な表情になる。

 それを見たヘクターが怪訝な顔で車列を後ろまで確認した。

 だが、”肝心の顔”がどこにもない。


「勇者さんよ、モニカ嬢を追いかけてたんじゃないのか?」

 

 完全に車列の前に並んだところで、ヘクターがイリーナに徐にそう聞いた。

 ”フェルズ城での一件”の後、どこかへ飛び出したモニカを追って彼女も街から飛び出していたのだ。


「追いかけたんですが、彼女の方が足が速くて・・・・」


 だがイリーナは、申し訳なさそうにそう答えると力なく頭を振った。

 それを見たヘクターが唸る。


「あの飛行魔法か・・・だが、勇者のあんたの足でも追いつけないだって?」


 それに対し、イリーナが苦々しげに頷いた。


「それでも途中で出会えたんですが、彼等をここまで連れてくるようにと・・・・」


 イリーナがそう言いながら後ろを振り返る。

 すると先頭の馬車の御者台に座る、魔力の大きい女が身を縮めた。

 見た感じ、実力だけなら”エリート”レベルまで後少しといったところ、この近辺では破格の強さだが、それが生まれたての子鹿のようにビクビクしているのはどういうことか。

 まったく・・・どんだけ脅したんだか・・・


「んで、またどっか行ったと」

「はい・・・面目ありません」


 イリーナがそう言って、申し訳無さそうな目でヘクターを見ながら腰を折った。


「あんたが謝ることじゃねえよ。 ったく、ここの連中もあの”お嬢様”も、何考えてんだか」


 ヘクターがそう言って大いに憤慨した。

 エミリアやガブリエラもそうだが、”ホーロン人気質”ってのは飛び出したら言うことを全くきかなくて困る。

 だが、肝心な時に護衛を振り切って動き回る要人がどこにいるってんだ。


「こりゃ戻ってきたら、全力でケツを蹴り上げてやらないと。 あんたも、その槍であいつの尻の穴を増やしてや・・・・」


 その時、イリーナが左を向いて南の空を見上げた。

 と、同時に空に微かに雷鳴のような音が響き始める。


「来やがったか・・・どこフラついてたんだか」 

 ヘクターが呆れと安堵の混じった声を漏らす。

 少なくとも、どこかで野垂れ死んでいたという可能性はなくなった。

 だが南の空に小さく鳥のように見えたその黒い影は、驚くほどの速度で視界の中を機敏に動くと、フェルズの街でもヘクター達のいる東側でもなく、それを通り過ぎて西側の平原へと飛び越えていったではないか。


「お、おい!? どこに行く!」


 モニカが車列の頭上を通り過ぎるときに、ヘクターが大声で上に向かって怒鳴った。

 もちろんこんな距離で、あの騒音の中心にいるモニカには聞こえていないだろう。

 だが、モニカもロメオの背中から車列を上から見回す目を一瞬だけ止めてヘクターとイリーナを見ていたので、言わんとしていることは伝わったはず。

 その上で彼女は2人を無視して飛び去ったのだ。


「次から次に・・・」

「後を頼みます!」

「お、おい!?」


 すると、モニカの姿を見たイリーナが脱兎以上の速度で飛び出してモニカを追いかける。

 ヘクターが止めようと声を上げた時には、もう既にフェルズの裂け谷の反対側に向かって大きくジャンプしている頃だった。


「まったく、わけえ連中は・・・」


 大人なヘクターは、誰にも聞いてもらえない不平を漏らすしか出来ない。




 フェルズとその近辺に存在する殆どの者達が不安げな瞳で空を見上げていた。

 先程から、上空のモニカは微かな雷鳴を轟かせて旋回しながら何度も裂け谷の両側を行き来きし、しきりに下側の様子を観察しているのが見えた。

 その様子が魔獣化した猛禽や飛竜が獲物を探す様子に似ていて、もう既に日が差し込まず暗くなったフェルズの街からは、まだ赤い空とそこに映る黒い影が不気味に思え。

 さらに兜を外して顕になっている白い顔の真剣な表情が、夕日に照らされて一層明るく見えた。

 地を這う者達は、彼女がどう出ても何もすることは出来ない。

 唯一、勇者のイリーナだけは空中を駆けながらモニカの周りを不格好に飛んでいたが、悠然と飛ぶモニカに付いて行くのに必死で、なんらかの会話が出来ているようには思えなかった。


 そういう状況がしばらく続いていると、突然、空中でモニカの魔力が急激に膨らみ、それを見たフェルズの街が恐怖で息を呑む。

 直接魔力量がわからなくとも、長年培った勘が危険信号を発していたのだ。

 そして、続いて発生した真っ黒な光がモニカの小さな体を覆い隠して、谷を含めた荒野全体を黒く照らした。

 近づいていた空中のイリーナが、突然退避するように距離を開ける。


 すると次の瞬間、空気が引き裂かれる”バリバリ”という音を発しながら、モニカの黒い太陽から黒い”光の柱”が西の荒野に降り注いだ。

 それは巨大な魔力の奔流だった。

 そして”光の柱”が地面に衝突すると、フェルズの住民が聞いたこともない重低音と、小さな地震のような振動が荒野全体を飲み込む。

 だが裂け谷の中で外の様子が見えない街の中の住民は、恐怖で声を上げる事もできずにその場で縮こまっているしかない。

 一方、裂け谷の上にあって状況が見渡せる城塞にいる者も、それはそれで声にならない悲鳴を上げるしかないでいた。


「・・・・」


 ”元”奴隷たちの到着の報を受けて街の城門まで駆けてきたヴァロア伯爵が、目の前の光景に言葉を失う。


 空中から太さ100ブルを越えようかという太さの魔力の奔流が地面に激突し、その勢いで地面を上に積もった雪ごと掘り起こしながらグチャグチャに混ぜ返していたのだ。

 その光景は聖王記の一節かと見紛うほど浮世離れしており、そのまま光の黒い光の柱は大地を掘り起こしながら、ゆっくりと北から南に進んでいく。

 そして荒野の端まで掘り起こすと、今度は少し横にずらして北上を始めた。


「・・・あの子は何をやっているんだ!?」


 ヴァロア伯爵が、元奴隷の車列をフェルズの城門まで先導し終えたヘクターに駆け寄り大声で問う。

 するとヘクターが頭を掻きながら肩をすくめた。


「さあ・・・俺もあんな魔力の使い方は初めて見るもんでさっぱり。

 でも見た感じ、耕して・・・るんじゃないですか?」

「耕してる?」

「ほら、また折り返した」


 ヘクターがそう言って指差すと、ちょうど荒野の北端で光の柱が折り返すところが見えた。


「そう考えりゃ、見た目は派手だが、かなり力を制御してるようにも見える。

 いくらあの”規格外”でも、単なる魔力をこれだけ長時間吹かすのは無理だからな。

 たぶん、あれも魔法なんでしょうよ」

「・・・・」


 それに対しヴァロア伯爵が口を開けて何かを言おうとするが、言葉は出てこない。



 それからたっぷり日が落ちて空が暗くまでの間、モニカはひたすらフェルズの西側の大地を掘り起こし続けた。

 暗くて分かりづらいが、日が昇れば雪で白かった荒野の半分が真っ黒に染まっている光景が見えたことだろう。

 そしてその様子を空中でしばし観察してからモニカはイリーナを引き連れ、ゆっくりとヴァロア伯爵含めいつの間にか人々が集まっていた城門へと降りてきた。

 羽の中間から噴き出す黒い炎がはっきりと見えてくると、人々は左右に分かれて隙間を開け、そこに2人と1頭は着地する。

 モニカは地面に着くなりロメオの背中から飛び降りると、ロメオの労をねぎらう様に鼻面を撫でた。


 誰も言葉を発しない。

 モニカがその黒い鎧と一緒に羽をどこかへ仕舞うのを、全員が声を上げずに見守っていた。

 するとモニカは群衆を見渡しながら、その中からヴァロア伯爵の姿を見つけると、そこに向かって話しかけた。


「ドラン伯爵と話をつけてきた」


 モニカがそう言った瞬間、ヴァロア伯爵がビクリと体を緊張させる。

 だがその内容を理解すると、額に青筋が浮かんだ。


「なんだと?」


 ヴァロア伯爵が獣の唸りのような声でそう聞き返す。

 だがそれをモニカは完全に無視して続けた。


「集めてた奴隷は全部開放した。 だけど行く宛がないから、しばらくはこの街で過ごしてもらう。

 そのために必要なものとかは、わたしとドラン伯爵で都合をつける事になって、とりあえず”さんぞく”達が持ってた分はわたしが持ってきた。 残りはたぶん、来週辺りからもってくるはず」


 モニカがそう言いながら、魔法陣から大きな木箱を一つ取り出して隣に置いた。

 そして城門の兵士長を見る。


「まだ100個くらいあるけど、ここに置く? それともちがう所に?」

「あ・・・ええっと、倉庫にお願いします・・・」


 城門の兵士長が消え入るような声でそう答えると、モニカは小さく頷いた。


「あと、どうしても街にお金と仕事が必要になるから、それも話し合ってきた」


 モニカがそう言いながら今度はメイドのカローラの方を向く。


「フェルズの周りの土に、わたしの魔力を混ぜてきた。

 雪ごと混ぜたから水分はあるし、後は肥料と一緒にこれを撒いて」


 モニカはそう言うと、呆気にとられる一同の前に今度は魔法陣から大きな袋を取り出して木箱の横に置いた。


「”魔草の種” 魔力をたくさん吸って大きくなるから薬の材料とか、こうきゅう食材とかで、けっこう高く売れるんだって。

 これのお金で、ふえた人の分や街のたりない分に当てる事になった。

 種類は倉庫にあったの、てきとうに持ってきたからバラバラだけど、それぞれにマニュアルがあるからそれ通りに育てて。

 全部、魔力たっぷりな土なら簡単に育つって」


 そう言うと、今度は大量の書類の入った封筒を取り出してカローラに渡し、恭しく受け取ったカローラはそれを胸に抱えて一歩引いた位置に退く。


「土の魔力は半年後か、遅くても来年、わたしがまたここに来る時に入れておく。

 それまでの段取りはドラン伯爵に任せてるし、わたしからも手配する、たぶんだけどアクリラの方が高く売れると思うから。

 とりあえず、これで何年かしのいで・・・・その間にフェルズに別のしっかりした産業を作るって話になった。

 いくつかはドラン伯爵と話してるし、魔草の販売ルート含めてアクリラでも探すから・・・」


 そう言いながらモニカは確認するように指を折る。

 その顔は昨日までのそれとは別人のように迷いがなく、誰も口を挟むことを許さぬ芯がある。

 だがそれでも割って入るように動く者がいた。


「モニカ!!」


 ヴァロア伯爵だ。

 だがそれにモニカは応えない。


「出る時に獣よけの結界をフェルズの周りに置いておくから、わたしがアクリラに戻った後、種はマニュアルに書いてる時期を見て植えていって。

 それと畑のかんりは、できるだけ今日連れて帰った人の中から選んで」


 と、必要事項の連絡をカローラに行い続けたのだ。

 だがヴァロア伯爵もそれで止まりはしない。


「何を売った!!」


 城塞全体に、ヴァロア伯爵の怒鳴り声が辺りに響く。

 するとモニカも流石に口を一旦閉じて、ゆっくりとそちらを向いて伯爵の目を見つめた。


「いくらお前の魔力を商売に変えられるからといって、ドラン伯爵がタダでそんな都合のいい話をくれはしない! 魔草の種だって安くはない!

 モニカ・・・お前は一体何を売ったんだ・・・」


 ヴァロア伯爵は、モニカに駆け寄り両手で肩を掴みながらそう聞いた。

 だが彼の力ではモニカの体はビクともしない。

 するとモニカは反対に、ヴァロア伯爵の腕を掴むと、恐るべき力で動きを封じてしまった。


「覚えておいて、”おじい様”。

 どんなことをしてでも、奴隷商売からは手を引いてもらう。

 わたしに・・・・”モニカ”に家を継がせるっていうのは、そういう事よ」


 そう言いながら、モニカは頑とした視線をヴァロア伯爵に向けた。

 それを見る限り、もうモニカの腹は決まっており梃子でも動かぬことはヴァロア伯爵にも理解できる。

 ただ、そのためにモニカが何を差し出したのかが彼の心に引っかかったのだ。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 時は戻り・・・・その日の昼前。



 ドラン伯爵の居城のあるジュラッグの街は、いつもとは違う混乱に満ちていた。

 城の中ではドラン伯爵が樽のような腹と胸をユサユサと振り回して使用人をなぎ倒し、大声でがなり立てながら城の玄関を飛び出す。


「なんだこの揺れは!? 近くで魔獣がやって・・・んのかい!?」


 その言葉通り、今現在ジュラッグの街は不気味な振動で小さく揺れていた。

 これがほんの短時間ならドラン伯爵も無視しただろうが、もうたっぷり数時間、それも徐々に強くなってるとくれば無視はできない。


「いや姉さん。 俺達も何が何だかさっぱりで・・・」


 城の玄関の前に立っていたヒゲモジャの番兵の1人が困ったように答える。

 彼はドラン伯爵の5番目と12番目と17番目の子供の”父親最有力・・・候補”で、ドラン伯爵の信頼も厚く、受け答えも親しげだ。

 すると反対側の毛むくじゃらで筋骨隆々の番兵が続く。


「ハッキリとはしねえが、振動が夜から続いてるって声もある。 今サボを冒険者協会に走らせてる、あっちで何か掴んでるかもしれない」


 そう言うと番兵は街の中を顎で示した。

 彼もドラン伯爵の3番目と15番目の子供の”最有力・・・候補”である。

 ちなみに”サボ”というのは、ドラン伯爵の3番目の子で、彼女の子供の中で1番”デキが良い”ため彼女のサポートとしてジュラッグ中を駆け回っている苦労人だ。


 だが事態がつかめなかったドラン伯爵は息を荒げて、街の周りを見渡している。

 すると多くの者が、街の外を指差す光景が見えてきた。

 それに吊られてドラン伯爵がそちらを向く。

 そこにあったのは街の西側にそびえる”ピラト山”の雄大な姿。

 ・・・だが今日はその雄大さに陰りが見える。


「どうなってんだありゃ・・・」


 なんと、ピラト山の巨大な山体がグラグラと揺れ、所々から崩れた土砂が下に向かって落ちているではないか。

 もう既に雪は滑り落ちて殆ど残っていない。

 さらによく聞けば、まるで巨大な怪物が獲物を噛み砕くような”ガラガラ”という音まで聞こえだしていた。

 まるで、あの山全体が内側から化物に喰われる痛みに呻いているかのようだ。


 そしてそれは、そう外れた感想ではなかった。


 ジュラッグを襲う振動の強さが極地に達した時、山の中腹が小さく吹き飛んで、その中から真っ赤な溶岩が飛び出してきたのだ。

 その光景にジュラッグの住民達が悲鳴を上げ、ドラン伯爵が口をギュッと閉じて額に冷や汗を浮かべる。

 そして溶岩に続いて、山の傷から真っ黒な円柱状の謎の物体が現れた。

 それが高速で回転しながら、溶けた岩を外に押し出している。

 円柱はここから見れば点の様に小さいが、実際は小さめの魔獣くらいにはあるだろう。


 だがその円柱は、まるでピラト山を貫くためだけに作られたかのように、現れたと同時に動きを止めると次の瞬間には内側に向かって分解が始まった。

 すると地中から、小さな小さな人の影が現れる。

 ドラン伯爵は視力が良いほうだが、流石にここからでは、何か牛か馬に跨っている以外にその人影の判別はつかない。

 だがその正体は、直感ですぐに誰か思い至っていた。


 この近辺でこんな事ができて、それを思いつく理由がある者は1人しか無い。


 円柱の部品達は、物の数瞬で折りたたまれると、最後には黒い人影が跨がる牛の角状の部分に収納された。

 そして、代わりに現れた大きな羽を羽ばたかせながら牛が地面を蹴って空中に飛び上がると、飛竜などとは比べ物にならない速度で空中を横断し、真っ直ぐにジュラッグの上空まで飛び込んで、ドラン伯爵の目の前数ブルの所に着地したのだ。

 重装の牛に跨り、全身を真っ黒な鎧で覆った小柄な人物の突然の出現に、番兵達が腰を抜かしてその場にへたり込む。

 それでも微動だにしなかったドラン伯爵の肝は流石だと後年語られることになるのだが、実際は前に倒れそうになったところを、黒鎧の人物の着地で発生した衝撃波を、樽のような体がまともに受けて支えたというのが本当のところだ。

 ただ、大きな”おさげ”の付いた兜がバカリと割れて、中からクリーム色の髪の少女が現れると、”やっぱりな”という感想を持つ程度の余裕はあった。


「ピラト山にトンネルを掘ってきた。 今はあつくて危ないけれど、壁もちゃんと作ってるから冷えたら使っていいよ」


 モニカが冷たい眼差しでドラン伯爵を見上げながら、そう告げる。

 その存在感は、先日見た小動物のように祖父の影に隠れる少女と同一人物とはとても思えない。


「ヴァロアの・・・さてはお前、”処女”切ったな・・・」

「・・・・?」


 モニカの変化に己の価値観で勝手な推測をしたドラン伯爵に対し、モニカは少しだけ不思議そうに首を傾げるも、それに応えることはなかった。


話しに・・・来た」


 モニカが短く告げる。

 するとドラン伯爵が冷や汗を浮かべつつも鼻で笑った。


脅し・・に来た・・・じゃなくてか?」

「そう思ってくれるならうれしい」


 皮肉に対しすぐに返ってきたモニカの言葉に、ドラン伯爵が唇を歪める。


「どうやら、お前の”初めて”は随分いい男だったみたいだな」

「・・・・・? まあ・・・強い人だった」


 なるほど・・・若干理解までに時間がかかっているのが気になるが、概ね想像と違いはないだろう。

 そうドラン伯爵は考えた。

 ならば話は早い。

 ”ガキ”との取引は不可能だが、”女”なら話は違うと。


 母語の違いが生んだすれ違いだが、それが結果的に円満な交渉に繋がったのだから皮肉である。


「それで、山一つぶち抜いて見せてまで、ここになんの話をしに来た?」

「”あなたの奴隷商売はおわりよ”、って言いに来た」


 ドラン伯爵の問いに、モニカが冷たい声でそう答える。

 するとそれを聞いた番兵が気色ばんだ。


「おい! いきなり何言って・・・」

「やめろ!」


 だがそれをドラン伯爵は一喝して制止する。


「その分だと、山賊共のねぐらは抑えてるんだよな」

「朝ごはんの前に片付けてきた。 もうあそこは使えないよ」


 モニカが全く臆することなくそう告げると、ドラン伯爵は表情を変えずに話し始めた。


「ヴァロアの、ウチは別に奴隷商売だけで食ってるわけじゃないし、止めたところで食えなくなるわけでもねえ。

 だが、小さな商いでもねえってのはわかるよな?

 いきなりやめろって言われても、取引相手もいるし困るんだわ」


 ドラン伯爵が探るような視線で様子を窺いながらも、眼上のモニカを上から見下ろすような態度でそう答えた。

 つい先日感じたモニカの印象ならば、こう言えば少しは狼狽えただろう。

 だがモニカの表情は変わらない。

 そればかりか、


「不当だっていうなら、アルバレスに言いなさい。

 それかわたし・・・に」


 と、冷酷かつ頑なな態度を崩さなかった。

 表向き違法である奴隷商売を潰されて、訴えられるものなら訴えてみろといわんばかりだ。

 それに、


「文句言いに来たら食っちまう・・・・・って顔だな」


 ドラン伯爵が面白そうにそう言った。

 だがモニカは首を振る。


「ちがう、食いには行かない・・・・・・・・って顔だよ」


 モニカのその回答に、番兵達の顔から血の気が一斉に引く。

 だがドラン伯爵はその答えを聞いて、ハッタリかそれともヤケっぱちか逆に笑みを深めた。


「まあ、落ち着け。 だがお前の言う事をタダで聞くわけにはいかないってのも分かるよな?

 人が生きるには金がいる、人が沢山いれば金もたくさん必要だ。

 そもそもヴァロア領が奴隷を止める代わりに、何を売れるっていうんだい?」

「それの相談に来た、なにか思いつくものはない?」


 モニカが事も無げにそう言ってのける。

 そこに気負いは全くない。

 するとそれを見たドラン伯爵が顔を抑えて笑った。


「随分と自分勝手に物を言うじゃないか」

「そう? 街を吹き飛ばさなかっただけ理性的だと思うけど。 あんな風に・・・」


 モニカがそう言いながら横に向かって指差す。

 その先では、ちょうど山肌をまだ冷え切っていない溶岩が流れていた。

 モニカの表情は、これがまだ”交渉”ではなく”脅し”の段階だと言わんばかりに刺々しい。


「・・・なるほど。 どうやら俺もグリゴールも、うっかり魔獣の尻尾を踏んじまったというかワケか。

 わかった、潔く奴隷商売からは身を引こう。

 それに、お前の”売り物”についても思いついた事もある。

 だが、それだと俺達のデメリットが大きすぎる。

 金だけじゃない大きな商売を逃すんだ、俺達にもなにかメリットが無いと不公平だろう?」

「”不公平”?」


 そう言いながら、モニカの目がスッと細くなる。


「ああ、そうさ。 お前が欲しいのは、ヴァロア領を助けてくれる”仲間”じゃないのか?

 それとも力に怯えてかしづく”奴隷”か?

 そんな物はすぐに役に立たなくなるぞ」


 ドラン伯爵は、敢えて”奴隷”という言葉を強調した。

 するとモニカがほんの一瞬だけ視線を逸す。

 間違いない、モニカは”奴隷”という言葉に強い忌避感を持っている。

 そう確信したドラン伯爵は攻勢を強めた。


「何でもいい。 何か今売れるものはないか?

 別に物や金じゃなくてもいい、”権利”や”サービス”でもいい」


 そう言いながらドラン伯爵は頭の中で自分の息子の名前のリストを捻り出す。

 今、この少女が売れるのは”自分自身”だけだ。

 そこに付け込んで婚姻を捩じ込めば、十二分にお釣りがくる取引になる。

 なにせこの魔力はそれだけで・・・


「じゃあ、”保障”を売る」

「保障?」


 突然の言葉にドラン伯爵が固まる。

 するとモニカが頷いた。


「うん、あなた達の安全を保障する」

「どうやって?」


 若干、冷や汗の量を増やしながらドラン伯爵は聞き返した。

 ”安全の保障”とはどういうことか。


 するとモニカが突然、彼女の身長よりも大きな魔法陣を展開して、その中心に空いた空間から何やら大きな物体を取り出したではないか。

 ドラン伯爵が呆気にとられていると、モニカがそのままその物体を地面に叩きつけるように置き、その衝撃で城の石造りの床に大きなヒビが入ってドラン伯爵の足元まで割れる。


 それは人と同じくらいの大きさの、複雑な形をした柱のような見た目をしていた。

 モニカの使う魔道具の例に漏れずその物体も黒く、所々の隙間から魔力の黒い光が漏れ、その光がゆっくりと明滅しながら、周囲を威嚇するような存在感を放っている。

 少なくとも、ドラン伯爵の人生で見た中で最も禍々しい印象を与える存在なのは間違いない。


 モニカがゆっくりと語る。


「魔獣でも軍隊でも何でもいい、もし、あなたがどうやっても勝てない力に理不尽に・・・・襲われた時は、これの上に触れて魔力を流して一週間だけ耐えて」


 そう言いながらモニカが物体に魔力を流し込むと、内部に大量の魔力を注ぎ込まれた柱状の物体が小刻みに振動し始めた。

 その力強さたるや、ドラン伯爵のような木っ端な強度では触れただけで粉砕されそうだ。


「そうすれば、わたしが何処にいても・・・」


 モニカが視線を上げてドラン伯爵を睨み、死の宣告のような声で続けた。



「・・・・必ず来る」


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