私の彼は、空飛ぶイルカに乗っている
饕餮
本編
プロローグ(藤田視点)
入間基地上空に広がる冬の蒼穹は雲ひとつなく、風は微風で穏やかだ。
三番機の女性ドルフィンキーパーである浜路三等空曹は「いいイルカ日和ですね」と言っていたが、うまいことを言うなぁと思う。まさにその通りの天気だからだ。
ブルーインパルスの四番機パイロットである俺も、この蒼穹の中を飛べると思うとテンションが上がってくる。そしてあっという間に
さあ、これから
ウォークダウンから耐Gスーツを着込み、自機に搭乗する。ここに来るまでに掛けて来た帽子とサングラスを小物入れに入れ、キーパーに手伝ってもらいながらシートベルトをする。ヘルメットやマスクを付け、全てのシートベルトの装着と確認が完了したら機体から梯子を外された。
まずは電源を入れて編隊長の合図を待つ。合図がなされたらエンジン始動だ。
キーパーと合図を交わしながら右エンジンの回転数を上げていく。次は左だ。
低く唸るエンジン音が徐々にキーンという高い音へと変化していく。どの機体だろうとこの音はいつ聞いてもいいと思える。
そして電源車から電力供給を受け、右のエンジン始動。それが終われば同じ手順で左のエンジン始動。
キーパーの手の動きに合わせて操縦桿を動かし、動作を確認しながら微調整をして行く。観客からは舵が動いているのが見えるだろう。それが終われば、方向舵、上昇舵も同じように確認し、最後はキーパーによって水平尾翼の確認が終わればいよいよ準備完了だ。
キーパーたちが車輪止めと電源コードを外し、退去する。
編隊長の合図でキャノピーを閉め、着陸灯を付けてタクシーアウト。
移動しながらキーパーと敬礼を交わし、その後指を二本立てて「行って来る」という意味を込めてこめかみの辺りから指を上から下に下ろすと前を向いた。そしてタキシングで移動しながらも観客に手を振り、指定の位置までくるとスモークチェック。
それが終われば管制塔と編隊長の合図を待って俺も空へと上がる――空飛ぶイルカに乗って。
大空へと飛び立つこの瞬間は、戦闘機だろうと
急速にかかるGとコックピット越しに見える空は、いつ来てもいいと思えるほどだ。百里基地にいた時は
まずは四機で上がって隊長機である一番機の後ろにつくダイヤモンドになると、左右にに二番機と三番機が見える。一番機の排気が流れてくるから過酷ではあるし、編隊の隊形バランスを見なければならないから技術もいる。
大変ではあるが俺はこのポジションを気に入っている。それに遣り甲斐のあるポジションだと思ってもいる。
そして五番、六番とイルカたちが空へと上がって来る。ここまで来たら演技開始だ。
それぞれの機体が演目に則って急速上昇、旋回、バレルロール、背面飛行に六機で作る三角形のデルタを行う。または間隔が開いたワイド・デルタになる場合もある。時には五機編隊の三角形であるファイブシップデルタでワイド・デルタを作ることもあるのだ。
横一直線のラインアブレスト、縦一直線のトレール、斜め一直線のエシュロン。そこから様々な展示飛行へと繋がって行く。
どんなに近くにイルカの翼があろうともぶつかることはないと知っているし、そのどれもが日々の訓練の賜物でできるようになったことだ。
背面飛行から見る地上は、建物も人も米粒のように小さい。それでも俺は怖いと思ったことはなかった。
信頼できる仲間と整備班がいて、尊敬できる隊長と師匠である八神さんがいる。
『エロ属性が付いた』と展示飛行を行うあちこちの基地で言われるのは納得できんが、ある意味自業自得だから仕方がない。八神師匠は俺以上だという噂も聞いたし、二人してそんな話をしたこともあるからそのせいもあるんだろう。
『あー、師匠はさり気無く尻に敷かれてますもんね、奥さんに』
『ジッタ……お前、そういう認識かよ』
そんな会話をしたあとじゃなかったか? 俺に『エロ属性がついた』って噂が広がったのって。……まさか師匠が広めたんじゃなかろうな……。
あとはなんだっけ……『女をとっかえひっかえするエロ男』とか『床上手な四番機』だったか? 床上手はともかく、女に関しては事実だから何も言えんが。
それはともかく。
それでも俺は空を飛ぶことが好きだ。ブルーの任期は三年――俺はもうじき三年目になるから、そろそろ弟子が来ることも予想される。
任期が終わればまた百里基地に戻ることになるだろうが、大陸や北の動きがきな臭いから、もしかしたらパイロットがいなくて任期が延びるかもしれないし、
今は観客の目を楽しませて、そして元気を分けられたらという思いで空を飛ぶ。弟子が来るまでは全力で訓練して飛行展示をし、弟子が来たらそいつに教えつつ残り少ない時間を楽しむだけだ。
展示飛行も終わり、空から地上へと降り立つ。タキシングで指定場所へと戻り、キャノピーを開けて観客に手を振ると歓声が聞こえる。そしてコックピットから地上へと足をつければ、更に大きな観客の歓声と拍手の音が俺たちを出迎えてくれた。
これを聞くたびに、感動を与えられたことに「よかった」と思えるこの瞬間が好きだった。
***
サイン会など諸々のことが終わり、休憩しようと建物があるほうへ歩いていく。
正直言って笑顔や愛想を振りまくのは好きじゃないんだが、それをぼやくと一番機の隊長である玉置三等空佐に怒られるので、たまーに笑顔を向けている。そんなことを考える俺は、広報でもあるブルーインパルスのパイロットとしては失格なんだろう。ああ、めんどくせー! なんてことを考えている時だった。
「ジッタ!」
そう声をかけられて振り向けば、親友であり入間基地に勤務しているガックこと
因みにガックとは名前をもじった愛称で、学自身はヘリのパイロットだったりする。
「久しぶり、ガック!」
「ああ、久しぶり! 直接会うのは何年ぶりだ?」
「二年ぶりくらいじゃないか? 去年は全くこっちに帰ってこれなかったしな、俺は」
がっちり握手をしてから抱きあって背中を叩くと、並んで歩き出す。
「二年……そんなに経ってたのか。まさかお前がT-4に乗るとは思ってなかったよ」
「俺だってT-4の四番機に乗れるとは思ってなかったさ。まあ、
「適正があれば俺も戦闘機に乗りたかったんだけどな」
「逆に俺はヘリがよかった」
並んで歩きながら、学とそんな話をする。久しぶりなせいか雑談も弾むし、なんだか懐かしい。
「帰るのは明日だよな? ジッタ、今夜は時間あるか? 久しぶりにメシでも行かねえ?」
「お、いいね! 何を食う?」
学の提案に頷く。何を食べたいか、どこに行くか話し合っていた時だった。視線の先にいたのは黒髪を肩より少し短く切り揃え、黒いコートを着た女性がベンチに座っているのが見えた。よく見る光景で、待ち合わせかベンチの確保だろうと思っていた。
だが、突然その女性がベンチに凭れかかって俯いた。心なしか顔色が悪く見える。……大丈夫か?
「ガック、あの子、具合悪そうじゃないか? あのベンチに座ってる、黒髪の子」
「ん? あ、ほんとだ……大丈夫かな?」
「どうだろう……ちょっと声をかけてくる」
「おいおい、またナンパじゃないだろうな?」
「違うよ」
呆れたようにナンパかと言われてちょっと凹む。ま、まあ、ここ一年ほどは俺自身がブルーインパルスの訓練に夢中で誰にも声をかけていなかったが、昔はよく粉をかけてた。職業柄、続いても一ヶ月しか保たなかったんだからそんなことを言われても仕方がない。
とはいえ、結局『
つーか塩対応ってなんだよ、塩対応って。忙しいんだから仕方ないし、それを承知で付き合ってるんだと思ってたんだが、どうやら相手は違ったようだ。
確かに視線の先の女性は全体的に俺好みの子ではある。しかも体を気遣うためとはいえ、一般女性に声をかけるのは初めてかもしれない。
そして彼女に近づき、声をかけた。
――まさかこれが運命の出会いで、彼女にドハマリすることになるだなんて思いもせずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます