第109話 帰還②

 深夜になってから、数刻経ち、祐人とガストンはようやくミンラのすぐ近くまでやってきた。祐人の服はスルトの剣との戦いの後よりもボロボロになっており、祐人は軽くやつれた顔で膝に手をついた。一体、何十キロの距離を走ってきたのかも覚えていない。


「ゼーゼー、やっと……着いた。さ、さすがに疲れた」


「いや~、着きましたね~。でも、思ったより早く着きましたよ、これで休めますね、旦那!」


「何が、思ったより早くだよ! ガストンのせいで寝ずに走りっぱなしだ! 車も壊しちゃって、どうすんだよ! しかも、あの時、山林に突っ込んだときの擦り傷で体中が痛いわ!」


「まあまあ、旦那があんなことを運転中に言うからですよ~。それに旦那なら受け身ぐらいとれたでしょうに?」


「ああ、そうだな! お前が抱きついてなけりゃな! お前はいいよな! すぐに傷が治るんだからな! こっちは山林の斜面を受け身もとれず、何十メートルも転がったおかげで、貴重な服がボロボロだよ!」


 プンプンしている祐人を見ても、ガストンは澄ました表情。そして、ガストンは珍しく険しい表情を一瞬だけ見せると、祐人に体を向けて、口を開いた。


「旦那……一言だけ言わせて下さい。あまり言いたくはないですが、あの力の使用はなるべく避けて欲しいです」


「え……?」


「私たち人ならざる者たちと旦那との繋がりは、非常に強固なものですんで、この互いを繋げる糸は、そう簡単には切れはしません。私たち人外との繋がりは奇跡とも言えるもので、一度の出会い、一度の契約が非常に重いものなので」


 ガストンは、神妙な顔で話し続ける。


「ですが……人間たちは違います」


「……」


「人間たちは私たちと比べてはるかに短い命であるにもかかわらず、他者との繋がりは継続的に触れ合うことで、互いが互いをより深く認知することで強固になっていくんです。もちろん、運命的なものや魂が引き合うこともあります。ですが、通常、人間同士の縁とはそうやって繋がりを育むことでどんどん強くなっていくんです。それは人が生きていく上で大変貴重で、そして、非常に強い力になるものだと、私の一人目の友人であったソフィが……言っていました」


 ガストンの言うソフィ……。

 祐人はガストンの記憶の中で見た女性……ソフィア・サザーランドの姿が思い出された。それは……ガストンにとって、とても大事な、特別な存在であった人、初めてガストンを孤独から解放した女性だ。


「旦那のあの力は、この人の縁の糸を使ってしまいます。もちろん、まだ繋がったばかりの細い糸などは簡単に切られてしまうでしょう。それが、これからどんなに貴重なものに育っていくかも分からないものでも、です。人と人の出会いは力なんですよ。時には歴史すら動かすぐらいに。であるが故に、この貴重な糸を使うあの力は、あれだけ強大でもあるんですよ」


 ガストンの話を黙って聞いている祐人を、ガストンは案じるように見つめる。


「いやあ、私は旦那に辛い思いはして欲しくないですからね。まあ、あんまり、あの力は使わない方が良いって話です」


「そうだね……。ガストンの言う通りだよ。ありがとう……ガストン」


 祐人はガストンの気持ちに心から感謝した。言葉にすると、味気なくなってしまうのがもどかしいくらいに。

 ただ、祐人は今回のニイナの泣き顔が頭に過ぎった。

 そして、祐人は目を瞑り、静かに笑う。


「ガストンの言うことは分かってはいるんだよ。分かってはいるんだけどね……」


 祐人のその表情を見て、ガストンは苦笑いし、息を吐いた。


「まあ、そこが旦那らしいといえば、旦那らしいんですがね~。今のそのボロボロの恰好も、旦那らしいですけどね」


「ぐ! それはどういう意味だよ! 服がボロボロなのは、ほとんどガストンの……!」


「あはは、いや~、今回は災難でしたね~。本当に不幸な事故でした。あ! 私はこれで帰りますんで、日本で会いましょう、旦那。それと言い忘れてましたが、嬌子さんたちも、先に家に帰るって、さっき言ってましたから」


「何が不幸な事故だ! ……え? みんなが? そうなの?」


「ええ、なんか、みんな色々と準備があると仰っていましたよ? だから祐人の旦那に早く帰って来てね、と伝えておいてとのことでした」


「準備? 何だろう? っていうか、ガストンたちって、どこにいても連絡がとれんの? いや、今はそんなことはいい! ガストン、お前は……」


「はい! では、私はこれで!」


「あ! こら! まだ話が! ぐぬぬ……に、逃げやがった~」


 ガストンが姿を消し、ボロボロの恰好で一人、地団太を踏む祐人。

 もう、ガストンを追って説教する気力も沸かない。

 取りあえず、このままではどうしようもないので、祐人はミンラに入り、マットウの家に向かう。

 ミンラに入ると、朝日が昇り始め、ミンラの街並みを徐々に照らし出した。

 ミンラの街並みは、とても妖魔の大群に襲撃を受けたとは思えないほど、いつも通りで、瑞穂とマリオンを中心に、妖魔たちをミンラ内に入ることを許さなかったことが窺える。


「……ふう」


 祐人は大きく息を吐き、ミンラ市街の中心に南北に伸びる大通りを歩きつつ、マットウ邸の大きな門が見えたところで立ち止まった。

 門の両脇にはマットウの兵たちが昼夜を問わず、監視している。通常であれば、このまま門まで行き、中に入れてもらえばよいのだが、祐人は、今の自分ではそれが難しいと悟っていた。

 こういったことは、魔界でも経験済みなのだ。


(どうしたものかな? いや、仕方ない……申し訳ないけど、勝手に入らせてもらおうかな。取りあえず、瑞穂さんとマリオンさんに会ってから、考えよう)


 一瞬、沈みかかった気持ちを拭いた立たせた祐人は、マットウ邸の正面入口を避けて、東側に移動し、マットウ邸の敷地を囲う高い壁を飛び超えて、中に入ることを決めた。


(何やってんだか、僕は。なんか、これ、泥棒みたいで嫌なんだけど……)


 祐人はマットウ邸の東側の壁を、姿を隠しながら、見回りの兵が過ぎ去っていくのを待つ。

 ここで、祐人は大事なことに気付いた。


(やっぱり、これでうまく中に入ったとしても、どうするんだ? 瑞穂さんとマリオンさんが僕のことを忘れていたら……。特に瑞穂さんのことを考えると、大事になりそうな……)


 そう考えて祐人はその場で立ち尽くしてしまう。

 そして、ガストンの言っていた言葉が思い出される。


“あの力は、人の縁の糸を使ってしまいます……”


 だが、祐人はすぐに顔を上げた。

 今は忘れられていてもいいじゃないかと……そして、また思い出してもらえばいい。


(もし忘れていても、あの二人なら……また、思い出してくれる。すぐには無理でも……いつか必ず。いや、また思い出してもらえるように努力しよう。だって、一度は思い出してくれたんだもん、二度目だってあるよ)


 祐人は少しだけ寂し気に、だが、力強く一人頷いた。


「そうだよ、後はなるようになる。うん、正面から行こう!」


「当たり前です、祐人さん。何を一人で言ってるんですか?」


「え!?」


 突然の呼びかけに、祐人は驚き振り向いた。


「マ、マリオンさん!」


 そこには、微妙な顔で目を瞑り、呆れたようにしているマリオンがいた。


「もう……何をしているんですか。心配をして門で待っていれば、遠くからボロボロの恰好の人が見えたんで、まさかとは思いましたが、やっぱり祐人さんでした。それに、こんなコソコソして……何か理由があるのかと私も思わず気配を消してしまいました」


「あ……いや……ほら、僕は……」


「話は中で聞きますから! さあ、行きましょう、瑞穂さんも寝ずに待ってますから」


「え……四天寺さんも……?」


 ちょっと不機嫌な感じのマリオンに言われると祐人は頷き、マリオンに促されるまま、警備兵のいるマットウ邸の大きな門を抜けて中に入って行く。

 祐人は門から屋敷まで続く、この長い道を歩きながら自分の前を歩くマリオンの背中を呆然と眺めていた。

 さっきの自分に対するマリオンの言いようと態度……。

 それは、ミンラからグルワ山に向かう前と変わりがない。そう、まったく変わりがないのだ。それの意味することがどういうことなのか祐人にだって分かる。

 祐人はマリオンの後ろ姿を再び見つめ……拳を握ってしまう。

 今の祐人は、ただ、これだけのことが……たった、これだけのことが、どれだけ嬉しい事か分からない。

 何故なら……自分とまだ、繋がってくれていたのだから。


 そして……今回のスルトの剣との戦いは、ただ、自分の我を通したものだ。瑞穂とマリオンには、その自分のわがままを受け入れてもらい、グルワ山に送り出してもらっている。

 つまり、今回の祐人の行動は瑞穂とマリオンには迷惑しかかけていないのだ。

 それにもかかわらず……この二人は覚えていてくれた。




 祐人はマリオンの後ろで決してマリオンに気付かれないように……自分の泥と埃のついたボロボロのシャツの袖で……静かに涙を拭った。




 そして、前を歩くマリオンは、その祐人の状態を知ってか知らずか……ただ前を向いたまま、目を瞑り、微笑した。

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