百人一首 第四十一首 恋の歌
相田 渚
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
本州と四国地方の間に広がる瀬戸内海。
昼間はどこまでも高い空と穏やかな海と無数の島々の青や緑のコントラストが、夕暮れ時は赤々と染まる空と波の様子が、夜は宇宙のような海と空に散らばる満点の星々の宝石のような美しい煌きが、世界中から「絶景」と褒め称えられている。
そんな「絶景」を、日常風景としていた愛媛の暮らしから、高いビルがそびえたち、海も星も見えない県に引越しをしたのは小学校高学年のころだった。
今までの環境と180度変わったせいか、それとも大人しい性格のせいか、転校して暫くたっても、忠は全く友達ができなかった。
そんな忠に声をかけてきたのは、クラスの中心人物だった兼盛である。
忠の大人しい性格とは正反対の活発で明るい兼盛だったが、絶妙な距離感を保つコミュニケーション能力のおかげか、兼盛とともにいるのは心地が良かった。兼盛も、忠と波長が合うと感じたのか、自然と二人は共に行動するようになった。
そのため中学に入って兼盛から誘われたサッカー部にも、未経験にもかかわらず半ば流されるように入部してしまったのだ。
兼盛はその活発な性格通り運動神経も良いらしく、また経験者ということもあってすぐに即戦力として採用された。
運動神経はそこそこに良い忠はこつこつと練習を重ね、一年の終わりにはベンチ入りをしていたが、あくまで「兼盛が怪我をした時の代役」という役目だったために、ついに引退まで出番はなかったのだった。
実力自体は、そこまで変わらないはずだ。
タイミングが遅かったのだと、忠は臍を噛んだ。
自ら積極的に行動するタイプでも、誰かに触発されるタイプでもないはずだったが、仲が良く、そして実力が拮抗しているからこそ、初めて忠はライバル心を抱いた。
中学の頃の消化不良な思いを一刻も早く解消しようと、高校では入学してすぐにサッカー部に入部届けを提出した。ただ、毎年インターハイに出場している強豪校のため、結局一年生の間はポジション争いなんてできなかった。
だから、忠にとって「高校二年生」とは、やっとスタートに立てる年でもあった。
数ヶ月先のインターハイのスタメンに入れるよう、二、三年生の部員はここ数日ずっとピリピリしている。
兼盛も最近は遅くまで練習しているようだ。
でも、僕だって負けない。必ずあいつに勝ってインターハイに出るんだ。
大人しい性格故、周囲に触れ回ったりはしていないが、忠は静かに闘志を燃やしていた。
◇◆◇◆◇◆
「っしゃいやせー」
早朝。
いかにもだるそうなコンビニ店員の声を背に、入店した忠は鮭とツナマヨとおかかのおにぎりとパックの牛乳を手に取り、次いでパンコーナーに向かった。
あ、また会った。菓子パンの子だ。
焼きそばパンとコロッケパンとクリームパンをカゴに入れながら、忠はちらりと横を見た。
同じ高校の制服を着た黒髪のボブカットの少女が、あんぱんとチョコクロワッサンを手にしゃがみこんで唸っている。
二年生にあがってからほぼ毎日このコンビニで彼女と出会うが、毎日菓子パンを選んでいるので、忠は勝手に「菓子パンの子」と呼んでいる。
同学年には違いないがクラスが一緒だったことはないし、廊下で見かけた時は男子と一緒に大声で騒いでいたり、昼休憩は廊下側の窓際の席でギャルとお昼を食べていたのを見かけた。
どう考えても忠と気が合うようには思えず、また一方的に忠が知っているだけのため声をかけるのは躊躇してしまう。
結局今日も忠は声をかけることもせずさっさと会計を済ませ、学校へ向かっていた。
これが兼盛なら「最近よく会うな~」なんてぐいぐい話しかけるんだろうけど。
まぁ、兼盛は校内の人気者だから急に話しかけても、相手が兼盛を知らないってことはないだろうしなぁ。
そう思うものの、彼女とはコンビニですれ違うだけの関係に過ぎないのだ。
それより忠にとって気にするべきはこの後の朝練だと、気合を入れなおした。
◇◆◇◆◇◆
こころのところ、窓際の席というポジジョンをいいことに、兼盛は授業中よくグラウンドを眺めていた。そうかと思えば、いつもは忠やクラスの男子達と騒ぐく休憩時間を、たまにふらふらと一人姿を消すことが増えた。
コミュニケーション能力が高い兼盛は、そうした小さな変化をうまく隠していた。
「最近の兼盛、変だ」
だが、付き合いの長い忠にはその変化は大きな違和感を抱かせていた。
兼盛のような会話スキルがない忠は、昼休憩に最後のおにぎりを頬張りながら、直球で疑問をぶつけた。
「授業中はぼんやり窓の外見てるし、休憩時間どこか行くこと多いし…」
「なんだ忠、寂しいのか?」
「誤魔化すなよ。部活では今のところいつも通りだけど、この先君が部活中もぼんやりしたって僕は手を抜いたりしないからな」
にやにやと笑う兼盛にぴしゃりと反論すると、兼盛は気まずそうに口を閉じた。
ざわめく教室内で、誰も忠達の会話を気にしていないことを確認した兼盛は「ちょっと来い」と忠を連れ出した。
忠達のふたつ隣のクラスの手前まで来て足を止めた兼盛が、目で合図をしてくる。
指された通りにC組の廊下側の窓際の席を見てみると、見慣れた黒髪ボブの女子がいた。以前見たときと同じ、茶髪のギャルと昼ごはんを食べているようだ。
「あ、菓子パンの子」
「は?菓子パン?」
「いや、こっちの話。…それで、あの子がなんだって言うのさ」
そう問いかける忠に、兼盛は周囲の声にかき消されそうなほど小さな声で答えた。
「…お前だから言うけど…簡単に言えば、恋煩い、的な」
「はぁ?…えっ、あの子達?どっち?」
「…黒髪ボブの方。ちなみにソフトボール部で麻耶って名前」
「…へぇ」
「なんだよ」
「意外だなぁって。どちらかというと、兼盛が好きなタイプは友達のギャル系の方だと思ってた。君のファンも皆あんな感じだし」
「ファンじゃねぇよ。サッカー部に対して声援してくれてんだろ、あれは。それにタイプと好きになるやつは別って言うしな」
いやぁ、君がゴールするたびにあがる歓声はサッカー部の声援とは言えないだろ。
内心そうツッコむものの、考えすぎだろと兼盛に笑われるのが目に見えているため、忠は言葉にはしなかった。
「悩みがそれなら、さっさとその子に告白して付き合えば」
君からの告白なら女子は誰でもOKだすだろ。
それとも、今は部活を優先したい、とか。
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、でかい図体してもじもじと恥ずかしげにしている兼盛からはそんな殊勝な気持ちは見られないためすぐに打ち消した。
「そんな簡単じゃねぇんだよ。第一、向こうは俺のこと知らないだろうし。クラスも違えば部活も違うから声かけるタイミングないんだって」
「…話したことないの?え、じゃあなんで好きになったの」
「最初は声がよく通るから、それで自然と目で追ってたんだけど、表情くるくる変わるところとか、小さいのに意外とちょこちょこ動くところとか、おいしそうに食べるところとか…かわいいなって」
照れくさそうに語る兼盛に、ちらりとC組へ目線を向けると、確かに遠目からでもおいしそうにパンを頬張っている姿が見えた。
「…ふーん。まぁ、がんばれ」
「おぉ、がんばる」
毎朝出会う菓子パンの子。
コンビニ以外で今後の学校生活で関わることなんてないと思っていたのに、まさか友人が好きになるとは思わなかったが、あくまで友人の話だ。
しかも当人が知り合いですらない。
僕には関係ないか。
そう結論を出した忠はいつまでもぼんやりとC組を見つめる兼盛をひっぱって、A組へと戻って行った。
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