覚悟を新たに


俺に対面するようにベッドに腰を降ろしたセラは、まず俺の腹に乗っかっているラーシェに目を向けた。


「ねえ、そのスライムって何、もしかして従魔?お腹に乗せて一緒に寝るとか、フェイルはどんだけそれが好きなのよ。」


違うんです。俺はこいつに襲われていたんです。いつもは一緒に寝たりしません。本当にこいつがいけないんです。今すぐにでもそう弁明したいところだが、もしそんなことをすれば俺の今生が終わってしまう可能性すらあるだろう。


「ま、まあな?こいつはいつもベッドに潜り込んで来るんだけど、それが思いの外可愛くてな?気付いたらこうするのが日課になってたんだよ。」


「ふーん。」


自分から話題を振っておいて、全く興味ないとばかりにスルーしたセラは、「で、何の用で私を呼んだのよ?」と本来の話題の続きを催促した。おい、興味ないんなら聞くなよ!俺にとっては、何が地雷になるか分からないんだぞ!!


「えーと、実は―――やっぱり何でもない。」


金を貸してください。その一言は、存外に恥ずかしいものだと始めて実感した。何がなんでも必要なのに、その言葉が喉から先に出てこない。それは人として恥ずかしいからであって、何よりも格好悪いから。


「別に平気だから、――――」


帰っていいよ。そう言ってセラを部屋に戻そうとしたとき、ふいに思い出した。


―――――私のことは、もう忘れて。


周囲の喧騒が耳に入ってこない程に強烈だった、今も俺の根底にあるその言葉を。


才知の台座でスキルを得て、その結果俺がミラを拒絶したとき、ミラは俺に泣き付いて嫌だと言ってくれた。でも、ミラが俺に別れを告げたときは、泣いてすらなかった。それほどまでに心がボロボロになっても、ミラは突き放すという形で俺のことを守ってくれたんだ。自分よりも、俺のことを考えた。


俺はいつまで逃げるんだ?


ミラが石化病に掛かった時に、変わったんじゃないのか?


ダンジョンで死にかけてラーシェをテイムしたときに、強くなると決めたんじゃないのか?


賢龍に自分で四十層まで降りてこいと言われた時、絶対にミラを助けると誓ったんじゃないのか?


恥なんて捨てろ。


「セラ、俺はダンジョン攻略を始めようと思うんだが、武器を買う金すら持ってないんだ。だから、武器を買うお金を貸してください。」


名一杯頭を下げて、セラにお願いをした。


やはり金の貸し借りなんて、とんでもない話なんだろう。自覚はあるし、セラの顔を見てれば誰だって分かる。


それでも俺には金がいる。だから、セラが良いと言うまで俺は頭を下げ続ける。


何秒経っただろうか?ふいにセラが、「顔を上げて?」と言った。優しい、とても優しい声で。


「フェイル、何があったの?」


言われた通りに顔を上げると、少しだけ困惑した表情を浮かべるセラが俺に尋ねる。


「何って、だからお金が無くてセラから借りよ―――」


「違うわよ。そんなことじゃなくて、まるで別人なのよ。顔が違うとかじゃなくてもっと根本的なところで、フェイルの何かが変わってる。今だってそうよ?少し前のフェイルだったら、どんな事情であれ金を借りるなんて、そんな人生崩壊予備軍みたいな真似はしないわ。恥ずかしくてね。だから、何があったかを聞きたいのよ。」


本当にセラは、エスパーか何かか?まあ、俺アンテナのセラがそう言うのなら、少しは変わったんだろう。そこは自信を持てる。


え?人生崩壊予備軍?触れないでくれよ。俺が一番辛いから。


「何が………か。確かに色々あったんだけど、今は言いたくないんだ。悪いけど、それだけは譲れない。」


金を借りる立場で何を言っているんだろうか?でも、それでも俺が『女勇者のすねかじり』だとは、どうしても言いたくなかった。こうやって自らの保身に走ってしまうところは、全く変われてないのか。


「何よ、フェイルはお金を借りる側の人間でしょ?!だったらそれくらい教えてくれないと、私だってどうすれば良いのか分からないわよ!!」


金を借りる立場の俺が、それに至る動機を語ろうとしない。そんな曖昧模糊な俺の回答が気に触れたのか、セラは怒ったように表情を歪めて捲し立てる。


「ごめん。それでも言いたくないんだ。今度、全てが丸く収まったら話すから、それまでは何も聞かないで欲しい。」


セラはその言葉を鵜呑みにはせず、どうするべきかを吟味しているようだ。両目をつむりながら腕を組み、難しい表情を浮かべて考え込んでいる。


その様子を見ながら俺は、まあ無理だろうな、頑張ってゴブリンを殺しまくるか等と考えていたが、セラが口にした言葉は俺の予想の斜め上を行った。


「今から部屋に戻ってお金を持ってくるから、少しだけここで待ってなさい。」


え?


一瞬セラが何を言っているのかが分からなくなり、頭が混乱する。思わずセラをひきとめようとして腰を上げるが、セラはそれを見越したかのように素早く俺の部屋から出ていった。


あまりの急展開に思考が追い付かず、何となく部屋の中を落ち着きなく歩き回ってしまう。


天井ではなく床のシミを数えてみたりもするが、セラが金を取りに行ったという事実が邪魔をして、十回程数えると分からなくなってしまった。


『あるじー、セラとかいう人来るの遅いね。もしかして、薄着に着替えてお茶を用意して、あるじのコップにだけ媚薬を入れてたりして?どうするどうする?』


「そんなことは起きないし、そもそもセラはそんなことしないだろ?」


明後日の方向に考えを巡らすラーシェの戯れ言を軽くいなすと、俺はじっと待つことにして、ベッドに腰かけた。


そのまま数十秒間が経ち、ようやくセラが戻ってきた。その手には口を紐で縛られた小さめの革袋が握られていて、それは揺れる度にチャリンチャリンと金属がぶつかる音を鳴らしている。あれにセラのお金が入っているんだろう。


セラはまた俺の隣に座ると、俺の本心を探るかのように顔をじっと見つめ、そして満足げに微笑んでから話を切り出した。


「フェイル、この中には銀貨三十二枚が入っているわ。これを全部フェイルに貸してあげるから、このお金をもとにしてあなたは冒険者としての準備を整えなさい。フェイルを信じて貸すんだから、裏切ったら承知しないわよ?」


さも当たり前のようにそう言うセラだが、銀貨三十二枚ともなると話は別だ。俺が命を賭けてゴブリンを十匹討伐して、それでやっと銀貨が一枚貰える。つまり、俺の月収とそう変わらない。宿屋の娘が何ヶ月間必死に貯めれば、これだけのまとまったお金を用意できるのだろうか?


「ちょ、待ってよ?!俺が借りたいのは、武器を買う分だけで銀貨五~十枚くらいなんだ!!こんな大金、一体何ヵ月間貯金した分のお金だよ!」


「一年と半年よ。」


「い――――ッ!」


何でセラは、そんな大事にしていた金を、俺なんかに貸すんだ?


「で……でも、そんな大金は受け取れないぞ!?」


そんな俺の言葉に被せるように、ミラが言う。


「私はね、お金を貸すことよりもフェイルが死んじゃうことの方が心配なのよ!少ないお金で適当に装備を整えて、それで何が出来るの?!だったら、お金でフェイルの安全が少しでも高くなるなら、私はいくらでもお金をk――――って違う!!」


途中からは俺の両手を握りだしてまで本気で語っていたセラだが、何か気に入らない台詞を言ってしまったんだろうか?急に黙り込んでしまった。


「フェイルが死んだら、私にお金を返してくれる人がいなくなるでしょ?!だから、今の内に装備を整えさせて、生還率を高めようとしてるだけよ!」


反論する隙も与えずにそう言い切ったセラは、肩で息をしながらそれでも「はい、大事に使いなさいよ?」と言って、俺の手の平に革袋を乗せた。


ズシリ。


物量的な重さではなく、もっと別の重さを感じる。


「ありがとう。このお金は、貯まり次第すぐに返すよ。」


俺は少しでも多くの感謝の気持ちを込めてそう言ったのだが、セラはそれに対してゆっくりと首を横に振った。


「ううん。これはフェイルがその目的とやらを成し遂げたら、その時に胸を張って私に返しなさい。それまでは受け取らないわ。例えいつになってもね。」


俺のことを気に掛けてくれる人が、この都市にはたくさんいる。でも、そのなかでもセラは一番頼れる人だ。ベクトルは違えど、まるでミラの様に俺を支えてくれる。


「セラは将来、旦那さんを駄目男にするような良い奥さんになりそうだな。」


その言葉を聞いたセラは、耳元を真っ赤にして俺に食いついてきた。


「何よ?!文句があるんなら、それ返してもらうわよ?!」


「いいや、未来のセラの旦那さんは幸福者だな、と思っただけだよ。」


「はうぅ。」


クキュウ、と可愛い効果音が付きそうな仕草で体を縮めたセラは、真っ赤に染まった顔を片手で隠し、もう片手でベッドの上にあるクッションやら枕やらを俺に投げつけてきた。


「あーーー!!もうっ!どっか行きなさい!!あと二日は私に顔を見せるなーーー!!」


痛みを伴わずに背中にぶつかってくるクッションの感触を感じながら、俺は渋々と部屋を出た。





何か気に触るようなこと言ったかなぁ?


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