第6話 片鱗

 ※前回のあらすじ


 界力実技の授業中に思わずペアになると申し出たかみやなぎたかすみは、会話の中で『世界を変える』というきりさわなおの目的を聞いた。霧沢の強さの秘密を知りたいと思った上柳は、放課後に行われる風紀委員会の入会試験への同行を申し込む。


 その後、界力操作の訓練教材である『ドッチボール』にて霧沢直也と戦うことになるのだが……


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「では、いざ尋常に――始めっ!!」


 審判である陣馬梶太バカによる合図の直後、上柳高澄は即座に動いた。界力武装カイドアーツである手袋グローブに思いっきり界力を流し込み、右手を真っ直ぐに突き出したのだ。


 霧沢直也はあのもりしたしゅんを倒してしまうような実力者。ドッチボール初心者でも手加減をするつもりはなかった。感覚に慣れる前に攻めて勝負を決めてやる。


 だが。


「(――っ、まずい!!)」


 力が入って、想定以上の界力が手袋グローブに流れ込む。ゴムボールが手元から見当違いの方向へ撃ち出された。弾丸のような速度のゴムボールが、黄色い光の帯を引いて霧沢直也の頭上を越え――


「……は?」


 思わず、上柳は自分の目を疑ってしまった。

 何気なく手を挙げた霧沢直也が、五メートル以上も頭上を通過しようとしていたゴムボールに干渉して動きを止めていたのだ。

 

「霧沢、お前……?」

「何を驚いているんだ? ボールを撃ち合うゲームなんだろ?」


 手袋グローブでゴムボールを操作する訳だが、当然ながらボールが遠くになるほど操作が難しくなる。訓練用にわざと界力武装カイドアーツの使い勝手を悪くしてあるのだ。五メートルも離れた位置のボールを正確に操作するためには相当の腕前が必要になる。

 ましてや、霧沢が受け止めたのは上柳高澄が放った速度のある暴投。あれだけの無茶なボールを咄嗟に受け止められる生徒が果たしてどれだけいるだろうか。少なくとも上柳は見たことがない。


「じゃあ、次は俺が攻撃する番だな」


 ゴムボールを手元まで引き寄せた霧沢が、ニヤリと得意げに笑って右手を突き出した。

 赤い輝きを伴って射出されるゴムボール。猛烈な速度で飛翔するそれを受け止めるため、上柳も手を掲げた――はずだった。


「――ッ!?」


 ぎゅいんっ!! と唐突に軌道を変える。

 フォークボールのように手元で沈んだボールに反応などできるはずがない。驚愕に目を剥いて固まった上柳の太ももに突き刺さった。審判に確認するまでもなく霧沢直也の勝利だ。


「な、何者でござるか霧沢殿!! 撃ち出した後のボールの軌道を変化させるなんて聞いたことがないでござるよ!!」

「本当だよ、すごいよ霧沢君!」

 

 バカとウィンターに褒められている最中も霧沢はクールな表情を崩さなかった。むしろ当たり前の事をしたのに称賛されていることが理解できないといった感じだ。


 レベルが違うと思っていたが、まさかここまで本格的だとは思わなかった。開いた口が塞がらず、ただただ霧沢を見る事しかできない。

 

 だが、専科生エキスパートを目指すのならば霧沢の技量に驚いている場合ではなかった。界力の操作など界術師における基本中の基本。それは界力術の仕組みを少しでも考えれば誰でも理解できる。


 界力術とは、物理や科学の法則とは別に、地球という星が記憶していることわりを意図的に引き出す技術だ。


 この世界を構成するのは、年輪のように重なり合う三つの次元。


 最も中央にあるのが『げんじつげん』。人間が生活するとも呼べる次元だ。


 それを覆うように存在しているのが『げん』。粒子状のが無数に存在している次元であり、人体に備わった知覚能力や機械等あらゆる方法を持ってしても観測することができない。


 そして最も外側に存在するのが『おくげん』。星の歴史の根底を為し、その在り方を決定付けてしまうような重大な出来事――『世界の記憶メモリア』を保管する次元である。ある学者は『神秘の保管庫』とも表現し、その全容が把握できればこの世の全てを理解できるとさえ断言した。


 界力術とは、記憶次元に保管された世界の記憶メモリアを意図的に再現する技術と言い換えられる。『始まりの八家』がそれぞれ生み出した八つの『方式』を元にして術式を構築。それを界力次元に投影することで、世界の記憶メモリアを現実次元に引き落とし、超常現象として再現する。

 当然ながら、界力術を発動させるためには正確無比な術式を『界力次元』に投影しなければならない。この時に界力の操作が必要になってくるという訳だ。

 

 唐突に、遠くから歓声が上がった。

 どうやら女子のグループからのようだ。中心ではとおが得意げな表情で胸を張っている。


「……あれは?」

「マキだな、あいつはドッチボールが鬼のように強いんだよ。去年もクラス対抗戦でも無双してたし。このクラスで相手になるやつはいないんじゃないか?」

「ふーん、だったら」

「って、おい霧沢!?」


 一切の躊躇なく遠江真輝へ歩き出した霧沢の肩を慌てて掴んだ。


「待て待て! 霧沢が一人で行ったらマキ以外には怖がられちまうぞ!」

「だろうな。だから、その空気を変えにいくんだよ」

「は?」

「みんな俺が怖いんだろ? 理由は簡単、俺が輪の中にいないからだ。干渉しようともしなくて、何を考えているか分からない。――だったら輪の中に入れてもらいにいく。雰囲気っていう見えない壁をぶち破りに行く。そのために遠江に協力してもらうんだ、あいつには昼休みの借りがあるしさ」

「いやだからって――って、おい!」


 上柳の制止を振り切って、霧沢は女子生徒の集団へと臆せず歩み寄っていく。

 近づいてくる霧沢に気が付いたのだろう。殆どの女生徒が戸惑うように顔を見合わせる中で、遠江だけは怪訝そうな表情を浮かべて霧沢と向き合った。


「……なによ」

「遠江、俺と勝負しないか?」


 面食らったように大きな目をぱちくりとさせる遠江。しかし、すぐに瞳には好戦的な光が浮かび上がった。


「良い度胸じゃない。私にドッチボールで勝負を挑んでくるなんて」

「みたいだな。だからボールが二つじゃ退屈だろ? ?」

「はあああっ!?」


 上柳は素っ頓狂な声を上げた。他のクラスメイトにもざわざわと驚愕が広がっていく。


「ま、待ってくれ霧沢、そりゃいくらなんでも無理だ! 確かに霧沢は界力の操作に関してはもう専科生エキスパートレベルかもしれないけど、五つのドッチボールは専科生エキスパートだって練習してようやくゲームになるんだぞ! 昨日今日の霧沢じゃ……!」


 必死に説明しても霧沢の不思議そうな表情は変わらなかった。何故こんな問題が解けないんだと首を捻る教師のようだ。

 霧沢に言っても埒が開かない。上柳は説得する対象を変える。


「そもそもマキは大丈夫なのか!? 五つなんてやったことないだろ!」

「多分できると思うわよ。うん、ちょうど二つにも飽きてきたところだったし、霧沢君がやるって言うなら相手になってやろうじゃないの!」


 急遽決まった霧沢直也と遠江真輝の試合はすぐさまクラス中へと広がった。五つのボールを使ったドッチボールなど生で見るのは初めてだ。全員が興味津々と言った様子で集まってきた。


「……なあタカ殿、霧沢殿って実はとんでもない大物ではなかろうか?」


 観戦するためにやってきたバカは呆然と呟いた。


「ああ、俺もそう思うよ。迷いなく目的に向かって最短距離を進んで行ける。簡単にできる事じゃない、少なくとも俺には無理だ……今は、まだ」


 上柳が憧憬の眼差しを向ける先で、霧沢は黒い手袋グローブを受け取った遠江を捕まえて何やら小声で囁いた。おそらく先ほど言っていた協力を要請したのだろう。遠江はうっと厭そうに顔を顰めたが、溜息と共に渋々首を縦に振った。どうやら了承したらしい。


「上柳、審判を頼めるか?」

「あ、ああ」


 霧沢に呼ばれて、距離を取って向かい会った二人の中央に立った。


 ちらりと後方を確認する。


 審判がいて見にくいと判断したのか、上柳の背後に観客の生徒はいない。代わりに少し離れた場所に二人の取り巻きと座っているもりしたしゅんの姿があった。二人のゲームが気になるのだろう。森下達は雑談をやめてじっとこちらを見詰めている。


「(霧沢なら、変えられるのか?)」


 不意に、浮かんできた疑問。


 森下瞬と上柳高澄。

 この繋がりはすでに壊れている。だが、霧沢直也なら今からでも変えられるのだろうか。もし、『あの場面』に霧沢直也がいれば現状は変わっていたのだろうか。


 何かを、変える。

 霧沢直也なら、もしかしたら――


「……ねえ、霧沢君」


 無言で向かい合うこと十数秒、遠江は何度か躊躇った後に渋々といった様子で唇を動かした。


「提案があるの、せっかく勝負するんだから何かを賭けない?」

「おいおい、やんちゃだな。何も持っていない俺から更に何か奪い取るのか?」

「ちょ、ちょっと!」


 話が違うじゃない、とでも言いたげな顔で遠江は霧沢をめ付けた。


 先ほどの内緒話の時に打ち合せした内容を霧沢が急に変更したのだろうか。イタズラを仕掛けた側の霧沢の顔にはニヤニヤと楽しそうな笑みが浮かんでいる。普段のクールなイメージだが、その実はお調子者なのかもしれない。


「なあ上柳、遠江はいつもこうなのか?」

「……え、」


 霧沢がじっと意味ありげに上柳を見詰めた。この流れに乗れという意味だろう。上柳は込み上がってくる笑いを堪えるようにして、


「ああ、いつもこんな感じだよ。マキは色々と加減をしらないんだ。去年の文化祭の時だってうちのクラスに嫌がらせをした連中をボコボコにしてみんなの前で謝らせたりしてたしな。すごかったんだぞ、今もまだこの学年の中で伝説だよ」

「高澄君まで!? あ、あなた達ね……!」


 慌てた様子の遠江は、恨みがましそうに上柳を睨み付ける。くすくすとギャラリーの中で起こる小さな笑い。かあぁっ、とみるみる遠江の顔が茹でられたように赤く染まっていった。


「それで、何を賭けるんだ?」

「……そうね、」


 霧沢の問い掛けに対し、遠江は二人を交互に見ながらにっこりと極上の笑みを浮かべる。


「負けた方が勝った方の命令を何でも一つ聞くってのはどうかしら?」

「……あのー、マキさん。もしかして、その罰ゲームの対象に俺は入ってる?」

「もちろんよ、高澄君。共犯グルだったんなら始めから言ってくれればいいのに。この私に恥をかかせた分の代償はきっっっちり払ってもらうから」


 うふふふふ、と長い指を唇に添えてわざとらしそうに優雅に微笑む遠江を見て、上柳は背筋が冷たくなった。


「(まずいぞ、マキさんが割と本気で怒ってらっしゃる!! くそ、話に乗るんじゃなかった!)」


 基本的には常識人な遠江真輝だが、怒りに我を忘れると加減を知らなくなる事が多々あった。目には目を、歯には歯を、の考え方を疑いなく実行してくるような性格の持ち主。そんな彼女がクラスメイトの前で恥を掻かされたのだ。どんな要求をされるか分からない。具体的にはどんな恥ずかしい要求をされるか想像もできない!


「それで霧沢君、賭けに乗るの? 乗らないの?」

「せっかくの誘いだ、乗ってやろうじゃないか」


 おおーっ、と観客からどよめきが起こった。どうやら上柳には反論する時間すら与えてもらえないようだ。


「霧沢殿! タカ殿が恥ずかしがる姿が見たいから負けてもいいですぞ!」

「そうだね、僕もタカのすました顔が崩れるのを見てみたいかな」

「ふざけんな、バカとウインター!! 他人事だと思いやがって!!」


 焦った上柳は、黒い手袋グローブを嵌めている霧沢に近づいて小声で問い掛ける。


「……なあ、流石に勝負の結果も二人で事前に決めてるんだよな?」

「いや、そこに仕込みはないよ。俺の目的はみんなに対等だって認識させること。だからここで賭けに乗って楽しく遊んだって事実が欲しかっただけなんだ」

「……それって」


 つまり、完全な実力勝負ということ。

 絶望に肩を落とした上柳を励ますように、霧沢は力強く微笑む。


「安心しろ、俺が勝つよ。上柳を巻き込んだのは俺なんだから」

「頼むぞ、本当に……本っっっ当に!」

「……そんなに、遠江はやばいのか?」

「ああ、あいつは常識人を装った悪魔だ。女装して校庭をランニングしろくらいは平気で命じてくる。負けたらそれなりに覚悟を決めるしかなくなるぞ」


 霧沢の頬がわずかに引きつった。事態の重さにようやく気が付いたようだ。


「二人ともー、作戦会議は終わったかしら?」


 遠江は実に楽しそうだった。今からどんな命令をするか考えているのだろう。整った顔に張り付いた極上の笑みの裏側から、何やら薄ら寒い気配が漏れ出しているように見えた。


 審判台に戻った上柳が、腹を決めて声を掛ける。


「いくぞ、二人とも」


 二人は両手にボールを持って向かい合った。ビリビリと痺れるように空気が緊張する。


「それじゃ……スタート!!」


 途端。

 霧沢直也と遠江真輝の全身からそれぞれ赤い界力光ラクスが迸った。


 始まったのは目にも留まらない赤い弾丸の撃ち合い。

 それはまるで殴り合いだった。漫画などで大量にパンチを繰り出す描写があるが、それを現実で行っていると錯覚してしまうような光景。赤い燐光が火花のように飛び散る。どちらも一歩も譲らない完全なる互角。クラスメイトの目の前で、五つのゴムボールが高速で行き交っていた。


「やるじゃない、霧沢君!」

「そっちこそ。これは完全に予想外だ」


 遠江からすればようやく全力で張り合える相手が現れて、霧沢からすれば予想以上に骨のある相手だったからからか。二人の顔には燃えるように熱い笑みが刻まれていた。


 ついさっきまで存在していた霧沢への不信感も、今はもう感じない。

 白熱した勝負に押されるように熱気が雰囲気を席巻する。加速した興奮に自然と歓声が湧き上がった。


 だが、唐突に霧沢直也の姿が消える。


 その直後。

 ボッンッッ!! と正体不明の衝撃が遠江真輝に襲い掛かった。


「――っ!?」


 咄嗟に自分の顔を守るだけで精一杯だった。掲げた腕をどけて、上柳は恐る恐る遠江が立っていた場所へと視線を向ける。


 そこには。

 遠江真輝を自分の背中に隠し、剣呑な表情を浮かべる霧沢直也がいた。衝撃を巻き起こした張本人である森下瞬を、針で刺すように睨み付けながら。


「(マキを、守ったっていうのか……? 勝負に集中しながら、瞬の界力術に反応して……?)」


 霧沢に腕を掴まれて尻餅を付いている遠江の顔は、他の生徒と同様に困惑に支配されていた。大きく両目を開いて言葉を失い、呆然と霧沢を見詰めている。


 呼吸すら躊躇われる沈黙を破ったのは、霧沢直也の冷たい声だった。


「……何のつもりだ?」

「チッ」


 ギロリと、三白眼で霧沢を一瞥した森下は苛立った表情のまま背中を向ける。特に弁解の言葉はない。訓練場から出て行くために歩き始めた。


「ま、待てよ! 瞬!!」


 気付いた時には、上柳は叫んでいた。


 森下の足が止まる。

 半身だけ振り返り、上柳に剣呑な瞳を向けた。


「……なに?」

「あ、いや……」


 変えられるかもしれない、と思った。

 かつての親友との繋がりを。

 もう戻らないと勝手に諦めていたこの関係を。


「(だけど……!)」


 きっと、今のままでは届かない。

 力もなく、立場もない今の上柳高澄の言葉では、何も変えられない。


……?」


 だだ、ずっと聞きたかった疑問だけが口を衝いて飛び出した。


「俺があの時、あんな事を言っちまったから、お前は……!」

「……」


 森下は答えない。

 代わりに憎しみのこもった視線をぶつけて、吐き捨てるように言った。


「気に入らないんだよ、今も、昔も……!」


 今度こそ訓練場を後にする。

 その背中を追いかけるだけの力を、まだ上柳は持っていなかった。


 甲高いチャイムが、六限の終わりの告げた。

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