戦いの幕開け(5/6)
事態がある程度落ち着いたのは午後三時のことだった。公式サイトトップページの復旧を終え、タイプミスが生じていたセキュリティシステムをプログラムから構築し直し、他のサイバー攻撃を警戒する。倒れた晃一の負担を減らそうとサイバーテロ対策チームが一致団結し、休むことも忘れて作業を続けた結果である。
遅れた昼休憩を交代で短めに取る。一難が去ったと喜ぶチーム構成員達の中で、良亮だけは険しい顔をしていた。正午を過ぎた頃から襲ってきた眠気をなんとか堪え、眠い目を擦りながらパソコンと向き合っている。その姿は奇しくも数日前の晃一と重なっていた。
「京橋さん、少し休んでください」
飲食を忘れ、席を立ち上がることもなく、淡々と作業をこなす。そんな良亮に、サイバーテロ対策チームの一人が近寄ってきた。彼の名は東新といい、晃一と同じくサイバー犯罪捜査官である。晃一が倒れた今は、晃一に代わって彼が緊急チームを指揮している。
シワの目立つ顔は実年齢に相応しいもの。だがその体は大柄で、ピンと伸びた背筋と鍛えられた筋肉だけを見るならば二十代。体つきの良さだけで見れば、東新は良亮よりも若く見える。そんな顔と体つきにギャップのある東新が良亮に近寄ってきたのには訳があった。
「大丈夫っス。俺が晃一さんに頼りきってたせいなんで、償わなきゃ……」
「五十嵐さんが倒れた今、京橋さんまで倒れてしまっては困ります」
「大丈夫っスよ。俺は晃一さんより体力あるんで。ところで、晃一さんは?」
「先程きた連絡によりますと、今は、ぐっすり寝ているそうです。過労と睡眠不足だったそうなので、しばらく寝れば改善するかと」
東新の言葉に良亮が弱々しく微笑む。オリンピックが開催する前の良亮であれば、とっくに仕事に飽きて遊びに出かけてしまっただろう。だがそれをしないのは、晃一が倒れたことに対する責任とチームリーダーである自覚が出てきたから。
以前ならば休憩を進められたら手放しで喜び、進んで仕事を放棄していただろう。しかし今の良亮は違う。会話をしている間もその双眸はパソコンを力強く睨みつけ、指はマウスのカーソルを動かし、キーボードを叩いていく。
「そういえば、恵比寿さんはどうなりました?」
「あぁ、個人情報盗まれちゃったあの人っスか。あの人ならパソコンを買い直して仕事に戻ってるっスよ」
「あのパソコン、警視庁で詳しく調べてますからね。五十嵐さんがよく経過を聞きにいってました」
「そっか。晃一さん、五輪だけじゃないんスね。サイバー犯罪捜査のために、俺達と警視庁を繋げてたんスね。なのに俺、晃一さんに頼りきってばっかで……」
晃一が倒れるまでにしていたことが話題になると良亮の手が止まる。オリンピック開会式を境に、晃一は時折苦しそうな様子を見せていた。青白い顔も目の下に現れた濃いクマも、全て無理が祟った結果である。
良亮は後悔していた。トラブルが起きた時につい頼ってしまったこと、晃一が何とかしてくれると過信していたこと。晃一の疲労にいち早く気付くことが出来たなら、良亮がもう少し早く態度を変えていれば、このような事態を防げたのかもしれない。そう思わずにはいられないのである。
「時間が合えば、仕事終わりに面会に行きますか?」
「東新さんと一緒にっスか?」
「はい。私は、五十嵐さんのことを報告しなければいけないので。京橋さんも、一緒にどうですか?」
東新の申し出に、良亮は小さく首を縦に振るのだった。
晃一が倒れた日の十九時半のこと。スーツを着込んだ二人の男性が晃一の眠る病室へと見舞いにやってきた。二人の特徴的な風貌のせいか、病棟内を歩く入院患者とその見舞い人は、二人にすれ違うと必ずと言うほど二度見をした。
見舞いに来た良亮は、クールビズに則った格好ではなく、ワイシャツの第一ボタンをしめてネクタイをつけた上で、しっかりとジャケットをはおっている。明るい茶髪とリクルートスーツを思わせる黒スーツがアンバランスで、人目を引いてしまう。
良亮と並んで歩く東進は、その大柄で筋肉質の体のせいか、スーツのサイズが不自然だ。ジャケットやワイシャツのボタンは今にも弾け飛びそうである。小脇に抱えたノートパソコンは見舞いに相応しいものではなく、その姿に違和感が残る。
二人が足を踏み出す度に革靴がカツンと音を立てた。周囲の注目を集めながらなんとか目的の病室に辿り着くと、複数あるベッドから晃一が寝ているとされるベッドを探す。元々病室にいた患者達は、不思議な容姿をした二人の見舞い人を無意識の内に目で追ってしまう。
「五十嵐さんはここにいるそうですね」
「了解っス。晃一さん。俺です、良亮です。調子はいかがっスか?」
ベッドを囲うカーテンをめくり、ベッドで眠る晃一に近づく二人。晃一が起きていることを期待していたが、その予想はすぐに裏切られた。
ベッドに横たわる晃一の体。その腕には点滴がされ、管はベッド脇の点滴台へと伸びている。点滴台には、良亮と東新にはよくわからない液体の入った点滴パックが二つ、吊るされていた。晃一は起きる様子がなく、濃いクマの刻まれた顔は穏やかなまま。
「まだ、起きないんスね」
「起きても検査があるので、数日は戻ってこられないでしょう」
「パソコン、どうしますか?」
「今日は持ち帰り、目覚めたら持っていきましょう。五十嵐さんはパソコンが手元に無いと落ち着かない人なので、目覚めてもパソコンがないとなれば、何がなんでも連絡してくるはずです」
「相当なワーカーホリックっスね。俺、一言くらい話したかったっス。でも仕方ないっスね。出直すっスよ」
晃一は夢の中から戻ってこない。相当な疲労が溜まっていたのだろう。目覚めたところで検査があるため、約一週間は入院することになる。倒れてしまった晃一に無理強いすることは出来ない。良亮と東新はノートパソコンを抱えたまま、病院を後にしたのだった。
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