第351話 修行③


 祐人は座禅をしている二人の前で自分も座禅を組んだ。


「じゃあ、始めるね。今から二人に僕の〝領域〟に入ってもらう」


「領域?」


 秋華が聞き返した途端に祐人を中心にゆったりとした空気の渦が起こり上空へ上る。

 祐人の髪がふわっと浮き、二人は息をのんでその様子を見つめた。


「修行のために目でも分かるようにしているからよく見て。僕を中心に広がるサークル上の領域が分かるでしょう」


 祐人の言う通り祐人から広がる仙氣の円が風の流れでよく分かる。そしてそれは広がっていき琴音と秋華を円の内側へ置く。

 また、この円の内側に入り込む時、変化するはずのない湿度や気温が変わったような不思議な感覚を肌に感じる。


「僕は霊力も持っているけど仙道使いだ。だから仙氣によって領域を形成しているから二人は初めての感覚だったかな。でも霊力でこれと似たようなものを二人も形成できるでしょう?」


 そこで琴音が「あ……」と声を上げた。


「これは絶対感応域です。三千院ではそう呼んでます」


「私も分かるわ。黄家では自在海(じざいかい)と呼んでいるものね」


「うん、そちらではそう呼んでいるんだね。じゃあ、細かい説明を省くけどこの領域内では僕の術や技の発動がスムーズになる。僕の氣に満ちているからね。それに相手が侵入してきた時にほぼ確実に反応できる。武道で言えば〝間合い〟といったものに近いかな」


「そこは家で聞いているものとちょっと違います。三千院では精霊の掌握が自分に優先される範囲を言います。この中……堂杜さんの言う領域内ではいかなる場合でも術者自身と精霊との感応が邪魔されないというものです」


「私のところではそういうのはなかったな。ただ、この領域を広げることが重要で、とにかく領域範囲を広げる修行を繰り返したわ。この修行だけはめちゃくちゃ厳しくてさぼることも許されなかった。憑依する人外の格が高いほどより広い領域が必要なるって」


「どうやら持っているスキルによって意味合いが変わるようだね。三千院のそれはまるで同じ精霊使いを意識しているようだし、黄家のはまさに【憑依される者】の発動にのみ特化したみたいだ。それ以外には何か聞いてる?」


「いえ、特には」

「うちもそれくらいかな」


「ふむ……繰り返しになるけど二人の家は本当にスキルに関連したことしか考えていないね。スキルがあまりに強力であるが故の結果か」


 祐人は嘆息すると、目を見開きその瞳に力を籠める。


「じゃあ、こういう事態は想定していないのかな」


「はう!」

「うう!」


 突然に襲われる息苦しさに琴音と秋華は苦悶の表情を見せた。

 一体、何が起きたのか彼女たちには分からない。

 ただ、祐人から発せられる圧迫感に気を削がれ、自身の中にあったはずの意欲や覇気が消えていく。


「ど、堂杜さん、これは……」


「今、僕は領域の強度を上げた。二人は考えたことはなかった? もし、相対する敵の領域と自分の領域が重なった時はどうなるか。三千院でいえば精霊の掌握が優先されると言ったね。じゃあ琴音ちゃん、敵も精霊使いで自身に優先されるはずの領域が重なった時、どちらの使い手に精霊は掌握されるの?」


「そ、それは」


 琴音はその答えを持ち合わせていなかった。

 いや、個人としては考えたことはある。

 しかし、三千院ではその点に触れてこなかった。

 中、長距離が得意レンジの精霊使いだ。そういうことを想定しなくなったことがあるのだろう。そのため、長い歴史の中で重要視されなかった可能性が高い。


「僕はそれを見たよ。大祭時に水重さんと毅成さんの戦いで」


「……⁉」


 祐人から出た思わぬ人物の名前に琴音は目を見開いた。

 まさかこんな時に兄の名前を聞くとは思っていなかった。


「二人は超級の精霊使いで且つ能力者だった。その領域の広さも強度も常人の能力者のそれとは別の次元にいたよ。その二人がぶつかった時、精霊はどちらの術者に従うべきか迷っていた。いや、術者同士が精霊の支配権を争っていたかのように見えた」


「それは⁉」


「いいかい、琴音ちゃん。琴音ちゃんがいつか水重さんと相対したとき、話し合うにしろ、説得するにしろ、この領域の強度を上げるのは不可欠になると思う。よく覚えておいて。もちろんそれ以外で、もし精霊との感能力を阻害する能力者と出会った時の耐久力にもなるはずだ」


「……はい」


「次に黄家のそれは高位の人外を降ろすときの器に相当しているんだと想像ができる。でもここでも言えることは強力な領域を広範囲に展開している上位の能力者に出会った場合、下手をすると【憑依される者】の発動を阻止される可能性がある。降ろす人外の格によってどれほどの広さの領域を必要とするのかは僕には分からないけど、頭に入れておいていいね」


 祐人の【憑依される者】の考察は正しい。だが秋華は驚かない。


「分かったわ……お兄さん」


「まあ、大祭時の英雄君の術発動を見る限り、発動スピードが想像以上に早かった。だから黄家ではこの強度の修行が後回しになっているのかもしれない。虚を突いたり距離さえとれば発動できるからね。ただそれは初見で倒していればいいけど、もし再戦する能力者がいて、しかもその能力者がこの点に対策を練ってきたら厄介だ」


 秋華は無言でうなずく。


「ちなみに僕の領域は狭い方。近接戦闘が得意な僕は無用に領域を広げることに意味はない。知っていると思うけど領域は広げれば広げるほど強度は下がるからね」


 これについて祐人は自分自身のすべてを語っていない。

 祐人の最適な領域範囲は仙道使いとしての堂杜祐人の話だ。封印を解いた霊剣師としての祐人はこれに当てはまらない。

 オールレンジのスキルと術を持つ霊剣師の領域は精霊使い並みに広い。


「話が逸れたね。これは今後、活かしてくれればいい。今からの修行はそれとは違う。三千院家、黄家とは関係ない。一人の能力者としての地力を上げる修行だ」


 祐人が一旦、領域を解く。

 すると息苦しさも同時に解かれて秋華と琴音は大きく呼吸をした。


「では行くよ、秋華さん、琴音ちゃん。時間がない、ここからは厳しいよ。僕を普段の僕と思わないで。琴音ちゃんはこっちに移動して秋華さんと距離をとって。そう、そこでいいよ。さあ、自分の家で習った自在海と絶対感応域を形成して」


 休憩などなく、すぐに修行の本番が開始された。

 二人は頷いて目を閉じて己の領域を展開する。

 祐人は二人の領域の形成を確認すると細かく指示を出していく。


「もっと狭くして。それだけでも強度は上がるけど意識して強度を上げるんだ。イメージとしては領域の外郭に硬い壁が構築されている感じだ。それでいてどんどん分厚くなっていくのを想像して。能力者の特徴はイメージの具現化が一般人のそれと比べ物にならないことだよ」


 秋華と琴音は祐人に言われたとおりにイメージを思い浮かべ、自身の領域に命令をしていく。


「うん、いいね。やっぱり二人は勘がいいよ。次に領域内の密度が高まるイメージ。内側にあるものはたとえ戦車でも超水圧によって拉げてしまうくらいの圧力を想像して」


 二人は目を瞑ったまま祐人の指示に従う。霊力をコントロールし想像通りの状態を作り出そうと努めた。


「二人とも外殻が緩んでる! 今言ったことは同時にこなすんだ。中で大量のダイナマイトが爆発してもびくともしない強度だよ。いいかい、明確にイメージして。その中で気持ちよく行動できるのは自分だけだ。それ以外の侵入者は自由を失い、外側へ弾かれる!」


 祐人の檄が飛ぶ。

 その声には問答無用の迫力があり、二人はただ祐人に従う。

 しばらくすると祐人が頷く。


「よし、及第点かな」


 途端に秋華と琴音が領域を解いて手を地面についた。

 息も荒く、全身を覆う疲労感に言葉も出てこない。


「誰が解いていいって言った?」


 祐人の怒気を含んだ低い声に二人は「え?」と目を見開く。


「もう一度、領域を形成! 最低三十分は継続できなくちゃ話にならない。休憩はその後だよ! できないならずっとこのままやってもらう。食事も睡眠もなし!」


「ええ⁉」


「ええ、じゃない! ほら、領域を展開しないともっと苦しいことになるよ」


 そう言うと祐人は先ほどより強力な領域を形成し、二人をその中に引き込む。

 すると強烈な圧迫感と息苦しさで秋華と琴音が吐き気すら催してしまう。


(な、なにこれ。気持ち悪い。攻撃的で私を決して認めないような意識が……)


 秋華がさらに気分が悪くなり右手で口を押える。


「領域とは我の塊だよ。他人と理解しあうようなお花畑空間じゃない。ましてや敵がきて、自分を殺そうって奴と仲良くする気? あり得ないでしょ。自分の我を通せない人間が強くなるわけがない!」


 琴音も顔を青くし、こみ上げるものを堪えるようにお腹に手を当てる。


「二人はね、優しすぎるんだ。いつも周囲の人間の意向を無意識に探っている。自分の希望や欲望は後回し。自分ではない誰かのためを考える。だから本心を隠すように周りを茶化す。おどおどする。無口になる。従順になる。その先に自分の居場所ができると思っていないか? 言っておくけどそんなところにあるわけがない!」


 この祐人の言葉に二人は目を見開いた。

 自分でも驚くほどの怒りが沸き上がり、心無い言葉を偉そうに語る祐人を睨みつける。


「何を偉そうに! お兄さんだって甘ちゃんじゃない! いつも他人に振り回されているのは誰よ! 私たちの置かれた環境も知らないくせに!」


「そうです! 私だって……私だって好きでこんな自分になったんじゃない!」


 激高した二人の視線を受けるが、祐人は全く動じない。

 それどころか目を吊り上げて、さらに領域を強化する。


「「うう!」」


「弱いくせに! 実力もないくせに騒ぐな! 怒るなら自分の弱さに怒れ! 何でこんなことを言われるかだって? 二人が弱いからだよ。弱いから思い通りにならない。実力がないから小手先の対症療法に走る。それでおしまいだ。僕は二人とは違う。僕は強い。強くなった。だから、こうして二人の弱い部分を指摘してもいいんだよ。強者は弱者のくだらない理屈など聞く必要はないんだからね」


「く、くだらないって⁉」

「そ、そんな!」


「なんだよ、悔しいのか! だったら僕の領域に抗え! 抗うには領域を形成するしかない! それで我を通せ! 相手の気持ちなど忖度するな。他人の目を気にしない! 自分だけが重要! 自分だけを守れ! 自分の領域だけが心地の良い空間なんだ! 逃げるなら自分の領域へ逃げ込め。そこだけが自分の主張を許される唯一の場所だ!」


 秋華と琴音はついに嘔吐する。

 しかし、祐人は領域を解除しないどころか徐々に、そして確実に強化していく。

 すると、秋華が口を拭い、鋭い目を祐人に向ける。


「やってやるわよ……。私に偉そうに説教したことを後悔させるわ」


「私も許せないです。力のない者だって意地があります。絶対に抗って見せます!」


「口では何とでも言える。そういう言葉は達成してから言いなよ。じゃないと滑稽を通り越して惨めなだけだ。黄家の秘儀も水重さんもどうすることもできず死んで、生き残った人たちから優しい人だった、と振り返ってもらえばいい。どうせ弱者にはそれぐらいしかできない。そのあとは可哀相な二人の意志を僕が引き継いであげるよ」


 二人はこれ以上の怒りを知らない。

 これほど辱められたことがあるだろうか。

 秋華と琴音は祐人の顔を憎しみを籠めて睨みつけると目を閉ざし、座禅を組んだ。

 すると二人の領域が展開された。

 それは先ほどまで見なかった重厚で強固な領域だ。

 祐人は二人の領域が徐々に自分の領域を押しのけていくのを見て目を細める。


 そして、そのまま一時間が経つと祐人が口を開いた。


「よし、合格だ。次の段階に行く」


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