0-3【オアシスの精霊5:~帰り道~】


 俺達はオアシスの斜面をゆっくりと進んでいた。


 主は結局、オアシスを出てからすぐにこの窪みを脱出することにしたらしい。

 もちろん上るのに時間がかかることもあるが、帰路を急ぐ理由にはオアシスの中で出会った”赤の精霊”に対する恐怖が抜けきっていないことも大きいはずだ。


 主は決してあの精霊に対して悪感情を持っているわけではない、それどころかようやく見つけた話し相手になれる存在に対する喜びのような感情もあったくらいだ。

 だがそれでも本能では、赤の精霊が放つ恐怖に抗えないでいた。

 今までその本能によって生きながらえてきた部分も大きいであろう主にとってそれは、何よりも優先される事案だったのだ。


 主は自分の中の相反する二つの感情に折り合いがついていないようだ。


 そうして答えが出せないでいた主の解答はとりあえずの問題の先延ばし、つまりできるだけ早くこのオアシスを離れることを選んだ。


 重たくなったソリを引く事に集中することで、考えないようにしているように感じるのは気のせいではないだろう。

 きっと彼女の中ではあれに対してどう向き合えば良いのか、まだ判断が付いていないのだろう。

 まあ判断をつけろといってもあの恐怖に打ち勝つことは難しい。


 だが食料をあの場所に依存している以上、そう遠くない時期に再びあの精霊に向き合わなくてはならない。

 そしてそれは今後も続いていくのだ、いつまでも怖いと言ってはいられないだろう。


 

 主が窪みの縁を登り切った時、まさに地平線に太陽が沈む瞬間だった。

 いつもならそれはその日の移動の終了を意味する。

 だがそれでも主は少しの間窪みの縁から移動し、結局寒さに負けるまで移動を続けたのだった。

 

 足がだんだん震えてきたことで、仕方なくその場で一夜を明かすことに決めた主が”家”魔法の準備に取り掛かるが、寒さと精神の乱れのせいなのだろう、なかなかうまく魔法が決まらない。

 結局見かねた俺が勝手に手を出すことで魔法が展開される。


 それに少々驚いたようだったが、主は結局あきらめたように”家”領域の中に入った。


****************************


 


 主が眠りに落ちた後、俺は悩んでいた。

 

 まずそもそも、自分の存在は何なのかについてだ。


 今まで努めて気にしないようにしていたが、今の俺は完全に異常な存在だ。

 だが赤の精霊は俺の存在をはっきりと認識していた。

 それはつまり、俺という存在に実体があるということだ。


 ともすれば、この世界において”俺”の存在とは一体何なのだろうか?


 そしてなんとなくだが彼女が主に言い放った、主を”怖れている”という言葉。

 それはもしかすると俺のことを指しているのではないか?そんな気がしてきてしまったのだ。

 

 赤の精霊はあの時、主の中にある”スキル”という要素を恐れていると言った。

 ”スキル”・・・・つまり技術という言葉だが、その実態は少々異なると思われる。

 

 実は主が読んでいた本の中にも、いくつか”スキル”と呼ばれる物が登場していたのである。

 俺としてはまだ魔法との明確な区分が付いていないが、描かれ方を見るに魔法ほど一般的ではないと思われる。

 そして何よりスキルはかなり独自性が高く、また魔法よりも遥かに特殊性が高いという傾向を感じていた。


 では、主の中にある”スキル”とは一体何だ?

 それも、あれほどの存在感を放つ精霊が恐れるというほどのもの・・・・


 ただ精霊いわく主に自覚はないらしい。

 自覚がないので当然使用することはできないだろう・・・・・もしくは・・・


 俺は無意識のうちにその可能性を考えないようにしていた。


 いくら何でもありの傾向があるスキルであっても、さすがに”それ”はなんでもありすぎるだろう。


  


 もうひとつ俺が悩んでいること、それは自分の存在を主に伝えるということ。

 

 自分の存在を主に伝えようと試みるべきなのか、もし仮に伝えるならばどうやって自分の存在を伝えるのか。

 それ自体はもっと以前から考えていたことだが、これまでは伝える方法がなかった。

 

 だが今回の旅で伝える方法については、俺の心を読める赤の精霊に仲介してもらうという方法で一応の解決策が提案されたことで、俺はどうするべきか迷いが生じていた。


 よく考えても見てほしい、少々幼いとはいえ年頃の少女の頭の中に異性の人格が潜んでいるのだ。


 気持ち悪いだろう?


 そんなことを知ればどういう反応をされるのか、強固に拒絶されてしまうのではないか。

 どういうわけか俺はそうなることを想像するだけで、無性に恐ろしくなるのだった。

 

 だがこのまま傍観者を続けていくこともとても健全とはいえない。

 どこかの段階で主とコミュニケーションを取るべきだという考えは、俺の中では根強い。

 

 ただ、赤の精霊を仲介人にするということに対する懸念もある。

 いくらその恐怖が勝手に植え付けられた実体の無いものだとしても、その言葉を簡単に信じる訳にはいかない。

 価値観も大きく違う存在に助けを乞うということは、大きなリスクも孕んでいる事だ。


 あの感じだと、『一生友だちになろう』と問われて『はい』と答えれば、命ごと持って行かれて魂レベルでお友達にされるなんてことも無いとは言い切れないのだ。

 

 とはいえ、今のところ俺の意志を知っているのは彼女だけだし、きっと彼女なら喜んで引き受けてくれるだろう。

 現状他にあてはないのだ、少なくとも次にあの場所に行くときは腹をくくらなくてはならないかもしれない。


 

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 夜が明けると地平線ギリギリにオアシスのある窪みが見えていた。

 縁を登りきった時に日の入りだったので、日が落ちてから結構な距離を移動していたようだ。

 窪みからは、オアシスから発生する蒸気が立ち上り、縁のすぐ外で冷やされて滞留しているさまがよく見えた。

 遠くから見てもそれはやはり不思議な光景で、昨日はあの中に居たのかと思うとその感覚はさらに増した。


 ”家”魔法領域の外においてあったソリの中の野菜は、なんと一晩で完全に凍りついていた。

 本当にこの世界は冷凍庫入らずだな。

 逆に冷凍で痛まないように凍らないようにするための保温庫がほしいかな。

 まあ野菜が痛むとはいえ、冷凍もいつまでも保存できるという利点があるので仕方がない面もあるか。


 帰りの移動も来るときとほとんど変わらない、相変わらず地平線の彼方まで真っ白でまっ平らだ。

 強いていうならソリが重くなった分、筋力魔法の使用量が増えたことくらいか。

 今までの主の訓練などから、筋力魔法については垂れ流しでも問題ないくらい魔力に余裕がある事がわかっている。

 筋力魔法をあまり強力に使うとあとから筋肉痛がひどくなるが、この程度ならそこまで問題にはならないだろう。


 ただ、どうも主の様子からは心ここにあらずという感じを受ける。


 来るときはきっちり1時間間隔くらいで現状把握のために地面に耳をつけていたが、今は間隔も長く時々数時間忘れることもある。


 確認中もどこかうまくいっていないような感覚だった。


 やはりまだ、赤の精霊の衝撃が抜けきっていないのだろう。



 結局その日は特に何もなく日没を向かえた。


 そして、上の空だった主は俺の”家”魔法への介入も特に気にすることはなかった。




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 翌日、支度を済ませた主は出発前の安全確認として、いつものように地面に上半身をつけて周囲の様子を確認していた。

 だが今回はいつもよりも長い。


 何か気になることでもあるのだろうか?

 何度か起き上がってある方向を眺めては、また上半身を地面につけるということを繰り返していた。

 そのたびに気のせいか、主の表情が段々と表情が暗くなっていくような・・・・

 

 そして地面に耳をつけて全く動かなくなってしまった。

 今は極限まで神経を集中しているようで息まで止めている。


 耳や肌から入ってくるデータの密度が増えたが、それでもやはり俺には何かがあるようには思えない・・・



 そのとき主の表情が一気に曇り、感情のパラメータがネガティブ方向に振れる。

 そしてさっと起き上がると地平線の一角を凝視した。


 視覚に映る景色に変化はない、ただだだっ広い真っ白な大地がどこまでも広がっているだけだ。

 だが主は何かを見ようと、必死にある一点を凝視し続ける、その顔にはかつてない焦りが浮かんでいた。

 だが視界には何も映り込んでいない。

 そもそも焦るほどの脅威であれば、昨夜の確認のときに気づいている筈だった。


 主は確認のためにもう一度地面に耳をつけて探索を行う。

 やはり俺には何がこれまでと違うのかもわからなかった。


「・・・・っく!?・・」


 だがやはり主は何かに気付いている。


 そしてそれはとても良くないもののようだ。

 今度は、後ろを振り返りソリを凝視しながら何か考えを巡らせている。


 決断をすぐに出したのか、ソリのロープを腰に括り付けると顔の向きを正面に戻し、全身に筋力強化を流し始めた。


 これほどの筋力強化だ、起こっている事態は相当深刻とみていいだろう。


 そして主は全速力でもって走り始めた。

 想定以上の速度で滑り始めたのであろうソリが、後ろで大きな音を立てているが気にする様子はない。


 一心不乱に家の方向に向かって真っすぐ走っている。

 恐らく今日中にはたどり着ける距離に居たので、危険を避けるよりはさっさと安全圏に逃げることを選んだようだ。

 ”家の領域”の中に入れればコルディアーノという心強い味方がいるのも大きい。

   

 その後一時間ほど走り休憩ついでに地面に耳をつけ、また走るという状態が続いていた。

 未だ視界には何も映り込んでいないが、主の焦り様からして状況は芳しくないのだろう。

 段々と焦りの色が濃くなってきた。



 何度目かの地面の音の確認の時のこと、今度は俺にもその”異常”がわかった。

 明らかに音の中に妙な異音が混じっている、おそらく何かの足音だろう。

 数や大きさまでは分からないが、先程はわからないほど小さな音だったので恐らく接近してきている。

 

 主の反応を見るに友好的な存在とは思わないほうが良いだろう。


 音を確認した主は即座に、顔を上げて地平線を確認する。 



 その時、確かに視界の中に灰色の物体が3つ映り込んだのだった。

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