第78話 完勝、そして……

 ミズガルドが撃破されたことを、ニーズベックは確信した。

 それは霊力の霧が無くなり始めていることに気付き、その後、ミズガルドに念話を試みるも全く応答がなかったためだ。


(ぬう! あのポンコツは逃げ遅れたか! これではガルムを感知できなくなる!)


 ニーズベックは焦りを隠せなくなった。ミズガルドが撃破されたのは間違いない。ということは、遠距離からの召喚妖魔の操作が出来ないことを意味した。もし、このまま攻撃を継続するのならば、今いる戦場から遠く離れた、そして結界に守られているこの安全な場所から移動しなければならない。

 また、撃破されたガルム以外の妖魔たちを再召喚し、マットウの部隊に向かわせたくとも、着く頃にはミズガルドの霊力の霧のない状態。それでは正確な感知及び操作が出来ないため、新戦力を投入できない状態に陥った。

 つまり、ニーズベックの選択肢は2つ。一つは、リスクを冒し、自身が自分の召喚した妖魔を感知、操作のできる距離まで敵に近づき、マットウを狙うか、二つ目はリスクを取らずに手を引くか、というものだった。

 そして、今はそれ以外にもニーズベックにとって予想外のことが起きていた。


「ええい! このエクソシストの小娘もちょこまかと小賢しい! 戦う気があるのか!」


 ニーズベックは、自分の切り札でもあるガルムを召喚したにもかかわらず、そのガルムをもってしても、マリオンに阻まれ、マットウに近づけないでいたのだ。

 マリオンの防御主体のエクソシストの術にニーズベックは攻めあぐねていた。その意味で、ニーズベックもミズガルドの損失如何に関係なく、思い通りに事は進められていない。

 だが、ミズガルドがいない今、この霊力の霧が完全に晴れるのは時間の問題である。それがニーズベックの感情を余計に逆撫でしていた。

 その機関のAランカーであるマリオンのガルムに対する対処は非常に巧妙だった。

 ガルムが咆哮を上げながら、マリオンに襲い掛かると、マリオンは迷わず引きながら光の聖盾を何重にも展開し、ガルムの行く手を阻み、そして、逃げる方向は決まってマットウのいる部隊の反対の方向だった。

 そして、ニーズベックが、ガルムにマリオンを無視してマットウに向かわせようとすると、マリオンはこれを執拗に追撃して、ラファエルの法衣から出した短剣でガルムの四肢を中心に背後から攻撃する。

 マリオンがラファエルの短剣を投げ、ガルムの後ろ脚に刺さると、ガルムの脚は強力な聖属性の浄化作用でドロドロに溶け、転倒し、ガルムはその機動力を奪われてしまう。

 マリオンはガルムの脚に刺さったラファエルの短剣を光の糸で自分の手元に引き寄せると、無表情に挑発する。


「エクソシストに後ろ姿を見せる魔獣なんて、もうダメダメですよ? プライドはないんですか? 大きなワンコちゃん」


 マリオンの戦いの最中とは思えない穏やかな言いように、ガルムは怒り狂いマリオンに突進する。


「あら、怖いです」


 マリオンはそう言うと、ガルムを挑発した言葉は一体どこへやら、エクソシストであるマリオンは魔獣に背を向けて逃げる。光の聖盾を幾重にも展開することを忘れずに。

 このマリオンの戦い方はニーズベックにとって非常に煩わしいものになった。

 ニーズベックはガルムが傷を負うたびに、魔力と生贄を使いガルムを修復している。

 つまり、マリオンはニーズベックのガルム召喚の代償を知ってのことか分からないが、ニーズベックにとって非常に分の悪い消耗戦を強いていたことになった。


「このぉぉ小娘ぇぇ!」


 ニーズベックの怒りに任せた叫び声はマリオンには届いてはいないが、ガルムの戦い方に召喚士の焦りのようなものをマリオンは感じる。


(これは、状況が動いている?)


 そしてこの時、マリオンは霊力の霧が消えかかっていることを感じとった。


(こ、これは……霧が……? 祐人さんたちが敵の霊力系能力者を捉えたんですね!)


 マリオンはそう考えると、一瞬だけこの少女らしからぬ笑みを見せる。

 すると、突然マリオンは今までの戦い方と打って変り、立ち止まる。そしてマリオンは、自分に襲い掛からんとしているガルムに相対した。


「もう……時間稼ぎの必要はなくなりました」


(は? この小娘は何を言っている……?)


 ニーズベックはこの少女の言葉の意味が分からない。


「私の目的は2つありました。一つは護衛兵の皆さんの撤退の援護。もう一つは、あなたをここに釘付けにすること……。ですが、もうやめます。分かります? この意味が?」


「ゴアアアア!」


 ガルムは牙を剥き、吠えながらその十数トンある巨体を跳躍させ、マリオンの頭上から爪を突き出す。その巨体にのしかかられるだけでも生存確率はゼロに近い。それに加えてマリオンの身長を超えるほどの大きさの爪が、その体を引き裂かんと迫った。

 だがマリオンは、その場から微動だにしない。

 ガルムという巨獣の狂爪が、マリオンの脳天に直撃する、その時……

 ガルムの全体重を乗せた爪がまるで滑るようにマリオンを避けて、マリオンの左右の僅か横数メートルのところの地面をえぐった。

 ガルムの体重で激しい振動と地響きを起こすが、マリオンは体勢を全く崩さず、下方からガルムの顔を見上げた。


(な! 一体、何が!?)


 ニーズベックはガルムの目を通し、エクソシストの少女を見下ろした。


(な、何だと?!)


 ニーズベックは驚愕した。

 マリオンは光の聖盾を自身の頭部から、半開きの傘のような角度で展開し、ガルムの直線的な攻撃を光の盾で滑らしたのだ。受ける接地面の角度を変えることでガルムの爪の重圧を減弱させ、逸らし、その力を横に逃すという、勇気と自信がなければ出来ない芸当だった。

 相当な胆力がなければ出来るものではない。


「戦っていて私には分かりました。ワンコちゃんを倒すことは出来るなって。でも、変に倒して、また多数の妖魔を召喚されて瑞穂さんのところに行かれても困るなって思ったんですよ。私たちの今回の目的はこの霊力の霧を出す元凶を撃破することだったんですから」


 マリオンは柔和な表情でニッコリと笑う。


(だから何を言っている! この小娘が!)


 ニーズベックがマリオンの言うところの意味が分からず、生意気なエクソシストの少女に、再度、ガルムに攻撃の命令を出そうとするが、そこに、祐人がマリオンの背後の木々の間から飛び出してきた。


「マリオンさん! 無事ですか! は!?」


(チッ! 増援か! もう、これ以上長引けば、霧が薄くて感知できなくなる!)


 瑞穂のところから、マリオンの援護のために山林の中を駆け抜けてきた祐人は、ガルムの真下にたたずむマリオンを見て、驚愕する。

 だが、マリオンはガルムの下で祐人に振り向いて微笑んだ。


「大丈夫です、祐人さん。このワンコはもうお終いです」


「へ? ワンコ?」


 マリオンは祐人にそう言うと、ラファエルの短剣を右手に掴み、それを上方にいるガルムの顎の方に向けた。

 すると、マリオンから光を伴う穏やかな風が発生し、その柔らかな風はマリオンのみならずガルムの巨体をも包み込み始める。


(な! ガルムが動かん! 何だ! この小娘は何を! こ、この術は……?)


 援護に来たはずの祐人は、その場で呆けたように、マリオンから発せられる強力でかつ、清浄な霊力がその短剣に集約していくのに目を奪われ、そして、ついには見とれてしまった。

 マリオンの霊力を受けた短剣はその刃の部分が光を放ちつつ伸長していく。そしてその短剣は、もはや、短剣というよりもレイピアに近い形状になった。


「行きます。暗き底に帰りなさい、ワンコちゃん」


 マリオンの目に力が籠る。

 マリオンはフワッと跳躍すると、そのレイピアを動けないでいるガルムの下方から、その何人もの屈強な兵を屠った強靭なガルムの顎をいとも簡単に突き刺した。そしてマリオンは、それに留まらず、一気呵成にガルムの下顎から喉元へ振り下ろす。そのレイピアはそこに何の障害もなかったように弧を描いた。

 そして、ラファエルの法衣を纏ったマリオンは、まるでエメラルドの羽のように着地した。

 祐人はその一連の流れをただ見ているだけだった。すると、マリオンはガルムに背を向け、短剣に戻った刃をエメラルドとマカライトに散りばめられた鞘に納め、祐人のいる方向に楚々とした表情で歩いて来る。


「祐人さん、終わりました。 瑞穂さんと合流しましょう」


「え!? う、うん、そうだね」


 そう答えつつも祐人は見た。祐人に近づいて来る、そのマリオンの背後で高位魔獣ガルムの体が縦に真っ二つに割れ、その裂け目からは光が溢れだしている。そして……その光がガルムは全身を包むと、ガルムは跡形もなく消滅してしまった。


(す……凄い)


 祐人は呆然としてマリオンに目を移す。今、祐人の前にいるマリオンは新人試験の時とは別人のように見えた。

 だが……祐人はこのような場面を魔界で数度、経験したことがある。

 命をかけた修羅場を経験した者、または自分よりも強い敵と相対し生き残った者たちが、まるで階段を駆け上がるように成長していく様を……。

 祐人はマリオンの柔和な顔に目を向ける。


(まさか、ただ一回の……新人試験のガストンとの闘いがマリオンさんをここまで成長させたのか? だとしたら……この人は、戦闘において稀代の才能を有していると言っても……)


「祐人さん?」


「あ、ああ! ごめん! 行こうか」


「はい!」


 マリオンは戦いの疲れを見せない笑顔を見せた。




 祐人とマリオンが瑞穂と合流のため、移動を開始した頃、テインタンは草木の間から、姿を現し、かつてはミズガルドであったろう炭の塊を発見した。

 既に瑞穂もその場にはいない。恐らく既にマットウの本隊へ向かったのだろうとテインタンは考えると、衝動的にミズガルドの成れの果てに走り寄る。


「ミ、ミズガルド様! あああ、なんてお姿に……」


 テインタンはミズガルドの前で両手を着き、大きな声で嘆いた。


「ミズガルド……様? 今、様って言ったわね、テインタンさん、いえ、テインタン!」


「ハッ」


 誰もいないと思っていたテインタンの背後から少女の声がかかり、慌てたテインタンは後ろに振り向く。

 そこには……世界能力者機関のAランカー、四天寺瑞穂が立っていた。




 マットウの部隊が襲撃を受けて数刻経った頃、ミレマーの事実上の支配者であるカリグダはティーカップをソーサーの上に落としかけた。


「何だと! それは本当か!?」


「はい、事実でございます」


 ミレマー首都ネーピーにある元帥府の応接室でカリグダは大きな声を上げた。

 今、カリグダの前にいるのはフード付きのコートを着た頭髪のない男が座っている。


「これをご覧ください」


 ロキアルムはそう言うと、カリグダに一枚の写真を差し出した。それをカリグダは受け取ると、その写真を見て垂れた目を大きく広げる。


「こ、これは……!」


 その写真には若きの日のマットウとグアランが笑みを浮かべて立っている。そして、その間には日に焼けた肌をした優し気な表情を浮かべる女性が、赤ん坊を抱いていた。

 ロキアルムはニヤっと笑う。


「はい、どうやらグアラン閣下は最初から元帥を裏切っておられたようですな」


 怒りの形相のカリグダは腹に蓄えた脂肪を振るわせて、写真を握りしめた。




 そして……そのカリグダとロキアルムの密談が行われている同時刻。

 このミレマーでは珍しい欧米人と思われる長身の男が、さほど大きくない街の小さなホテルのロビーにある、これまた小さなラウンジでコーヒーに口をつけた。そして、目の前にはミレマーの女性……というより少女が座っている。何とも奇妙な組み合わせの客だった。


「おお、意外とコーヒーも美味いですねぇ~」


「ありがとうございます。ニイナお嬢さまもコーヒーは如何ですか?」


「いえ、もう私は行きますので」


 そのミレマーの少女は礼儀正しく背筋を伸ばして受け答えする。その所作からも良家のお嬢様なのだろうなと容易に想像が出来た。

 このホテルのオーナーはこの欧米人とこの少女を見つけると、慌てたように自らこの二人に挨拶に来ていた。

 というのも、この少女はこの町の重鎮の一人娘なのだ。このホテルのオーナーとしては最大限の扱いをしなくてはならない。


「では、興味深いお話しありがとうございました」


「いえいえ、またお会いしましょう。お父上にもよろしく」


「はい、我が父、マットウも今日の話は益になるものです。改めて、次回は私どもの屋敷まで是非、お越しください」


「はい、その節はお伺い致しましょう」


 ニイナは立ち上がると軽く会釈をし、お付きのSPと共にホテルを出て行った。

 ホテルのオーナーは軽く汗を拭くと、マットウの一人娘と面会をするという、その不可思議な人脈を持つ欧米人に顔を向ける。


「失礼ながら、お客様は外交官か何かで? 見たところ記者の方でもないようですし、ご旅行でもないですよね? 今、ミレマーは少々不穏ですし……」


「ただの一般人ですよぉ。いや~、ここにはですね、ちょっと私のご主人……いや、友人を待っていましてねぇ。その方はとても忙しいようですので、私がちょっと手伝いにね? でも、いい街じゃないですか、このミンラという町も」


 その客は、くすんだ銀髪の下から彫の深い目を垂らして愛想の良い顔をした。ホテルのオーナーもそれ以上は詮索しなかった。そもそも、ホテル家業の人間としてはお客の素性を直接探るようなことはしてはならない。

 それにマットウの一人娘であるニイナをこんなところに呼び出し、面会をするということが出来るというのは、相当な人なのだろうとも思えたのだ。


「お客様にそう言って頂けると嬉しいです。昔はもっとのどかだったんですがねぇ。今は民主派の兵たちが見回っていてちょっとピリピリしてるんですよ」


「そのようですねぇ」


 この客が笑いかけるとホテルの主人は、突然、楽しそうに、初対面とは思えないほどに気を許し、町の人間しか知らない事情や噂話までペラペラと話していく。

 それをこの客はにこやかに頷きながら聞いていた。ホテルのオーナーは一通り話終えると、その客に頭を下げる。


「では、なにもお構いできませんが、ごゆるりとして下さい。ガストン様」


「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ~?」


 ホテルのオーナーが奥へ引き返すと、ガストンはもう一度、コーヒーに口をつける。


「祐人の旦那、案の定、遅いですね。やっぱり襲われてるんですかね? まったく旦那は……。やっと舞い込んだ初依頼からとんだことに巻き込まれるんですからねえ。本当に割の合わないことばかり引き込む人ですよ、旦那も」


 ガストンはため息を吐くが、顔は嬉しそうにも見える。


「でも、これからは私がもう少し楽をさせないとですね~、友人として。早く旦那に伝えなくてはならないことが、いっぱいあるんですよ。あの敵の能力者たち、そしてマットウさんとグアランさんの関係をねぇ」


 ガストンは祐人に会うのが待ち遠しくてたまないように、一人ニヤけた顔をした。


「祐人の旦那、褒めてくれるかな~? 今、この国は民主化どころか、存亡の危機になってるなんて情報を教えたら。結構、私も頑張りましたもんね~?」


 ガストンは鼻歌を歌いながら、またコーヒーに手をのばすのだった。

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