第34話 もう何も怖くない

 リジェナの目の前でオミロスとゴズが戦っている。


(ああ、どうしよう……)


 リジェナは目の前の光景を見ている事しかできない。

 目の前でオミロスが傷ついていく。

 このままではオミロスはゴズに殺されてしまうだろう。

 助けを呼ぼうにも、下にいる人達はゴブリンに手一杯かもしれなかった。


「旦那様……」


 リジェナは主人であるクロキの事を考える。

 しかし、勇者の妹の仲間達と戦っているらしく、こちらに来る事ができないみたいであった。

 その事を思うとリジェナは泣きたくなる。

 リジェナは小剣を握ると、貰った日の事を思いだす。

 この剣はリジェナがナルゴルを出て人間の世界に戻った時、自らの命を守れるようにとクロキが与えた物だ。

 この剣にはクロキの優しさが詰まっている。

 ナルゴルは本来人の住める土地ではない。

 クロキを除けば、そこに住む者達はリジェナを邪魔者と見るか食料と見る。

 そんな彼らがリジェナ達に手を出さないのはクロキを怖れているからだ。

 クロキはリジェナ達にいつまでもナルゴルにいてはいけないと言う。

 だから、いつかは人の世界に戻らなければいけないのだろうとリジェナは思っている。

 小剣はクロキのいない世界で生きていくための物であった。


(だけど私にそんな事ができるのだろうか?)


 リジェナは旦那様の側にいたいのだ。

 いつも夢に見る。人同士が殺し合ったあの日の事を。ゴブリンから逃げ惑うあの日の事を。だから、人の世界も魔物の世界であるナルゴルも怖い。

 ただクロキの側だけがリジェナの安らげる場所だ。


(旦那様の側を離れると私は駄目なのだ)


 今だってリジェナは怖くて震えている。

 目の前で2人が戦っている。

 徐々にだけどオミロスの動きが鈍っているのがリジェナにはわかる。

 オミロスが剣で攻撃する。ゴズはそれを盾で押し返す。

 その衝撃でオミロスは剣を落す。オミロスは急いで剣を拾おうとして体勢を崩した。

 ゴズはそれを見逃さない。


「ぐはっ!!」


 ついにオミロスがゴズの足払いで倒される。

 ゴズがオミロスの盾を持った左腕を強く踏みつける。


「ぐ!!」


 オミロスの苦悶の表情。


「これで終わりだぜ、王子様よ――!!」


 ゴズが剣を逆手に持ちオミロスに突き立てようとする。

 それを見た瞬間だった。


「やめて――――!!」


 リジェナは思わず声を出す。

 その声でオミロスとゴズがリジェナを見る。

 気付けばリジェナは剣を抜いていた。

 オミロスを助けたい。

 オミロスを死なせたくない。その思いがリジェナを動かした。


(オミロスは私なんかのためにゴブリンの巣穴に潜り、私の事を想ってナルゴルに返そうとしてくれた。そんなオミロスを失いたくない)


 リジェナはまっすぐ前を見る。

 ゴズの視線がリジェナを捕える。

 するとリジェナは体が震えてしまう。


「オっ、オミロスから離れなさい……。私があなたの相手をす、す、するわ!!」


 リジェナの小剣を持つ手が震える。


「おいおい、そんな小剣じゃ俺を倒せないぜ。それより、怪我するかもしれねえからそんな物捨てちまいな。それに相手なら寝所の上でいくらでもしてやるからよ」


 ゴズが舐めまわすようにリジェナを見る。


「駄目だ、リジェナ……」


 オミロスが弱弱しい声でリジェナを止める。


「弱え奴は黙ってろ」

「ぐはっ!」


 ゴズが今度はオミロスの胸を踏みつけると、オミロスは苦しそうな声を出す。


「やめてお願いだから……。何でもするから……」


 オミロスを傷つけさせたくないリジェナはゴズに頭を下げる。


「そうか。何でもするねえ」


 リジェナの言葉を聞いたゴズは嬉しそうな声を出す。


「ならまずその剣を城壁の下に捨てな! そうしねえとこいつを殺すぜ!!」


 ゴズに言われ、リジェナは小剣を見る。


(旦那様の剣を捨てる。そんな事が出来るはずがない)


 リジェナはいやいやと首を横に振る。


「お願い……。これは駄目なの……」

「じゃあ、こいつはここで殺す」


 ゴズが再び剣をオミロスに突き立てようとする。


「待って!!……わかったわ……」


 リジェナは剣を城壁の外に捨てる。


「へへへ、いい娘だ。リジェナ」


 そう言うとゴズはオミロスから足をどける。

 オミロスは立ち上がって掴みかかろうとするが、ゴズに蹴り飛ばされる。

 そして、オミロスは壁にぶつかり苦悶の表情を見せる。


「おめえはそこで見ていろ!!」

「オミロス!!」


 リジェナはオミロスに駆け寄ろうとする。


「おっと!!」


 しかし、駆け寄る前にゴズに手を掴まれ押し倒される。

 ゴズがリジェナに馬乗りになる。


「リジェナ、ようやく捕まえた……。このままオミロスの前で犯してやるぜ!!」


 ゴズが下履きを脱ごうとする。


「いや――――! 助けて旦那様―――!!!」


 リジェナは目を瞑りクロキを呼ぶ。


 シュン!


 その時、リジェナの耳に風を斬る音がする。


「ぎゃあああああああああああ!!」


 突然ゴズが叫び声を上げてリジェナの上から飛び退く。


「えっ……? 何……何なの……」


 リジェナは上体を起こしてゴズを見る。

 するとゴズのむき出しになったお尻に私が捨てたはずの小剣が刺さっているではないか。

 ゴズは叫びながらぴょんぴょん跳ねている。

 下履きを脱いでいる途中だったので下半身が丸出しだ。

 その状態で飛び跳ねる姿はあまりにも滑稽だった。

 リジェナはオミロスの側に駆け寄る。


「大丈夫!? オミロス!!」


 リジェナはオミロスを支えて起こす。


「うん……リジェナ……一体何が……?」


 オミロスは苦しそうに立ち上がる。

 オミロスの言うとおりリジェナも何が起こったのかわからない。

 捨てたはずの小剣が戻ってきてゴズのお尻に突き刺さっている。


「何なんだよ!? この剣は―――!!!?」


 ゴズがお尻に突き刺さった剣を引き抜く。

 そしてゴズはそのままその剣を自身の胸に突き立てようとする。


「ぐぬぬぬぬぬ!!!」


 しかし、片方の手を添えて胸に突き刺さらないように力を込めている。

 どうやら剣が勝手に動き、ゴズを突き刺そうとしているみたいであった。

 ゴズはそうはさせまいと剣を押しとどめている。


「何をやっているんだ……。あいつは?」


 オミロスが不思議そうな目でゴズを見る。

 下半身が丸出しの状態で自身の持つ剣が自分に突き刺さらないように力を込める姿は、傍らから見ると非常に間抜けな姿だ。

 オミロスでなくても何をやっているのか不思議に思うだろう。

 リジェナとオミロスはそのゴズの間抜けな姿を見守る。

 見守っていると梯子の所から音がする。誰かが登って来たみたいであった。

 ゴブリンかもしれないと思いオミロスが身構える。


「すまねえな、遅くなったぜ」


 登って来た者は意外な存在だった。


「お前は……人狼。なぜここに?!」


 オミロスが登って来た者を見て言う。

 リジェナもその者の事を知っていた。

 リジェナ達と一緒にこのアルゴアに来た人狼だ。


(なぜここに人狼がいるのだろう? 鎖で拘束されていたはずだけど)


 そう思いリジェナが良く見ると人狼の背に誰かがしがみついている。


「リ……リエット?」


 オミロスがしがみついている人の名を呼ぶ。

 なぜかリエットが人狼の背にしがみついていた。


「もう! もうちょっとゆっくり走ってよね!!」


 リエットが文句を言いながら、人狼の背から降りる。


「仕方ねえだろ! その人間のメスに何かあったら、俺はあの怖ろしい旦那に殺されちまう!!」

「そうかな? 吟遊詩人のおじさんはリエットに優しかったけど?」

「そりゃ、おめえだからだよ……」


 リエットと人狼は仲良さそうに会話をしている。


「リエット、一体何が……?」

「あっ、オミロス! えっ、怪我してるの?大丈夫?」


 リエットがオミロスに駆け寄る。


「ああ、大丈夫だよ、リエット……。何とかね。それよりもどうしてここに?」


 リエットを心配させまいと笑いながらオミロスは答える。

 だけどリジェナが表情を見る限りかなりつらそうだと思う。


「私じゃなくて人狼さん! リジェナなんかどうでも良いもの。私はずっと人狼さんの背中に掴まっていただけだよ」


 リエットはオミロスの背に隠れて言う。

 リジェナとオミロスは人狼を見る。


「ああ、怖ろしいお方からお前を守るように言われてな……。だから匂いをたどってここまで来たのよ」


 人狼は笑いながら言う。


「私を守る?」


 リジェナは首を傾げる。


「遅れたのは来る途中でゴブリン共を追い払っていたからさ。すまねえ……。だが、無事で良かったぜ!!」

「ゴブリンを?」


 リジェナは聞き返す。

 そういえばゴブリンはどうなったのだろうと疑問に思う。


「そういえばゴブリンはどうなったんだ!?」


 オミロスもリジェナと同じように気になったのか人狼に問い詰める。


「大丈夫だよ。吟遊詩人のおじさんが呼び出した戦士が全部追い払ってくれたから」


 答えたのリエットだ。

 すると何かがこの物見台の上に飛んで来る。

 飛んで来たのは剣と円形の盾を持った戦士が3体。梯子を使わずに城壁から飛び上がって来たようだ。


「えっ、スパルトイ!? 前に旦那様が呼び出したのを見た事があるわ! なんで吟遊詩人が呼び出せるの?」


 リジェナは思わず声を出す。


「あの、吟遊詩人が呼び出した? そして、この盾をくれたのも吟遊詩人だ。一体何者なんだ?」


 オミロスが盾を触りながら言う。

 吟遊詩人はオミロスに盾を渡して、その吟遊詩人がスパルトイを呼び出した。

 リジェナの中で全ての糸が繋がった。


「あははははははははははは」


 リジェナは思わず笑ってしまう。


「リジェナ……?」


 笑い出したリジェナをオミロスが不思議そうに見る。

 でも、リジェナは笑わずにいられない、全てわかってしまったからだ。


(なんでこんな奴を怖がってたのだろう? 私は何も怖れる必要がなかったのに)


 リジェナは未だに剣が自分に突き刺さらないように頑張っているゴズを見る。


「剣よ、私の手に」


 リジェナは手を上げて剣を呼ぶ。

 するとゴズに突き刺さろうとした剣がリジェナの手へと飛んで来る。

 助かったゴズは茫然とリジェナを見る。


「ぷっ、なんて小さいのかしら。旦那様にはかけらも及ばない」


 リジェナはゴズの下半身を見て笑う。

 前にリジェナはクロキの背中を流してあげようと浴室に入ろうとしたことがある。

 もちろん、後でクーナに叱られた。


(旦那様はゴズの何倍も大きなお方だ。ゴズなんかが敵うわけがない。それでも危なかったのは私が戦わなかったからだ。剣を取り、オミロスと共に戦っていれば簡単に勝てたはずだ。この剣にはその力がある)


 リジェナは首を振るとオミロスに謝る。

 不覚にもゴズの姿を見たときにリジェナは過去を思い出して震えてしまった。


(全ては私に勇気がなかったからだ。オミロスが怪我をしたのも全ては私が悪い。だけどもう大丈夫だ、私には旦那様が微笑んで下さる)


 リジェナは小剣をゴズに向ける。


「かかってきなさい、ゴズ!!もうあなたなんか怖くない!!」

「うう……」


 剣を向けられたゴズは後ずさる。

 その顔には恐怖が浮かんでいる。


「なんなんだよ……。おまえらあ……。畜生畜生……」


 ゴズはぶつぶつ言いだす。


「ねえ、オミロス……あれ誰なの……」


 リエットがオミロスにしがみつきゴズを見て言う。


「あれはパルシスだよ……。今まで魔法で姿を変えていたんだ。あれが本当の顔なんだ」

「嘘、あれがパルシス……なの……」


 リエットは信じられないと首を振る。


「なるほど……あれが恐ろしいお方が倒せと言っていた相手か。あれなら楽勝だぜ」


 人狼はゴズを見て言う。

 人狼に限らずスパルトイもいる。もはやゴズに勝ち目はなかった。


「畜生……。俺のものにならねえなら……全部全部壊してやら――――!!!」


 そう言うとゴズは懐から小瓶を取り出す。


「使わずに済ませようと思ったんだがな……こうなったらこいつを使わせてもらうぜ! 出てこい破壊神の眷属よ! 出てきてこの国の人間どもを食い殺せ!!!」


 ゴズはそのまま物見台の外に投げ落とす。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 突然、天に届くほどの大きな叫び声が響くと、物見台の下から巨大な黒い雲が昇り形を作っていく。

 形が出来たときに現れたのはいくつもの手を持つ巨人だ。


「何よ、これ……」


 リジェナは思わず声を出す。

 そして、周りを見るとその場の全員の顔が恐怖に染まっている。


「がははははは! 破壊神の眷属たる百腕の巨人だ! こいつには暗黒騎士程度じゃ勝てないだろうぜ! じゃあ、あばよ!!」


 ゴズはそう言うと物見の塔から、そのまま飛び降りて逃げてしまう。

 百腕の巨人に気を取られたリジェナ達はそのまま逃がしてしまう。

 百腕の巨人がリジェナ達を見下ろす。


「ひゃあああああ! 何だよありゃ!!」


 人狼が叫ぶ。

 皆が恐怖する中、スパルトイだけは動き、百腕の巨人へと飛び掛かっていく。しかし、百腕の巨人に傷一つつけることができずに掴まれて食べられてしまう。

 そして腕の一本がこちらに向かってくる。


「危ない、リエット!!」


 リジェナはリエットを押しのける。

 リエットを掴もうとした腕はそのままリジェナを掴む。


「きゃあああああああああああ!!」


 リジェナはそのまま持ち上げられる。


「リジェナ!!」


 オミロスが助けようとするが、リジェナは百腕の巨人の口へと運ばれていく。


「旦那様―――――!!!」


 リジェナは目は瞑り叫ぶ。

 すると突然体が自由になる。

 目を開けるとそこにいたのは、リジェナのこの世でもっとも愛しい人。

 漆黒の鎧に身を包んだ優しい人であった。


(私は竜に乗った旦那様に抱きかかえられている)


 リジェナが周囲を見ると百腕の巨人が遠くへ飛ばされている。


「大丈夫、リジェナ?」

「はい、私は大丈夫です旦那様……。もう何も怖くありません……」


 そう何も怖くない。リジェナはそう思いクロキに抱き着くのだった。

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