第1話 ラノベ作家と編集者は叫ぶ

 とある三月の昼間、天気は気持ちのいいほどの晴天で、雲一つない青空が広がっている。海の上にあるこのビルが立ち並ぶ街には、心地の良い海風と気持ちのいい東風こちが同時に吹いて、春の陽気をうかがわせていた。


 街中にはきっちりとサラリーマンの証であるスーツを着こなした大人達があちらこちらへと行き交っていて、足音と喋り声から成る雑踏が渦を巻いて響いている。


 その中を一人、姿勢の良く、まだ若いけれど、少し大人びた印象のある女性が淡々と進んでいる。雑踏の中にいても、視線を向けてしまうその顔立ちはスラリとしていて、美人という言葉が似つかわしい。


 薄茶色の髪を黒いヘアゴムで留め、肩ほどにまで伸びるポニーテールにしている完全仕事モードのその女性は、最寄りの駅へと歩き、高速エスカレーターでホームに向かった後、白い車体が美しいモノレールに乗り込む。

 出勤時間とはまた違うから、人の数は少なくて、女性は席に座る。


(今日こそは……)


 女性は意気込んでいた。それは、彼女の仕事相手である人物に今から会いに行くために。


 清潔に保たれた車内の窓から見える景色は、モノレールが進むたびに高速で移り変わる。女性から見て前に当たる窓からは巨大なビル群が林立していて、背後にある窓からは、空の青を映したような美しい海が見える。天候に即して、凪いでいる海の潮風の音をどこか感じながら、女性は目的の駅まで、景色を眺めてずっと座っていた。


 高速で、かつほぼ騒音も立てずに進むモノレールの中で、電車特有の揺れのようなものは一切感じない。眠りに誘うようなその揺れがないのは少し寂しいけれど、騒音も極力なくて、通勤ラッシュで押し出されることもないから、快適だ。


 しかもそれが、完全自動フルオートメーションで、運転士と車掌もなしで走るのだから、前時代とは大きく変わったのだとつくづく実感する。でもそれも、この海上都市に住む者達にとっては当然のことになってしまったから、少し思うところはある。けれど、人間は慣れてしまうのだから仕方がないことなのだが。


「エリアサウス、南端。区画50ステーションです。縦断ルートにお乗り換えの方はこちらでお乗り換えください」


 電子音の機械的なアナウンスが響く。仕事の疲れか、薄茶色の髪をして、紺の上着と白いカッターシャツの組み合わせのスーツを着こなす女性はうつらうつらと首を上下させていたが、その機械的なアナウンスに、はっと気づいて起きた。


 近くのドアが静かに開き、車内から降りた女性は、ほぼ到着すると同時に流れてきた向かい側のモノレールへと乗り込む。


 全ての車両が、プログラムの管理の下に完全自動走行で成り立っているからこそ、時刻は正確に、そして高速かつ本数を増やして運航が可能だ。故に、この街では、1分に一本は電車が来るようになっている。待ち時間など、この街にいる限り、ありはしない。


 そんなモノレールに乗り、数駅立って待つと女性の降車駅がアナウンスされた。


「エリアサウス、区画45ステーションです。お降りのお客様はホームとの隙間にお気を付けください」


 電子アナウンスの女性の声が響き、ホーム側のドアの上部についた電灯が赤く点滅する。その後、すぐに開いたドアを抜け、出口に繋がるエスカレーターに乗った女性は、迷うことなく歩む。


 服の中にあった電子チケットを自動改札に取り付けられたセンサーが、自動的に感知して、立ち止まることなく進む。

 改札を抜けて、右に曲がると、先までいた街の様子とは変わった景色が広がっている。喧騒はどこへ行ったのか、とても閑静な住宅街が広がっている。


 造りはとても近代的なマンションから少しノスタルジックな古民家まで様々な建物が林立しているけれど、景観や雰囲気はとても落ち着いていて、静かであった。

 薄茶色の髪の女性は、この周辺の地図が頭に入っているのか、迷うことなく突き進む。右に曲がって、左に曲がって、閑静な通りを真っすぐ進んで、そしてカーブミラーのついた交差点で、また右に曲がった。


 女性から見て右側に見える白い壁面の高層マンションに目をやり、女性は入口に向かった。

 上品な雰囲気のエントランスに向かうと、大家である高年齢の女性が、管理室の小窓を開けて、声を出した。


「瀬奈ちゃん、また来たのかい?」


 老婆がそう問うと、瀬奈と呼ばれたスーツ姿の女性は微笑みを浮かべて。


「……はい。いつもすみません」


 そう返答する。顔見知りなのか、管理人の老婆も笑みを浮かべて、大丈夫よ、と返した。


「では、お先に進みますね」

「あぁ、いつものようにエレベーターの鍵は開けておくからね」


 軽く一礼し、瀬奈と呼ばれた女性はエントランスの奥にある四つ並んだエレベーターの前に立つ。

 管理人である老婆は管理人室の壁に映し出されたスクリーンに指を触れ、左から右に払うようにスワイプして、鍵のマークのついた部分をタップする。


 このマンションの住人でなければ動きもしないし、開きもしないエレベーターの重厚な扉が開き、瀬奈はその中へ入った。


 小さく笑う管理人の老婆にもう一度エレベーターの中から礼をして、エレベーター内に投影されたスクリーンにあるボタンをタップする。20階まであるこのマンションの18階を指で押すと、扉が閉まり、高速で上昇し始める。


 ものの数秒で、目的の階に到着すると、廊下を右に曲がって、突き当たりの角部屋へ歩を進める。『日向ひうが』と書かれた表札型の投影機を一瞥して、インターホンのボタンを押して、中の住人を呼び出した。


ピンポーン! …………。


 反応がない。瀬奈という女性は一度首をかしげて、もう一度インターホンを鳴らす。


ピンポーン! …………。


 やはり反応がない。瀬奈は、少し顔をしかめて、何度も何度もインターホンを連打する。一度音が鳴り終わる前に、もう一度音が鳴る。それが、何度も繰り返されて、少し騒音に近い音がこの階にこだまする。


「先生! 先生! いるんでしょう? 早く扉を開けてください!」


 瀬奈はインターホンでの呼びかけを諦めて、大声で叫びだした。開くことのない扉をガタガタと揺らして、そう叫ぶ。前時代的なやり方でその階層に響く女性の声に、近隣住民は部屋の中で怪訝な表情を浮かべていたが、それを実行している当の本人は気付いていない。


「……瀬奈ちゃん、瀬奈ちゃん!」


 叫ぶ女性の横から、腰の曲がった管理人の老婆の声が響く。


「……あぁ、管理人さん。すみません、大声を出して。ですが、らちが明かないので、マスターキーで部屋の鍵を開けてくれませんか?」


 必死な様相でそう懇願する瀬奈に、管理人は諭すような口調で答える。


「忘れていたんだけどね、早朝に出掛けた人がいて、さっきカメラの映像を見直したら、その人が空ちゃんだったのよ。ごめんなさいね」


 瀬奈の表情はポカーンと真顔になって固まった。そんな瀬奈を可哀そうに思って、管理人は辛そうな表情で何も言わず、少し時間が流れた。そして、瀬奈は。


「もう~、先生~! またですか~!?」


 瀬奈の叫びがマンション全体にわたるほどまで、こだました。




 ところ変わって、とある若い男性の前にも扉がある。少し寝癖が残っているのかぼさっとした黒い髪の頭に、あまりやる気がないのか、面倒くさいのかわからないけれど、そう思わせるような熱のこもっていない表情の顔がくっついている。


 黒いパーカーに、ジーンズというラフな格好の中肉中背の青年は重厚そうな横開きの扉をノックする。


 コンコンと音が響くと、ドアはロックを解除して、自動的に開く。中には四十代くらいの髭を生やした男性が部屋の中のソファに座っていて、小さく微笑を浮かべると、低音の声を発した。


「やぁ、よく来たね。君が日向空君かい?」

「はい、プロテストを受けに来ました」

「聞いているよ。とりあえず、そこに座って」


 中年の男にそう促されて、軽く会釈しながらソファに座る。すると、中年の男性が言葉を発す。


「……俺は、今日の担当審査官を務める朝田だ。よろしく」


 男はごつい手を青年のもとに差し出して、握手を求める。青年はとりあえず握手を受け入れたが、どこか気が乗らないのか小さく表情に皺を寄せたが、中年は気付いていない。


「で、今日は早速試験に挑んでもらうが、心の準備は大丈夫かな?」

「はい、当然できています。僕はプロになりたいので」


 淡々と青年がそう言うと、中年の朝田は、よしっ、と言って、立ち上がる。


「じゃあ、行こうか。日向君」

「……はい、わかりました」


 二人は立ち上がって、部屋を出る。そして、圧迫感のある壁に挟まれた通路を歩いて抜けると、開けた場所に出る。


 天井は首が痛くなってしまうほど、高く吹き抜けていて、形はドーム状になっている。日向空の視線からは、はっきりとは見えないが、彼らのいるところから少し上に行くと、沢山の観客席ができていて、360度どこからも彼らの姿が見えるようになっている。


 空のいるところも相当広くて、広さにすると野球場のグラウンドとサッカーコートの間と言ったところだろうか。地面はしっかりと舗装された金属でできていて、激しく転べば痛いが、頑丈な造りとなっている。


「ここが、メインステージ。本戦でも使用される有名なコロシアムだ。どうだ、実感がわいてきただろう?」


 朝田は、反応を期待するように小さく微笑み浮かべて問うと、期待通り目を見開き、驚嘆する様子の空が小さく頷いていた。


「プロになれば、ここで戦って、広報活動ができる……」

「そうだ。ここでの試合を経て、売り上げが急上昇した作品はいくらでもある。そこに、勝敗は関係ない。ここで、戦うこと、観客に見てもらうことに意味があるんだよ」


 朝田は言う。それに納得するように空は頷いて、自らの野望に思いを巡らせて、小さく不敵に笑った。


「では、そろそろ始めよう」

 カチッ!

 朝田が指を鳴らすと、唐突に頑強な金属の地面が両開きの扉のようにゆっくり開いていって、白いボックスが地下から昇ってくる。


 5メートル四方の立方体の形をしたそのボックスは、ドーム状のスタジアムの左端辺り、ちょうど空達の目の前に現れ、開いていた地面が閉じる。


「……さぁ、設定はこちらで……というか、ユグドラシルが勝手に完成させている。異論はないな?」

「はい」

「操作方法も前、伺ったように、一番シンプルな〈モーションキャプチャシステム〉で設定している。問題はないな?」

「はい」


 淡々とルール説明を終えると、朝田は懐から出したタブレット端末で軽く操作する。白いキューブ状のボックスの扉が開き、中に入れるようになった。


「さぁ、行きなさい。これからテストを始めるよ」


 朝田に促され、空は前進する。慣れているのか、躊躇することなく中に飛び込むと、開いていた扉は消え、中に閉じ込められる。

 ボックスの中は扉だった場所も含めて、上下左右全面がスクリーンになっていて、外から見るよりも少し広く感じるような造りだ。

 空が慣れたように構えると、スクリーンは光を放ち、空の意識が光に飲まれ、飛んでいく。

そして、意識が戻るとスクリーンには到底思えないほどリアルな視界が出現した。


「さて、声は聞こえるかな?」


 耳に響いてくるのは朝田の声。首を回して、後ろを向けば、朝田の姿があって、手を振っている。


「はい。そちらからも見えていますよね?」

「あぁ、手を振り返している君の姿が、ね」


 朝田はクスクスと笑ったが、空は気に留めることなく続ける。


「早く、試験を始めてください」

「あぁ、もちろんわかっているよ。君の相手は君の扱うキャラクターが登場する物語のモンスターに設定されている。問題はないな?」

「はい。一応確認のために自分の姿を確認しておきたいのですが、それだけよろしいですか?」

「あぁ、構わないよ」


 朝田はタブレットを操作する。すると、宙に浮かぶ巨大な鏡が空の前に出現する。


 映る姿は空の顔や格好とは全く異なって、ブロンドの金髪と端正で美しい顔立ちをしていて、銀色の鎧を全身に身に着けている。左手には特殊な六芒星のような形の赤い紋様が浮き出ていて、全身丸ごと何かの漫画やアニメーションのキャラクターのようになっていた。


 空は小さく笑って、何かを確かめるように体を小さく動かす。リアルではないはずなのに、どうしてか日向の体には鎧特有の重みや金属の臭いもある。それを感じて、納得したような空は、答える。


「ありがとうございます。じゃあ、改めてお願いします」

「あぁ。では、これよりFCRBプロ昇格試験を開始する。条件は制限時間内にモンスターを全て討つこと。開始!」


 朝田の叫び声に合わせ、コロシアム全体に異形の姿をした、獣達が出現する。その数、100体。誰もが恐れを抱くような醜悪でおぞましい姿に空は向かい合った。


「【祖の誓いの名の下に光明を現せ】」


 空はそう小さく述べる。すると、左手の紋様が赤く光り、白い輝きを放つ二つの剣が現れる。左右両方の手に持ったその白いさやの剣を空は引き抜き、駆けた。


 数分が経ち、朝田の表情は嬉々とした、そして、驚いたものとなった。

 100体に及ぶモンスターの掃討にかかった時間、僅か10秒と少し。駆け出したかと思えば、高速で二本の剣を振り抜き、モンスターの急所を的確に斬りつけていった。


 朝田が今まで審査してきた中でもトップクラスの成績で、空はこの戦果を成し遂げた。


「……素晴らしい。見事だ、空君」

「ありがとうございます。結果は?」


 空が問うと、朝田は笑って答える。


「もちろん、合格だ。文句のつけようもない」

「それはよかったです」


 嬉しさは内に秘めているけれど、気だるげなその表情の口元はどこか綻んでいる様子だ。


「空君、君は春の新人戦に出る気はあるのかい?」


 朝田は問いかける。すると、空は今までよりも幾らか強く反応を見せて。


「もちろん、そのつもりです。できれば、優勝したいなと」


 朝田は、ははは、と笑って、返答した。


「それは、いい心がけだ。頑張ってくれよ。それと、新人戦に出るのなら、パートナーが必要になる。早いうちに見つけておかないとね」


 朝田は笑みを浮かべてそう告げる。すると、空は瞠目どうもくして、口を開いて、言葉を失った。


「……どうした? 空君?」


 不審に思った朝田が聞くと、空はおそるおそる声を発す。


「新人戦は個人戦じゃなかったんですか?」

「勘違いしていたのか? 新人戦は男女二人組の団体戦だよ。どんなに才能があっても、一人で新人戦に出ることはできないよ」


 告げられた事実を知る由のなかった空は再度言葉を失った。数秒の静寂が包み、次に声を出した時には、叫んでいた。


「そんな~~~~~~~!」


 叫び、項垂うなだれる空は、数分立ち上がることができなかった。朝田は、どこか可哀そうなものを見つめるような眼で、薄く苦笑を浮かべていた。

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