第2話 桜の素性
その時、あのうるさい一群が、ますます大きな声を上げて笑った。店内にいる何人かの客は、不快そうに彼らを見るが、学生たちの暴力をふるいそうに粗野な様子を見て怖じ気づいたのか、誰も注意する者はいなかった。しかし、女の子は違った。彼女は勇敢にも、学生たちに近づき、
「他のお客様のご迷惑になりますから、おやめください」
と、きっぱり言ったのである。
「なんだと!」
どこかで酔っぱらってきたらしい学生の一人が、声を荒らげた。
「俺たちは客だぞ!なんだ、その言いぐさは」
「申し訳ありませんが、他にもお客様がいらっしゃいますから」
「金を払えばいいんだろうが」
「お金の問題ではありません」
学生は、ついに激昂した。
「うるさい!この中国人め!中国に帰れ!」
学生たちは、差別的な言葉を繰り返した。
「日本人みたいな名前で、いい気になるな!どんなに頑張ったって、日本人になれはしないんだぞ!そんなお前が、俺たちに文句を言えた筋合いか!」
「中国人!中国人!」
学生たちは、からかいながら大声で笑った。僕は、我慢できなくなって、女の子を背の後ろにかばった。
「なんだ、お前は。お前も中国人か?」
「僕は日本人だ。でも、お前たちとは違う。お前たちは、恥だ」
学生たちは、僕の言葉を聞くと、いきなり飛びかかってきた。僕は、高校時代に柔道をやっていたので、学生たちを次々に投げ飛ばした。一人が僕に背負い投げされてのびると、他の連中は怖くなったのか、ぶつぶつ何やら言いながら、代金をレジに投げつけて店を出ていった。
「ありがとうございました」
女の子は、少し震えながら礼を言った。怖かったのだろう。でも、彼女は勇気があった。そして、やはり彼女も中国人だったのだ。
「いいんですよ。無事でよかった」
僕たちが話していると、奥からマスターが出てきて、中国訛りを交えた日本語でしゃべった。
「どうなるかと思った。ありがと、お客さん。桜(さくら)、お礼は言った?」
「はい」
「お客さん、今度、麻婆丼、半額にするよ」
マスターは、白い歯を見せて笑った。女の子――桜も、まだ肩は震わせていたが、小さな唇から整った歯並を見せた。僕は、いつのまにか、その笑みに見とれていた。
僕が「朋友」に通うとき、桜はいつも忙しく働いていた。あまり話せなかったが、彼女は先日の事件のことを本当に感謝しているらしく、暇なときには、そっと僕の傍に寄ってきて、軽い世間話をしてくれた。
それにしても、桜の日本語には訛りがない。それに、中国人なのに、桜(さくら)という日本人のような名前であるのも不思議だ。謎めいた彼女の美しさに、僕はどんどんひかれていった。そして、僕は彼女をデートに誘おうと決意した。
「桜さん」
いつもの麻婆丼を運んできてくれた桜に、僕はそっと打ち明けた。
「もし、よかったら、遊びにいきませんか。僕は実験が忙しいけれど、今度の日曜日なら空いているんです」
桜は目を見開いたが、中華鍋をふるっているマスターをちらっと見てから、小声で言った。
「本当は、だめなんですけど……お客さんと一緒なら」
「僕は、石田です」
「石田さん、ありがとうございます。じゃあ、今度の日曜に」
僕は、あらかじめメモしていた携帯のメールアドレスと電話番号を渡した。桜は、うっすら微笑んで、注文票に何やらさらさらと書いていたが、ぴりっとちぎって僕に渡した。それは、彼女の連絡先だった。高鳴る胸を抑える僕を見る彼女の瞳は、光を含んでいっそう輝いていた。
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