第11話 わが心のアーネスト


紅葉した楓みたいな赤毛が特徴的なオリバー・デュランド君は、ケンブリッジのカレッジで学ぶ18才の少年である。


オリバーは「部屋が散らかっているけど構わないで」とカメラが回っているにも関わらず上半身裸になって部屋着のトレーナーを頭から被った。


部屋に入った瞬間、ベッドと机以外レポート用紙が散らばっていて取材班は何処に脚を置けばいいのか一瞬混乱した。オリバー君は


「ちょっとカメラさん!全部数式だから触らないで!」と慌ててソファの上を片付け、「ところでバターコーヒー飲む?」とマグカップ3つを用意して記者に向き直った。


記者はカメラマンと並んで

「いただくよ。僕はBVC記者アレックス・ダドリー。そんなに緊張しないでインタビューに答えてくれるだけでいいから。う、ううん…本当にバターを入れたコーヒーの味だ。これに砂糖入れてもいい?」


いいよ。とオリバーは感じの良い笑みを浮かべて「僕はメープルシロップたっぷりだけどね」と自分のマグカップを掲げて見せた。


「あれは僕が8才の頃だったなあ…学校から帰るとリビングのソファにいつもアーネストおじいちゃんが座っていて、このバターコーヒーを作ってくれてたんだ。もちろんメープルシロップたっぷり!『脳が良くなる魔法の飲み物さ』って言って飲ませてくれたんだ」


とバターコーヒーの泡で出来たヒゲを付けたままオリバーは過去の記憶をいつでも引き出せる明晰な口調で語りだした。


「オリバー、君の両親はマンチェスターのいわゆる」

とそこで記者は口ごもるふりをして話を肝心なところに持って行った。


「ええ、ブルーカラー。労働者階級だよ。父は建設作業員で母はファストフード店の店員。朝早くから夜遅くまで働いてて、休日はテレビでサッカー観戦。両親はいつもイライラしてた。どこかへ出かけた記憶なんてないなあ…」


とそこでオリバーは顔をしかめてぼさぼさの赤毛をかきむしった。


「しかし君は今、世界最高水準の大学教育を受ける環境にあるね?

この国では君は極めて稀なケースだ。高いIQと数学的才能を国に認められ、君はケンブリッジまで上がってきた。身近に才能を見出だしてくれた誰かがいたんだろう?」


「アーネストおじいちゃんは特別だった」

と、オリバーは急に目を輝かせた。


「三才になる前から僕にアルファベットのつづりや英語の色んな発音の仕方や、数の数えかた、星の運行、世界のいろんなことを教えてくれた。今の僕があるのほアーネストおじいちゃんのおかげさ。布の擦りきれたソファーの上が僕の学校」


ふふん!と笑い声を立ててからバターコーヒーを飲み干したオリバーに記者アレックスは


「両親の代わりにアーネストが君の面倒を見ていたんだね?一日中?勉強以外のおしゃべりはしたの?」とたてつづけに質問した。


「うーん、例えばユーチューバーってどう思う?って聞いたら『あんなものは職業じゃない』とか。『自分に関係の無い悪いニュースは見るな』とか言ってSNSはあまり見せてくれなかったなあ、


あ、こないだネット長者のジェイコブ・クロイツェルが捕まったよね?人様の情報で荒稼ぎする奴の末路なんてあんなものさ。これもおじいちゃんの受け売りだよ!」


ふーん、とアレックスは相槌を打ち、


「じゃあ君の子供時代を守ってくれたのはアーネストおじいちゃんなんだね?毎晩お金がない!と叫ぶ両親の夫婦喧嘩の怒鳴り声からも、携帯端末から流れる雑多な情報からも、…八才のクリスマスの夜も」


そう、あれは窓の外でツリーのライトがまたたき、テレビの中で売れっ子歌手たちがクリスマスソングを合唱していた夜…


ねえディビッド、あたしたちEランク判定だってよ。税と年金の支払いがいつも滞っているから。


何だってスージー!じゃああのガキの「才能年金」も支給されなくなるって事か?


そうみたい。まずいわね…年金を当てに暮らしてきたのに。年明けからどうする?


だったら保険金をひねり出せばいいってことよ。アーネストはいま「就寝中」だろ?

そう言って父親はキッチンの引き出しから常用している睡眠薬と麻薬の粉末を出して、コーヒーに混ぜて無理矢理息子に飲ませようとした。


「畜生!あの政府から派遣された子守りロボットのせいで腹いせにガキを殴ることも出来ねえ…いつも親を馬鹿にした目をしやがってさ、もう自分の子とは思えねえ…


オリバー、今死ね。死んで保険金で俺たちに楽させろ」


酔った父親に鼻をつままれ、麻薬入りのコーヒーを飲まされそうになるオリバーの眼前で青白い光が二度またたき、頭を貫かれた両親はものも言わぬ物体と化して汚れた床に倒れていた。


毎晩午後10時以降に充電中だった筈のアーネストおじいちゃんが保護対象児童オリバーの脳波の危機事態を感知し、指の光線銃を使って対象を処分した。それだけのことである。オリバーはおじいちゃんの胸の中でわっと泣き出した。


それから間もなくスーツ姿のおじさんたちが音もなく入ってきて家の中を全て「掃除」し、オリバーは国の施設に引き取られることとなった。


オリバーは車に乗せられる直前、

「ねえ、おじいちゃんにはもう会えないの?これでさよならなの?」とスーツのおじさんのひとりに聞いた。

「ああ、保護児童の情操教育アンドロイド『アーネストGP』は親権者の消滅で役目を終えるからね」

と、黒革の手袋ごしにおじさんはオリバーの頭を撫でた。

「お別れしていい?」とオリバーが涙目で尋ねるとおじさんは軽微な規律違反だが、今夜はクリスマスだからいいか、と。思い直し


「声をかけるだけだよ」と頬をゆるめた。


おじいちゃん!と呼び掛けられたアーネストはふんわりと両手を広げ、

「私の大切なオリバー、もう大丈夫だからね」とひらひら舞い落ちる雪の中で最後の微笑みを浮かべた。


そのキーワードでオリバー・デュランド保護プログラムは解除され、初期化されて何処かの街で劣悪な家庭環境にいる他の子供を守るのだろう。


神様なんか死んだ。と言われる世の中だけれど、僕はこの夜だけクリスマスに感謝すろよ。


さようなら、おじいちゃん。


そして、守ってくれてありがとう。



「両親の虐待から守ってくれた子守りロボットの美談のように語りますけどねえ…」


と声に皮肉を込めたアレックスは問題提起した。

「Eランク決定された成人は親権剥奪、または人権剥奪されて簡単に消され続ける社会問題をどうも思っちゃいないんでしょうねえ…あなたのような特別な人間には」


「結果的に僕は守られた」


と語るオリバーの表情の無い顔が最後にアレックスと同行のカメラマンが見た人生の光景だった。


「悪いね、この国では饒舌しゃべり過ぎると命は無いんだ」


と、オリバーはもう息の無い取材者たちを呼びつけたエージェントたちに片付けさせながら独りごちた。


「人から出された物を無用心に飲むんじゃないよ。とおじいちゃんから言われなかったかい?」








































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