第二夜 The Midnight Requiem

Episode4 Confession -懺悔-

“La…LaLa…LaLa…”


 歌が聞こえる。

 遠く、近く。

 美しく、もの悲しい女の声。

 それは、聞く者全ての胸をうち、張り裂けそうな悲哀を染み込ませながらも、それでいて耳を塞ぐ事を許さない声だった。

 黄金の満月の下、海原は波一つ無い。

 その代わり、海面を浅く漂う夜霧が、白い絨毯の様に水平線の彼方まで広がっている。

 それはとても幻想的な景色ではあったが、同時にこの世ならざる光景でもあった。

 そのたゆたう霧の海の中を、一艘の船が漂っていた。

 小型のクルーザーだ。

 乗っているのは、一人の若者だった。

 その端正な顔立ちが、雲海の様な夜霧の海を痛ましい目で見詰めていた。


“La…LaLa…LaLa…”


「許してくれ…」


 女の歌は、静かに流れ続けている。

 それに応えるかのように、誰ともなく若者がそう呟く。

 船体の縁に掛けたその手は、僅かに震えていた。


 そして…


「ギャアアアアアアアアアアアアアッ…!!」

「ひっ!?ひいいいいいいっ!!」

「や、やめ…いぎゃああああ!!やめ…やべてっぇぇぇぇぇっ!いた!いだい!いだいぃぃぃぃ…!」


 歌声だけが響いていた夜霧の海に、恐怖に彩られた絶叫が続けざまに上がった。

 更に何かが裂ける音や砕かれる音、クチャクチャと咀嚼そしゃくする音が辺りに響く。

 景色に似合わぬ凄惨なBGMは、若者の耳にも届いていた。

 思わず顔を上げた先で、水面に何かが跳ね、異臭が辺りに漂い始める。

 血の香りだ。

 耐えきれなくなった様に、思わず耳を塞ぐ若者。


“La…LaLa…LaLa…”


 だが、その間も女の歌は止まることなく静かに響き渡っている。

 まるで、今巻き起こっている惨劇の旋律も知らぬかのように。

 哀切の音階は波間に漂い、無情に流れ続ける。

 それは。

 葬送の歌の様にも聞こえた。


「許してくれ…」


 若者が再び呟く。

 その独白に、黄金の月だけが耳を傾けていた。


-----------------------------------------------------------------------------


「っつー訳で、海に行くぞ、海」


 気だるそうだが、整った顔立ちの若者がそう告げると、


「Yeah!!来たヨ!つーいーに来たヨー!要約すると『キタコレ』ネー!」


「やったーっ!海よ、海~!ようやくまともな休暇が来たのね~!」


 和服姿の金髪の女性と際どいラバースーツに身を包んだ妖艶な美女がハイタッチを交わす。

 それを古風なメイド衣装に身を包んだ小柄な少女が無表情のまま、夜会服に身を包んだ中性的な美しい女性が苦笑しながら見ていた。


 そこは、とある城館シャトーの一室だった。

 中世の欧州ヨーロッパに登場しそうな古めかしいその外観は、優美さと共に野性味あふれる荒々しさをも有している。

 ひび割れ、つたに浸食された城壁には、戦で負った傷跡が所々に刻まれており、歩んできた歴史の凄惨さを見る者に物語っていた。

 「永夜の城館エバーナイト」と名付けられたこの城館は、その名の通り、闇夜の中にそびえ立っていた。

 暗黒の夜空に浮かぶ銀色の月を臨む室内には、洋灯吊シャンデリアの灯火に照らされて、いま五つの人影があった。

 何処か厭世的けんせいてきな雰囲気を漂わせる黒づくめの若者…十逢とあい 頼都らいと鬼火南瓜ジャック・オー・ランタン)。

 和服に帯刀した金髪の白人女性…リュカオン=ガルナー(人狼ウェアウルフ)。

 古風なメイド服姿の小柄な少女…フランチェスカ(雷電可動式人造人間フランケンシュタインズ・モンスター)。

 夜会服に身を包んだ、長身の中性美女…アルカーナ=Dドラクル=ローゼス三世(吸血鬼ヴァンパイア)。

 豊満な身体を露出過多な黒革ラバースーツに身を包んだ妖艶な美女…ミュカレ(魔女ウィッチ)。

 いずれも闇の世界に伝承を残す生粋の“夜の住人ナイト・ストーカー”達である。

 しかし、生粋の怪物モンスター達らしからぬ目の前の喧騒に、頼都はこめかみを押さえた。


「…テメーら、ちゃんと人のハナシを聞いてたか?」


Ofcourseもちろん!ビーチバレーにスイカ割りデショー!」


「サンオイル塗って『ポロリ』は必須イベントよね~♡」


「あとは…えーと、水中騎馬ウォーズがしたいデース!」


「や~ん♡それこそ絶対『ポロリ』もあるわよ~?」


「それに、伝説のクソマズイ『海の家のラーメン』が食べたいヨー!」


「あまりの不味さに『ポロリ』っていうのもオツよね~♡」


「よーし、ワン公、引っこ抜いてやるから耳を出せ。あと、無理矢理色ボケをねじ込むんじゃねぇ、痴女ビッチが」


 疲れた様に溜息を吐き、頼都は煙草を取り出すと指先に灯した炎で火をつけた。


「で、そっちの二人は分かってんだろうな?」


 視線を向けられたアルカーナは、軽く肩を竦めた。


「勿論さ、頼都君。ただ、僕には『陽が燦々と降りそそぐ浜辺へ、火だるまになりに行け』と、死刑宣告されたように聞こえたけどね」


 一方のフランチェスカは頷き、


「『見敵必殺サーチアンドデストロイ』…要はいつもの任務ですね。了解です、隊長キャプテン


 皮肉な返しと決まりきったルーティンな服従イエッサーに、頼都は火のついた煙草を思わず握り潰す。

 拳の中で消し灰になった煙草のかすを投げ捨ててから、頼都は頭をわしわしと掻いた。


「ご理解感謝。っていうか、もう少しマシな返しは出来ないのか」


「何分性分だ。諦めてくれたまえ」


「無為な意思疎通が御希望なら、切り替えますが?」


 悪びれる風も無いアルカーナと生真面目答えるフランチェスカ。

 頼都は諦めた様に、


「…もういい。んじゃあ、作戦を伝える。おい、ミュカレ、地図頼む」


「はいはーい」


 そう言うと、ミュカレは室内に置かれた大きな円卓に手を翳した。


『汝、祖を辿り、ここに在れ』


 そう短く呪文を唱えるミュカレ。

 すると、卓上に置かれていた大きな砂時計が破裂し、中身の砂が卓上に広がった。

 砂は一瞬で渦を巻き、ひとりでに動くと地形図へと変化する。

 その砂絵はどこかの海辺を描いているようだった。

 リュカが興味深そうに砂絵を覗き込む。


「Wow!いつ見ても魔術って便利ネー」


「あは♪こんなの初歩中の初歩よん」


 ウインクするミュカレを尻目に、頼都は円卓に近付くと指を鳴らした。

 と、砂絵の図上に小さな炎が灯る。

 図全体の中でも僅かに隆起した部分…陸地から、やや離れた海上だ。


「ここがくだんの海域だ。さっきも言った様に、この一カ月で10人の人間が行方不明になってる」


「それはまた…


 呆れた様なアルカーナに、頼都が頷く。


犯人ホシには『即時殲滅』の許可が下りてる。さっきフランが言った通り、見付け次第殺す。以上だ」


隊長キャプテン、それはいいのですが…」


 珍しく言い淀むフランチェスカ。


「ここ、海の上よん?」


 小首を傾げるミュカレに、頼都はニヤリと笑った。


「だから最初に言ったろ?『海に行くぞ』って」


「What!?そういうイミですカー!?」


 リュカが喚く。

 頼都は呆れたように言った。


「あのなあ…最初はなっから仕事の話だっただろ?それをテメーらが勝手にバカンスの話題にしたんだろうが」


「なぁんだ、ガッカリ」


 ミュカレが自ら肩を抱きながら、くねくねと悶える。


「せっかく、浜辺で欲望垂れ流しのギラギラした若い子達に、お相手してもらえると思ったのに~」


「いいか?もう一度耳の穴かっぽじって、よーく聞け」


 軽く無視し、頼都は続けた。


「今月に入って、この海域に出た若者が、立て続けに行方不明になってる。いずれも若い男ばかりで、消えた当日は天候の乱れもない。そして、遭難した形跡もない。文字通り、きれいに消え失せちまったって訳だ」


 地図上の炎を見詰める頼都の目が、鋭くなった。


「消えた連中には共通点もない。集団自殺にしても、動機が全く不明。警察や海上保安庁の捜査も事実上お手上げ状態。だもんで、の連中は、こいつらが『夜宴』に招かれたと判断したらしい。で、俺達の出番って訳だ」


「『万聖節前夜ハロウィン』まで、まだ二カ月もあるというのに…ここで悪さをしている奴は、随分と飢えているようだね」


 アルカーナが顎に手を当てて言う。


「待ってください、隊長キャプテン。消えた人間達が『夜宴』に招かれたという何か決定的な証拠があるのでしょうか?」


 フランチェスカがそう質問すると、頼都は頷いた。


「生存者が一人だけいるそうだ。何でも、そいつの証言が決め手らしい。ま、例によって警察には相手にされてないようだがな」


「What!?よく生き残れましたネー!」


 リュカが目を見開く。

 その横で、ミュカレも驚いた表情で頬に手を当てた。


に招かれて、自力で生きて帰ったってわけ?ラッキーな子ねぇ」


「…その一言で片付けちまっていいのか分からんがな」


 不意にそう言った頼都へ、全員の視線が集中する。


「その生き残りな、どうやら今までらしい」


 全員が押し黙る。

 頼都が言ったその言葉は、にわかには信じ難い内容だったからだ。


「それはおかしいよ。もはや運が良いというレベルじゃあない…ねぇ、頼都君。もしかして、犯人はその人物じゃないのかい?」


 アルカーナの疑問に、頼都は首を横に振った。


「もっともな疑問だ。当然、もその線を疑ったんだろうな。治療の名目で、そいつを息がかかった病院に収容して検査したらしい。が、その結果、間違いなく『ただの人間だった』んだとさ」


「考えられません。普通の人間が『夜宴』から何度も生還するなんて。まさか、その人物は『幽世かくりょ』の住人と結託しているのでしょうか?」


「No。奴らは、人間を『協力者』じゃなく『餌』としか考えないヨー。お互いTagタッグを組むなんて『ベンチでひっくり返っても』あり得ないネー」


「…それを言うなら『天地がひっくり返っても』です、ミス・リュカオン」


 真顔のリュカに、フランチェスカがそう冷静に突っ込む。

 頼都は溜息を吐いた。


「まあ、ここでうだうだ言ってても始まらねぇ。とにかく、俺らの任務はこの海域にいる『掟破り』の探索と抹殺だ。その前に、噂の生存者っていう奴にも一応接触して、探りを入れる…ま、生存者コイツが黒幕ってんなら、そもそも話が早くて助かるんだがな」


 そう言いながら、頼都は懐から取り出した一枚の写真を卓上へと指で弾く。

 ひらり、と舞い降りた写真を目にした女性陣は、一斉に色めき立った。


「んわお!イイ男~!」


「OH!ちょっと線が細いですが、イケメンネー!」


「ほう…確かに。色も白くて、肌の下の血管が透けて見えそうだ。おまけに白髪とは」


「瞳孔の赤色化も認められるため、先天性色素欠乏症アルビノと思われます。推定20歳前後、アジア系の男性ですね」


 四人それぞれの反応に苦笑しつつ、頼都は写真に目を落とした。

 写真の中には、顔立ちの整った一人の男性の姿が写っていた。

 フランチェスカが指摘した通り、まだ二十代と見られる若者だ。

 雪の様に白い肌と髪の毛、そして真紅の瞳。

 それが端正な顔立ちと相まって、神秘的な雰囲気を醸し出している。

 若者は物憂げな表情で、船のデッキと思われる場所から遠くを見詰めていた。


神前かんざき 季里弥きりや…か」


 頼都の目は、底知れぬ光を湛えたまま若者を射た。

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