20151002:万年契約
ひとひら紅葉が目の前を過ぎっていく。見上げれば一輪、つぼみが淡く色づいていた。
ごつごつとした木肌は桜のもの。葉をすっかり落としたそれは、すなわち桜の花の狂い咲きだ。
さらに顔を上げた先では色づく紅葉が空を占める。寒風が乾ききった葉を揺らし、御影のほおを撫でて過ぎった。
「異常気象だとは言うけどさ」
御影は一人つぶやいた。
つぶやき頭を傾げさせ、とぼけるように明後日を見る。
「だめ、ね。少しは気をつけなくちゃ」
白無垢姿に低い声。そして作った高音の。茶番であると、誰もが知っては居たけれど。……せめて。
「御影」
呼ばれて笑顔を取り繕う。厳しい顔の仲人役が、そろそろ行くぞと手を出した。
新郎の場所にはなにもない。聞かされていたまま、御影は一人高砂に座る。
巫女役の少女が差し出す杯を、三三九度に習いながら、ゆっくりゆっくり飲み干しつつ。
声を発する必要は無く。花嫁の形だけをとる。進行にただ気を配り。
誓いの言葉は何処にもなく、祝詞が堂に響き渡る。
式を終え堂を下る。瞬く景色に気配を感じ、御影は再び振り仰ぐ。
遠雷。天雷。やがて風が遙かな雷鳴を運んできた。
ほらごらん。言葉はどこから漏れたのだろう。かさりさらりと神主の持つ御幣が揺れる。
風がいっそう冷たさを増し、雨の匂いが混じり込んだ。
匂いの元を探す間もなく、砂利に確かな染みが生まれた。
「秋に桜。秋刀魚は下らず、台風のような低気圧」
唄うような声だった。
ぼたりぼたりと音でもしそうな降り始めに、楽しげに、笑うように。
「洪水、干ばつ、冷夏に暖冬」
若い男だった。背はそれほど無く、大学生の御影より幾分か若く見える。黒羽二重の染め抜き五紋。格好と場に違和を感じることは無いけれど。
――こんなヤツ、いたか?
「君も異常と思うかい?」
「え」
御影は思わず、素で返した。
目の前に顔があった。闇夜を映す黒髪に、白い肌が妙に生え。闇のようなその瞳が。
男は御影を覗いたまま、人形でない証拠のように。丸くした目で二度三度と、御影へ瞬きしてみせた。
「君、男か」
言われて頬が熱くなる。
「……しょうがないだろ」
言って思わず視線をそらした。
ちらりと見えた堂下には、親族一同が並んでいる。
ぬれるわよ。御影を呼ぶのは母親だ。
脇では従弟が雨を気にし、兄に抱かれた姪っ子は雷鳴に驚き襟をつかんだ。
義姉はどこからともなく傘を取り出し、叔父は従兄と談笑中。
「そういうときもあるな」
当たる音が聞こえるほどの雨の中、振り返れば、男はにやりと笑って見せた。
「お前は結構美人だし、そういう意味では幸運と言える」
――何を?
男が手を出す。
「何千年の周期があれば、氷も降るし池も干上がる」
少しばかり華奢な手を。
「磁気も変われば地軸も揺れる。太陽の大きさすらも変わって見える」
御影は思わず眉根を寄せる。
男は婉然と笑んでいる。
「花嫁が男でも、些細なことだと思わないか?」
動かない御影を見て、白無垢の袖から覗く、筋張った手を。
「次の周期も『今まで通り』であるように」
甲へ口づけ、御影を見上げ。
「これは契約だからな」
挑発的に。
――偽りの花嫁と土地神の婚姻は、歴史が刻まれる以前より続いた儀式。
――次の周期の約束のために。
※ミランコビッチ・サイクル
:気候用語。
:自転軸の傾きの変化、歳差運動、公転軌道の離心率の変化からなるサイクル。
:日射量が変わることで、気候への影響が大きい。
:おおむね、万単位のサイクルである。
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