第10話 すっぱい梅干。
謙信は、伊勢の手を引いて町の通りを歩き出した。
壼がたくさん置かれている店の前で立ち止まり、そのまま伊勢を連れて中へ入る。
「いらっしゃいませ」
「謙信様にと京の都から取り寄せた特別な梅を用意しております」
謙信はこの店の常連のようで店の主人が、謙信の顔を見るなり話し出す。
「そうか……では頂いていこう」
「あの、謙信様。梅がお好きなのですか?」
「ああ、酒のつまみにはぴったりだからな」
「この京の特上梅、おひとつ味見をしますか?」
店の主人が大きな粒の梅干しの小瓶を二人に差し出す。
謙信が梅干しを一粒とり、ひとかじりし残りを伊勢の口へと運んだ。
可愛く潤んだ唇がちょこんと開き、謙信の指先を舐める。
「……あっ、しょっぱい。……でも美味しい」
「梅ぼしだぞ。しょっぱいに決まっておる。……ハハハ」
大声で笑う謙信。……店主はそんな謙信を初めて見た。
◇ ◆ ◇
「伊勢……これから
謙信と伊勢は馬にまたがり、林泉寺に向かう。
「和尚!
「これは、これは謙信殿。おひさしぶりですな」
「和尚……美味しい梅干しを持ってきたぞ。酒はあるか? 」
「おやおや、いきなり来てお酒とは……謙信殿らしいですな」
和尚は、小坊主にお酒を持ってくるように手で合図する。
「ところで、謙信殿。ご一緒に来られたこちらの姫様は?」
「ああ。伊勢と申す。和尚に伊勢を会わせたくてわさわざ連れて来た」
伊勢は和尚に笑顔で挨拶する。
「伊勢……俺は7つの時から元服させられる14の時まで、この寺で育てられた。一生仏門の世界で戒律を守り生きると決めていた。だが、病気の兄を助けるために元服した。戦うことが定めとなり、俺は戒律を破り殺生を犯したのだ。だから、その他の戒律を厳しく自身に課した」
「そうだったのですね」
ちょうどその時、小坊主がお酒を運んできた。
「さぁ、謙信殿、お飲みなされ」
和尚が酒をすすめる。
伊勢は運ばれたとっくりを手に、微笑みながら謙信にお酒を注いだ。謙信は注がれたお酒を一気に飲み干す。
和尚は、その様子をじっと眺めている。
「……和尚。俺は間違っているか?」
「謙信殿。謙信殿は現世に生きているのです。仏を思う心を失わなければ、意のままに生きて良いのですぞ」
「……そうか」
「謙信殿は真面目な性格で小さい時から律儀な子でした。母上から突如離され、この寺に来た時から私が仏門を教えて来ましたが、謙信殿ほど熱心に学んだ者はおりません」
和尚は、二人の顔をじっと見つめ……また口を開いた。
「……謙信殿、伊勢姫様には観音菩薩のような佇まいを感じまする。それにしても……謙信殿と伊勢殿。なんとまぁ……未来永劫お二人は一緒ですぞ」
「伊勢……和尚には時空を超えた予知能力があるのだ。その和尚が言う言葉だ。もう迷うこともないな」
伊勢の顔がぽっと赤く染まった。
「伊勢殿。……伊勢殿とはこれから先も謙信殿同様に長い付き合いになりそうですな……」
伊勢は、謙信の誠実さを嬉しく思い、微笑んでいる。
「天室光育様。今後ともよろしくお願いします」
伊勢と謙信には、天室光育和尚の見えていた未来など、わかるはずもなかった。
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