ハックボイルド -永劫都市における楽ではない探偵稼業-

白林透

第六階層の虫歯

 さて、そろそろ探偵という職業の本来の意味を忘れてしまいそうなので、4階層に返り咲く今日この記念すべき日に思い出すとしよう。

 初心忘れるべからず。良い言葉だ。

 探偵とは主に失せ物や失せ人を地道な情報収集で探したり、浮気の調査や特定の相手の情報収集を秘密裏に行う。そしてごく稀に犯罪を暴いてみたりする。

 細部に誤差はあれど、その認識で間違いない。

「ねえ」

「…………」

 しかし、それは私がまだ生身だった頃の話で、現在の認識とは異なる。

「ねえ!」

「うるさい。晩飯は5時間後だ」

「違う。特異点の気配。結構でかいよ」

「そりゃ凄い。でも放っておけ。あと2時間37分で四階層に上がるんだ。こんなタイミングで下層に――」

 カラン、カラン。

 言葉を遮るように扉の上部に取り付けられた鈴が大きく音を立てた。

 そして音が治まった今、これ以上言葉を続ける意味もない。

 ……やれやれ、うちの飼い猫はケンカっ早くて困る。

 きっと頭より先に体が生まれてきたに違いない。

 あるいは頭を彼方に置き忘れて来たか。

 9時25分。事務所の壁に立つ古風な柱時計の時間を確認して、安い合成革張りの椅子から立ち上がる。

 手狭ながら骨董家具で纏められた事務所の中は、先の騒音から一転して穏やかな空気が流れていた。本来はそうでなくては困る。

 記憶喪失らしい不出来な助手には困ったものだが、彼女が居てこその今の暮らしでもある。その辺りは履き違えない。

 携帯端末を起動し、誉田迷夢よだ めいむの番号をコール。

「もしもし?」

「3コール以内に出たことは褒めてやる。今なら許してやるから戻ってこい」

「やだ!」

「だろうな。しくじったら昇格どころか3日間の下層生活だぞ」

「私がしくじると思う?」

 相手に聞こえるほど大きな失笑が零れる。

「お前な……。単独解決率が4割弱のくせに、その自信はどこから出てくるんだ?」

「もうすぐ着くから切るね」

 問い掛けには答えず、一方的に通話が打ち切られる。

 思わず舌打ちが零れそうになったが、入れ替わりに別の番号から着信が入った。

 これもまた見飽きた名前の相手だ。

 舌打ちの代わりに「げっ」という本音が漏れた。

「祝いの連絡じゃないのが残念です。桐間きりま本部長」

「その様子だと、やはり君の可愛い助手アリスはウサギを追いかけているらしい」

「いつも通り、ですよ。懲りない奴だ。それで、座標は?」

 電話の相手は3層の治安維持管理を担う警察局のトップ、桐間拓海きりま たくみ。この階層に持ち込まれる厄介事は誰よりも早く彼にもたらされる。

 そして、八割の面倒事は5分以内に俺の元へと降りてくる。

「イーストプラザ06。規模はブルー4が予想される」

「高めですね。状況は――」

「現地に情報屋がつけてる。避難は滞りなく、だ」

「分かりました。そっちに聞くとします」

「健闘を祈る。今回は上がれると良いな」

 通信を切ってから一呼吸、「心にも無いことを」と、吐き捨てる。

 ブルー4とは事象に対しての警戒レベルを指す。

 評価は7段階で、数が増えるに連れて危険度と警戒度が上がる。

 衣紋掛けからベストをひったくって雑に羽織り、更に仕事用のコートを上に重ねる。

「ブルー4、か。普通の奴なら良いが」

 こういう日に限ってイレギュラーが多い。長年つちかってきた探偵の勘だ。

 こちらの憂慮ゆうりょを余所に、迷夢バカから危機感の薄い『現場到着! 1番のり』のメール。

 文面を確認してから、私は端末上に表示された『転送開始』をクリックした。


 ◆◆◆


 古ぼけた事務所の風景が一瞬で都会の街中に切り替わる。

 傍らには不出来な助手の姿。

 背丈は162センチ。団栗のようにつぶらな眼が特徴の活発娘だ。

 白いブラウスにタータンチェックのプリーツスカート、頭にはスカートと揃いの柄のベレー帽が乗っている。

 随分と古臭いイメージの探偵助手そのものの恰好。

 残念ながら服装と仕事の技量は比例していない。

「この辺に来るのは久々だな。無事に済んだら酒場にでも顔出すかな」

 イーストプラザ06。

 桐間本部長の確かな手腕で、一帯の住民避難は完了しているらしい。

 残っているのは、みすぼらしい身なりをした情報屋だけだ。

「旦那、こんな日もお早いでさぁね」

「情報を」

「ちょっと待って。早いのは私なんだけど?」

 むくれる迷夢を無視して、男に硬貨を投げ渡す。

 見た目に反して、2万4千円のデジポットが『契約成立』のポップアップと同時に支払われた。

「発生源は6階層。10時1分に災害認定。状態推移は典型的な欠損型だねぇ」

「この短時間で2層堕ちか。ここまで堕ちてくる確率は?」

「9割。発生源が特殊で5層の対応が遅れたらしいが、上も大混乱で細かいことまではわかりゃぁせん」

 益々面倒だ。早く事務所に戻りたい。

「どうするの、聖彦?」

「仕事の時は玖島所長と呼べ」

「所長、早く。もう来るけど」

 迷夢の勘は情報屋の次に当てになる。が、情報は多くて困ることは無い。

「巻き込まれた人数は分かるか?」

「公式発表で3人。これは間違いない。裏も取れてらぁ」

 端末上に被害者の情報が映し出される。

 発生源となる6層で巻き込まれた医師と子供、5階層では建築家の男が1人。

「またバラエティー豊かな面々だな。病院が発生源の割に被害の規模は小さい」

「お医者さんが優秀だったのかもねー」

 適当な相槌を打つ迷夢は手足を伸ばして入念に準備運動を行っている。

「逆もあり得るけどな。他に情報はあるか?」

「これ以上の情報は追加料金だねぇ」

「言ってろ守銭奴。もういい」

 まあ良い。必要最低限の情報は手に入れた。

 不謹慎だが6階層の被害者が医者とはかなりラッキーだ。

 上手く助ければ高額な報酬を期待出来る。

「迷夢、どんな手を使ってもいい。この階層で食い止めろ。6層のお客様なら多少派手にやっても元が取れる」

「オッケー。先手必勝だね。超得意」

「多少は気と頭を使えよ!」

 得意げにピースサインを作る迷夢。

 本当に此方の意図を理解しているのだろうか。

「私は出現と同時に遅延術式スローダウンを展開する」

 言い終わる前に周囲の変化は始まった。

 出現と同時に術式を展開できるよう、両手をだらりと地面に向かって下げる。

 まずは周囲の音がねじ曲がり、不協和音ノイズへと変わる。

 続いて周囲の色が歪なマーブルを描き、――いや、おかしい。

「伏せろ!」

 術式の敷設を中断し、助手の襟首を掴んで地面に引き倒す。

 迷夢の上半身があった空間を見えない何かが抉った。

 間一髪で回避の間に合った迷夢が冷や汗を浮かべ「ひゅー」と安堵の息を漏らす。

 対して、私は苛立ちから虚空に吠える。

「6層から堕ちてきて、実体化もまだなのか!? 上の奴らは何してた!」

 悪態をついても状況は1ミリも好転しないが、それでも言わずにいられない。

 視界の端には空間異常を伝えるアラートが点滅し、事象がこの階層から切り離される迄の制限時間が表示される。

 5分20秒。

 それまでに処理できなければ、この現象は被害者を飲み込んだまま更に下層へと堕ちる。それが最下層でも食い止められなければ、待っているのは死だ。

 初動は完全に失敗。かなりの痛手だ。

「ど、どうする局長?」

「こっちの舞台に引きずり出すしかないだろ。話はそれからだ」

 時間が無い。

 真っ向からの殴り合いを想定していたが故に、虚像投影モデリングの準備を全くしていなかった。

 まずは2秒で対戦闘用コートを脱ぎ捨て、黒の皮手袋を装着。各装備の動作確認は要所以外を飛ばして2秒で完了させる。

「迷夢は有効打を検索しつつ、雷管ハニーポットで一帯を封鎖。注意は私が引きつける」

「オッケー。いつものパターンね。派手にやっちゃうよ!」

 走り出した迷夢は懐からサイリウムに似た七色に発光する棒、通称雷管を両手にそれぞれ4本、合計8本取り出し、1度の投擲で全てを別々の方角へと上手く散らす。

 雷管は地面に落ちることなく空中で静止したかと思うと、周囲の色を急速に吸い込み、一帯を白と黒の世界へ変えた。

「見えてきた」

 まずは第一段階クリア。

「予想よりでかい。注意しろよ」

「そっちもね」

 余計な情報が取り除かれた事で、空間の歪みが視認し易くなる。

 迷夢と呼吸を合わせ、挟み込むようにして5歩踏み込む。

 辛うじて視認可能な敵の一撃を避けつつ両手を腰の辺りで低く広げ、指先は天に向けて最大に広げる。

「最短で全部のパスを接続する!」

「フォローは任せて!」

 イメージは糸。指先から迸る無数の糸は、迷夢がばらまいた光の棒を経由して色合いを強め、歪みに突き刺さる。

 目視可能な効果は無し。反撃とばかりに、突き刺さっていた糸は接触箇所から赤黒く変色し、毒々しい色が糸を遡り聖彦に逆流する。

 体の芯が冷えて思考がドロドロに掻き回されるような不快感。

 視界が一瞬暗転し、地面に膝をつく。

「聖彦ッ!」

 無防備な聖彦を狙う次の一撃を、フォローに動いた迷夢が回し蹴りで弾き飛ばした。

「大丈夫!?」

「借りだな。だが所長と呼べ」

「うん、所長。さっき助けてくれたからチャラでいいよ」

「カウンター入りなんて、本当についてない」

 頭を垂れたのは一瞬。術式を再構築して押し返し、光の帯が再び歪みに突き刺さった。

「よし、今度こそ食い付いた」

 カウントダウンが4分12秒で止まる。

「引き摺り出すぞ。準備しろ迷夢!」

「いつでもどうぞっ!」

 迷夢が糸に手を添えると同時に意識を集中。

 光の帯を通して、7種の虚像投影術式モデリングプログラムを叩き込む。

 どれか一つでも効果があれば――、

 カウントダウンが1秒巻き戻り、4分13秒を指して再びストップする。

「よしっ!」

 術式は成功。

 空間の一部が、古い塗装が剥がれるように欠け堕ちる。

 それは一度に留まらず連鎖するように周囲へと急速に広がっていく。

「役満だな……」

 本当に今日はついていない。

 束の間の喜びが絶望へと変わる。

 剥がれ堕ちる風景の奥に巣食うモノ。

 そこに居たのは、光の帯に拘束された――、

「迷夢、悪い知らせだ」

「あー、なんとなく私にも分かる。あんまり聞きたくないかも」

「バグを模倣してるが違う。コード、イエロー。悪食ウイルスだ」

 ――毒々しい紫肌をした巨大な異形いぎょうの姿だった。



『当区画の重大な情報飽和テンポラリーエラーを確認しました。これより2分21秒後に該当範囲が隔離されます。住人の皆様は速やかに退避してください』

 どこからともなく聞こえてくる緊急アナウンス。その言葉の通り、カウントダウンは4分から一気に2分を消し飛ばして再開される。

 虚像投影術式モデリングプログラムによって、空間内の情報量が急激に増えた影響だ。

 隔離指定範囲は異形を中心にして、薄紅色に染めあげられた直径70メートルの範囲。

 下層堕ちを止めるには諸悪の根源を消滅させるしかない。

「所長、次! 次の指示!」

「鎮圧は無理だ。取り込まれてる奴らだけ助ける」

「はぁっ!?」

「時間も対悪食装備アンチウィルスも無い。本体は下層の同業者に任せる」

 完全に姿を現した異形。しかしそれは本来の姿とは言えない。

 そもそも奴らに実体はないからだ。

 聖彦達が対抗、干渉できるよう強制的に実体を付与しているに過ぎない。

 故に奴らは自身の特徴に応じて、複数の動物の優れた身体部位を持って顕現する。

 今回の悪食ウイルス造形を言い表すなら、体長4メートルの巨大なダニだ。

 醜く肥え太った腹部に対して異様に小さな鉤爪の脚と赤い顔部。既存のダニと異なり、巨大な腹部の両脇からカマキリに似た巨大な腕が生えている。

「被害者は、もう2階層堕ちてる。これ以上堕ちれば助かっても地獄だ」

「助けた上で潜るのは?」

「馬鹿。誰が階層復帰までの除染スキャン修復リカバリーをするんだ?」

 カウント再開と同時に、巨大な鎌が全方位に対してやたら目鱈に振り回され始めた。これでは迂闊に近づく事も出来ない。

 加えて、本体を支える華奢な6本の腕を動かして体躯に見合わぬ速さで縦横無尽に走り始めた。

「意外とはやっ!」

 隔離範囲の抜け道を探しているのか、あるいは無作為な行動ルーチンがあるのか。

「集中しろ。欲を出せば、こっちが取り込まれるぞ」

 腰のホルスターから2丁の拳銃を引き抜く。左手には黒くスマートな自動式拳銃のバレッタ。右手には無骨な回転式拳銃、コルトパイソン。

「でりゃっ!」

 聖彦が構える直前、迷夢が助走の乗った渾身の跳び蹴りをダニに見舞った。

 一見無謀な特攻に見えるそれは、正確に左鎌の関節部にめり込む。

 ギィ――。

 耳障りな悲鳴と黒箱ブロックノイズをボロボロとばら撒きながらダニの体はバウンドし、一瞬の隙が生じた。

「ナイスだ」

 ダニの顔面へ挨拶代わりの弾丸を2発。

 発射されるのはただの弾丸ではない。バグ鎮圧用特殊弾だ。

 しかし、ウイルス相手に効くか?

 着弾した弾丸は額に深く潜り込んだが、風穴は瞬時に塞がってしまう。

「やっぱりバグ用じゃ駄目か」

 1発高いんだけどな。

 バレッタをホルダーに戻し、コルトパイソンから残りの弾丸5発を抜き取り回収、有効打が期待出来そうな6種の鎮圧弾を込め直す。

 装填の間にダニは態勢を立て直し、大腕で迷夢を弾き飛ばしていた。

 吹き飛ぶ彼女を抱き抱えるように左腕で受け止め、勢いを殺しつつ1回転。

 厄介な敵に向き直り、銃を構え直す。

 残りのカウントは1分13秒。

「ありがとう」

「救出限界ギリギリだ。不味い」

「諦めるなんて言わないよね?」

「さっきの、もう1回出来るか?」

「馬鹿じゃないの!?」

 言葉とは裏腹に、迷夢はやる気を覗かせる。

 この行動力と不屈の信念が彼女の美点だ。

「やってみる。雷管ハニーポット使い潰しても良い?」

「絶対にしくじるなよ」

「所長、大好き!」

 そして大抵、逆境に立たされるほどベストな判断を下す。

 再度敵の懐へと駆け出す迷夢は、最初にばら撒いた雷管の一つをもぎ取る様に回収、そのままきつく歯を立てて口に咥えた。

呵責方程式オーバークロック!」

 呪文のように唱えた瞬間、迷夢の体が雷管と共に淡く発光。

 目にも留まらぬ速度でダニの大鎌を蹴り払い、無防備な腹部が内側に抉れるほどの踵落かかとおとしを叩き込む。

 軽度のバグならばこの一撃で鎮圧出来るが、悪食には物理的攻撃は効果が薄い。

 ダニも先ほどより黒箱を多く吐き出してはいるが致命傷には程遠い。

 想定外の使用法で耐久限界を迎えた雷管が砕け、彼女が身に纏っていた光が失われる。

「ミスしないでよ?」

 飛び退く迷夢に対し、返事の代わりの弾丸6発を正確にダニの胴体へ命中させる。

 今回は効果を確認せずにコルトパイソンを捨てて光の糸を再展開。

 ダニに深く食い込ませる。最初の捕縛術と違い中身を抉るハッキングに特化した技だ。

「誰に言ってる!」

 初回接続ファーストコンタクトで救出目標の大まかな座標は把握済み。

 後は、この糸を切らせることなく維持するだけ。シンプル故にそれが一番難しい。

 残り42秒。やはり弾丸での沈静化も失敗、ダニが大きく体をよじる。

「30……いや、24秒持たせろ!」

「だからぁ、無茶だっての!」

 指示を聞き終わるより早く迷夢は残りの雷管回収に動いていた。

 2本目を回収と同時に呵責方程式を起動、残り6本の雷管を回収してダニの背後を取る。

 雷管1本が10万円という値段を考えれば贅沢すぎる使い方だが、背に腹はかえられない。

「どりゃあっ!」

 雷管1本での発動持続時間は僅か3秒。迷夢が稼げる時間は単純計算で18秒。

 足止めには6秒足りない、が――。

 迷夢の連続攻撃に、醜い巨体が浮き上がる。

 ダニは堪らず大腕をぐにゃりと後方に反転させて迷夢を狙うが、彼女は手を休める事無くそれらの攻撃を全て捌き、巨大を更に上へと押し上げる。

「私の呵責方程式は最強なんだか、らっ!」

 聖彦の静かな攻撃も佳境に差し掛かっていた。無数のプロテクトを秒単位で解除、取り込まれた3人への最短ルートと救出プログラムを同時展開。

 幸い、時間によって情報座標が変わるタイプではないらしい。

 道をこじ開けるのは容易いが、問題は時間だ。

「迷夢、逃げ遅れるなよ?」

 ダニが倒せない以上、この一帯は確実に下層に落ちる。取り込まれた被害者を分離した後の14秒以内に離脱しなければ巻き添えを喰らう事になる。

「電池切れ!」

「キャッチ!」

 残り時間20秒、迷夢の悲痛な叫びと、聖彦の声が重なった。

 迷夢の活躍で3メートル近く打ち上げられていた巨体が自由落下を開始し、回避で地面を転がった迷夢の数ミリ横で2度バウンドして着地。

 この滞空落下時間で4秒を稼いだ。

 あと、2秒ッ!

 救出プログラムを走らせ続けなければならない聖彦は一歩も動けない。今、攻撃を許せば救出に失敗するだけでなく自身も汚染され取り込まれる。

 ダニが此方に狙いを定めて大鎌を振りかぶる。

 頼みの綱の迷夢は、ようやく地面から体を起こすところだった。

 到底、フォローは間に合わない。

「コード02起動申請。迷夢、助けた奴は必ず除染しろ」

 大きな鎌が腹に突き刺さった。痛みは無い。

 高純度の防御術式コード02がこの階層限定だが3分間はこの体を生かす。

 1回限りの保険。値段は考えたくもない。

「要救助者を確保。強制退去させるぞっ!」

「フォローは任せて!」

 光の糸で絡め取った3人をダニの体内から引き摺り出し、そのまま一本釣りの要領で隔離圏外に向かって投げ飛ばす。黒く粘つく粘液は汚染の残滓。

 迷夢もその方角へと走り出している。

 後は彼女が上手くやってくれる事を願うのみ。

「不味いな」

 引き剥がした内の1人、小柄な少女には黒い粘液が未だ千切れず纏わりつき、安全圏までの飛距離が足りない。

 どうやら想定以上に深い所まで浸食されているようだ。

 残り、10秒。

 それに気づいた迷夢の視線が少女へと向かうのが分かった。

「止まるな! その子は私が何とかする。他の二人を頼む!」

「わっ、わかった。死なないでね!」

 残り、5秒。

「当然だろ。私を誰だと思ってる」

 腰から再度バレッタを引き抜き、胸に食い込んだ鎌にゼロ距離で残りの銃弾を全て叩き込んだ後、両手で大鎌を強引に引き抜く。

 嫌な感触だ。二度と経験したくない。

 残り、1秒。

『現時刻を以て、該当区画を強制隔離します』

 不愉極まりない感触と共に周囲の景色が急速に引き絞られ、全てが闇に飲まれた。

「……まったく、今日は本当についてない」

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