第20話 残された手紙

  謙信は、毎日酒に溺れていた。


「おい……酒を持って参れ。酒が足りんぞ」


「……殿。このように毎日飲まれると……お体に障ります」


「……うるさい。酒だ……早う持って参れ! 」




  伊勢を亡くした後の謙信は、酒で辛さを紛らわそうと、毎日深酒をしている。



 国衆がいざこざを起こし、それをおさめるために出陣した時でも、馬上で酒を飲む程、酒に溺れている。


 いくさの後、いつもならそこに住む民をいたわり、配下である家臣たちによる略奪・虐殺を決して許しはしない謙信であったが、酒の勢いと我が身の不幸で今では見て見ぬ振りをする始末。


 謙信自身の命も惜しくはないのだろう。戦では、先陣を切って戦っている。



 そんな・・荒れくれた日々が続く中……。


 ある日、林泉寺の天室光育てんしつこういくが謙信を訪ねてくる。




「謙信殿、おひさしぶりですな」


 謙信は朝から酒を飲んでおり、すでに酔っていた。


 和尚を見て、思い出したかのように一通の手紙を取り出す。




「おう……和尚、息災にしておったか。そうだ……伊勢から手紙を預かっておった。伊勢は、国許に帰ると決めた時、二通の手紙を書いたのだ」


「ほほぅ。一通は謙信殿に……そしてもう一通はわしにですか……」


「そうだ。これが和尚宛のものだ」



 和尚は手紙を受け取り……


「この場で伊勢殿の手紙を読んでもよろしいですかな? 」


「かまわん。なんと書いてあるのか教えてくれ」


 手紙を読みあげる。


「和尚様、このようなふみを差し上げることになるとは、思ってもおりませんでした。わたくしは、これより国許に帰ります。わたくしが帰ることは謙信様もご存知ではありません。この世では、夫婦になることは許されませんでしたが、仏門に入ったわたくしが唯一出来ることは、謙信様のご無事と今後の幸せをお祈りすることだけでございます。謙信様のおそばにいらっしゃる和尚様。どうぞ……わたくしの切ないこの胸の内を謙信様にお伝えください。そして……謙信様をお守りください。いつかまた和尚様とはお会いする機会もありましょう。……その時は、時の経過とともに、わたくしの悲しい曇った心も晴れていると信じております。それには……謙信様がご無事でいてくださる事こそが、わたくしの願いなのです。どうぞ……どうぞ……謙信様に、ご自愛くださいとお伝えください」


 謙信は……黙って聞いている。


「謙信殿……伊勢殿は、謙信殿のことをこのように、今でも心配なされておりますぞ……」



「わかっておる」



「……して、謙信殿に残された手紙にはなんと書いてあったのですか」


「伊勢の手紙には……剃髪して仏門に入ったのは自分の意思だと書いてあった。誰も責めてはならぬと……。この世では夫婦になれないが、と信じている……だからこの苦しさにも耐えられると……」


「……謙信殿。ご自愛くだされ。これが……伊勢殿の切なる願いですぞ」




 和尚は、謙信に一体の観音菩薩かんのんぼさつを差し出す。


「謙信殿……この観音菩薩を伊勢姫様と思いなされ」


「……和尚。仏門に入ってすぐ、母の代わりと言って観音像をくれたが、今度は、この観音像を伊勢と思い……祈れと云うのか? 」


「そうです。祈りは苦しみから助け、時空をも乗り越えられるのです」




 春日山城に、祈りの場・毘沙門天びしゃもんてんが作られたのはこの時である。


 伊勢の化身であるこの観音菩薩を祀った謙信。一人静かに毘沙門天にこもることが多くなった。

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