第15話 白竜伝説

 ハクリュウ伝説。

 その記録は、明治時代初期まで遡る。


 あまかぜじまは伊豆諸島に存在する無人島だった。


 淡水には恵まれていたが、面積の殆どをあらしやまと原生林に覆われていた関係で人が住むには不便な地形。そのため近隣の島々の漁師が補給に立ち寄ったり、生活用水として使う淡水を採取しに行ったり、子ども達が船で遊びに行く場所として利用されていた。


 また、天風島には珍しい花が生息していた。


 牡丹一華ボタンイチゲ

 現在でアネモネと呼ばれるこの花だが、日本に渡来したのは明治五年頃。まだ本土でも知る人が少なかった当時、近隣の島民達がその存在を知るよしもなく、珍しい花として冠婚葬祭の飾りに重宝されていた。島特有の気候や地理により固定種しか栽培できない島民達からすれば、色鮮やかな異国の花はさぞ美しく見えた事だろう。


 ある頃から、こんな噂が流れるようになった。

 天風島には、白い竜と不思議な服を着た少女が現れる。


 まだ妖怪や鬼といった怪異が本気で信じられていた時代。えきびょうや天災を回避するために神に祈りを捧げるのが当たり前であった当時からすれば、この手の怪異譚は珍しいものではなかった。


 しかし、実際に白い竜や不思議な少女の姿を見た島民は、を除いて現れなかった。

 所詮は子どもが寝る前に聴く御伽噺おとぎばなしの一つ。夜に口笛を吹くと蛇に襲われるとか、母親の言う事を聞かないと鬼に連れて行かれるとか、そういう類いの物語だ。多くの島民達にとって、天風島の言い伝えは絵本や小説と大差なかったに違いない。


 だが、中にはいたのだ。

 その手の超自然現象オカルトて、感じられる素質を持った人が。彼らは絵本や小説としてしか思われていなかった迷信を現実だと認識できた。


 白い竜や不思議な少女との交流を通して、世界の真実の一端に触れていく。

 彼らは『とある戦い』に負けて天風島に逃げて来た。その時に命懸けで持ち出した『宝物』を守っており、奪いに来る『悪い人間』と戦っている。戦闘の余波で海が荒れる事があり、近隣の島々に迷惑を掛けているお詫びとして、牡丹一華アネモネの花を育てている。


 知識のある人間が聞けば飛び跳ねて喜びそうな程の価値を秘めた情報だが、ただえるだけの人にそれを理解する事はできなかった。


 それでも、彼らは超常の存在を受け入れた。

 聞けば、白い竜と少女はここに来るまでずっと争いに巻き込まれていたらしい。この穏やかな暮らしは、ずっと前から夢見ていたもの。やっとの想いで手に入れた幸せなのだ。悪意がないのであれば、追い出す理由はなかった。


 える人は、白い竜と少女にまつわる物語を多くの人に伝えた。残念ながら本気で信じられはしなかったが、彼らの活躍のおかげで記憶の彼方に葬り去られる事はなかった。


 そして、年月が経過していく中で、ある噂が一人歩きを始める。


 白い竜が姿を見せると、嵐がやって来る。

 酒の席で誰かが口にした冗談。感覚としては、風が湿っているから明日は雨が降ると予想するくらい。実際には『宝物』を守ろうとして戦うと海が荒れてしまうためあながち間違いではないのだが、この与太話を本気で信じている島民はいなかった。


 近づき過ぎず、かと言って離れ過ぎず。

 過度な信仰が生まれる事もなく、完全に忘れ去られる事もない。近隣の島民達は天風島の言い伝えと適切な距離を保って付き合い続けた。


 そして、明治時代後期。

 その年は嵐が多くて、まともに漁に出られなければ作物も育たない最悪の状況が続いていた。伊豆諸島の主な産業は農業と漁業であり、生活は天候に大きく左右されてしまう。抗いようのない理不尽な状況に直面し、近隣の島々に住む誰もがやり場のない怒りの矛先を求めていた。


 そんな時、一人のまじない師がやって来る。

 


 まじない師は、島民達に告げた。

 頻発している嵐の原因は、天風島に住み着いた邪悪な竜が原因である。あの怪物が気まぐれで暴れるせいで、海が荒れて暴風が吹くのだ。私ならば、あの邪魔者を封印する事ができる。


 天風島の言い伝えや近隣の島々の現状を織り交ぜ、島民達の心に寄り添った振りをしながら悪意のある嘘を刷り込んでいく。詐欺師が良く使う話術に支えられて、呪い師の言葉は不思議なまでの説得力を帯びてしまう。

 やり場のない怒りを向ける対象を探していた島民達にとって、呪い師が持ってきたばなしは渡りに船。誰も本気で信じていなかった迷信は、いつしか真実として島民達に受け入れられていた。


 だが、それこそ呪い師の目論見。


 呪い師の目的は、白い竜が守っている『宝物』を奪うこと。頻発する嵐の原因は、何度も襲撃してくる呪い師を撃退するために白い竜が戦った余波だったのだ。

 白い竜のせいで思うように『宝物』を奪えない事に業を煮やした呪い師はある作戦を思い付く。しくも、連続して天風島襲撃に失敗し、嵐が頻発した事でとある界力術の条件が揃ったから。


 結界術式『かんふうへんさんの陣』。

 言い伝えや噂として人々に信じられている通りに、結界内の空間を上書きする界力術だ。条件さえ整えれば、物理法則や常識さえも捻じ曲げて、空想上の御伽噺フェアリーテイルすら実現してしまう非常に強力な術式である。


 呪い師は島民達に一つだけお願いをした。

 自分を、白い邪竜を封印する存在として


 たった、それだけ。

 誰も本気で信じていなかった迷信は、嘘で塗り固められた真実として認識され、尊い想いを閉じ込めるおりとしてへんさんされる。


 だが、一人の少年だけが反対した。

 彼もまたえる素質を持っていたのだ。


 白い竜や不思議な少女との交流を通して、少年には呪い師の言葉が全て嘘である事が分かっていた。本当に悪いヤツは誰で、呪い師が何をしたいのかも知っていた。


 止めなければ。

 ここで自分が立ち上がらなければ、悪意によって天風島の平穏が塗り潰されてしまう。白い竜と不思議な少女がやっとの想いで手に入れた幸せな時間を、人間の身勝手な欲望に奪わせる訳にはいかない。


 だが、島民達は誰一人として少年の言葉を聞き入れなかった。所詮は子どものごと。白い竜や不思議な少女がえて、声が聞こえると言っても逆効果でしかない。どれだけ真摯に訴えかけても、狼少年と同じ扱いをされるだけだった。


 ただ、悔し涙を流すだけ。

 目の前で展開される悲劇に、手を伸ばす事すら許されない。


 だから、胸に秘めたのは一つの決意。

 この絶望を、絶対に忘れない。


 いつか天風島を救ってくれる人が現れるまで、真実を未来に届ける。


 これが、ハクリュウ伝説。

 理不尽に苦しむ島民達を救った英雄譚は、絵本や映画の元ネタにもなった御伽噺おとぎばなしは、真実を都合よく改変しただけの真っ赤な嘘でしかなかった。



      ×   ×   ×



「以上が、語り部として先代から引き継いだ『白竜伝説』の真実です」


 そう言って、倉下と名乗った老婆は物語を締め括った。

 朗読劇のナレーションみたいに感情豊かに言葉を紡いだ訳ではない。退屈な歴史の授業で先生が教科書を音読するのと同じだ。語り部の声は静かで、淡泊で、それでいて誰かを責めているように辛辣。深い皺の刻まれた目許には、その機能が欠落したと心配になる程に感情が滲んでなかった。


 だからこそ、伝わってきた。


 割烹着を着た老婆の心の奥で燃え続ける怒りが。ずっと昔から胸に秘めてきたであろう後悔が。そして、自分では手を差し伸べられなかった『少女』を救えるかもしれない彼女――ラクニルの生徒に向けた期待が。


 わなわなと唇を震わせた特班顧問の早乙女さおとめみやは、考え込むように顔を伏せる。


「結界術式……かんふうへんさんの陣、ですって?」


 結界内の常識や物理法則を、伝承や噂の通りに捻じ曲げる術式。かつて閉鎖された山奥の村で信じられていた残酷な伝承を再現して、村人同士で殺し合わせたという凄惨な事件で利用されたため、世間的にも有名になってしまった不遇の界力術である。現在では倫理観に欠けるという理由で六家界術師連盟から『禁術タブー』に認定されていた。


「白竜伝説とは、呪い師が安全に『宝物』を奪うために作り出したとりかごだった……そんな偽りに満ちた物語が英雄譚として認識されている事こそ、私達が知らない悲劇だと言うのですか?」

「いえ、それではまだ不十分です。このままでは、現在と矛盾してしてしまいますから」

「矛盾?」

「天風島に仕掛けられた界力術には、現代の技術では解明できない方式が使われています。つまり、呪い師が発動したかんふうへんさんの陣がそのまま現在まで残っている訳ではないのです」


 物語には続きがあるんですよ、と前置きした上で続ける。


「完璧に見えた呪い師の作戦にも、一つだけ見落としがあった――不思議な少女の存在を軽視したんです。実際に『宝物』を奪う時に邪魔になっていたのは白い竜。島民達の間にも白い竜の存在は広まっていたけれど、不思議な少女については中途半端でした」


 かんふうへんさんの陣の効力は、元になった伝承がどれだけ強く信じられているかに依存する。

 白い竜に限っては島民達の怒りの感情を利用して認めさせる事ができるが、少女については事情が異なる。日本昔話や童話みたいな完成されたストーリーに、素人が余分なキャラを後付けするのと同じ。物語に不純物が混じって違和感が残るくらいなら、白竜に対する怒りだけを利用した方が確実だと考えたのだろう。


「当時、少女は力を失っていたと言われています。だから『宝物』を守るための戦いにも参加できなかった。放置しておいても問題はないと呪い師に判断されたんでしょうね。実際に白竜伝説には少女についての記述が一切出てきませんし。ですが、それこそ呪い師が犯した最大の失態でした」

「まさか……!」


 不思議な少女が、結界術式『かんふうへんさんの陣』を、未知の術式に書き換えた?


 思い付いた結論が荒唐無稽で口にするのは躊躇われた。だが、顔に出ていた驚愕で充分に伝わったのだろう。割烹着を着た老婆は大きく頷く。


「少女が術式を上書きした……なんて、推理とも呼べない妄想でしかありません。実は呪い師には敵がいて、彼がかんふうへんさんの陣の邪魔をしたのかもしれない。呪い師が使ったのは、そもそもかんふうへんさんの陣ではないかもしれない。口伝なんて曖昧ですからね。全ては時間という霧の向こう側で、今となっては真実を知る術はありません」

「……、」


 少し、時間が必要だった。

 脳に詰め込もうとした情報が衝撃的過ぎて、上手く飲み込めない。理解できていないまま説明しようとすれば内容が支離滅裂のは目に見えている。調査を依頼されたいまりょうに正しく報告する事は無理そうだ。


「……結局、」


 ストライプの入った白いワイシャツに黒いタイトスカートを着た特班の顧問教師は、ずっと正しいと信じてきた定説が覆された学者のような顔になって、


「私達が知らない『悲劇』とは何なのですか? それが、少女の幽霊や突風とどのように繋がっているんですか?」

「……残念ながら、それを私の口から正しくお伝えする事はできません。私が知っているのは、ずっと昔から彷徨さまよい続ける少女の幽霊と、時折吹く強い突風だけ。それらがどういう条件で発生するのか、白竜伝説とどう関わっているのか、私には分からなかった」

「……、」

せっかくお話を聞きに来てくださったのに、力になれず申し訳ありません。語り部として『真実』を引き継いだところで、る事しかできなかった私には『真相』まで辿り着けなかった。今にも泣き出しそうな顔で何かを探しているあの子を、ただ遠くから眺めているだけで、手を差し伸べることができなかったんです」


 でも、と膝の上に置いた両手に力が入った。


「あのお嬢さん……かたばねしょうさんは違った。私の話を聞いたら、ハッキリと言ってくれたんです――ああ、この物語は悲劇だって。どれだけ真剣に語っても誰も耳を傾けてくれなかった……語り部である私自身ですら諦めかけていた与太話を、確かな現実だと認識してくれた。そして、私が助ける、と迷わず言ってくれたんです……本当に、救われた気分でした」


 穏やかに浮かべた老婆を微笑みを見た瞬間、胸が詰まる想いになった。


 老婆は心にのし掛かっていた責任から解放されたと感じたのかもしれない。

 瞳に映る悲劇に対して手を差し伸べる事も、誰かに助けを求める事もできない。飢餓に苦しむ子ども達を目の前にしても、分け与える食べ物を用意できない絶望。そんな心が引き裂かれる苦痛を、何とかして彼らを救いたいという想いを持ったまま、何十年間も味わい続けてきたのだ。


 そしてようやく、暗闇の中にヒーローがやって来てくれた。

 語り部として知識を引き継ぎ、中途半端な状態で悲劇を認識し、助けなければという義務感に縛られ続けてきた老婆からすれば、これ以上の救いはないはずだ。


「……一つだけ、お願いがあります」

 

 表情を引き締めた老婆が、葛藤を飲み込むように両眼を伏せる。


「これからお伝えする情報は、六家連盟から絶対に他言するなと忠告されています。ですから昨日、片羽さんには言えなかったんですが……早乙女さんもご存じですよね? かつて天風島に仕掛けられた界力術を調べるために六家連盟から四人の調査団が派遣されたことは」

「ええ、存じ上げています」

「では、実は五人目が存在している事は知っていましたか?」


 早乙女が首を横に振ると、割烹着を着た老婆は神妙な顔付きになった。


「名前はよしいく。公式には天風島の調査とは全く関わりのない交通事故で死亡した事になっています。ですが、真相は違う。彼は天風島の調査中に命を落としているのです――幽霊の少女を助けるという言葉を残して」

「それって、つまり……?」

「何があったかまでは分かりません。ですが、同じ『何か』がかたばねしょうさんに降り掛かる可能性があるんです」


 顔を青く染めて、深々と頭を下げた。


「だから、何とかして伝えてくれませんか? 『あの子』を助けるために行動する時には、充分な注意を払うようにと。誰かを助けるために、別の誰かが犠牲になる……尊い犠牲なんて陳腐な言葉で、片羽翔子ヒーローの勇気を悪趣味に飾り付ける訳にはいかないですから」

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