第6話 治療院<朝>

 夜勤明けの朝日はまぶしい。

 リジンは、大きく伸びをしながら、治療院の庭に出た。

 広い庭には、いくつもの薬草が育てられている。

「ご苦労様でした。エルタニン医師せんせい

 スーザンが、かごに入った薬草を軒下で干していた。

 この時期、治療院では、薬草干しのシーズンである。

 看護師の本来の仕事から逸脱はするものの、治療院では薬草の手入れから管理に至るまで行わなければいけない。

 何しろ、ふつうの治療では使わない薬草まで必要であるし、『夜人形』の治療研究もおこなわれているから、様々な薬草を各種取り揃える必要があるからだ。

「スーザン、きみも、もう終わりでしょう?」

「はい。これが終わったら、帰りますので」

 疲れた顔を見せずに、スーザンは微笑む。

 スーザン・ランカスは、リジンと同じ年の、ベテラン看護師だ。

 まじめで仕事人間である彼女は、『仕事をしすぎ』で困る、とリジンは思う。

「夜勤のきみが、薬草干しまでしなくても」

 仕事をしすぎるせいで、彼女は看護師仲間から煙たがられ、いろいろ押し付けられているにもかかわらず、彼女は、何も言わずにそれをこなしている。むしろ、自ら仕事を率先してやっているといっていい――まるで、休むことにおびえているかのように。

「ええ。でも、せっかくのお天気ですもの。少しでも早い時間に干しておかなくては」

「仕方ないですね」

 リジンは、そう言って、スーザンの仕事を手伝い始めた。

「これは、月泉げっせんですか」

「はい」

 リジンは、ほんのりと甘いかおりのただよう草を手にとった。

 体内にエーテルを鎮める効果があるため、治療院で最も使われている薬草である。

「こちらは、時忘れか。そうか、そんな季節なのですね」

「はい。月泉や時忘れというのは、『夜人形』の特効薬の膏薬の材料ですから。しっかり用意しておきませんと」

 スーザンはそういった。

 現在、夜人形の治療をしているのは、この治療院だけだ。

 国の魔術研究所と、この治療院が中心になって研究しているが、臨床現場が主体になるのは当然のことであろう。

「夜人形は、もともと魔力酔いの処方薬でおこる副作用の症状を抑える研究でしたのにね」

 ポツリ、と呟く。

 スーザンの父マクシミル・ランカスと、この治療院の院長のハワード・ルクセンは、八年前に『夜人形』事件を起こした魔術師グアン・ザラワンの共同研究者であった。

 その三年前、研究中にマクシミルは突然死している。

 そして、その後、グアン・ザラワンはハワードと言い争いの末、ハワードに傷を負わせ、失踪した。

 ハワードの話では、マクシミルの死は、新しい魔力酔いの薬開発の途中で『偶然』できた物質が原因だったらしい。その物質の『処分』をめぐり、グアン・ザラワンとハワードは対立し、グアン・ザラワンは、その物質とすべての研究結果を持って、姿を消し去った。

 そして。

 グアン・ザラワンは、その三年後、三人の軍人を『夜人形』にしたて、執政官の演説会を襲った。

 その折、軍人を止めるために、ラスの父親、メラクは死亡。

 三人の軍人は殺害されるまで、動き続け、犠牲者はメラクのほかに七名におよんだ。

 捜査がすすみ、発見されたときには、グアン・ザラワンは自害した後だった。

 遺書には、自らの研究成果を試してみたかったとあり、ねじ曲がった探求心と好奇心からの犯行と結論づけられた。

 もっとも、本当の動機や原因がどこにあるのか、グアン・ザラワン以外にわかるものではない。

 責められるべきものが裁きを受けることなく、死んでいたからこそ。

 スーザンは、今も、七人の死に、贖罪の念を感じている。

 なぜなら、おそらく、『夜人形の書』なる研究日誌の一部は、彼女の父が行った基礎研究でもあるからだ。

 彼女が、嫁ぎもせず、ただひたすらに仕事に打ち込んでいる理由はそこにある。

 同じように父の死を抱えて仕事に生きているとはいえ、理由は従妹のラスとはまた違う。

 おそらく、院長のハワードが未だ独り身なのも、スーザンと同じ理由なのだろうと、リジンは思う。

「それにしても、多いですねえ」

 リジンは、『時忘れ』の草束を抱えてそう言った。

「はい。最近、ハワード医師せんせいがたくさん研究で使われているようで、消費が早いので、多めに作っているのですよ」

「へぇ」

 現在の膏薬をハワードが作り出したのは、二年前。夜人形事件がひんぱんになり始める少し前のことだ。ただし、現在の膏薬でかなりの成果はあげてはいるものの、夜人形の特効薬の研究は終わることはなく、ハワードの研究は常に行われている。

 リジンも手伝うことがあるが、どちらかといえば、治療が忙しく、研究のほうはハワード一人でやっていると言っていい。

「あれ? これは?」

 かごに入っていた木の実をみつけて、リジンは首をかしげた。

赤金あかがねの実ですよね?」

 赤金の実は、この庭で育ててはいない。少し『酔い』をもたらす薬効成分はあるが、治療院で使われてはいないものだ。

「ああ、それは、ハワード医師せんせいに頼まれました」

 くすっとスーザンは笑った。

「赤金の実は、乾かしてすりつぶすと絵の具になるそうなのです。ついでに、干してって」

「絵の具の?」

 リジンはその固い木の実を眺める。

 ハワード・ルクセンは、研究者として尊敬すべき人間であると思う。少し神経質で無愛想ではあるが、スーザンと同じく、大きな過去を背負っていると思えば、納得できる。

 ただ。リジンはやや苦手だ。

 理由は、絵を描くのが趣味で、やたらと描いた絵の批評を求めることだ。

 普段は無口なのに、絵に関してはやたらと饒舌である。

 正直、リジンは、絵のことはさっぱりわからない。

 ハワードの絵は、たぶん、下手ではないだろうが、さりとて、その絵を見て感動するかどうかと言われると、何も感じないと言いたくなる程度のものだ。

「ハワード医師せんせいのあの絵は、どうなのでしょうかね……」

「まあ、いいではないですか。先の見えない研究ですもの。気晴らしは必要です」

 スーザンは、にこりと笑う。

「おかげで、全部干せました。ありがとうございます」

「いや、夜勤、ごくろうさまでした。待っているから、いっしょに君も帰りましょう」

 リジンはそう言って、かごを重ねるのを手伝った。

「そうしないと、君はまた、仕事を始めそうです」

「そんなことは……」

 スーザンは首を振った。

「心配なさらないでも、帰ります。どうか、お先にお帰りを」

「いや、待っていますよ」

 リジンの言葉に、スーザンは、困った顔をした。

「そのように優しくしていただくと、その……アルフェッカさまに誤解されますよ。エルタニン医師せんせいのご迷惑にはなりたくないので」

「ラスが、何故ここで出てくるのですか?」

「ご婚約していらっしゃるのでしょう?」

 スーザンの言葉に、リジンは苦笑した。

「そういった話があったのは事実ですが、ラスにきっぱり断られました」

「でも……お好きなのでしょう?」

「さあ、どうでしょうか」

 スーザンの言葉に、リジンは答えを出せず、思わず空を仰いだ。

 澄み渡る空ほど、リジンの心はすっきりとしているわけではない。

 ラスのことは、好きであるし、危険な目にあわせたくはない。

 彼女を小さいころからよく知っている。知りすぎている。

 その瞳が何を見ているか。その手が誰を欲しているのかも。

「ひとりでする恋は、つらいものですからね」

 リジンは呟く。

 すると、スーザンの目が、リジンと同じ空を映しているようにみえた。


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