第5話
「おっ、やっと帰ってきたな、トイレ混雑してたのか?」
「まあ、色々と……ね」
ため息をつくようにゆっくりとソファに座りこむ。
「……どうしたテンションダダ下がりじゃねえか、やっぱりシャンパンだけじゃアガリが悪いか?ジンでも飲むか?それともウオッカ……なんてな」
その軽口で急に静かになった僕を気遣ってくれているのを感じる。
この豪快そうな見た目とは裏腹に細やかな神経を持っている友人からの慰めでも気分は晴れなかった。
「それじゃウオッカを……ロックで」
「これは珍しいな、何事も程々が心情の和哉がそんな蛮行をしてくれるとはな」
瑠久が驚いたように僕を見る。 牧夫も少し目を大きくしながらも「お、おう……」と返事をしてロックグラスに氷を入れてウオッカを注ぎむ。
「たまにはそんな日もあるさ」
いくら友人とはいえ今の気持ちをそう簡単に話せるわけが無い。 なんとか憂鬱な溜息を出すのを我慢するくらいが精一杯だ。
四分の一程注がれたウオッカを受け取る。 そしてそれを一息に流し込んだ。
「お~、一気に行ったな」
曖昧に笑って誤魔化す。
飲み干した酒はとても苦かった。 それは敗北の味だ。
僕は一目ぼれと同時に屈辱を味わったのだ。
別に自慢するわけではないけれど、僕はここらではイケてる方に属する人間だ。
それなりに自分が他者から見て魅力的であるということも自覚しているし、さっきのように女の子の方から告白してくることだってある。
調子が良ければ両手に花ってやつも出来るさ。
アルコールが急激に回ってきたのか視界が一瞬グラリと揺れる。
それを断ち切るようにぐっと奥歯をかみ締めてうつむく。
そんな……、そんな自分が見惚れてあんな呆けた姿を見せて名前すら名乗れなかった?
まったくお笑い種だ。 こんなことでは僕は成功なんて出来ない。 より良い未来をつかむことなんて不可能だ。
……だがあの時は奇襲だった。
今度はもうあのような醜態はさらさない。 あの美しい彼女には申し訳ないが、僕は僕だということを証明するために勝手に復讐を始める決意をする。
けれどそれは彼女にとって決して不幸なことではないだろう。
そう、この白石和哉の恋人になれるのだから。 そして僕は彼女をずっと愛し続けるのだ。
そんな非論理的な確信があった。
アルコールは現在進行形で体内を駆け巡っている。
しかしこれくらいならまだ大丈夫だ。
保険として飲んでおいたウコンがアルコールを急速に分解してくれているはずだし、多少の酔いがあろうと締めの挨拶には影響は無い。
むしろそれくらいならご愛嬌だと友人達も笑ってくれるだろうさ。
さてと気持ちを切り替るとしよう。 アルコールが程よく潤滑になってスイッチの硬さを和らげてくれた。
後で顔の広い知り合いにもでも聞けばどこの大学くらいかはわかるだろう。
切り替えたところで酒を止めて締めのスピーチを考えるとしよう。
参加したスタッフや友人達がよかったと思えるような名文を……ね。
「……うげっ、マジかよ」
意識を思考に切り替えようとしたところで正面に座っている牧夫の表情が変わる。
「和哉……邪魔するわよ」
フワリとした香りと共に羽田麻由さんが僕の横に立つ。
これは珍しいこともあるもんだ。
僕はともかくとして、麻由さんのグループはある意味特殊なので牧夫達とはあまり仲がよろしくない。
ゆえに無用なトラブルを避けるために彼女が僕達のところにやってくることはそうそうないのだ。
あるとすれば……。
「う~ん何かあったのかい?」
表情を見れば不機嫌だということがわかる。
何か不手際でもあったんだろうか?
このVIPルームに顔パスで入れる彼女からイベントに対する不満を言われれば成功とはいえなくなるだろう。
場に雰囲気が少し強張るのを感じた。
「安心しなさい。不満を言いにきたわけじゃないわ。友和がお礼を言いたいって」
「お礼……あっ!」
麻由さんの横からスッと背が高くやや顔の長い男が出てきた。
「はじめまして……さっきは白音を介抱してくれてありがとうございます。なのに何の礼も言わず失礼しました」
ペコリと頭を下げてお礼を言う。
だが僕には彼の言葉は頭に入っていかなかった。
なぜなら彼は白音を介抱してくれてありがとうございましたと言った。
僕が今夜それをしたと言える人間は一人だけだったからだ。 それは……つまり……。
「そ、その……先ほどは失礼しました」
アルコールの酔いとバツが悪いという羞恥で頬を染めた彼女がそこに立っている。
それだけで何も考えられない。 ただただ呆然と彼女を見上げていた。
「………………」
「……? おい和哉!」
「えっ?あ、ああ……大丈夫だよ!」
実際は大丈夫どころじゃなかった。
雄雄しく復讐を誓ったはずがあの時と同じように見惚れてしまてっていた。
そして……言葉が……でて……こない。
「あ、あの……別に大したことないっていうか……ああ!でも貴女のことがって意味じゃなくて……その……」
駄目だ! 気の利いたことが浮かばない。
喉が動いてくれない。 いじめにあって情けなく狼狽しているような気分になった。
それでも頭は言葉を、単語を、字を、線を、点を出してくれない。
ただただ透き通るまでに真っ白な幻視が見えた。
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