第33話 蜘蛛の女神

「あなたは確か、アトラナさん?」


 クロキは突然現れた女性に問いかける。

 女性はレーナ神殿の御用商人トルマルキスの妻のアトラナでクロキは一度会った事がある。

 そのアトラナが鬼の形相でレーナを睨んでいる。

 ただならぬ様子であった。

 

「ふふ、顔を隠していても私にはわかっていたよ、アルレーナ。いや、兄の名と被っている箇所を嫌っているからレーナと呼ぶべきかしらね。積年の恨みここで晴らさせてもらおうじゃないか!!」


 アトラナはクロキを無視すると、引きつったような笑みを浮かべながらレーナを指差す。


(えっ? レーナに気付いている? 何者なんだ?)


 クロキはアトラナを見る。

 一見普通の人間の女性に見える。だが、その様子から普通の人間ではありえない。


「レーナ……。彼女は何者なのです? そして、何をしたのですか?」


 クロキは横のレーナに聞く。

 この女神の性格を考えればどこかで恨みを買ってもおかしくない。


「私にもわかりません。誰ですかあなたは?」


 レーナは首を振って答えるとアトラナを見る。


「ふふふ……。私を知らないだと……。この姿を見てもそんな事が言えるか、レーナ!!」


 アトラナが叫ぶとアトラナの下半身が変化していく。


「蜘蛛!!」


 クロキは思わず叫ぶ。

 アトラナの下半身が巨大な蜘蛛に変わったのである。アトラナの口からも牙が生え顔も少し虫っぽく変化する。

 アトラナは人間ではなかった。

 クロキは汗が吹き出してくるのを感じる。

 彼女の正体に全く気付かなかった。

 完全に人間になりきっていた。これほど完全に正体を隠しおおせる者がいるとは思わなかったのである。


「まさか……。あなたは……」


 レーナもまた驚いてアトラナの変化を見ている。どうやら相手を知っているようだ。


「くく、驚いたようだね、レーナ。そうだよ、私だよ」

「……誰?」


 レーナの言葉にクロキとアトラナはこけそうになる。


「私を覚えていないだと……。この糞女神がっ! このアトラナクアを忘れたとは言わせないよ、レーナ!!」


 アトラナ改めアトラナクアがレーナを睨む。


「冗談ですよ、アトラナクア。忘れたくても忘れられません……。また私に文句を言いに来たのですか?」

「なんだ、その態度は! 私の夫を誘惑しておきながらぬけぬけと!!」

「夫……? ああ、あのすごくしつこい男神の事ですね。それなら誘惑した覚えはありませんよ 。そもそも向こうから言い寄って来たのよ。むしろ、こちらが迷惑を被っているのだけど」

「私の愛しい夫がそんな事をするはずないわ! あなたが誘惑したに決まっている! 少し私よりも顔が良いからといい気になりやがって!!」


 クロキの目の前でレーナとアトラナクアが痴話げんかを始める。


(何だろう……。帰りたくなって来た)


 完全にクロキは置いてけぼりだ。

 見た所、アトラナが怒りまくっているのに対して、レーナは平然としている。こういった事に慣れているようであった。

 アトラナクアの顔は、昆虫と人間が掛け合わされたような顔だ。人間ならレーナの方が美人と言うだろう。

 そして、彼女の夫はどんな姿なのだろうかとクロキは気になる。


「自分がブサイクなのを自覚しているのなら、少しは綺麗になる努力したらどうでしょう?もっとも、貴方がどんなに努力しても私には勝てないでしょうけどね」

「なんですって!!!!!!」


 レーナがふふふと笑うとアトラナクアが怒る。


(ええと、話しを要約すると、過去にアトラナクアの恋人がレーナに浮気して、その事をアトラナクアは怒っているようだ。やばい。すごく……。どうでも良い)


 クロキは聞いていて頭が痛くなる。


「ブース! ブース!!」

「キィ――――――ッ!!!!!!!!!」


 レーナが自分の背に隠れながらアトラナクアを嘲る。

 とんでもなく低レベルの争いがクロキの目の前で繰り広げられる。

 レーナのこの姿を信徒達が見たら哀しくなるだろう。


「ううう!!もう良いわっ! 良く聞きなさい、レーナっ! お前の男の光の勇者を迷宮に誘いこんだのは私だ!! ふふふふ、今頃あの男は迷宮の中でラヴュリュスの娘と愛し合っているだろうさ!! さあ悔しがれ、レーナ!!」


 アトラナクアが勝ち誇ったように笑う。


「そう……レイジが……」


 レーナは感情を押し殺したような声を出す。そして、形の良い眉の両端を吊り上げてアトラナクアを睨んでいる。

 そのレーナの表情にクロキの心が痛くなる。


(やはりレーナはレイジの事を……。本当はレイジの事が心配で心配でたまらなかったのかもしれない。これまでそんな様子はなかった。だけど健気にも耐えていたのだろうか? こんな事ならレーナにもっと優しくしてあげれば良かった)


 クロキは気付かなかった事を恥じる。女性の気持ちを見抜けないから自分はもてないのだと反省する。

 

「ほほほほほほ、悔しいでしょう、レーナ。私としてはもっと悔しがってもらいたいのだけどね……。ふん! あなたにはそこのどうでも良さそうな凡夫がお似合いよ!!」


 アトラナクアがクロキを指差し笑う。


(凡夫ですか……。そうですか……。どうせ女心もわからない駄目男ですよ……)


 凡夫と言われてクロキは少し凹む。


「なんですって!!もう一度言いなさい!!」


 レーナが大声を出す。


「ほっほっほっ! 何度でも言ってあげるわ! あなたにはそこのいかにも弱そうで、とろくさそうで荷物持ちしかできなさそうな箸にも棒にも引っ掛からなそうな男がお似合いよ!!」


 アトラナクアがクロキを再び指差す。

 そこまで言わなくても……。

 良い男でない事は自覚している。だけど面と向かって言われると傷つく。

 これでも見栄えが良くなるように努力はしているつもりである。

 常に清潔にして。髪を整えて。太らないように体も鍛えている。だけど、それでも足りないのだろうか?


「私達がお似合いですって……」


 レーナの肩が震えている。

 やはり、自分とお似合いと言われて嫌なのだろう。これまでの一緒にいたのは自分にレイジを助けさせるために無理をしていたのかもしれない。

 気になりレーナの顔を見る。


(えっ? ……笑っている?)


 クロキの予想に反してレーナは嬉しそうに笑っている。 


「あの、レーナ……?」

「ちょっと待ちなさい、レーナ! 何で笑っているの! あなたは自分の男を取られて悔しいはずでしょ!?」

「ええ、それはそれで悔しく思う所もあります。ただね、アトラナクア……、貴方は色々と勘違いをしているわ。容姿と同じように頭も残念なのですね。だから夫にも浮気されるのですよ」


 レーナは冷たく笑いながら言い放つ。


「キィ――――――! 何ですって!!もう良いわ、殺してやる! 護衛もつれずに行動した自分の愚かさを恨みなさい!!」

「護衛を連れずに、ですか……。本当に頭が悪いのですね。私の護衛の騎士なら、ここにいるではないですか?」


 レーナがクロキを指す。

 クロキとしては正直このくだらない諍いに巻き込まないで欲しいのだが、そんなのお構いなしだ。


「ふん! そんな弱そうなのが護衛だと!? だったらその男から殺してやる! 出てきなさい!!」


 アトラナクアが手を掲げると

 周囲から巨大な何かが現れる。

 その数は4体。


「ミノタウロス? いや違う……」


 クロキは現れた者達を見て呟く。

 頭は牛だが、体は蜘蛛に似ている。

 その蜘蛛の足の先は鋭利な刃物のようであり、石畳を歩くたびにカチャカチャと音を立てる。

 クロキはその化け物の姿を見て、ある妖怪を思い出す。 


(確か牛鬼ウシオニだったかな……。それに似ている。こんな奴らがこの国に入り込んでいるなんて、姿消しインビジブルの魔法でも使ったのだろうか?)


 ウシオニは巨体だ。

 普通に入り込めばこの国の人に気付かれるだろう。

 何らかの魔法を使ったと考えるべきである。

 

「ふふふ、ラヴュリュスのいらない子達を改造して作った子達よ。あの暴神の血を引いているだけに力はかなり強いわ。そして、この私が共に戦えばいかに貴方が戦いの女神でも勝てないでしょう」


 アトラナクアが笑う。

 ウシオニの目からは理性は感じられなかった。

 戦うためだけに改造されたのだろう。

 けれど、ウシオニからは強烈な敵意ある魔力を感じる。戦闘力はかなり高そうであった。


「それで私に勝てるつもりなのですか、アトラナクア?」


 しかし、レーナは余裕の表情を崩さない。


「なぜ!? なぜなのっ!? なぜ恐怖しない!?護衛もおらず、いるのはそこのどうでも良さそうな男だけだというのに! 結界の中では助けも呼べないはずなのに!」


 レーナの態度にアトラナクアは大声で怒鳴る。


「うるさい声ね、アトラナクア。見る目のない貴方にはわからない事よ」


 レーナは落ち着いた表情で言う。

 その目には哀れみがある。


「ええい! もう良いわ! 斬り刻んでやる! くらいなさい、私の鉄をも斬り裂く糸を!!」


 アトラナクアが腕を振るうと周りの建物の壁が斬り裂かれていく。

 蜘蛛の女神なだけにアトラナクアは糸を使った攻撃をするようであった。

 糸は円を描くように周囲からレーナに襲って来る。

 クロキはその糸がレーナに届く前に素早く掴み取る。


「えっ、嘘っ!? この私の糸を掴み取ったっていうの!? 何者よあんた!?」


 必殺の糸が簡単に防がれてアトラナクアは驚愕の表情を浮かべる。

 ただの凡夫と思っていた者が自身の必殺の糸を掴み取ったのである。

 アトラナクアはそこで初めてクロキを真剣に見る。

 クロキはその問いに答える気にはなれなかった。

 糸を掴んだ手から血が流れる。

 糸は鋭く、鋼鉄すら斬り裂くほどで、手の強度を上げていなければクロキの指はなくなっていただろう。

 アトラナクアはかなり強いようであった。

 

「仕方がないか……」


 クロキは掴んでいる糸を黒い炎で消すと、鎧と剣を呼び出す。

 暗黒騎士の鎧と魔剣は時空を超えて繋がっている。

 どんな場所にいようと呼び出す事が可能だ。


「何っ!? 暗黒騎士!? どういう事よ!?」


 暗黒騎士の姿になったクロキを見たアトラナクアが驚きの声を出す。


「ええと、ごめんなさい。色々とあるのですよ……」

 

 クロキはアトラナクアに謝る。


「さあ、行きなさい! アトラナクアを捕えるのよ!」

「くっ! お前達! 暗黒騎士を止めなさい!」


 なぜかレーナがクロキに命令すると、慌てたアトラナクアはウシオニを動かす。


「何だかな……。痴話げんかに巻き込まれてしまった気がするよ」


 クロキは溜息を吐く。

 しかし、ウシオニはそんなクロキに構わず襲って来る。


(改造されて、道具にされてしまったミノタウロス。かわいそうだけど、自分には君達を救う事はできない)


 クロキは心の中で謝ると、前から向かって来たウシオニに素早く移動する。

 向かって来たウシオニの腕の刃を魔剣で受け流すと、体勢を崩し別のウシオニにぶつかる。

 クロキは2体のウシオニがぶつかり一時的に動けなくなるのを確認すると、素早く後ろに跳び、後方から来る2体のウシオニの相手をする。

 左後ろから来たウシオニの複数の腕の刃をうまく誘導して、空を斬らせると胴を斬り裂く。

 ウシオニの体は硬いが、魔剣なら簡単に斬る事ができる。

 そして、そのまま回転しながら移動してレーナに向かって来た右後方のウシオニに向かう。

 ウシオニは腕の刃を振ると毒の霧を吐く。

 クロキはその毒を黒い炎で打ち消すと4本の腕と頭を斬り落とす。

 前方から来たウシオニが再び動き始めたので、跳びはねて移動すると2体のウシオニの相手をする。

 2体のウシオニの単調に繰り出される刃を体を反らしながら避け剣で弾き、受け流すとすれ違いながら同時に回転して斬り捨てる。

 そして4体のウシオニはただの肉片となる。

 

「そんな……。私の最高傑作が一瞬で……。嘘よ……」


 アトラナクアが声を震わせる。


「残念でしたね、アトラナクア。私の騎士は強いのですよ」


 レーナがふふふと笑う。

 その間レーナは1歩も動いていない。

 レーナのその顔はクロキを完全に信頼しているようであった。


「そんな……。そいつはいかにも弱そうな男だったのに。まさか暗黒騎士だったなんて……」


 弱そうで悪かったなとクロキは言いたいが、油断してくれたおかげで助かった。

 もし、注意していたら違う結果になっていたかもしれない。


「クロキ。さあ、その女を捕えなさい」

「何で、自分が……。はあ、悪いけど一緒に来てくれる」

 

 命令されて渋々とクロキはアトラナクアに近づく。

 それを見たアトラナクアは急いで逃げようとする。


「悪いけど、逃がさないよ」


 クロキは魔法で黒い薔薇のイバラが出してアトラナクアの体を縛り上げる。


「馬鹿な! これはザルキシスが使う魔法! 何で暗黒騎士が使えるのよ!?」


 アトラナクアが言う通り、この魔法はロクス王国でザルキシスが使った魔法である。

 クロキはその魔法を調べて習得しておいたのだ。


(アトラナクアはザルキシスを知っているみたいだ。それなら逃がすわけにはいかない)


 クロキは魔力を込めてアトラナクアをさらに縛り上げる。


「私の勝ちね、アトラナクア」


 レーナはアトラナクアの所まで行き見下ろす。


「ぐぐぐぐ……。まさかあなたが魔王と手を組むなんて。予想外だったわ……」


 アトラナクアは呻くが、クロキのイバラからは逃れられない。


「運が悪かったですね、アトラナクア。今の私は、千の天使に守られているよりも安全なのよ」


 レーナは高らかに笑うのだった。





 シロネはクロキ達と宿屋で合流するとアリアディア共和国での出来事を聞く。


「そう言う事がありましたの……。まさかあの方が人間じゃなかったなんて……。気付きませんでしたわ」

「はい、迂闊でした、お嬢様……」

「そうだね……。このままだと、私達の行動が相手に筒抜けだったのね……」


 キョウカの言葉に全員が頷く。

 アトラナクアの擬態は完璧でシロネ達は誰も彼女が人間ではない事に気付かなかった。

 アトラナクアを野放しにしておくのは危険であり、捕える事が出来て良かったと安堵する。


「でもレーナは気付いていたんだよね? クロキをテセシアに残したのもそれが理由なのでしょ? 敵を騙すためにはまず味方からと言うけど、できれば教えて欲しかったなあ~」


 シロネはレーナに聞く。

 身を隠しているアトラナクアをおびき寄せるために、自らを囮にするとはさすがだとシロネは感心する。

 秘密にしたのは相手に気付かれないためで、もし気付かれればアトラナクアは逃げていただろうと考えたのだ。


「えっ?」


 だけど、レーナは驚く表情をする。


「えっ? もしかして違うの? だったら何をしにクロキと2人きりでアリアディア共和国に行ったの?」

「ああ、そうですね! その通りですよシロネ!!」


 シロネに問い詰められて、レーナは目を反らしながら言う。


「やっぱりそうなんだ。さすがだね、レーナ」


 シロネはうんうんと頷く。

 レーナの様子に気付いていない。

 クロキとレーナが一緒にいる理由はそうとしか考える事ができない。


(レーナみたいな綺麗な女性が、クロキなんかとデートするわけがないよね)


 少しだけ馬鹿な事を考えてしまった事をシロネは反省する。


「そちらの調査も終わったようですね。結果はどのような感じなのですか?」

「調査結果はリジェナさんから聞いて。今は蜥蜴人リザードマンと一緒にクロキと会っているはずだよ」


 リジェナは今蜥蜴人リザードマンと一緒に別室で調査結果をクロキに報告している。

 蜥蜴人リザードマンはクロキにしか従わない。

 シロネ達が一緒にいると報告しにくいかもしれないからと、別室で話しを聞いている最中であった。


(レイジ君達を助けるために多くの人が動いている。女神のレーナもレイジ君を助けるために一生懸命になっている。そしてクロキも来てくれた。だから、きっとレイジ君達は大丈夫だろう)


 シロネはそう思うと迷宮の方を見る。


「待っててね、みんな。今助けに行くから」





 シロネとレーナのいる部屋とは違う場所でクロキはリジェナ達から報告を受ける。


「お疲れ様、リジェナ。そして君達も」

「いえ、旦那様のお役に立てるのなら、どんな苦労も苦ではありません」

「モッタイナイオ言葉」


 リジェナと蜥蜴人リザードマンがクロキに頭を下げる。

 ヘイボス神からもらった設計図とアトラナクアから得た情報と合わせれば攻略する方法も見えてくる。


「ちょっと、暗黒騎士! 知っている事を全て話したのだから早く解放しなさいよ!!」


 縛られたアトラナクアがクロキに怒鳴る。

 アトラナクアは素直に話してくれた。

 別に迷宮の主である邪神ラヴュリュスに忠誠を誓っているわけではないみたいだ。


「素直に話してくれた事は感謝します。ですがこのまま解放はできません。あなたをナルゴルに送ります」


 クロキがそう言うとアトラナクアは不満そうにする。

 レーナに引き渡さなかっただけでも感謝をしてもらいたい所であった。

 引き渡せばアトラナクアはレーナによって酷い目に遭うだろう。

 そして、モデスなら手荒な事はしない。

 だからナルゴルに送る事にしたのである。


「さて、情報は集まった。明日はいよいよ迷宮に突入だな。だけど、レイジを助けるために行くのは正直気が進まないなあ」


 クロキは迷宮の方角を見るとそう思うのだった。

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