第三章

第十五話 他力本願

 朧が真剣に刀を打っている頃、紫音は唸りながら英語と格闘をしていた。


「だからこの文は、『想像することの重要性は』で始まって――」

「そもそも単語の意味がわかんないんだけど……、誰か英和辞書貸して……」

「なんだ英和辞書って」


 大きな布を広げてそこに腰を下ろす紫音とフェルナンは、火の魔法書を仲良く二人で覗き込みながら何やら言い合っている。

 そう、紫音の英語の勉強が全くと言っていいほど進まず。魔法の実践ができていないのだ。


「あんた、頭悪すぎるだろ」

「……とりあえずさ、フェルナン」

「なんだ」


 何も言い返せない紫音は、しばし黙ったあと、魔法書をフェルナンに押し付けながら重い口を開いた。


「……読んで、くれませんか」

「…………」


 紫音より断然背の高いフェルナン。図らずしも見上げる形になっているが、当の本人は特に気にしておらず、真剣にフェルナンを見つめている。

 見上げられているフェルナンは、右の手のひらを目の上に当てて、しばらくの無言ののち大げさに深いため息を吐き出した。


「だ、だめかな?」

「……今はしょうがないか。だが少しずつ覚えろよ?」


 ため息とともに、仕方ないなという響きを含んだ声を出したフェルナンは、ポンと紫音の頭を優しく叩いた。

 鋭い爪の生えた大きな手。だが、その爪が当たらないように配慮されているため、肉球のフニッとした感触だけが紫音の頭に残る。

 フェルナンの手にも、紫音のサラサラとした感触が残り、急に気恥ずかしくなって顔を背けた。


「んん! じゃ、じゃあ早速やるか」


 誤魔化すように咳払いをしたフェルナンに紫音も頷く。


「お、お願いします!」


 フェルナンが読むことによって、格段に上がったスピード。

 イメージの重要性や、効率よくイメージする方法など、しつこいくらいにくどくどと説明文が書かれた魔法書を、フェルナンはスラスラと朗読する。

 重くなる瞼をなんとかこじ開け、紫音は耳に届くフェルナンの声に意識を向けているが、夢の世界はすぐそこだ。


「——と、ここまでが初級も初級、ファイア・ボールのやり方だが……お前、寝てたな」

「お、起きてたよ。ギリギリ」

「素直だな。お待ちかねの実践だろ? やってみろ」


 聞いてなかったであろう紫音を見下ろし、挑戦的な視線を向けたフェルナン。ムッとした顔をした紫音は、意気込んで立ち上がる。


「まず……形、大きさを決める」


 ゆらりと揺らめく火の玉。浮かぶのは、怪談話に出てきそうなあれだ。


「そして、色」


 温度が高ければ高いほど火は青。であれば青かなと、紫音はイメージした火の玉に青く色をつけていく。


「それを、呪文で固定」

「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃないか」


 ちゃちゃを入れてくるフェルナンをスルーし、紫音は再び口を開く。


「……ファイア・ボール」


 空に向けた右の手のひら。その上に出てくるイメージをして、慎重に呪文を唱える。

 ぼっと小さな音がして、急激に熱くなる手のひら。だが、紫音の意識は目の前に現れた火の玉に向けられていて、熱さはさして気にならなかった。


「一発目で成功か、つまらんな」

「褒めてよ、せんせ」

「ふんっ」


 ブンブンと左右に揺れる尻尾に笑いつつ、紫音は再び揺らめく火の玉を見つめる。

 使えたのだ、魔法が本当に。

 手のひらに伝わる熱が、青い火の玉の奥で揺らめく木々が、嘘ではないと伝えてくる。


「ここまで出来れば、初級魔法は呪文だけで理解できるだろ。歩きながらやるぞ」


 立ち上がったフェルナンが、敷いてあった布をたたんで荷物にしまっている。


「これ……どうしたらいいの」

「イメージ、だろ」


 敵もいないのに投げられない。不安げにフェルナンに視線を向けるれば、ウィンクが返ってきた。


「イケメンわんこ」

「俺は狼だ!」


 サッと消えた火の玉。

 いつかと同じやりとりをして、二人は笑い合いながらマッカレルへと足を進めるのだった。

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