第20話 トンボ玉の道しるべなり
干からびた大地の上で、一人の少年が呆然と座り込んでいた。
少年の目の前には一人の女性が倒れている。つい先程、命の灯火を消したばかりの女性が。
女性の右手は少年に向かって伸びており、その手には丸いガラス玉のついたブレスレットが握られていた。
少年が地面に倒れている女性を見つけたのは、たまたまだった。
「あんた、なんでこんなところに倒れてるんだ?」
「んー……? あらぁ、はじめまし、てぇ」
「ハジメマシテ」
「わた、しはねぇ。も、う……うごけないん、だぁ」
「……死ぬってことか?」
「そ、うだね。しんじゃうねぇ」
大規模な災害と凶作をきっかけに始まった世界大戦に巻き込まれ、両親を亡くした少年、
「死ぬ、か」
それは天心の身近に存在するものだ。天心の両親も死に負け、すでにこの世からいなくなっている。しかし、天心は両親が息を引き取る姿を目にしてはいなかった。だからこそ、死にかけている女性の様子に驚いたのだ。
――人間が死ぬ時は、こんなにも苦しい表情をするものなのか、と。
しかし女性は苦しそうな表情をしながらも、どこか安心したような表情をしていた。
「死ぬの、怖くないの?」
「んー? あ、ああ。しぬの、ねぇ」
「うん」
「こわい、かなあ。うん、こわいよ、うな、きがする」
「そっか」
「でも、ねえ。しんだ、らね。おとーさんと、おかーさん、おじーちゃ、んに、おばーちゃん。ともだちに、も、あえるようなきがする、んだぁ」
――そう言われてみれば、そうなのかもしれない。
女性の言葉を聞いた天心は、自身も死んでしまえば両親に会えるのではないかと思った。しかし、死ぬとはどういうものなのだろうか。
死んでしまえば何もなくなってしまう。先に死んだ両親に会えるかもしれないが、本当に会えるのかは分からない。死んだところでなんになるのか、天心には理解ができなかった。
「きみは、しぬのこわ、いの?」
「分からない」
「そっか、あ」
「うん」
「それじゃあ、わたしのか、わりに、いきてく、れないかなあ?」
「あんたの代わりに?」
「そー」
それは天心にとって思ってもみない言葉であった。
自分の代わりに生きてほしいなど、言われたことはない。死んだ友人の母親には、友人の代わりに死ねばよかったと言われたことはある。けれど、女性はそれとは反対の言葉を天心に投げかけたのだ。
「……俺が生きて、なんになるんだ?」
「えー? じぶん、で、かんがえな、よ」
「それが分からないから、あんたに聞いてる」
「めんどう、なこ、だなあ。……そうだね、え。きみがいき、てくれた、らぁ」
「俺が生きたら?」
「わた、しがうれしい、なあ」
「……は?」
「ふふっ。だ、から……、いきのこって、ね……ぇ」
最期に「これ、あげる」と言って、女性は息を引き取った。
女性の右手の中には丸いガラス玉のついたブレスレットがある。ゆっくりと手を伸ばし、天心は女性の手の中からブレスレットと抜き取った。
――これが何になるというのだろう。売って、生きていくための資金にしろとでもいうのだろうか。けれど、戦争で何もかもが高騰している時代に、ブレスレット一つ売った金などすぐに尽きてしまうだろう。
ブレスレットを握りしめながら、天心はこれからどうしようかと思い空を見上げた。真上に広がる空は雲が多く、遠くに見える雨雲がそのうちこの干からびた大地を潤すのだろう。しかし、それで天心の生活が改善するというわけではない。
その時、ブレスレットについたガラス玉が光を放ち始め、天心と女性の二人を包み込んだ。
肌を刺すような光が収まり目を開くと、天心の目の前には女性の遺体と見たこともない植物がそこら中を覆っている様子が見えた。先程までいた干からびた大地とは違い、天心の手に触れる地面は湿り気を帯びた柔らかい土に変わっている。思わず見上げた空は雲一つない快晴で、天心はまるで夢を見ているような気分に陥った。
――いったい、何が起きたのだろう。
「何かと思えば、またお客さんかぁ」
突然背後から聞こえてきた声に、天心は驚いた。
振り向いた先にいたのは女性と同じ年頃に見える、十五、六歳ほどの白髪のヒト。少年のような、女性のような、性別の分からないヒトは、青磁色の双眸を細めながら天心と女性を見下ろしていた。
「君たちはどこから来たんだねぇ?」
「えっ、と。あの」
「って、そこに倒れているのはテティスじゃないかぁ。……もう死んでるねぇ」
「あの、その」
「君は……、フェルトリタ大公国の子だねぇ。テティスと共に来たならベイリーウス王国の子かと思ったけれど、その様子じゃあたまたま出会ったといったところかなぁ」
「そ、そうです」
「そうかいぃ」
そう言ってその白いヒトは、テティスと呼ばれて女性に近づき、その遺体を抱き上げた。
「ついておいでぇ」
「は、はいっ!」
天心は白いヒトに言われるがまま、立ち上がって歩き出す。天心と女性のいた場所はどうやら庭だったようで、少し歩いた場所に小さな家が現れた。
家の扉は白いヒトが近づくと、カランコロンと音を立てて一人でに開く。そのことに驚いた天心が呆然と立ち止まっている間に、白いヒトとその腕に抱かれたテティスは家の中へと姿を消した。慌てた天心が急いで家の中に入ると、扉はまたカランコロンと音を立てながら一人でに閉じていく。
家の中には、白いヒトとテティスの姿はすでになく、天心の目には雑然とした空間が広がっていた。
カウンターやいくつかのテーブルとそれを囲む複数の椅子。壁際には一人がけのソファが置いてあり、何故か大きな熊のぬいぐるみが座っている。天井には様々なモノが吊され、壁を覆う棚や窓際にもよく分からないモノが置かれており、ここがただの家ではないと天心は気づいた。
家の中を見回しながらその場に立ち竦んでいると、カウンターの奥から白いヒトが現れる。
「そんなところに立ってないで、こっちに来て座りなよぉ」
「あ、はいっ!」
天心はまたも白いヒトに言われるがまま動き出し、カウンターを挟んで白いヒトの向かい側に腰を下ろした。
「さて、始めましてぇ。僕はこの雑貨店の主だよぉ。店長とか店主とか、大将とかマスターとか好きに呼んでもらって構わないからねぇ」
「は、い。じゃあ、店長って呼んでも、いい?」
「うん、いいよぉ。さ、君の名前を教えてくれるかなぁ?」
「う、うん。俺の名前は天心。あの人、ててぃす? から、このブレスレットをもらったんだ」
「ああ、そういうことぉ。君がこれをもらったのかぁ」
「うん。なんか……あげるって、生き残ってねって言われて」
「そりゃまた、テティスの言いそうなことだねぇ」
そして天心は、店長からブレスレットについての説明を受けた。
テティスの瞳と同じ空色をしたガラス玉――トンボ玉のブレスレット。トンボ玉にはテティスの名前、そしてその周囲にノコンギクと流水が浮かんでいる。店長曰く、その花はテティスの好きな花でトンボ玉を作る際に自身の名前とその花を入れるように頼まれたのだとか。ノコンギクの花言葉は守護、忘れられない想い、長寿と幸福。流水には守護の魔術式がきざまれており、トンボ玉のブレスレットはお守りとして作られたものだった。
「うーん、まあ、そうだねぇ。天心、君には選択肢が二つあるぅ」
「せんたく、し?」
「そうさぁ。一つはそのブレスレットを僕に返して、テティスがそれを買った際に払った金額を受け取って生きていくことぉ。それほど高い金額ではなかったけれど、本来の持ち主であるテティスがすでに亡くなっているし、君はまだ幼いから割り増しで渡してあげようじゃないかぁ」
「……これを、返す」
「そしてもう一つはそのブレスレットを僕に返さず、自分自身のお守りとしてテティスから受け継ぎ生きていくことだねぇ。その代わり、これからの君の生活は僕が支援してやろうぅ。どうだいぃ?」
店長は天心と目を合わせ、問うてきた。
――これからどうすればいいのだろうか。天心は考えなければいけない。テティスにもらったブレスレットを店長に返し、割り増しで返すと言われたブレスレットの代金をもらって一人で生きていくのか。それとも、ブレスレットを返さず店長の世話になるのか。
天心はまだ十歳。両親を亡くしてから今まで一人で生きてきたが、正直なところ死ぬという意味が分からず、両親が物言わぬ肉塊になってしまった後もそのうち起きて追いかけてくるだろうと思っていた。死ねば追いかけてくることも、話しかけてくることもなくなると気づいたのはそれからしばらくしてからだが、やはりそれでも死ぬという意味が分からなかった。
ただ、死ねば空腹や恐怖から逃れられるのではないかと漠然と思っていたのだ。だからこそ、テティスの死を目の前で見届け、自分の代わりに生きてほしいと言われたことで怖くなった。つい先程まで声を交わしていた人が死ぬ。気づいた時には両親が息を引き取っていた天心にとって、初めて感じる恐怖だった。
「店長」
「なんだいぃ?」
「これ、ててぃすがあげるって言ってたんだ」
「……そう聞いたよぉ」
「うん。俺にあげるって、俺に自分の代わりに生きてほしいって言って……」
「それじゃあ、そのブレスレットは君が持っているといなよぉ」
「え、でも」
「でも、じゃなくて持っていなぁ。テティスがあげると言ったなら、それは君のモノさぁ。ってことで、これから君の世話は僕が見てやろうぅ」
「……うん」
「まあ、安心しなよぉ。生きるすべは全て叩き込んでやるからさぁ」
「わ、分かった。頑張る」
「うんうん、いい目をするじゃないかぁ。それにしても、感情面が不器用すぎる子は久しぶりに見たよぉ」
そうして天心は、店長のもとで同じように戦争から逃げてきた子どもや大人、老人たちと共に生活を始めた。
料理や掃除、洗濯の仕方は大人や老人たちから習い、魔法や魔術は店長から習う。大人や老人たちは天心たち戦争のように幼い子どもたちに厳しくも優しかったが、店長は飴が一割、鞭が九割となかなか厳しいヒトだったとかなんとか。
「そのおかげで医者になることができたけど、やっぱり十歳のガキにあの修行はキツすぎないか?」
「死んでないから問題ないよぉ」
「いやいやいや、そういう問題じゃないって!」
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