第19話 親友のために

 ※前回のあらすじ


 きりさわなおは違法薬物をラクニルに輸入していた業者を捕らえ、特班の設立を学園に認めさせるために十分な実績を手に入れる。班長のいまりょう、顧問の乙女おとめみや、そしてしらづめひょうと共に特班の設立を確信したのだった。


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 本日は金曜日。六限の授業はじつである。

 かみやなぎたかすみは緊張した面持ちで体育館の下にある界力術訓練場へとやって来ていた。


 いつもはジャージに着替えるのだが今日は制服のまま。授業開始を待つクラスメイト達の雰囲気もどこか浮き足立っている。映画の上映前といった感じか。いつもより興奮気味に雑談している声があちこちから聞こえてきた。


「タカ殿はどう思うでござるか?」


 楽しそうな声で陣馬梶太バカが訊ねてきた。


「どう、って?」

「訊き返さなくても分かっているはずでござろうに。今日の対戦カードでござるよ。クラスの誰と誰が模擬戦をやるのかタカ殿も気になるだろう?」

「……まあ、な」


 顔を伏せながら歯切れの悪い返事をした。


 本日の界力実技では模擬戦が行われる。

 だがこれは生徒の実戦訓練を行うためではない。


 戦闘の恐怖を味わせるため。


 ラクニルの生徒は界術師の戦闘を実際に見る機会が多い。ラクニル内の界術師リーグ戦の試合は低料金で観戦できるし、体育祭や文化祭といった行事で記念試合が行われることもある。


 だが、これはあくまでエンターテインメントだ。

 分家関係者が、あるいは部活動で訓練を積んでいる生徒が、観客の前で行う模擬戦。生徒からすればテレビで上映されているプロ界術師の試合を見ているようなもの。その戦いを見て、まさか自分が誰かと界力術で戦う姿など実感を持って想像するはずがない。


 今回の模擬戦では同じ教室で学ぶクラスメイトが戦闘を行うことに最大の意味がある。話したことがある相手、言い換えれば自分達とほとんど立場の変わらない生徒が戦う姿を目の前で見せることで気付かせるのだ。


 戦闘という行為が、いかに自分達の日常と掛け離れた場所に存在するのかを。


 上柳は訓練場の端で取り巻きと雑談をするもりしたしゅんに視線を送り、


「基本的に対戦者は分家関係者か部活動経験者から選ばれるんだ。このクラスに分家関係者は瞬の野郎しかいないからな、あいつは確定だよ」

「なるほど、だから今日は授業に参加しているんだね」


 実国冬樹ウィンターは得心したように頷くが、再び考え込むように眉根を寄せる。


「だったら対戦相手は誰になるんだろう? クラスに他の分家関係者はいないし、戦闘系の部活に所属してる人なんていないよね」

「拙者は遠江殿が最有力だと思うがな。ドッチボールでは負け無しで、霧沢殿との五つ勝負でも驚くべき力を示して戦ったのだ。すでに腕前は専科生エキスパートレベルでござるよ」

「そういえば霧沢君は? 霧沢君なら模擬戦で戦えるんじゃない? ほら、実力カラーも赤色だし」


 話していると、とおかたばねしょうが訓練場に入ってくるのが見えた。雑談をしながら歩く二人をウィンターが呼び止める。


「ねえ、遠江さんは今日の模擬戦どうするの?」

「模擬戦? ……ああそうか、私も一応候補に入ってるんだったわ」


 うーん、と遠江は腕を組んで少しだけ考えてから、


「頼まれても断るつもりよ。私、別に戦闘に興味ないし。てか私よりも高澄君は? 確か模擬戦の経験者なんでしょ? 中等部の頃までは分家関係者だったんだし」

「俺か? まあ、確かにマキの言う通りだけど」

「……タカ君?」


 上柳が模擬戦に立候補すると思ったのだろう。片羽は眉尻を垂らして心配そうな眼差しを浮かべる。

 上柳はすぐに首を横に振って、ふっと表情を柔らかくした。

 

「安心してくれ翔子、俺だって模擬戦には出ないよ。それに俺じゃ」


 瞬の野郎には勝てない。

 そう言いかけて、思わず口を止めてしまった。


 このままで、本当にいいのか?


 ラクニル内の界術師リーグ戦合同トライアウトまであと一週間しかない。


 森下瞬を倒して、プロ界術師になる。

 かつての誓いを果たせないままトライアウトに臨んでもいいのか。心のどこかに迷いがあるままでは後悔を生まないか。そもそも森下瞬に勝てないのに本当にトライアウトで合格をもらえるのか。


 制服に入れて持ってきた赤い界力武装カイドアーツが脳裏を過ぎる。

 戦う予定などないのに、どうしてわざわざこれを持ってきた?


 上柳は目を伏せて、込み上げてくる想いを必死に噛み殺した。


 もし模擬戦の対戦者に選ばれているのなら事前に教師から通達があるはずだ。それがない時点で森下瞬の相手は自分ではない。何も気負う必要はなかった。


 授業開始数分前。

 界力実技の担当教師に連れられて霧沢直也が訓練場に入ってきた。その姿を見たクラスメイトにざわめきが走る。このタイミングで教師と一緒に来たということは、模擬戦で森下瞬と戦うのは霧沢直也になるのだと悟ったからだ。


「やっぱり霧沢君だったね」

「……そう、だな」


 ほっと安堵している自分がいる一方で、熱い感情を持て余している自分もいた。

 もやもやとした晴れない心持ちのまま、号令に従って上柳は教師の前に整列する。


 チャイムが鳴って、授業が始まった。


 まずは教師から本日の授業の説明。界術師の戦闘行為が如何に危険であるかという話が十分ほど続き、いよいよ模擬戦の時間となった。


 霧沢直也と森下瞬が模擬戦場フィールドの中で正面から対峙する。


 模擬戦場フィールドと言っても取り立てて障害物あったり特徴的な足場だったりする訳ではない。イメージとしては剣道や柔道の試合場を大きくしたような感じか。床の白いタイルは特別製で、なるべく怪我をさせないために柔らめの材質で作られているらしい。


 いつも通り静かに佇む霧沢に対し、森下はニマニマと含みのある笑みを浮かべていた。

 

「(……瞬、なにか隠してるのか?)」


 嫌な予感がした。


 大前提として森下瞬の力では霧沢直也に遠く及ばない。二度も赤子の手を捻るようにあしらわれているのだ。普通に戦えばどうなるか森下自身も理解しているだろう。


 じゃあどうしてそこまで余裕そうにしていられる?

 何か策でもあるのか?


「先生、ちょっといいですか?」


 模擬戦が始まる直前、霧沢が審判の準備をしている教師に声を掛けた。


「模擬戦なんですけど、辞退させてもらってもいいですか?」

 

 ざわざわと訓練室の中に動揺が走る。教師も含め、全員が言葉を失っていた。


「……は? おいおい、何言ってんの霧沢さあ!!」


 三白眼に驚愕に滲ませた森下が声を荒げる。


「そんなことが許される訳ないだろ!? 俺はお前をぶちのめすつもりで準備してきたんだぜ! 勝手なことをされちゃ困っちまうだろうが!」

「勝手も何も、俺はさっき先生に頼まれただけなんだ。断る権利くらいあるんじゃないか?」

「逃げるのか、腰抜けチキン野郎」

「俺とお前じゃ試合にならないんだよ。一瞬で終わったら授業の意味がないと思ってな」

「この野郎お……っ!」


 憤怒の色で顔を塗り潰した森下に対し、霧沢はなぜかイタズラを仕掛けた子どものように楽しげな笑みを浮かべていた。


 ふと。

 霧沢と目が合った気がした。


「だから、代わりの対戦相手を指名しようと思ってさ」

「代わり……?」

「来いよかみやなぎたかすみ。こいつの相手はお前がふさわしい」


 クラス中の視線が集中する。

 どくん、と大きく鼓動が跳ね上がるのを感じた。


「な、何言ってるんだよ霧沢! どうして俺が……!」

「わざわざ聞くことでもないだろ。お前には戦う理由がある。それにさ――」

 

 すっ、と霧沢の両目が鋭く細められる。

 射貫くような視線が、戸惑う上柳を真っ直ぐ貫いた。


「――約束があるんだろ? だったらこの壁を越えて行け、お前の夢のために」


 その言葉はズシンと重たく胸に響いた。


 不思議と。

 この場から逃げ出したいという気持ちは湧いてこなかった。


 相手は森下瞬だ。

 今まで何度模擬戦で負けたか分からない。界力術を撃ち込まれ、何十回も地面に叩きつけられた。思い出すのは森下瞬に上から見下ろされている光景だけだ。


 最も身近にいた雲の上の存在。目標としてずっと背中を追い掛けてきた親友。

 足下にも及ばないし、逆立ちしたって敵わない。


 だけど。

 それでも。


「……あの時、お前を倒すって約束したもんな」


 拳を握る。

 湧き上がるのは炎のような高揚感。

 迷いは消え、代わりに激しい活力が心に満ちていく。


 一歩。

 上柳高澄は前へ踏み出した。


「しょ、正気かタカ殿!?」


 深刻そうな表情を浮かべたバカに肩を掴まれた。クラス全員が信じられないと言わんばかりに言葉を失っている。


「考え直した方がいいよタカ!」


 呆然とした様子のウィンターが必死の形相で言葉を紡ぐ。


「森下君の実力カラーは赤で、タカは黄色なんだ。実力カラーの二色差なんて勝負にもならない! こんなの初等部で習うような常識だろ!」

「冷静になるのだ、今ならまだ止められる! タカ殿も知っているであろう! アヤツは模擬戦だとしても一切容赦はしない。冗談抜きでボコボコにされるだけだぞ!!」


 二人とも真剣な表情だった。本当に心の底から上柳を心配しているのだろう。


「……かもしれない」


 実力差は理解している。

 絶望的な状況だということも分かっている。


「だけどさ、俺にはあるんだよ……瞬に勝たなきゃならない理由が。あいつを倒さないといけない理由が! それに――」


 上柳は決然と告げた。


「――『格上殺しジャイアント・キリング』、かざよしひこはこういう反対を押し切ってプロ界術師になった。だったら俺もその背中を追い掛けたい、同じ気持ちで次の一歩を踏み出したいんだ」


 二年前からずっと心に引っ掛かっていることがある。


 上柳高澄と森下瞬の繋がりを壊してしまったのは自分のせいではないのか?


 中等部一年生の冬、苦しむ森下瞬を救いたいと言ったあの時。

 剥き出しの怒りと共に差し伸べた手を弾かれたあの瞬間。


 きっと、選択を間違えたのだ。


 森下瞬がどんな懊悩を抱えていて、どれだけ苦しい想いをしているのかは想像でしかない。本当に自分一人の力で救えるかなんて分からない。そもそも救いを必要としているのかも不明だ。


 だけど、森下瞬を更に苦しませる原因を作ってしまったのだとしたら。

 上柳高澄にはもう一度手を差し伸べる責任がある。あの時をやり直す義務がある。


 ただ同じことをするだけでは意味がないだろう。それでは前回と同じ轍を踏むことになるだけだ。何も変えることができない。


 霧沢直也は言ったではないか。

 何かを変えるために大切なことは『何を』言うかではなく、『誰が』言うかだと。


 今の上柳高澄が何を言っても森下瞬には届かない。状況はあの時から何も変わっていないのだから。森下瞬からすれば、上柳高澄とは格下の存在。対等に向き合ってはもらえない。


 だったら、まずはそこから始めるしかない。

 

 上柳高澄という存在を認めさせる。

 ただ戦って勝つだけでは足りない。

 森下瞬と本気で真正面からぶつかる必要がある。


 肩に乗せたバカの手を優しくどけて、上柳は得意げに笑ってみせる。


「すごく心配してるけど全く勝算がない訳でもないんだぞ。ずっと霧沢に界力術の訓練を付けてもらったんだ、俺だって負けに行くつもりはないよ」

「で、でもタカ!」

「そこまでにしようぞ、ウィンター」


 まだ何か言いたそうな実国の言葉を陣馬がやんわりと遮った。


「それ程の覚悟を持っているのだ。これ以上拙者達から何か言うのは野暮であろう。親友ならば笑顔で背中を押してやろうではないか」

「バカ、お前……っ」

「だけどな、一つだけ言わせてもらうぞ」


 にっと力強く微笑んだ陣馬梶太バカは、軽く握った拳を上柳の左胸に当てる。


「勝てよかみやなぎたかすみ。勝ってあの伸びに伸びきったクソ野郎の天狗の鼻をへし折ってくれ! いい加減こっちは我慢の限界なのだ。そろそろ痛い目を見てもらわなくてはなあ!!」


 バカの言葉にクラスメイトが大きく頷いた。


 強烈な追い風を感じる。

 どこまでも飛んで行けそうな興奮が気分を高揚させる。


 だが、上柳高澄は見逃さなかった。

 クラス全員が背中を押す中で、ただ一人浮かない表情をしている少女――片羽翔子を。


「タカ君……」


 か細い声で、片羽は上柳を呼び止める。

 俯いているせいで表情が分からない。紫縁眼鏡に隠れた目許には深い陰翳が浮かんでいる。華奢な身体は寒さに堪え忍ぶように震えていた。


「……翔子」


 なんて言葉を掛ければいい?


 彼女は何度も、何度も、その目で見てきたのだ。上柳が森下に無残に負ける場面を。

 心配しているはずだ。自分のこと以上に心を痛めているかもしれない。

 

 呼び起こされるのは、幼い頃の記憶。

 片羽翔子を助けるために大怪我を負って入院した病室での光景。

 毎日病室に通って、必死に謝っていた片羽翔子の姿が脳裏に映し出される。


 ゆっくりと、片羽が近づいてくる。

 両手を胸の前で組んだ少女は、ひどく小さく、脆く見えた。


「(翔子は俺を止めたいはずだ。そんな事は分かってる! だけど!!)」


 この戦いだけは、逃げる訳にはいかない。


 どうすれば片羽翔子をこれ以上心配させずに済む?

 本当に大切な幼馴染みの心から不安を取り除くことができる?


 答えに窮する上柳の前で、片羽が立ち止まる。


「……何となく、こんな気はしてた。だってタカ君ずっと変なんだもん、霧沢君と一緒に隠れてこそこそ何かしてるし。気付かれていないとでも思った? そんな訳ないじゃん、ずっと一緒にいるんだから分かるよ……分かっちゃうんだよ、タカ君の考えていることは」

「……翔子?」

「きっと、私が何を言ってもタカ君は聞いてくれない。だから、もう止めない。ここで引き留めて、タカ君の心に迷いを残したくはないから。大切な戦いなんでしょ? だったら、私がタカ君にしてあげる事は他にあるんだよ」


 片羽翔子は、顔を上げた。

 だが、その顔に悲壮の色は一切なかった。


 浮かんでいたのは決意。

 まるで戦いに赴く前の戦士のように凜としていて、不安を押し込めて浮かべた精一杯の笑顔。


「がんばって、わたし応援してるから……!」


 本当は反対したいはずだ。止めたいはずだ。

 それでも。

 そんな自分の気持ちを全て押し殺して、片羽翔子は背中を押してくれた。


「――ああ!」


 燃えるような興奮が全身の血液を沸騰させる。

 迷いは消えた。ぽん、と片羽の肩に手を添えた上柳は静かに宣言する。


「ありがとう。――行ってくる」


 模擬戦を見守るクラスメイトの中から抜け出して模擬戦場フィールドへと足を踏み入れた。イタズラを成功させた子どものようにご機嫌な様子の霧沢へと歩み寄る。


「やってくれたな霧沢。おかげで興奮が収まらないよ」

「どういたしまして。さあ行ってこいよ、。こっから先はお前の時間だ」


 軽く背中を叩いた霧沢が模擬戦場フィールドから出ていく。


 上柳を除いて残ったのは一人。

 額に青筋を立てた森下瞬が、苛立ちを隠さずにこちらを睨み付けていた。


「随分とやる気じゃないかタカ。そんなに恥を掻きたいのかい?」

「恥を掻くのはテメェだよ、瞬。今までのツケを払ってもらうぞ」

「……言うねえ、タカのクセにさあ!!」


 耐えられなくなったのか、森下は込み上げる激情を吐き出すようにえる。


「ふざけるのも大概にしろよザコが! お前が何回、何回、何回、俺に痛め付けられてきたのか覚えてないのか! 一体! 何のために! 今更俺の前に立ったんだよ!!」

「テメェとの誓いを果たすため。そして――」


 上柳高澄は、ただ真っ直ぐ森下瞬を見詰めた。


「――変えるためだよ。あの時の結末を……そして今を!」


 上柳高澄は赤い手袋グローブ型の界力武装カイドアーツを両手に嵌める。

 一歩たりとも引く気はなかった。


「ハッ、精々今の内にほざいてろ。――霧沢あ!」


 模擬戦場フィールドから出た霧沢に向かって森下が叫ぶ。


「このクズは前哨戦だ。次はお前だからな、準備しておけよ!」

「準備はしない。お前が上柳に勝てるとは思えないからな」

「……ッ!! どいつもこいつも……本当に気に食わないっ!!」


 澄まし顔で告げる霧沢に対し、ギリッと森下が歯軋りするように俯く。


「いいよもう、今日で全部はっきりさせる。誰が本当に上に立っているのかをなあ!!」

「上とか下じゃないんだよ……どうしてそんな事に拘り続けてるんだ!」

「黙ってろよ! 分家から逃げ出したお前には分からないよ、絶対にな!!」


 森下瞬の血走った眼が怒りの色に塗り潰される。


「地面に這いつくばる準備はできたか? 力の差を思い出させてやる!」

「変えてやるよ瞬。上柳高澄として、俺はテメェを真正面から叩き潰す!」


 上柳高澄と森下瞬。

 かつて親友だった二人が――激突する。

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