第十八話
「どちらに行かれるんです?」
男に連れられてやって来たのは横浜駅だった。
てっきり用があるのは横浜の街だと思っていた私は、男の顔を見上げて尋ねる。
買った切符の一枚をを私に手渡しながら男は言う。
「今日は新橋まで行ってみましょう。
ユメは東京に行ったことはありますか?」
「いいえ……東京に行かれるんですか?」
突然にどうしたんだろうと思う私の心配を他所に、男は軽くうなずいて言った。
「少し遠出をしたくなりました。
知っていますか、ユメ。
この横浜と新橋を結ぶ鉄道建設の現場指導をしたのはイギリス人なんですよ」
「ええ、聞いたことはあります」
「建設が始まったのは、丁度僕が日本に来ていたときのことです。
残念ながら、完成の前に僕は帰国することになってしまいましたが。
今日はこれで東京見物に行きましょう」
「東京見物……?」
「ユメは東京ははじめてなのですね。
僕にとっても随分久しぶりの東京になるので、一緒にいろいろ見て回りましょう」
そう言って、男は呆気に取られる私に構わずさっさと駅舎に入ってしまった。
人波の中に男の後ろ姿を見失いそうになって、私は慌ててその後を追いかけた。
日本の中心、東京はさすがに大きい。
横浜と結ぶ新橋の駅でもまた、列車の発着と共に入れ違う人と物、そのにぎわい、熱、きらきらしい様子に私は圧倒されてしまった。
男は身軽に人波をぬって歩いて行く。
浮かれたようにずんずん進んで行ってしまうその足取りに追いつけず、行き交う人に押された私はとっさに声を上げた。
「……ミスター!」
私の声に男が振り返る。
その青い瞳がいつになく暗い。
家での消沈した様子から、一転して急に躁人めいた浮ついた行動。
そのちぐはぐな態度が私を不安にさせた。
「すみません。ついひとりで先走ってしまいました」
私のところに戻ってきて、男が申しわけなさそうに言う。
私は首を横に振って、
「いえ、こちらこそ申しわけありません。
人の多い場所は慣れないものですから」
「そうですか。それでは……」
男は何を思ったか、私と肩が触れるほど近くに並んだ。
そして、私に腕を差し出して言う。
「どうぞ、僕の腕につかまっていてください」
かっと、私の頬が熱くなった。
慌てて首を横に振ったが、男はやんわりとした口調で言う。
「どうぞ遠慮なく。
日本の習慣には合わないでしょうが、この方がいい」
「ですが……」
「あなたが僕につかまっていてくれれば、僕はあなたの歩調に合わせられるし、二人がはぐれてしまうこともありません。
それとも、手をつなぐ方がいいでしょうか?」
子供扱いされた。
そう感じて、私の頬はますます熱くなる。
私は意を決して男の言葉に従った。
ぎこちなく、男の腕に手をかける。
腕を触れ合わせ、ぴたりと寄りそってこの男と歩くのは、恥ずかしいとだけでは言い表せない心地がした。
頬の熱はいつまでも引かない。
胸の中でもぐるぐると熱が渦巻いて、足元までもおぼつかなかった。
「ユメはどこか行ってみたい場所はありますか?」
「いえ、私は特に……」
「日本チャリネというものが評判らしいですよ。
イタリアの本物のチャリネには及ばないでしょうが、とても人気があると聞きました。
それとも、浅草公園の凌雲閣がいいでしょうか。
上野公園のパノラマ館か、銀座の煉瓦街を歩いてみるのも楽しいでしょうね」
浮かれたように男の話すことを、私は半分は聞き流していた。
そして、心の中では別のことを考えていたのだ。
昔のあなたはこんな風に、「チヨ」と街を歩いていたのですか、と。
「ユメ、人力車に乗ってみませんか?
それで街を走りながら、どこへ行くか決めましょう」
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