07 甦る絆

 アニスは最初に天魔を覚醒させた時、暴走しかけた。

 剣を手に無差別に暴れ、父親を切り殺そうとした彼女を止めたのは、リヒトだった。父娘の絆を断ち切ることで、暴走を止めたのだ。その代償にアニスは記憶を失った。

 しかし今、失われた絆が戻ってきた。

 父親に暴力を振るわれて苦しんだ日々が甦る。しかしそれは、かつてのように憎しみや悲しみや、破壊的な衝動を伴わなかった。

 もう終わったことだ。

 リヒトが、幼馴染みの彼が終わらせてくれたのだ。


「私、忘れてた……リヒトが助けてくれたんだ。色々あったけど、でも手を引いて前を歩いてくれた。今まで、ずっと……」

「アニス?」


 いきなり泣き出したアニスに、事情が分からないカルマがおろおろする。

 足元では竜の姿のフェイが「爺ちゃーん」とグスグス鳴いていた。

 皆いったいどうしたと言うのだろう。

 悩みながら見上げると、夕焼け空を幾筋かの流れ星が煌めいていた。


『……お久しぶりです。カルマ様』

「セバスチャン! 何故」


 突然、懐かしい声がして、カルマは仰天した。

 昇天したはずの執事が、生前の姿のまま、半透明になって空に浮かんでいる。彼はカルマに微笑みかけた。


『少しばかりの偶然が重なり、再びお会い出来ました。あの方が作り出した一時の逢魔が時、失われた絆が甦っております。ただ、この時間は長く続きません』

「どういうことだ?」

『説明する時間はありません。カルマ様、リヒト様のところへ』


 その言葉を最後に執事の姿はお辞儀して消える。

 カルマは竜の首筋を軽く叩いた。


「フェイ、飛んでくれ! リヒトのところへ行こう!」

「ウン!」


 危ないから戦場から離れて待機と言われていたが、セバスチャンが行けというなら、行った方が良いのだろう。

 竜は四枚の翼を広げると黄昏の空に飛び立った。





 誰かに呼ばれたような気がして、オーディンは目を開けた。

 見上げた空を竜が横切っていく。


「懐かしい夢を見た……」


 別れて行方が分からなくなっている家族と、再会する夢だった。

 不思議と、あれほどまでに追い掛けた支配者になるという野望が、今は酷くちっぽけなものに思えた。空虚だった心が満たされて、穏やかになっている。


「俺は、今まで何をしていたのだろう」


 身を起こした彼は、人間の姿に戻り、重い身体を引きずって歩き始めた。

 もう天魔による地上の支配など、どうでもいい。

 大切だった家族にもう一度会いたい一心で、彼は戦場を後にした。





 地面に落ちた黒鋼の剣の刃が、蒼く光る。

 白い指先を伸ばして、ソラリアはその剣の柄を握った。


「っつ」


 少しの間、気を失っていたようだ。


「リヒト……!」


 魔王の剣が呼応するように輝いた。

 剣から伝わる力が、脇腹に負った傷を癒やしていく。肩から痛みが消えた。

 ソラリアは剣を杖がわりにしてゆっくり立ち上がる。


「全く、貴方ときたら、羊ばかり優先する」


 出会った頃、彼は自分の天魔の力を隠していた。

 魔王信者に襲われた際に共闘したことで、彼の天魔について知った。彼の天魔について不問にする代わりに、観光旅行に付き合えと脅したのだ。


「思い出した……」


 甦ったのは、旅の記憶だけではない。

 一番最初に出会った時、彼は騙し討ちのような方法でソラリアを倒している。もう少し前に知ったら怒っていたかもしれないが、今となっては笑い話だ。


「私の記憶を奪ったのは司教」


 教会本部ジラフに戻って司教と面会した時、ソラリアは教会との訣別を宣言した。「勇者を辞める」「ハーピー達を解放しないと教会を潰す」と司教に迫ったのだ。

 ソラリアの言葉を聞いた司教は「残念だな」とだけ言って、片腕を振り上げた。光が射して、空中に白い魚が浮かんで……その後のことは覚えていない。

 すっかり良い様に騙されて司教に利用されていたのだ。

 助けてくれたのは羊飼いの少年。


「今、約束を果たしましょう」


 ソラリアは天魔の力を解放した。

 彼女の背中に二枚の白い翼が現れる。

 瓦礫を蹴って彼女は空中に舞い上がった。





 力を使いきったレイルは地面に倒れこむ。

 ほんの一時的とはいえ、絶縁の魔王のスキルに干渉して、効果を逆転させたのだ。青白い顔色で彼は気を失っていた。


「レイル!」


 覇者の杖を放り出したリヒトは、慌てて友人の身体を支える。


「そんな……私が我が君の力に干渉して、世界から我が君と私を切り離し、二人だけの永久の楽園に至るつもりでしたのに」

「そんなことを企んでいたのか」


 ショックを受けたように嘆くサザンカに、リヒトは半眼になる。

 レイルが、途中で割り込んでこなければ相当嫌な事態になっていただろう。嫌悪感で鳥肌が立つ。


「ですが、どちらにしても虚空魚ピスキスを止めることは不可能。我が君には、ここで私と死んで頂きます!」


 サザンカは覇者の杖を拾い上げると、リヒトに向かって振り上げた。

 レイルを抱えているリヒトは回避する余裕がない。


即死光線デスアロー!」


 杖が落ちる直前、一筋の光がまっすぐサザンカの胸を貫く。

 サザンカは驚愕の表情を浮かべたまま、ドサッと仰向けに倒れた。

 突風が吹き荒れて砂塵が舞う。

 四枚翼の竜が眼前に降り立つ。

 竜の背には、腕を掲げたカルマの姿があった。おまけのように彼の背後からアニスがピョコンと顔を出している。


「カルマ! それにアニス! どうしてここへ」

「お前の元へ行けとお告げがあった」

「?」


 反転した自分のスキルがどんな奇跡を起こしたか、何も知らないリヒトは、カルマの言葉に首を傾げる。


「……リヒト!」


 その時、白い翼を羽ばたかせ、ソラリアがふわりとリヒトの前に着地した。着地と同時に彼女は翼を消す。

 ソラリアの無事を知ったリヒトは顔を明るくした。


「合流できて良かった、ソラリア! ちょっと心配してたんだ」

「ええ。ところでリヒト、何故こんなところでしゃがんでいるのです?」

「へっ、何故って」

「何故、あの諸悪の根源である、忌々しい魚を、切り刻んでソテーにしないんですか?!」


 空を指差して言うソラリアに、リヒトはぎょっとした。

 久し振りの無茶ぶりだ。


「ええっとー」

「リヒト、貴方は私の味方だと言いましたね? 私のお願いは何でも聞いてくれると!」

「きょ、曲解だよ。僕は他人に助けを求めたらどうかという話を」

「弱気な私は記憶の彼方に葬り去りました!」

「超前向きな前言撤回だね……」

「リヒト!」


 ソラリアは魔王の剣の柄を、リヒトの前に突きだした。

 受けとるまで続けるという無言の圧力を感じる。


「私のために、あの神を名乗る傲慢な魚をぶったぎりなさい!」


 リヒトは目を丸くして魔王の剣を受け取った。

 主の手元に戻ってきた剣の刃が、蒼い光を放つ。


「……仕方ないね。あのお魚は観光旅行の邪魔をしそうだ」


 剣の柄を握り直しながら、夕闇に沈む空を見上げる。

 遥か彼方で、白い魚が視線に気付いたようにゆっくり振り返った。


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