第125話 変わる日常⑦

「ここが吉林高校か、いや、想像以上に立派な高校じゃないか」


 吉林高校の敷地内にある来賓用の駐車場に到着し、四天寺家所有の車から姿を現した明良は、感嘆するように吉林高校の校舎や校庭を見渡した。


「うん? これは……神気が漂っているね。偶然だろうが……非常に良い立地に設立したようだ。この学校の人気とレベルが高い理由も分かる。朱音様がユニークな学校と仰ったのも、こういうこともあったのだろうな」


 明良は先日、吉林高校に連絡し、吉林高校の校長である高野総一郎への面会のアポイントを取ろうとしたが、いつでも構わないということだったので本日の日程を指定して訪問した。清潔感のあるスーツ姿の明良が校舎に向かい歩いていると非常に目立ち、校内の生徒から注目を集めてしまう。

 吉林高校の入り口で守衛の人から来賓のカードをぶら下げて、明良は校舎入口に入り、窓口で訪問の理由を伝えると本校舎2階にある校長室へ案内された。

 校長室は立派なもので、調度品として中国のものと思われるものが設置されており、明良は校長の趣味なのかと想像してしまう。

 室内には誰もおらず、ソファーでお待ちくださいと言われ、明良は言われるままにソファーに腰をおろした。

 数分すると、校長室の扉が開き、そこから、かなり高齢の和装の男性が杖を突きながら覚束ない足取りで現れた。明良は恐らく校長の高野総一郎だと思い、立ち上がりお辞儀をする。

 その背後には、スーツ姿の初老の男性が付き添うようにしている。


「あ、高野校長でございますか? 本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございます」


 声をかけた明良にその老人は見向きもせず、ただ覚束ない足取りでソファーに向かい歩いていき、明良も戸惑った。すると、代わりに後ろのスーツ姿の男性が応対した。


「いえ、ご丁寧にありがとうございます。そんなに畏まらずに、お座りください……と、校長は仰っております。あ、私は教頭をしております管仲(すがなか)と申します」


「は……はい、ありがとうございます」


 どう考えても、校長らしき老人は何も言ってもいないどころか、表情も変えていないが、明良は細かいことは気にしないようにした。

 校長の総一郎と教頭の管仲が席に着くと、先程、ここまで案内してくれた女性がお茶を持って来てくれた。それぞれの前にお茶と茶菓子の羊羹を差し出すとお辞儀をして部屋を出て行く。

 すると、教頭を名乗った管仲が明良に話しかけた。


「それで今日はどんなご用件で?」


「あ、はい。実は唐突な申し出で申し訳ないのですが、本日は聖清女学院を代表致しまして御校にお願いをしたことがあり、訪問させていただきました」


「ほう……あの名門の聖清女学院の方でしたか。それでお願いとは一体なんですかな?」


 教頭の管仲が受け答えをしている。

 校長の総一郎はというと、出てきた羊羹にすぐに手を出してモグモグと味わうように食べていた。

 明良は内心、これが校長? と思いながらも、聖清女学院の現状と将来の展望、また、共学化という苦渋の決断を見据えていることを丁寧に説明した。

 そして、本題である今回の共学化の前の試験的に男子生徒を短期間ながら招き、校内への影響度合いを見るつもりであることを伝えた。


「なるほど……。あの名門聖清女学院がそこまでお考えとは。ですが、問題化する前に対処をするという決断は素晴らしいですな。現在の学院長されている方はとても聡明な方なのでしょう。ということは……その話の流れですと当校の男子生徒を短期間ながら、編入をさせたいということですかな?」


 明良は理解の早い教頭の反応にありがたいと本心で思う。

 明良は深々と頭を下げた。


「ご明察、恐れ入ります」


「ふむ……」


「モグモグ」


 腕を組む教頭の横では校長の総一郎は他人事かのように、羊羹を味わっている。


「それと、こちらからお願いに参ったにもかかわらず恐縮なのですが、その招聘したい生徒様ですが、実は……」


「ほう……すでに決まっているのですか。どの子です?」


 本当にこの教頭の頭の回転は大したものだと、明良は舌を巻いた。このような人材が教頭でいる吉林高校は今後も安泰だろうと明良に思わせる。

 校長の人の才能を見抜く眼力がすごいのか、または、この教頭が特に秀でていることから自然とこの地位に就いたのか、と明良は自然と校長に目をやる。


「モグモグ……ズズー! (お茶を啜る音)」


「……」


「神前さん?」


「あ、すみません。その生徒というのは……1年D組に在籍されている、堂杜祐人君です」


 カッと校長の総一郎の目が見開いた。

 途端に校長室の中に緊張が走るのを明良は感じ、背筋を伸ばす。


「校長!」


 相当の切れ者のように見えた教頭の管仲が慌てふためくように、校長のそばに移動した。

 明良は驚き、祐人の名前を出したことが問題なのか、と、注意深く二人を観察する。見れば先程まで、ただ羊羹を味わっていただけの校長の目に力が宿っているように見えた。


(まさか! この反応は堂杜君が能力者であることを承知しているのか!? だとしたら、この入り方は失敗か! いや、しかし……そんなわけは)


 教頭の管仲は総一郎の顔に近寄り、深刻そうな顔を見せながら、小声で何やら話し合っている。そして、総一郎は力強く、強張った顔で大きく頷いた。

 教頭の管仲は元の位置に戻ると、真剣な顔で明良に相対する。


「神前さん……」


「は、はい……」


「校長はこう仰られています」


 ゴクリと明良は息をのんだ。明良は主人である朱音に何としても堂杜祐人君を試験生として連れてこいと言われている。しかも、どのような条件を飲んでも良いとまで言われているのだ。失敗は許されない。

 もし、能力者であることが周知されていて、それが問題になっているのなら立て直すのみ、と覚悟を決める。


「その羊羹、食べないのなら頂けないか? とのことです」


「は? ……あ! ど、どうぞ」


「おお! ありがとうございます! 校長、いいそうです! いやいや、神前さんはお若いのに中々どうして、交渉事が上手ですな!」


「ははは……」


 明良は一瞬、思考が停止したが、何とか立て直し校長の前に羊羹を差し出した。

 すると、総一郎はすぐに羊羹に手を出して、口に運ぶ。


「モグモグ……」


「……」


(大丈夫か? この学校……)


「神前さん、申し訳ない。で、何でしたかな?」


「あ……はい。実は堂杜君をお招きしたいのです」


「おお、そうでした! そうですか……では、ちょっと担任の者も呼びましょう。まあ、本人さえ良ければ問題はないと思いますがな。羊羹も頂きましたし!」


 教頭は笑顔で立ち上がると、背後にある電話で担任と思しき人物を呼んでいる。


「はい、高野先生、すぐに校長室までお越し頂けないですか? そんなにお時間は取らせませんので。そちらのクラスの堂杜君のことで……お話が。はい、はい、いえ、羊羹も頂いたので、そういうわけにもいきません。はい、ではお待ちしています」


(……羊羹? 羊羹が良かったのか?)


 明良の考えている交渉とは、まったく違うが、話は良い方向に向かっているらしい。

 気のせいか、少しだけ痛くなった頭を明良は振った。

 暫くすると、校長室のドアがノックされる。

 先ほど、教頭が呼んだ堂杜祐人の担任だろうと、明良は思い、念のために悪印象は残さないように背筋を伸ばし、挨拶の準備をした。


「失礼いたします」


「……」


 思わず明良は息をのむ。

 それほどに今、入って来た女性のその容姿に目を奪われたのだ。

 若干、切れ長の目と眉。そして、スラリとしたそのフォルムに白のスーツが良く似合う。

 その理知的な雰囲気をまとう女性が校長室に入って来た途端に、部屋の中が引きしまったようにも感じた。


「神前さん、彼女が堂杜君の担任……神前さん?」


「あ……すみません! はい」


「彼女が堂杜君の担任の高野美麗先生です」


「高野です。初めまして」


 明良は慌てて立ち上がり、頭を下げる。


「あ、神前明良と申します。お忙しいところ、お呼びだて致しまして申し訳ありません。え……高野? 失礼ですが、高野校長の……」


「はい、娘です」


「な!!」


 美麗の坦々とした応答に、明良はあまりの驚きで言葉を失い、思わず総一郎の方を見てしまう。

 そこには……プルプル振るえながら、相変わらず羊羹をいつまでも味わっている老人が座っていた。

 孫の間違いではないか? いや、むしろ種族違いではないか? と喉まで出てきた言葉を飲み込んだ明良は、次の言葉が出ずに何度も美麗と総一郎を交互に見てしまう。


「それで、どのようなご用件ですか? うちの生徒に何か……」


 そんな明良の反応に興味がないように、美麗は単刀直入に質問をしてきた。

 明良はその言葉に我に返り、未だに納まらない動揺を無理やり隠しつつも、軽く上擦った声で返事をしようとする。


「は、はい。本日は……」


「まあまあ、まず座りましょう」


 教頭の合いの手が入り、明良たちは、改めて着席し、先ほど話した聖清女学院の実情と要望を再度、説明をした。美麗は無表情なまま、その話を聞き、そして、話が堂杜祐人という生徒まで及ぶと明良に目を向ける。美麗と目が合うと明良は何故か緊張してしまい、冷や汗が流れた。


「内容は分かりました」


「はい、それで堂杜君を試験生に招きたいと考えているのですが……」


「私は反対です」


「は?」


「た、高野先生! 神前さんは羊羹をくれたのですよ!?」


 教頭が驚いたように声を上げる。

 明良もこのまま、話がまとまるかと考えていたところだったが、美麗の登場から思わぬ展開になり、顔を硬直させてしまった。


(というより、羊羹はもういいですって、教頭……)


「私は反対と申し上げています。内容は分かりましたが、それでうちの堂杜君を招きたい理由が分かりません。もっと、相応しい生徒がいるはずです。それに彼は生活面に特殊事情を抱えていて、学業面でも他の生徒に後れをとっています。期末試験のあるこの時期に彼を他校に行かせるわけにはいきません」


 美麗の言い分にやや慌てた明良は説明を補足する。


「いや、もちろん、その辺は考えております。試験については吉林高校のものを受けて頂くようにしますし、学業面では全面的にバックアップさせて頂きます。こちらは来て頂くという立場ですので、決してご迷惑はお掛けしません。また、この間にかかる金銭面のことはすべてこちらでご用意させてもらうつもりです。それに何よりも短期的なものです。御校の生徒を奪うわけではありません」


「それでも、何故、彼なのか分かりません」


 全くブレることない美麗。しかも、説明しづらいところを的確に突いてくる。

 また、静かなもの言いにもかかわらず、明良は言葉にならないプレッシャーを美麗から感じていた。


(困った……どこまで話していいものか)


 明良は頭の中で再計算をしはじめる。


(朱音様に何としても連れてこいと言われているんだ。こちらも、どうしても引けないんだが。しかし……何故か、随分と頑(かたく)なだな。しかも、気のせいか堂杜君の名前を出した途端に、そうなった気もする)


 何かを考えているようにしている明良を美麗は静かに観察していた。

 全くの無表情で分かりづらいが、実は美麗は内心、モヤモヤしている。

 その理由は明良の持ってきた提案の内容ではなかった。これを明良が持ってきた提案でなければ受け入れたかもしれない。

 問題は神前明良が交渉に来たということに、美麗は嫌な予感が拭えないのだ。

 正直に言えば生活面で苦しい祐人にとっては悪い条件ではないだろうとすら思う。

 その意味では、本人さえ承諾すれば構わない内容だ。

 というよりも、既に本人には話が通っている可能性が高い。

 だが、美麗はこの話に裏があるように思えて仕方がないのだ。それはひょっとすると、この交渉人である明良でさえ知らないことかもしれないが。

 それは聖清女学院が何かを企んでいるのではと疑っているのではない。先程の話は本当だろう。むしろ、聖清女学院にしてみれば、祐人よりももっと、条件の良い男子生徒を集められるはずだ。

 では美麗が引っかかっているのは何か?

 それは、この話の裏にとてつもなく性質の悪い相手を感じているのだ。


(神前……そして、聖清女学院。ということは……この男は恐らく四天寺家の分家、神前家の人間。ということは……裏にいるのは)


「ぬお!」


「たたた、高野先生?」


 突然、美麗から不可思議な圧迫感が校長室に吹き荒れ、教頭と明良が仰け反る。

 明良がよく見ると、僅かだが、美麗の目が据わってきたように見えた。

 美麗は考えている。

 明良の言う聖清女学院の試験生……今回の話は短期的なもの、という話だが、本当にそうなのか? 美麗にはむしろ、それにこそ裏を感じるのだ。

 何故なら、この話を聞けば、別に四天寺家の従者である神前家の人間がわざわざ出張ってくる必要はまったくない。普通に聖清女学院の人間が来ればいいのだ。

 まるで、祐人の周辺にも同時に探りを入れてきているようなこの動き。

 この粘着ぶりに……美麗は覚えがあり、目を見開く。


(あの巫女狐(みこぎつね)!)


「ひゃ!」


 教頭が髪を乱しながら横に倒れそうになった。

 明良もどういう状態なのかと、額から汗が流れる。


(気に入った人間にはとことん粘着する気質は変わっていなようね。今回、どういった理由で堂杜祐人に目をつけたのか? いや、そんなことよりも、巫女狐が手に入れようと思ったのなら……何をしかけてくるか分からない。堂杜家の人間を、決して渡すわけにはいかない。であれば、この話は決して受けてはならない)


 美麗は覚悟を決め、前を向き明良と相対する。

 明良は一体、美麗の中で何が起きているのかは分からないが、何となく今、朱音の命令を遂行するのに最も壁になる人間が、この美麗だと悟った。

 だが、明良も四天寺家の従者として、しかも、朱音、直々に四天寺の資金を自由に使っても良いとまで言われている。失敗など考えもしていない。


「か、神前さん? どうされました? そんなに緊張されなくても……高野先生も硬いですよ?」


 教頭がただならぬ空気に二人の顔を交互に見て、心配そうに声をかける。さすが教頭という立場に就くだけあって気遣いの男であった。

 因みに校長の総一郎は羊羹を食べ終わり、お茶を啜っている。


(この人は強敵だ。しかし、こちらはお願いする立場……どうすればいい? どう考えても、この人に正面からは勝てそうにない……)


 明良に焦りが見え始めた。

 美麗は表情を変えず、明良を見ている。

 教頭は二人を宥めようとあたふたしていた。


(いや、落ち着け。焦っても良い考えなど浮かばない。なにか打開策は……)


 その明良の目に、横でプルプル震える置物のような校長の総一郎が目に入る。総一郎はお茶も啜り終わり、どこを見ているのか、ただ前に顔を向けて退屈そうにしている。

 どうやら羊羹がなくなったことで、もうこの場に飽きたので帰っては駄目かな、という感じがヒシヒシと伝わってくるものだった。


(ま、まずい……このままでは、話が進まずに終わってしまう! これでは朱音様に会わせる顔が……ハッ! 確か朱音様は仰っていた)



“周りがどんなに騒いでも、校長にだけ話しかけなさい。そして、常にこちらのペースで話せばいいのです。後は主にお金で靡きますよ。あの吉林高校の校長さんは……”


 明良は顔を上げて、校長を見る。

 羊羹がなくなり、退屈そうにプルプル震えている……校長。


(やるしかない!)


 明良は美麗を見ずに、校長の総一郎に体を向けた。

 美麗は無表情だが、よく見ると眉を寄せている。


「校長先生はどうお考えでしょうか? 堂杜君の招聘の件ですが」


「……」


 返事はない、ただの置物のようだ。

 しかも、別に欲しくもない置物のようだ。

 だが、明良は朱音のアドバイス通りに、気にせず話を進めていく。


「はい。もちろん、その場合ですが本人の承諾を得ます。そして、保護者様への説明もこちらからするつもりでいます。そして……」


 置物……いや、校長はプルプル震えている。

 何を考えているのかさっぱり分からない。

 だが関係なく話し続けた。

 明良は目を細め、まるで、利に聡い政治家に相対するような表情で、校長と教頭にわざと何かあるように、僅かにだが時間をかけて見渡した。そして、バッグの中から書類を取り出し、校長の前に差し出す。


「ご協力頂ける場合、御校に対してもそれなりの謝礼を考えております」


「……」


 校長は何も変わらずプルプルしている。

 横から教頭がその書類を見て驚愕した表情になった。


「ここ、これは! こんなに!? 我が校へ? こ、校長!」


 教頭の反応に明良はニヤリと笑う。

 だが……校長は教頭の叫び声を受けても、相変わらずただのプルプル人形だ。

 最低でも何らかの反応があるだろうという、自信のある金額だったのだが、それを見て明良も内心、さすがに慌てだす。


(この置物……いや、この校長に何の変化もない。この金額を見ても何とも思わないのか?)


 ここまで興味無さそうに……というよりも、話を聞いているのかすら分からない校長に明良は戸惑った。

 明良にしてみれば、理解に苦しむのだ。

 この話は自校の大事な生徒にも関係し、そして、先ほど出した書類に記載してある金額は学校経営にも影響を与えるほどのものなのだ。それにもかかわらず、ただプルプルして前を見ているだけの老人がそこに座っているという光景。

 明良の前では美麗が腕を組んで、無表情に様子を見ていた。その姿はまるで、行く道を阻む大岩のような存在感。

 明良は額から汗を流しつつも頭を高速回転させ、とにかく考える。


(な、何かないのか? 起死回生の策は! 朱音様はお金で靡くと言っていたが、違うみたいだ……うん? 主に、お金と仰っていた? 主にとは……。お金で解決できる何か、なのか?)


「あ、校長、口に羊羹がついてますよ?」


 教頭が空気も読まず、そう言いハンカチを取り出し、総一郎の口を拭こうとした。

 その時、校長が動いた。

 校長は澱みない素早い動きで口の端についた羊羹の小さな欠片を探し、それを見つけると……教頭のハンカチに拭かれまいと、自らの口に突っ込む。

 そして……再びプルプルする置物に戻った。


「……」


 明良は、校長をジーと見る。

 そして……ある策が浮かんだ明良。だが心の中で激しく頭を振る。


(いや……我ながら、馬鹿げた考えが浮かんでしまった。いや、でも、しかし、他に考えも……ない。まさかね、まさかとは思うが、このジジイ、いや、この校長は生徒と学校経営よりも……)


 明良は顔を一瞬、悩まし気に歪ませたが、すぐに意を決したように、表情を作り直し、それでも、やや引き攣らせながら、にこやかに笑う。

 そして少々、やけくそ気味に言い放つ。


「あと、羊羹も付けます」


 途端に部屋の空気が変わった。

 教頭の管仲は口をあんぐりと開けて明良を見る。

 美麗は咄嗟に組んでいた腕を解き、今まで決して崩さなかった冷静な顔に僅かながら動揺の色が見える。

 明良はその様子を見てハッとした。


(じ、自分は何を言っているのか!? なんて馬鹿なことを言ってしまったんだ! 生徒にも関わる重要な案件で、羊羹で釣ろうなんて!)


 明良は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、すぐに謝罪をしようとしたところ、今までまったく反応がなかった校長の総一郎が、突然、勢いよく立ち上がる。

 そして眼光も鋭く明良を睨んだ。

 明良はこの吉林高校の教育者の長である校長を怒らせてしまったと、自分の愚かな発言を後悔する。

 校長は、今までのは何だったんだ? という程のしっかりとした足どりで、明良に近づくと……明良を見上げ、今日、初めての声を上げた。


「うちの生徒をよろしく」


「は?」


 OKがでた。




 その後、心なしか上機嫌に見える校長は出て行き、今後の段取りの詳細を教頭と詰めることになった。

 この話し合いに、美麗は口を挟み、ある条件を突き付けてきた。

 それは、堂杜祐人、一人だけの派遣は決してしないということ。

 そして、美麗がリストアップした生徒も受け入れること、だった。

 何としても朱音に祐人を連れてこいと言われたこともあり、また、先ほどの校長との理解不能な交渉が頭から離れず、若干、平常心ではなかった明良はそれを受け入れ、祐人の聖清女学院への短期編入は決定した。

 話し合いが終わると……教頭が明良に近づいて来て、美麗に聞こえないようにしたいのか、小さな声で耳打ちされる。


「神前さん、校長からのご伝言です」


「え、それは……?」


「羊羹は何本? とのことです」


「……」


 明良は適当に返答すると、頭を押さえつつ、ふらついた足取りで、吉林高校を後にした。




 明良が帰った直後、吉林高校校内に生徒の呼び出しの放送が流れた。


“連絡です。1年D組の袴田一悟さん、水戸静香さん、1年C組の白澤茉莉さん、至急、第一面談室にお越しください。高野美麗先生がお呼びです”


 その呼び出しに、すぐに面談室の前までに来た3人は不安そうな顔で待ち、一人ずつ中に通された。

 そして、数分の面談の後、一人ずつ出ていく。

 その時の3人の表情はそれぞれに印象的なものだった。

 一悟は「よっしゃーーーーーーー!」と拳を天に突き上げて、鼻息荒く出て行く。

 静香はワクワクした顔でそれは楽しそうな顔。

 茉莉は、ビシャッと引き戸を閉めて出てくると、やらせはしない! という女騎士のような表情だった。




 3人と面談を終えた美麗は面談室で1人軽く息をつく。


「巫女狐の思い通りにはさせません。このメンバーに期待しましょう」


 このメンバーに託された美麗の思惑……


 一悟には、祐人の秘密を知る人間として、祐人の横に置くのが良いと考えた。

 何かあった時にそういう人間が、そばにいてくれるのは祐人にも有難いはずだ。一悟はああ見えて、頭が回る子だ。

 後は思う存分、好きに行動してもらい、四天寺家の重荷になること。一悟が問題を起こす場合、すべて紹介した四天寺家に返るのだ。

 正直、ただの嫌がらせ。


 静香には、一悟が暴れすぎると、吉林高校の品位に関わるので、目に余る場合、一悟のストッパー役を申し付けた。


 茉莉には、しっかりと祐人に近寄る人間を見張ってもらい、堂杜家を搦めとろうとする動きの防波堤を担ってもらう。堂杜家だけは守らなければならない。

 そして四天寺家の朱音が関わってくるということは、どんなエグイ手でくるか分からない。特に女の武器には要注意だ。それを考えれば、茉莉はうってつけの人材。


 ただ、美麗もすべてを見通す神様ではない。

 この3人がどのように動くのかまでは、分かるわけはなかった。

 だが、それでいいとも思っている。

 この3人は祐人と繋がっている少年少女だ。

 お互いが、お互いに重要な存在だと気づきだしている。

 美麗は人生の先輩として、生きていく上で一番つらいことの一つを知っているのだ。

 それは、掛けがえのない友人や大好きな人に起きた出来事に気付かず、知らず、そして、それに関われずに過ぎ去っていく、ということ……。

 だから、美麗は思う。

 お互いに、この貴重な高校時代にもっと関わり合いなさい、と。

 それで行き着いた結末を、友人同士で見て、感じて、考えること、そのことが、あなたたちの人生の財産となるに違いがないのだから……。


 美麗はフッと笑うと立ち上がり、面談室を後にすると、その足は父でもあり校長でもある総一郎のいるところに向かう。

 その目的は一つ。


 羊羹で生徒を売ったジジイに、生まれてきたことを後悔させるために!


 この時の美麗と廊下ですれ違う生徒たちは、何故か無意識に体を震わせるのだった。



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