女王の葬列

月白鳥

女王の葬列

 おん。ぉん。おん。

 低く重く、呻く声が耳朶を叩いた。見渡せば、黒の紗で顔を隠した女達が、何処までも遠く列を作っている。高低差の激しい、砂と岩だらけの丘に粘り付く女達。黒衣の列の先は遠くに霞み、私の眼にも映らない。振り返っても、やはり景色は遠くに消えるばかり。私の位置を把握するのは無理そうだ。

 おん。ぉん。おん。ぉん。

 呻き声は続いている。それは死者に贈る念仏か、或いは下手な弔辞のようにも聞こえるが、漣波のように寄せては返す言葉はとても曖昧で、何を言っているのかさっぱり理解できなかった。それとなく理解せしめるのは、これが誰かの死を悼むものと言うことだけだ。


(誰の?)


 心中で問いかけて、背筋が凍り付いた。


「これは?」


 思わず問いかけようとして、一顧だにしない様子に喉も凍った。


 私は一体誰の葬列に加わっているのだろうか?

 そも、私とは一体何者であるのか?


 女達に追い立てられるようにして歩きつつ、疑念を払拭せんと必死で頭を捻ってみたが、思い当たる節がない。記憶の断片くらいあっても良さそうなものだと言うのに、先程の瞬間から前の記憶は、水で洗い流されたかのように消えてなくなっていた。

 切羽詰まって、己の身体を見る。ぞろりとした黒衣。骨と皮ばかりの痩せこけた手足。ひび割れた爪や皮膚。ヴェールはない。

 体中に触れる。異様にこけた頬。ぎょろついた目玉。ごわごわとした短い髪。あばらの浮き出た体躯。彼方此方が痛む。

 似ているようで、明らかに違う。私は目の前や、後や、左右を埋め尽くす女達ではない。彼女らは――葬列の最中で、やや不謹慎かもしれないが――黒衣の上からでもその豊満さが分かる。ヴェール越しにも目元の柔和さが見て取れる。丁寧に結い上げた髪の艶やかさが目に沁みる。

 私は異物だ。それも、彼女らにしてみればとびきりの。


「ま、まさか……」


 状況を把握すると急に怖くなった。

 こんな所、早く脱してしまいたい。そんな思いが頭を巡る。

 しかし、私の周囲には女達がいて、不気味なほど精緻に足を運び続けているのだ。肩を掴んで押し退けようとしてもびくともせず、それどころか、満身創痍らしい私の腕が酷く痛むばかりだった。力を籠めるために足を止めると、後ろから来た女達に圧倒され、踏みつぶされそうになる。これでは女を退かすことなど限りなく不可能だろう。

 ならば。

 半ばやけくそで、私は身体を捩った。女達の間にあるほんの少しの隙間に、痩せこけた体を押し込む。皮膚のひび割れが裂けて、全身が砕け散ったように痛い。黒衣の裾を力任せに引き裂き、傷口を縛り上げて進んだ。

 石像のように揺るがない女達の半身は、むしろ私にとっては都合のいい取っ掛りのようだ。柔らかい肩に思い切り爪を食い込ませ、豊かな尻を蹴り付けて、時には顔を隠すヴェールさえ握りしめて葬列を割る。傍から見たならば何と無様で滑稽であろう。

 否。無様だから何だと言うのだ。滑稽で何が悪いのだ。

 羞恥心など今更糞くらえだ。私は此処を出られさえすれば、何でもいい。



「じょーのしなり」

「しょーらんあれ」


 どれほどかの時を刻み、私は葬列の外で暫し精根尽き果てていたらしい。重苦しい声が言葉の形を取っていることに気付き、顔を上げた時には、周囲は藍色の帳が降りて暗くなっていた。

 驚くべきことに、女達の列はまだ続いている。黒衣と黒のヴェール、ぶつぶつと何かを吟じる声、何もかも私がその渦中に加わっていた時と変わらない。精緻で整然とした、不可解な葬列は全く終わりを知らず進む。

 彼女らは一体どれだけ数がいると言うのだろう。半ば驚愕し、半ば呆然としながら、私はその場にへたり込んでいた。


「じょーのしなり」

「こーらんあれ」


 二歩進み、一声。三歩進み、一声。

 一歩。

 二歩進み、一声。三歩進み、一声。

 高低様々あれど、ヴェールの女は一様に同じ言葉を繰り返し呻く。

 疲弊しきった脳は長いことその意味を解りかねていたが、蜿蜒と続く女達の隊列を眺めている内に、欝々とした響きに意識を傾ける程度の余裕を生み出したようだ。喃語のように聞こえていた呻きは、ある瞬間意味の体を成して耳に入ってきた。


「女王の死なり」

「照覧あれ」


 ……察するに、私は女王とやらの葬列に紛れ込んでしまったのだろう。私に女王と仰ぐ者は居ない。やはり異物だったのだ。

 誰とも知れぬ者の葬列。心が痛まないわけではないが、少なくともずっと見ていて得をする代物ではない。その上、これが一般的な葬列ならばまだしも、彼女らはおよそ常識的な葬列者の範疇からあまりにも逸している。関わらない方が良いのだろう。

 葬列から離れようと、踵を返す。

 しかし、直後視界の端に飛び込んできた光景に、私は足を止めざるを得なかった。


「女王の死なり」

「高覧あれ」


 居並ぶ女達から、頭二つ分飛びぬけて背の高い、黒衣の女が三人。ヴェールや服の裾には、大勢の女には見られない縫い取りが施されている。彼女達が階級制を取っていると仮定するならば、この洗い髪の女達は他の者に比べて階級が高いのだろう。

 しかし、そんなことは単なる些事に過ぎない。私の視線は、背の高い女達が恭しく頭上に掲げる、布で巻かれた何かに釘付けにされていた。

 真っ赤な毛氈に細やかな金糸の刺繍、布を縛り付けるは太い金の鎖。暗い空の下でも、布に包まれた何かが女性的な膨らみを持っているのがよく分かる。彼女らが女王と呼び悼む者の亡骸であろうことは、何も知らない私であっても容易に想像し得た。

 だが、これも些事だ。私の眼は更に、毛氈の間からちらと飛び出ている金の髪を、焼け焦げるほどに睨んでいた。

 ――私はあれを知っている。

 そうして初めて、忘却の彼方に沈んだ光景が、堰を切ったように溢れだす。

 乞食のような体で現れ、瞬く間に私の右座へ登り詰めて、この首筋に牙を立てた亡国の暗殺者。立ち向かい、対峙し、傷付けあった末に、私はあの女に敗北し全てを簒奪された。そして私は、女王から一奴隷の身分にまで零落おちぶれたのだ。

 私は酷使され続けた。一体何日前が最後の食事だったかも覚えていない。嬲り殺しにされている感覚は恐怖であった。隷属に慣れ、最低の待遇に順応し、伴って僅かずつ自己を忘却していくその喪失感は、私の全身を冷たく焦がした。


「……っふはっ」


 それら全てが、今無に帰した。

 歓喜と安堵に、乾いた笑声が飛び出る。


「はっ、ははっ、ははははははっ!」


 ――王女はきっと、私を極限まで辱めた後に殺したかったのだろう。栄華を極めた者をどん底に突き落とし、ごみ溜めの中で死んでいく様を嘲笑いながら、私の王国の上に己が理想郷を築こうとしたのだろう。

 それは確かに成就しかけていた。私が後一日奴隷で過ごしていたならば、私は私であることを忘れ去っていたはずだ。女王たる誇りまでも奪われた者に女王たる資格はなし、金色の女王は私と言う泥臭い旧王を足蹴に、より燦然と玉座に座る。

 だが彼女の王国は長く持たなかった。恐らくは私からの傷によるものであろう。腹をえぐる一撃の重さを、彼女は知らなかった。

 しかし私の王国も、過去の栄華と消えた。王国の民たちは、今や亡き金色の女王に魅入られ、かの女を崇めている。旧い女王に今更従う者などありはしない。私の王国の民は、女王以外の者を敬うようには出来ていないのだ。王位が乗っ取られた今、私は単なる異邦のものでしかない。


 葬列は円環を成し、目的も終わりもなく続く。

 王国の民が全て死に絶えるまで、声は止まぬ。


女王りそうを抱いて死ね、愛しい娘達」


 弔い代わりに言葉を手向け、私は踵を返した。

 目指す先は、遥か彼方の新天地。



 私の王国は、死んでいない。


        

     【女王の再誕】 終

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