第14話 其は夢紡ぐ梅扇なり
「
「すみません、師匠」
「すみませんと言えば現状が変わるのですか? いいえ、何も変わりません。いつもそう言っているはずですが?」
「はい、その通りです」
「ふぅ……。踊り子になりたいと思う気持ちは分かります。しかし、自身の才能の有無についてはそろそろ理解したのではありませんか?」
「……」
師匠からの言葉は正論だ。――そう思いながらも、涼花は踊り子になるという夢を捨てきれなかった。
涼花が踊り子の道を選んだのは、とある祭りの舞台で華やかに軽やかにしなやかに過激に舞う女性たちの舞を見たことがきっかけである。その日のうちに両親や祖父母に頼み込み、舞台で踊っていた女性たちが通う養成所に入ることができたのは奇跡だと涼花は後に語る。
当時はこれで女性たちのような素敵な踊り子になれると思っていたのだ。しかし、涼花は同時期に入所した子たちや後輩たちよりも人一倍物覚えが悪く、舞の基礎を習得するのに時間がかかり後輩たちに馬鹿にされていた。
後輩たちが次々に舞の基礎を習得して、次の段階へ進んでいく。そんな姿を見つめながらも、涼花は彼女たちの物覚えが良いのであって、自身の物覚えが悪いとは思いもしなかった。その中で後輩たちが陰で涼花を馬鹿にするような言葉を何度も聞けば、嫌でも理解する。
舞の才能がないと、踊り子には向かないと、必死になって可哀想だと何度言われただろうか。しかしそれでも、涼花は踊り子になる夢を諦められなかった。
その中で師匠から告げられた言葉は、特に涼花の胸に深く刺さる。同年代の子たちから受けた言葉よりも、強く痛みを感じたのだ。
「――それでは、僕がその子を引き取ってもよろしいですか?」
「あら、スタニック。来ていたのね」
「ええ。先輩が久しぶりに舞台で舞うと聞いたので、これは行くしかないと思いまして」
「そう。……それで、この子を引き取るとはどういうことかしら」
うつむく涼花の背後から、男性の声が聞こえてきた。
彼の名前はスタニック。現在は梅廉国で踊り子を育成する養成所を開く、涼花の師匠の弟弟子である。
師匠曰く、スタニックが舞うのは梅廉国に伝わる伝統的な舞だそうだが、涼花はスタニックの存在を名前しか知らなかったため、これが初対面であった。
「その子が先輩の言っていた、踊り子になるために頑張っている子でしょう?」
「ええ、まあ……そうね」
「けれど、舞の才能はない。努力家ではあるが、踊り子になるという夢は現実的ではないとかなんとか」
「そうなのよねえ。誰よりも努力しているのは分かりますが、思考と体がつながっていない。二つがそろえばもっと成長するとは思うのですが、この子の年齢ならばすでに養成所を卒業しているところ。今後のことを考えれば、ここが人生の分岐点でしょう」
「なるほど。夢を諦めずに努力を続けるか、夢を諦めて現実を見るか……ですね」
二人の会話は涼花にとって耳の痛いものだった。しかし、その中で師匠が自信の努力を認めてくれているということは、嬉しいことだ。
涼花はこれまで、師匠から「貴女は努力している」などと面と向かって言われたことはない。養成所で共に学ぶ者や、すでに卒業しプロの踊り子となっている者の中にもそういないだろう。
「だからこそ、僕はその子が欲しい」
「えっ……」
「はぁ……。涼花、貴女は休憩に入りなさい。話の続きはその後です」
「は、はい!」
涼花は師匠に言われるがまま、その場から離れて壁際へ向かう。しかし耳は、師匠とスタニックの方へ向いていた。
「さて、どういうことかしらスタニック」
「どうもこうも。先輩が努力家だと認めていて、この年までずっと面倒を見ていたその子――涼花を僕の養成所に引き取りたいと言っているのです」
「何故?」
「何故と問われましても。僕はその子に才能を見出しているのです、梅廉国伝統の舞のね」
「……そう、そういうことね。貴方は涼花が梅廉国でならば、踊り子になれるというのね」
「はい。彼女の舞を見させて頂きましたが、どうやら彼女はフェルトリタの舞に体がついていけていない。フェルトリタの舞は激しい動きが多いですからね。しかし、しっとりとした舞は覚えがよく、誰よりも早く習得するそうじゃないですか」
「つまり、フェルトリタ大公国伝統の舞とは正反対の、梅廉国伝統の舞ならばあの子も立派な踊り子になれる――と言いたいわけね」
スタニックはその言葉に笑みだけを返す。それを見た涼花の師匠はため息をつきながら、「いいでしょう」とつぶやいた。
「涼花」
「は、はい師匠!」
突然、師匠に名前を呼ばれた涼花の声は思わず裏返ってしまう。しかし師匠はそれを気にした様子はなく、涼花の方を見ていた。
「貴女、梅廉国へ行く気はありますか?」
「梅廉国、ですか?」
「ええ、そうです。私の弟弟子であるスタニックは梅廉国にて、現地に残る伝統の舞を教えています。私がフェルトリタ大公国伝統の舞を貴女たちに教えているように」
「…………」
「そこへ行けば、貴女は踊り子になれるかもしれません。彼の言う通りなのだとすれば、私のもとで燻ったまま踊り子を目指すよりは、貴女の夢が叶う可能性が高いでしょう」
「あ、ちなみに僕の教え子になっても先輩の教え子じゃなくなるってことではないよー。君の師匠が二人になるだけ、それだけの話さ」
それは涼花にとってうまい話であった。もしもスタニックのいう通りだとすれば、梅廉国で涼花の夢である踊り子になれるかもしれないのだ。
ここで努力を続けるか、現実を考えて夢を諦めるか。それとも梅廉国で夢を叶えるか。涼花はしばらく考え、師匠へ視線を向けた。
「……分かりました。師匠、私は梅廉国で踊り子になってみせます。そしていつか、師匠の前で素晴らしい舞を披露します!」
「いいでしょう」
涼花の師匠はいつもならば見せない柔らかな笑みを浮かべ、涼花を抱きしめた。「頑張りなさい」と一言告げられ、涼花も同じように抱きしめ返した。
それから一ヶ月後、涼花は梅廉国にあるスタニックの養成所に立っている。幼い少年少女に交じりながら、梅廉国伝統の舞の基礎を身につけるためだ。
踊り子として必要な基礎はすでに習得していたが、それがフェルトリタ大公国伝統の舞に必要なもので、初めて習うものが多い。しかし、不思議と体は自由に動き、スタニックから学ぶことは涼花の師匠のもとにいた時よりも身につきやすかった。
それは物覚えが悪いと言われてきた涼花にとって、驚くべき出来事だ。
「これまで習ってきた舞は、君に向いていなかったというわけさ。舞にも人によって向き不向きがあるからね。先輩は早々に気づいていたようだけれど、努力家な君を見て、もしかしたらいつか踊り子として大成するんじゃないかと思ったんだってさ」
「フェルトリタ大公国で踊り子になるには、絶望的だったみたいですけどね」
「そうだねー。でも、君を僕に任せたってことは、梅廉国の踊り子にならばなれるのではないかと希望を見出したのさ。さて、きっかけは僕だけど、君の舞の根底には先輩の教えがある。先輩からの言葉はキツいものが多かっただろうけれど、それがあるからこそ君はこの地で踊り子になれる」
「はい、先生」
「いいかい。君は僕の教え子だけど、先輩の教え子でもある。僕たち二人の教えをもとに、素晴らしい踊り子として人々に舞を伝えるんだ」
「分かっています。私があの日、踊り子になりたいという夢を持ったように、今度は私が誰とも知らぬ子たちの夢の先に立ちます」
「うん、いい子だ。それでは君にこの扇を贈ろう」
それはスタニックが一人前の踊り子となった教え子たちに渡すモノ――梅が描かれた扇であった。
舞の妖精の加護がかけられた扇には、様々な魔術式が刻まれているが、主なものは守護の魔術式だ。これから踊り子としての道を無事に歩めるように。厳しい現実の中でも、どこまでも舞を追求できるようにとの願いが込められている。
「梅の主な花言葉は高潔、忠実、忍耐だ。涼花、僕と先輩の可愛い弟子。――踊り子として高潔でありなさい。舞に忠実でありなさい。忍耐強くありなさい。けれど、無理は禁物だ」
「はい!」
「これを選んだのは僕だけれど、買ったのは先輩だ。僕と先輩から贈る、一人前の踊り子としての証。大事にしてくれよ?」
「もちろんです。師匠と先生、私を応援してくれる二人からの贈り物を大事にしないわけがありません」
「よし、いい子だ。それじゃあ共に舞おうじゃないか」
「はい、先生!」
踊り子になりたいと願った少女は、その後、梅廉国に伝わる伝統的な舞の踊り手の第一人者として歴史に名を残したという。
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