他に太刀の構えを用いる事
他に太刀の構えを用いる事(五輪書風の巻)
太刀の構えを重視する流派
構えとは、敵が未だ居ない時の用心であって、戦いの最中にするもので無いから、其れを重視するのは間違いである。
こうで無ければいけないという決まりを作る事は兵法においては役に立たない。
常に兵法とは、相手にとって都合の悪い様に工夫を巡らせるものである。
敵が混乱したその時につけ込んで勝ちを得るのであるから、構えという先手を待つ様な後手の態度を嫌う。
太刀を良く構え、太刀を良く受け、良く弾いたと思っても、所詮は受けである。
例えるなら、砦を守る側が砦の柵で敵を防いだ後、柵の棚木をわざわざ抜いてから槍で反撃しなければならない状態である。
見解:二天一流においては特に『居着き』を嫌うので、初めから特定の構えを選ぶというのはしません。宮本武蔵始祖曰く『敵に行き合う前は自然に太刀引っ提げるべし』と云った具合です。
では何故五つの構があるのかといえば、考え得る太刀の置き所を普段から認識する事で、有事の際は自然にその太刀遣いを行える様にする為なのです。型や演武に出て来る状態というのは実際の運用とは違うものです。
あれらの構えはいつ使うかといえば、あくまでも敵の状態次第なのであって、構えを固定するというのはありません。常に変化する一瞬が構えなのです。
原文:他に太刀の構えを用いる事、太刀のかまへを専にする所、ひがごとなり、世の中に、かまへのあらん事ハ、敵のなき時の事なるべし、其の子細は、昔よりの例、今の世の法などとして、法例をたつる事ハ、勝負の道には有るべからす、其のあいてのあしきやうにたくむ事なり、物毎に構えと云う事は、ゆるがぬ所を用いる心なり、或ハ、城をかまゆる、或ハ陣をかまゆるなどハ、人にしかけられても、つよくうごかぬ心、是、常の儀也、兵法勝負の道においては、何事も先手先手と心懸る事也、かまゆると云う心は、先手を待つ心也、能々工夫有るべし、兵法勝負の道、人の構えをうごかせ、敵の心になき事をしかけ、或いは、敵をうろめかせ、或いは、むかつかせ、又は、おびやかし、敵のまぎるる所の拍子の理を受けて、勝つ事なれば、構えと云う、後手の心を嫌う也、然る故に、我が道に有構無構といひて、かまへはありてかまへはなきと云う所也、大分の兵法にも、敵の人数の多少を覚へ、其の戦場の所を受け、我が人数のくらいをしり、其の徳を得て、人数をたて、たたかいをはじむ事、それ合戦の専也、人に先にしかけられたる事と、我人にしかくる時ハ、一倍もかはる心也、太刀を能くかまへ、敵の太刀を能くうけ、よくハるとおぼゆるは、槍長太刀を持て、柵にふりたると同じ、敵を打つ時ハ、又さく木をぬきて、槍長太刀につかふほどの心也、能々吟味する事有るべき也
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