御伽の住み人

佐武ろく

第壱幕:人と御伽

【1滴】小さな運命の歯車

 混じりけのない白髪は少し長く好青年な印象を与える髪型。シミひとつ、汚れひとつなかったであろう真っ白なワイシャツと白いスーツパンツは今となっては血に汚れていた。上から三つのボタンが外れたシャツからは首につけられたリングのネックレスが顔を出し呼吸に連動して揺れている。その際に時折、内側に刻印された【F-M】という文字が光を反射し輝いていた。

 そんな男の右手に握られていたのは柄頭が蛇頭形の剣。その剣はまるで何かの呪いを宿しているような禍々しさを纏っていた。

 そしてこの男と対峙していた男が一人。

 左耳で僅かに揺れる十字架のピアス。右手に握られていたのは赤と黒で彩られた鍔の無い太刀。そして黒いスーツパンツとワインレッド色のシャツを着た黒髪の背中。

 二人はそれぞれ武器を構えると、同時に動き出し武器を振り上げた……。




 仕事を終え深夜の並木道を歩く六条優也。彼の冷え切った片手に提げられたコンビニ袋は歩くリズムに合わせ揺れていた。

 そして口元まで覆ったマフラーの隙間から呼吸に合わせて漏れる白い息がその日の寒さを物語る。そんな寒さからマフラーに加えスーツの上に着たコートで身を守っていた。


「また残業引き受けちゃったよ」


 ため息交じりで零れた愚痴からは彼の人の好さが垣間見えた。それに加え今まで一度も染めたことのない黒髪の清潔感ある髪型と整った顔に漂う少し自信なさげな雰囲気から彼の大人しめの性格が窺える。

 そんな優也は鼻歌を歌いながら自宅に向かっていた。しばらく歩き続けマンションに着くと階段など見向きもせずエレベーターに直行。目的の階のボタンを押すと疲れを吐き出すようにゆっくり息を吐いた。


「ふー。今日も疲れたなぁ」

 

 そう呟くと早く着けと言わんばかりに位置表示器へ視線を向ける。しばらくして到着の合図と共にドアが開くと、すぐにでも家に帰りたかった彼は開ききる前にエレベーターを降りた。そして少し早めの足取りでいくつかの部屋を通り過ぎると一番端のドア前で足が止める。。ここまでの間に取り出していたカギのおかげでドアはスムーズに開けられた。


「ただいまぁ」


 小さな疲れ声はあっという間に室内の暗さへと吸い込まれ消えていった。

 だがそんな日常には気にも留めず、玄関を上がって真っすぐリビングに向かい電気をつけると、ソファにジャケットと鞄を放り投げネクタイを緩めながら真っ先にカーテンを閉めに向かう。

 しかしそれは片側を閉め終えもう片側に手を伸ばした時だった。彼は視界の端で僅かな違和感を捉えた。気のせいだろうと無視することも出来たが、その違和感を確かめる為に彼は視線を向けた。

 だが彼の目に映ったのは予想すらしない光景。

 そこにはベランダで座り込む人影があった。帰宅しカーテンを閉めようとしたらベランダには座り込む人影がある。そのあまりにも奇怪な出来事が身に降りかかっているにも関わらず優也は不思議と冷静だった(というよりあまり理解出来ていなかっただけだ)。落ち着き冷静にその人影を観察していた。

 室内からのおこぼれのような光に照らされたその人影は黒のレザージャケットと黒のジップパーカー、その下に黒いインナー、下にはスラっとした脚のラインが分かる黒いスキニーパンツを穿いている。そして足にはショートブーツを履いているのがなんとか見えた。

 だが俯いた顔は光のおこぼれをもらえておらずよく見えない。しかし見た目から恐らく女性。その理由のひとつとして左脇腹に添えられているバングルを付けた手が細く綺麗で女性的だったからだ。

 だがそんなことより重要なのは優也が一人暮らしだということ。当然ながら家に他の人が居るはずもなくましてやベランダで誰かが座り込んでいるなど想像すらしたことのない出来事だった。

 そして現状を一つ一つ改めて理解していくうちに段々とこれが異常でありえないと言うことに気が付き始めた。その所為かハッキリと見えているにも関わらず見間違いだと言い聞かせ優也は人影を数秒見た後、一度顔を逸らしてみる。この時、幽霊という単語が思い浮かんだがそれは怖すぎると無理やり頭の隅に追いやった。

 そして一度逸らした視線を再び戻すが彼の双眸には同じ光景が映し出されていた。しかしまだ信じきれない優也は次に右頬を摘みゆっくり捻ってみる。


「いっつっ!」


 痛みを感じたことでようやく現実だと認めた。というよりは認めざるを得なかった。

 そして恐々としながら窓を開けしゃがむと肩へ手を伸ばしてみる。指先がジャケットに触れその感覚が伝わると少し手を引いてしまったが、すぐに肩を掴み軽く揺らしながら声をかけた。

 そんな行動を取りながら優也は意外にも終始冷静な自分に内心驚いていた。それは異常な現状ではあったが不思議と目の前の人物から恐怖の類を感じなかったというのもあるのだろう。


「あのー、すみません。あのー」


 だが返事がない。どうしようかと考えながら一旦手を離した優也だったが、引いた手と一緒に女性は人形のように一切抵抗せず倒れその体を彼は慌てて受け止めた。この時、中からの光に顔が初めてハッキリと照らされた。黒いショートヘアに透明感のある健康的な肌、両耳では十字架のピアスが揺れている。

 そしてそんな女性のクールな雰囲気の顔に赤色の液体が付いていることに気が付いた優也。

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