20160717:最期に見る夢
俺に選択肢などハナからなかった。
生命活動を止めた瞬間の神経の興奮状態を再現出来ると言い出した阿呆がいた。特殊な薬剤を使うことで神経伝達物質がどの程度の濃度で存在したかを知ることが出来るとかなんとか、そいつの論文は自信満々に説いていた。
だからあんな阿呆が現れて、こんな阿呆なビジネスが成り立つのだ。
脳状態パターンの記録なんてのも併せて流行始めた。脳の解析が進めば、見ていた物が見えるなんて嘘だ。個人個人の脳波パターンの一致具合で何を見ていたかを推測する。せいぜい出来ることなんてその程度だ。
「商売ってのは、真実である必要はない」
商人と詐欺師は似ている。いや、その結果を知らない『今』という時において、ある意味それは同じものであるのかもしれない。
商売人の仮面を張り付かせた生来の詐欺師は俺へとそうして右手を伸ばす。
「また一緒にやろうぜ、相棒」
国許へ帰るに帰れず、訳あり物件専門のフリーターと化していた俺は、なれなれしく肩を組んできた相棒へ、ただ、頷いた。
*
愛玩用に買われた男の末路は、いわば宗教の世界だった。
だいぶ薬で溶かされていたんだろう。正常だったと思しき頃の男のパターンと類似は見られず、その特徴はいくつかの論文の中にあった。ドーパミン報酬系に顕著な『活動』が記録されていたのだ。
『光だ』
論文の中で被験者は言った。
『私は何にでもなれる』
全能性を訴えた。
数々の宗教的儀式からも可能性は示唆されていて、だからまぁ、こんなものかと俺は素材を選択する。
文句あるか? ……独り言が口をついた。
雲は何処へ行くのかと見つめ続けた女の最期は、やはり空の彼方にあった。
穏やかと言える脳波パターン、その中で形を司る神経パターンは空を見ていた時の形をしていた。
『俺を最期まで見ていたんだ』
女を愛した男は言った。
『この手を握って、そして、力が』
確かに男を見ていたと言った。しかし、脳波は嘘は言わない。
おまえさんの心は既に、ココにはなかったって事なんだな。
なんともやりきれないパターンだった。
若い女と聞いていた。蝶のようにひらひらと飛びすぎる何かを見つめていた。時刻は夜。街灯の光も差さない路地の奥と書類にはある。
蝶とはなにか。舞ったのはなぜか。
清拭された健康そのもののつややかで張りのある肌には大きく傷が付けられている。
だから気付かないんだな。
ADfMRI(After Death functional Magnetic Resonance Imaging)から出てきた女を見つめながら、つい、ごちた。
男の『記憶』には出来合のフリー素材を。
空を見つめた女には、とびきり綺麗な空の画を。
蝶を見ていた若い女には、暗闇を飛ぶ光の像を。
まとめて保存しようとして。俺の指はそこで止まった。
締め切りは明日。時間は無いのに。
*
これでてんごくにいけるんだろ、とろけた瞳で覗いてくる。
ありがとう、とそんな形に動いている。
あたし、しんだの? きょとんと俺を見下ろしてくる。
おれがなめると気持いいことかえしてくれたんだ。光が見えたよ。空の上にいるみたいに。
とっても綺麗な空だったの。子供の頃に見たような天上が黒く見える空よ。
ナイフの光じゃなかったわ。ちょうちょだったの。本当よ。ちょうちょの、入れ墨?
目の奥が光ったみたいに周り全部眩しいんだ。あの人もアイツもコイツも母さんも許してやろうって気になるんだ。
薄い雲から光が挿してね。あぁ、天使のはしごを昇るんだなって思ったの。一人でよ。身軽に。何処までも身軽によ。
ナイフのぎらぎらの向こうに、ちょうちょがいたの。綺麗な色だったから見とれちゃったの。アゲハかな。
「「「残すなら、そんな記憶にしてちょうだい」」」
*
非合法にもほどがある。そして、こんな映像、一体誰に売れるというのか。
締め切りまで俺の側で好き勝手ほざいていた三人はいつの間にやらどこへともなく消えていた。
朝方さわやかに現れた実はビビリの相棒は、データを確認するなり満足そうに工場へとブツを回した。
タバコの煙がゆらりと真上へ昇っていく。低い角度の光に照らされ、白く輝きながら、あいつらが昇ったよりも高いところへ。
重い扉の音に目だけをやった。警察側の撮影スタジオ、俺以外の人間なんて、珍しかった。
目が合った。軽く頭を下げられて、つられたように俺も、返した。
「雲の行く先をご存じですか」
「へ?」
小柄な男が白いサマースーツを着て、相棒よりも胡散臭い風な一見すると人なつこい笑顔を浮かべていた。堅気に見えないのは中途半端に伸びた髪のせいだろうか。
手を後ろで組み、女子高生のように近づいてくる。
「風の終着点と、言うべきでしょうか」
頬を風が撫でて過ぎた。男につられて見上げてみれば、雲が流れ始めていた。
「それとも、魂の終着点と」
男が並ぶ。俺の肩ほどの顔を上げてくる。胡散臭い笑みが張り付いたまま。
「魂は終着点で安寧を得られるのでしょうか。男は愛玩という存在のままある種の安らぎの中に生を終えました。病気の女性は自由になることが望みだったのでしょう。最期に思った風景は、その象徴だったと言えるでしょう。では、蝶は」
笑顔の中、笑っていない目が薄らと俺を捉えている。煙がかき乱されて散っていく。
前髪をうるさそうにかきあげた男の手の甲に、俺の目は釘付けに、なる。
「夢現の象徴だったのだと、そう、思いませんか」
*
夢か現か現か夢か。死に際の夢を留めるのが俺の仕事だとしても。
彼女の見た蝶の画は、俺の現実だったのだろうか。
俺はただ、頷いた。
俺に選択肢などハナからなかった。
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