第十九章 夏の離宮

 あたりはすっかり闇に包まれ、目先のものも見えない夜。星も月も見えず、冷たい風ばかりが手足から体温を奪ってゆく。けれども、こんな夜は特に何かが起こる日だ。


「ビアンカ、水がもうないよ。汲んできな」


「けど、外はもう真っ暗だし。川まで汲みに行くのに森へ行かないといけないし。朝になったら、行きますから」


「いいから、さっさと行ってくるんだ! 水がないとお客様にお出しするスープも作れないだろう」


 宿の主人に怒鳴られ、バケツを押しつけられる。嫌な予感ほどあたるものだと嘆息しかけるのを堪えて宿をあとにした。

 外は案の定、氷のような風が吹いている。冷たい地面を裸足で歩けば、体温を奪われる。着ている服も薄手で破けているところもあるから、余計に凍えてしまう。それに夕食にパンもスープも与えてもらえなかった。言い渡されたのはただ一言、「あんたの夕食は無いよ」だった。


「ひっく」


 涙があふれて小さく「お父さん」と呟きながら、闇に飲まれた道を進んでいく。川に行くためには、昼間でも薄暗い森を通らねばならない。さらに、つま先も見えない夜だから泣いたって誰も気づきはしない。静かに慟哭の声を上げながら道を進めば、やっと森が見えてきた。ただでさえ暗いのに、視界は闇に飲まれた。いつも通っている道であるのに、何も見えないからどの辺を通っているのかもわからない。

 そんな闇の中を進みながら、いつものように夢想する。いつだったか父親が話してくれた物語のように、王子様が現れて連れて行ってくれるのではないかと考えてがんばろうと考える。

 記憶をたぐり寄せて物語を思い出す。それはたしか灰かぶり姫シンデレラという物語で継母とその姉たちにいじめられていたヒロインが最後は王子様と結ばれるという内容だったのを何度も頭の中で繰り返しては夢物語にうっとりとしてしまう。

 それが彼女に許された唯一の“遊び”だった。この年頃の女の子ならば、だれもが欲しがるお人形も持ってはいなかったため夢想するだけならば自由であるから、こうしていつも夢想する。

 華やかなお姫様のようなドレスも王子様が見つけてくれるガラスの靴も持ってはいないけれど、いつか父親が迎えに来てくれるのを信じて少女は、この日も片道2マイレン(約3.2キロメートル)の道を進んでいく。

 やがて宿へ戻れば主人は少女を「遅い」と怒鳴りつけて、今度は戸口の掃除をしてくるよう言いつけた。すっかり手足も凍えてしまっていたが、宿の主人にほうきと一緒に外へ放り出される。そのまま閉め出されてしまい、水宝玉アクアマリンの瞳から大粒の涙が零れる。それを乱暴に拭い、落ち葉をかき集めたけれど全て風で飛ばされてしまう。

 宿の中からはあたたかな光が零れ、宿の主人とその娘の笑い声が溢れてきた。

 娘はちゃんとした服を着て、靴下も靴も履いていて温かそうだ。手に持っているお人形も可愛らしい。それをいつも横目で眺めては、また夢想してしまう。

 ガラスの靴は持ってはいないけれど、王子様が迎えに来てくれないだろうかと考えてしまう。それは冷たい現実に引き裂かれた。

 戸口が開いて宿の主人が来れば、「なに、ぐずぐずしているんだ!」と鼓膜を貫くばかりに声がとどろく。同時に乾いた音が夜空にひびきわたった。

 頬に鈍い痛みが走れば、体がぐらついて地面の上に倒れ込んでしまう。一瞬、何が起こったのか少女にはわからなかった。だが、すぐに強い力で頬を叩かれたのだと理解した。


「ご、ごめんなさい、おじさん。すぐに掃除をしますから」


「ふん、本当にとろくさいな。さっさと終わらせな」


 そういうと宿の主人は中へと戻っていく。まだじんじんと痛む頬をさすりながら、ほうきを握り締めて立ち上がる。心の中でただ一人、父親のことを思いながら。

 涙がすすよごれた頬をつたい、冷たい地面の上へ零れ落ちた。



 浅い呼吸を何度も繰り返して喉は乾き、寝間着は汗でべっとりとしていた。時間を見れば深夜の二時。こんな時間に起きてしまう自分を呪いながらビアンカは上半身を起こして水を飲もうと調理室に向かうため、部屋を出る。

 本来であれば、こんな時間にで歩くなんてことをすれば危ないからとバルビナにお説教されてしまうだろうが、喉を潤さないと眠れそうに無かったので心の中だけで謝っておく。やがて、調理室についてコップを拝借して水差しの水を飲んでいると扉が開かれた。驚いてそちらへ向けば、そこには武装した男が立っていた。どうやら、見回りをしている兵らしく誰かが入っていくのを見つけて様子を見に来たらしい。


「女の子が一人で出歩いたら危ないよ」


「ごめんなさい。だけど、恐い夢を見てしまって」


 コップを握り締めて告げると兵は、「では落ち着くまで側に居ましょう」と手に持っていたランプを机の上に置き、ビアンカの隣に来る。先ほどまで見えなかった兵の顔が窓から零れる月明かりに照らされてくっきりと見えた。まだ年若い兵のようで顔立ちもよく均整のとれた体つきをしている。


「ありがとうございます……」


 弱々しくも答えたビアンカに若い兵は、笑みを浮かべた。その顔は、ため息が出るほど美麗で見とれてしまう。あと数年すれば、さぞかし城の下女やメイドが騒ぎ立てることだろう。


「あなたはもしや、王子様がつれてきた」


「ビアンカ、と申します」


 若い兵が名を口にする前に自ら名乗りを上げれば、うやうやしく頭を下げる。


「知らぬこととはいえ、失礼いたしました。わたくしは騎士見習いのフランツと申します」


 騎士見習いというのは、歩兵が自らを称して使う言葉だ。いつからそういうようになったかは知らないが、貴族が兵士と名乗った男を小馬鹿にしたことがあって、それに怒った男が自分の部下達に「我々はただの兵では無い。“騎士見習い”だ」というようになったのが始まりらしい。もっとも、騎士にならない兵卒もいたようだが。


「フランツさん。あたしは、王子様に助けられただけであたし自身には何も無いんです。だから、普通に接してください」


 フランツと名乗った兵は、「敬語は止めましょう」と告げた。それをビアンカは承諾すれば、ゆるりと笑みを浮かべて問いかけてきた。


「ビアンカはどうして、王子様のお役に立ちたいと思ったの?」


 ビアンカが王宮へ来たことは、ほんの一握りの人しか知らない。下手に事情を広めれば、マリアも王宮にいづらくなるという理由からだ。むろん、歩兵にまで伝わっているはずはない。けれども、疑念を抱くことなく言葉が紡ぎ出される。


「王子様があたしを助けてくれたから。詳しいことは話せないけれど、王子様に恩返しをしたい。それだけです」


 話しながら自分に差し伸べてくれた手を思い出す。自分と歳は四つほどしか違わないのに、広く見えたあの手がここまで導いてくれたのだと思うと心が落ち着いた。


「そうだったのですか」


 フランツの瞳の奥には、はかりしれない闇が渦巻いていた。ビアンカはまったく気づかない。


「そろそろ、お部屋に戻られた方が良いのでは」


 フランツはビアンカを部屋まで送ると、ランプを片手に城の中を見回りを始める。

 終えると兵達が寝泊まりしている小屋に戻り、報告書を済ませる。今度は紙切れを取りだしてペンを走らせた。一介の兵には、紙は高価でなかなか手に入る代物では無いため、フランツはこうして紙を小さくちぎって使っていた。

 紙に“よくわからない”言葉で城の状況を書くと、鳥の足に結わえ付けられている筒に入れた。夜空へと飛ばせば鳥は、天高く飛び上がって夜の闇に飲まれた。フランツは今日のおつとめは終わりだと、ベッドの中に潜り込んだ。



 日が開けてビアンカはベッドの上で目を覚ますと、バルビナが呼びに来て謁見の間へ来るよう言われる。着慣れたピナフォアを着て髪を梳かし、それでも髪がはねるものだからホワイトブリムで押さえつける。王の御前に出るというのに、礼儀にかなっていないように思われるだろう。だがビアンカの寝癖の悪さは、王もよく知っている。べつだん悪く言うこともないいだろう。

 それから、かるくスカートをはたいて「よし」と気合いを入れると部屋をあとにする。

 謁見の間へ向かえば、すでにバルビナはおり王の隣に控えていた。背筋を伸ばし、緊張した面持ちで慣れない仕草で王の前に跪こうとしたが、制されてしまう。立ったままで良いようだ。周りを見回せば、呼び出されたらしいリカルダとフィーネもいて神妙な面持ちだ。やはり、重要な話があるらしい。


「リカルダ、フィーネ。二人には、少し遠いが離宮に行ってもらおうと思う」


「離宮ですか」


 リカルダが呟けば王はこくりと頷き、王妃が口を開く。


「夏が近づいてきたし、ニュンペーの城に移ろうと思ってね。けど、先に二人に移ってもらって様子を見てきてもらいたいの。そこにビアンカも同行してもらいたくてね」


 夏の離宮ニュンペーの城は、王族が夏を快適に過ごすためのものである。本城を少し離れた場所にあり風通しの良い、涼しい構造になっていた。


「あの、わたしがご一緒しても良いのでしょうか」


「もちろん!」


 王と王妃が揃って答える。使用人に馬車の準備をさせると、王妃が準備していた荷物が外へ運び出される。リカルダ、フィーネ、ビアンカが外へ出ると馬車が来て荷物が詰め込まれた。


「必要な荷物はもう用意させているから、心配しなくても大丈夫よ!」


「もしかして、これからすぐ向かうのですか」


「ええ!」


 三人とゲルトを馬車へ乗せれば、走り出す。見送り終えると王妃アイリーンは、真剣な声色で国王オーガストに問いかけた。


「ディアナ嬢が動いているというのは、本当なの?」


「ああ、ディアナの執事であるゲルトに聞いてみたから本当だよ。今度はカルセドニー国を拠点に“ティマイオス”が活動しているらしい」


 ソロモンの話ではベスビアナイト国にあった拠点は、すでに撤去されているという話だった。


「詳しいことはまだ何一つわからないが、“彼ら”の狙いはマリアだということだ」


「そんな。それなら、余計にマリアを行かせるべきではなかったわ。今からでも――」


「駄目だよ、アイリーン。約束は約束だ。いまさら、無かったことになんて出来ないよ。それにマリアはきっと止めても行くというだろうね」


 アイリーンにも理解できた。けれども、やはり可愛い我が子が危ない地へ行かせるなんて約束するべきじゃなかったと己自身を呪う。ソロモンや守人達がついているからといって、安心できるものでもない。


「レイヴァンも、まだ見つかっていないんでしょう?」


 いつも強気なアイリーンが珍しくも蚊の鳴く声で呟いた。いつも小さなことで心配するオーガストが、力強く肩を抱き寄せる。


「大丈夫だよ、ソロモンがいっていたじゃないか。彼らが根城にしていた場所には、勲章しか落ちていなかったと」


「ええ、そうだけれど」


「それにレイヴァンは、簡単にやられやしない。今もどこかでマリアのために動いている気がするんだ」


 根拠のない。ただ励ますだけだとしても、アイリーンには嬉しく思えた。拳をつくると「そうね」と呟いて、どこまでも青い空を見上げる。そこには、あふれんばかりに太陽が空に輝いていた。



 数十分間、馬車に揺られて夏の離宮であるニュンペーの城に到着した。本城のように豪華絢爛で負けず劣らず美しい。また白い壁が印象的な建物でなにより庭が広く、開放感があり涼しさを感じる城だ。


「わあ、素敵!」


 うっとりと声をあげたのはビアンカであった。マリアに連れられ本城へ来たときも、お伽噺で読んだ城に胸を躍らせていたのだ。

 リカルダは貴族であるので特に気にした様子はない。フィーネは貴族でも何でも無いが、感情の起伏がないので声も上げなかった。年頃の娘であれば、喜んだりはしゃいだりするものだが興味がないらしい。


「フィーネは嬉しそうじゃなさそうね」


「最初はあたしも夢のようなお城に憧れはしたんだけど、親睦会に出てみて思ったの。お城もパーティも、端から見ているものだって」


 周りを見回せば、仮面を貼り付けた貴族の笑顔ばかりであった。フィーネは嫌そうな表情を浮かべる。あちこちで上品な笑い声と優美な音楽に合わせて踊る男女がいた。話す内容に耳を傾ければ、お互いを褒め合う声。はたまた足の引っ張り合い。

 遠目で見る分には蝶のようにひらひらとドレスや礼服を靡かせ、優雅に踊る男女ばかりに目が向く。だがしかし、実質は礼儀であったり仕方なくといった調子だ。

 本の中で読んだ舞踏会なんて、すでにズタズタに切り裂かれている。


「二度と参加したくない」


 王と王妃のはからいで参加させてもらえたが、フィーネは心の底から思った。


「確かにそうよね。ああいう、席は夢物語の中だけで十分よね」


 リカルダも賛成すれば、ゲルトは苦笑いを浮かべる。珍しく感情を表に出しているのを不思議に思って、リカルダが問いかけたが「なんでもございません」と返され真意を聞くことはかなわなかった。

 ニュンペーの城を見て回るとビアンカは掃除にとりかかったが、ゲルトにやんわりと止められてしまう。


「わたくしがしますから、ビアンカはリカルダ様達と遊んでいらしてください」


「ですが……」


「使用人がたまに訪れて掃除していますから、そんなに汚れていないですし」


 なおも掃除をしようとするビアンカを、フィーネが強引に引っ張って広い庭へと連れ出した。刹那にさわやかな風が頬を撫で視界が開ける。

 太陽の香りで満ちた庭園は、離宮からまっすぐにのびた広いレンガ道が続き、両側には芝生が植えられ所々に赤い花が咲いていた。アーチを超えた先には、大きな池と噴水があり太陽の光を反射してまばゆいほどかがやいている。


「きれい!」


 圧倒されてビアンカが呟くと、隣にいたフィーネもうっとりと声を上げた。


「本当にきれい」


 二人をリカルダは眺めて、「どう?」と問いかけた。


「きれいです」


 興奮気味なビアンカにリカルダは、池がこんなに大きいのは近くに運河があるからだと自分の城でもないのに腕を組んでしたり顔だ。


「ここへ来るのにずっと水の道があったでしょう? あれが運河」


「へえ、リカルダ様は物知りなんですね」


 ビアンカの何気ない言葉にリカルダは、ますます気をよくして何か話そうと口を開いた。瞬間、朝食の準備が出来たとゲルトが呼びに来た。そういえば朝食すら、まだだったと促されるまま向かう。池から数十歩進んだ場所に、離宮よりは小さめの建物がある。そのテラスに食事が準備されていた。ビアンカは申し訳なさが沸いて、ゲルトに謝る。


「いえいえ、ビアンカ。離宮ではじゅうぶんにお休みください。ただでさえ、王宮での暮らしには慣れていないのですから」


 ゲルトの言葉に合点がいく。王と王妃が自分に気を遣って先に離宮へ行くようにいい、わざわざ休めるようにはからってくれたのだと。


「なんだか、わたし、みんなに与えてもらってばかり……」


 しゅんと肩を落としたビアンカにゲルトが笑みを浮かべ、首を横に振る。


「与えてもらったものはありがたくもらっておくものです。それにあなたはもっと大人に甘えても良いんですよ」


「でも――」


 反論しようとしたビアンカを、リカルダはさえぎる。


「そうそう、『くれる』といってくださるものを受け取らない方が失礼ですわ。ありがたくもらっておきなさい」


 ビアンカは、少し思案顔でうつむいた後、ぱっと顔を上げるとゲルトを見る。


「では、甘えても良いのでしょうか」


「はい、もちろん。甘えてください」


 ゲルトが返すとやっと緊張がほぐれたのか、朗笑を浮かべる。リカルダとフィーネも、テラスの椅子に座り食事を始めた。ならってビアンカも椅子に座ると朝食を食べ始める。

 テラスの机に用意された食事は、大皿に薄いハムとうすぅーく切られたチーズが盛られ野菜が添えられている。小鉢にはサラダが入れられ、隣にはドレッシングが添えられていた。机の中央にあるバスケットの中には、薄く切られたバウエルンブロート(田舎風のライ麦で作るパン)が入っていて美味しそうだ。

 ビアンカからすれば豪勢に見える食事だった。カップには珈琲コーヒーが注がれ、香りが立っており食欲をそそる。

 ビアンカは珈琲コーヒーを一口飲んだ後、バウエルンブロートを手に取るとハムとチーズをはさんで食べる。この組み合わせで食べるのは最高だとビアンカが頬を綻ばせていると、皆の視線が集まっていることに気づいた。おずおず「はしたないでしょうか」と問いかけると、そういう食べ方を初めて見たらしい。

 リカルダとフィーネもそれをまねて食べれば、「美味しい」と呟いてぱくぱくと食べてしまう。すっかりバスケットの中身が、なくなってしまった。

 普段、あまり食べないリカルダが食べるから驚きつつも、ゲルトはバスケットにバウエルンブロートをまた薄く切って入れる。

 フィーネとビアンカはお腹いっぱいになって食べるのを止めたが、リカルダはあまりに美味しかったからかぺろりと食べてしまう。おいしかったと貴族らしからぬ言葉遣いでゲルトにつたえた。


「それはようございました」


 執事らしくゲルトが腰を折ると、リカルダは背筋を伸ばして貴族らしく珈琲コーヒーをすすりはじめる。

 ビアンカは珈琲コーヒーも飲んでしまうと、食器を片付けようとした。ゲルトに止められ、ゆっくりするよう言いつけられる。なんでも自分で仕事をしてきたビアンカにとって、周りに任せることができない。働こうとしてしまう。


「ビアンカはリカルダ様のお側にいてください。それがあなたの離宮でのお仕事ですよ」


 申し訳なく思いながらも礼をする。ゲルトは優しく笑みを浮かべるだけにとどめ、ワゴンに使った後の食器を乗せると珈琲コーヒーポットを手に取った。


「おかわりはいかがですか」


「いえ、大丈夫です……」


「遠慮はしなくて良いですから」


「では、その、ください」


 ゲルトがなみなみと珈琲コーヒーを注いでくれれば、カップから香りが立ち緊張がほぐれていく。ほっと息を吐き出すと、白い湯気が小さく揺れた。


「ビアンカ、どこか見たいところある?」


「わたしが行きたいところでいいのですか」


「まだちゃんと室内を見ていないので見て回りたいです」


 リカルダが許可を求めて、ゲルトの方を見れば笑顔でうなずいていた。


「よし、それじゃあ。珈琲コーヒーを飲み終わったら、ティータイムまでお城巡りしましょ! せっかく離宮へ来たんだもの!」


 弾む声のリカルダに、ビアンカとフィーネも笑顔を浮かべる。城の中を探検するというだけで、三人は胸が躍っていた。


***


「久しぶりだな」


 オブシディアン共和国の第二の首都とも呼ばれるグラス・ラーバの街を見下ろしてマリアが呟けばレジーが馬を隣にくっつけてきた。


「この街は避けていこう。マリアの顔を見ている住人がいるかも知れない」


 脱獄したヘルメスをかくまって、ベスビアナイト国へ連れてきたのは紛れもないマリアだ。あれから一年もたっていないし、顔を覚えられていても不思議ではない。


「うん、そうだね」


 マリアは小さく頷く。ソロモン達は前にヘルメスの事情を聞いているから、港まで行くのにグラス・ラーバは避けて少し遠回りをしながら行こうということに賛成してくれた。ジュリアとダミアンだけが知らなかったが説明しておいた。


「姫さん。あんた、脱獄者をかくまったことがあるのか」


「まあね。だけど、ヘルメス自身は何もしてない。錬金術師というだけで投獄されていたから」


 ヘルメスが罪を犯したわけではないことを強調するマリアに、ダミアンはわずかに息を吐き出した。


「わかってるよ。姫さんが犯罪者を、仲間に引き入れるとは思えないからな」


「ありがとう」


 多少なりとも自分に対して信頼を寄せているとわかって、心の底から言葉が溢れた。ダミアンは少しだけ頬を染める。


「まあ、姫さんは危なっかしいところはあるけど人を見る目はあるようだし」


「なるほど、遠回しに俺を信頼しているということか」


 ダミアンにマリアではなく、ソロモンがさきに口跡を紡がせる。


「なぜ、そうなる!」


「姫様は人を見る目があるんだろう? つまり、信頼に足る人物かどうか見極めることが出来るということだ。そんな姫様に頼られている俺は、信頼に足る人物というわけだ」


 意地の悪い悪戯な笑みを浮かべたソロモンにダミアンが言い返せず、睨んでいるとエリスが助勢した。


「ダミアン殿、ソロモンの相手などまともにしては参りません。酔っ払いのたわごとぐらいに思ってちょうどいいのです」


 酷い言われようだとソロモンが肩をすくめると、エリスが「自業自得ですよ」深い息を吐き出した。マリアは苦笑いを浮かべる。レジーが「そろそろ」と、皆に呼びかけた。


「ああ、そうだな。暗くなる前に行こう」


 少し遠回りになるが街道から外れて、山の中を通りながらどこか別の街がないかと探し始める。小さな町にしかたどり着けず、すでに夕方でもあったので民宿をかりた。

 小さく古びた民宿は、一歩踏み出す度に音を立てる。相当、古い民宿のようで従業員もあまりいない。

 カウンターにソロモンが、人数分である10シリング硬貨(通貨)三枚と1シリング硬貨六枚を支払う。従業員の五十半ばぐらいの女は無愛想にしながらも、机につくよう促して、今度は別の女性が机に食事を運んできた。食事を食べ終えて部屋に案内されれば、マリアは一人部屋ではなくエリスと同室になった。ソロモンは一人部屋、クライドとダミアンとレジーで同室。クレアとジュリアという割り振りになる。

 部屋へ入ってマリアは外套を脱ぐと寝っ転がる。エリスの小言が飛んでくるかと身構えていたが、何も聞こえてこない。エリスの方を見てみると、意外にも険しい表情を浮かべている。


「いえ、この町についてからなのですが、ずっと“木”が騒がしいのです。なんだか、嫌な予感がして」


「もしかして、日記帳の切れ端がこの町にあるのかも」


 エリスは跪く。


「探しに行って参りましょうか。しかし、姫様を一人にしてしまいます」


「わたしは大丈夫だよ。むしろ探すの、お願いしていいかな」


 頼めばエリスはニッと口元に笑みを浮かべ、窓から夜の闇に消える。部屋に残された形になったマリアは、蝋燭ろうそくの火を消してベッドの中へ潜り込んだ。



 ……何かがきしむ奇妙な音が耳をついて、マリアは目を覚ました。どうやら民宿の廊下から聞こえてくるもので、だれかがいる様子だ。人の気配とささやき声が聞こえてくる。


「この部屋だね」


「ああ、きっと金をたんと持っているよ」


 どうやら従業員の声のようで泊まりにきた客から金を盗もうとしているらしい。マリアは立てかけてあった剣を持ち、扉へ近寄ると耳をそばたて柄に手をかけた。目の前の扉が開かれた刹那。従業員の女が意識を失って床の上へ倒れ込む。驚いてしまい、凝視していると廊下にソロモンやエリス以外の守人が揃っていて「ここを出ましょう」と言った。

 マリアは外套を着て帯剣し矢籠を背負い、二人分の荷物を持ち上げると皆とともに民宿を出た。そこでエリスのことを皆に話したとき、ちょうど戻ってきて紙の切れ端を渡してくれた。


「よかった、エリス」


「いえ、やはりお側にいるべきだったでしょうか」


 跪いて問うとマリアが首を横に振り、エリスの手を取る。


「ううん、大丈夫だよ。それに先に取りに行ってくれなかったら、この町を出るのも遅くなってしまうから、これで良かったんだよ」


 ソロモンが「急ぎましょう」と告げれば、持っていたエリスの荷物を本人にかえした。それから厩に預けていた馬を引っ張り出し、またがると町を後にした。

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