第93話 女の会話と魚、弾む

 案の定、というかなんというか。


「ルアン様これを一日かけてこなしていたんですか?」


 ……そう告げながら斧を下ろしたベルの足元には、そりゃあもう立派な薪の山が出来上がったいました。今日の分は終了、そしてここまでの所要時間は――まだハアトが「ぱんやけた!」と来てないことからお察しです。


「……僕の時はもうちょっと多いかな?」

「小賢し……」

「ごめんって。冗談」

「私も冗談ですよ」


 ふぅ、とため息を吐きながらベルは僕の隣に腰を下ろします。事実として僕はアドルフさんのところで働いてる最中は配達とか色々雑務もやっているので。……ベルより力仕事が遅いのは事実ですけれど。

 隣に座ったベルが珍しくさえない表情でうあー、と口を開いて天を仰ぐので僕は気になって。


「疲れた? 僕の代わりありがとうねぇ」

「まさか。あの程度で疲れませんよ」

「左様ですか……」


 僕はあの程度で十分疲れるんだけどね、と自分の情けなさを適当に笑ってから、気になる本題に少し触れてみます。


「……気にしてる? パンのこと」

「……まさか」


 今度は少し歯切れが悪い回答でした。ベルはいくら僕が王族ではなくなったとはいえ『従者』であることには変わりないので、僕には弱音を吐き出しづらいのかなぁなんて考えてしまいます。


「……ちょっとびっくりはしました」

「びっくりかぁ……そう言えば今までパン捏ねたことはないっけ」

「城では厨房には入りませんから」

「まぁ入れて貰えないだろうね」


 城での僕らの扱いは度々触れている通り、『第六王子とその従者だから形だけ敬いはするけどなめられてる』みたいな感じだったのですが、従者である上に獣人のベルが城の厨房に出入りが出来たとは思えません。

 ベルとしてはそれなりに気にしてると見えて。


「一応ルアン様、確認なのですが」

「何? 正直に答えるよ」


 彼女はいつも通りのキリッとした表情に若干だけ戻ると、自分の前髪辺りの毛を触って尋ねました。


「今までの料理にその、混在などありましたか?」

「いやぁ……?」


 なるほど、と思い城時代からイルエルまで思い返してみますが、ベルの料理で口が「うわっ、毛!」と思ったことはない気がします。……ハアトに度々生で食わされそうになるウサギとか野鳥ではしょっちゅうなのですが。


「全く記憶にないかな……ベルってがっつり換毛するタイプの獣人じゃないでしょ?」

「えぇ、でも夏場には少し抜け毛が増えるのは事実です」

「人族でも抜け毛くらいあるから……」


 ここだけの話、僕もそりゃあ十六歳の男の子なので生えるところの毛は生えているのですが、たまに『こんなところにある!?』ってところに毛が落ちていたりします。全身が毛に覆われている獣人であれば抜け毛くらい日常茶飯事でしょう。……それにしても食卓にしか使わないテーブルの上にどう見ても下の毛にしか見えない毛が落ちてるアレ、マジでなんなんだろうね。閑話休題。

 僕は普段の生活では全く迷惑に感じてないことを伝えつつ、先程の状況をしみじみ振り返ります。


「それにほら……パン生地ってこう……もちゃっとしてるじゃん。なかなかあの感じのもの触らないしさ」

「確かにもちゃっとしてましたね……それで多くの毛が付いてしまったことは否めないと思います」

「真っ盛りは過ぎたとは言え夏場ではあるしね」


 楽天的な僕と話していてベルも「仕方ない仕方ない」という風に頷きます。どうやら吹っ切れそう……と思ったところで、パン工房の中から「ルアンさまー!」と呼ぶ声がしました。

 ……僕はパン作りに詳しくなかったので適当に小一時間程度で完成するもんなんだろうと思っていましたが意外とそうではないらしく、或いはアドルフさんの聖地であるパン工房にとって獣人の毛の問題は結構大事に映ってしまったのか、完成品は後日ということになりました。


「ご迷惑をおかけしました」


 そう丁寧に謝るベルに、アドルフさんは微妙な表情で応えていました。


「うん、まぁ……今度からはお互いに気を付けようねぇ」


 アドルフさんにとってほとんどの事象はパンより優先順位が低いので、この際言い方には目をつむるとします。

 そういうことで。

 僕らはちょっと微妙な心境ではありましたが無事アドルフさんへの挨拶を終え、夕方前に最後の一件である酒場の戸をくぐることになっていたのでした。

 ベル(金属製の方)を鳴らしながら足を踏み入れれば、まだ日が低くはないからか幸い誰もおらず「は~い」と間延びしたおっとりした声がカウンターの奥から聞こえてきます。


「待ってたのよ~?」


 間もなくして現れるマリアさんは僕らを見るなりそう言うと、軽くエプロンを整えて「お話を聞きます」と言わんばかりにカウンターから出てきます。

 こほん、と牧師さんが仕切るように咳払い。


「ではまずは私が」

「ウィルくんなんだか牧師さんみたい~」

「『みたい』じゃなくて牧師ですよマリア?」

「うふふ~、そうでした」


 ……そう言えば、誰の言だったか僕らの一つ前の結婚式はこのお二人だったとどこかで聞いたような気がします。他の夫婦には感じませんが……子供がいない分、新婚さんみたいです。

 その様子には新婚大好きドラゴンも感化されたみたいで。


「ルアンさま……ルアンさまも……えーっと……にんげんみたい!」

「ルアン様は間違いなく人間だよ」


 まるで人間じゃないヤツがこの場にいるみたいな言い草です。僕らは事情を知っているのでアレですが、これ本当に周りには不思議ちゃんで貫けるのでしょうか。甚だ疑問です。


「ともかく」


 牧師さんが改めてそう言うと、彼は他のご家庭にもしたように僕とハアトが結婚すること、異議申し立て期間について告げます。一通りお行儀よく聞いたマリアさんは、手をぱちぱちと叩いてみせて。


「改めておめでとうハアトちゃん~」

「ハアトおめでたい?」

「おめでたいのよ~?」


 おめでとう、が意外と伝わってないのかハアトは僕にも確認。


「ハアトばかにされてるのかこれは」

「その『おめでたい』じゃないから大丈夫。祝福されてる」

「ハアトしゅくふくされてるのか……あんまりされたことない」

「人間の文化じゃん。よかったね」

「よかった! へへへ」


 なんでそう罵倒の語彙だけは豊富なんですかねこの子は。

 ともかく無事ドラゴンさんは祝福されたのは理解できたようで純真に喜んでくれました。

 さて、婚約について報告したので今度は僕らの番です。


「そこでマリアさんには一つ、知っておいてほしいことがあるのですが……」


 ある意味、マリアさんは当事者なので少し緊張しました。

 しかしベルによるとマリアさんはあの一件に関して覚えてないので、敢えて口に出すことはなく説明をすると。


「あら~……ハアトちゃん大変ね」


 マリアさんは本当に覚えていないようで、ハアトを心配してくれます。ハアトは首を横に振り。


「ハアトいうほどたいへんじゃない。ルアンさまのほうがたいへんそう」

「そうなの?」

「うん。きのうはそらとんだし」

「……ルアンくん、空が飛べるの~?」

「飛んだ実績があるのは事実ですね」


 飛行というより滑空とか落下に近いものでしたけれど。

 お互い純真だからなのか、単純に母性強めのマリアさんが幼児みたいなハアトの相手をするのが上手なのか。ともかくこの二人はなんだか話が弾むようでした。


「結婚は私もウィルくんと歓迎するから、ハアトちゃんもルアンくんも、もちろんベルちゃんも今後ともよろしくね~」

「また何かありましたら、ぜひ相談してください」


 終着点らしく、牧師さんはそう言ってマリアさんと一緒に酒場の奥へと入っていくのでした。僕らはそれを見送ると、ベル(抜け毛しない方)を鳴らして外に出ます。気が付けばもう夕方。帰り道を登りつつ、話題は「意外となんとかなったね」というところへ。


「……思い付きで行動したはずなんだけどね」

「今回ばかりはハアトの行動が功を奏した……とでも言いましょうか」

「じゃあベルはハアトにかんしゃしろよなー」

「ほんとこの子は」

「まぁまぁ……昨日今日はみんなで頑張ったんだから、ね?」


 山道を登りながら、僕の隣で相変わらず睨み合いをする黒い二人に慣れた言葉が口から出まかせ。いえ、出まかせではないんですが。

 そう言えばこうして三人で歩き回るのは初めてだったんだなぁと、一時期から考えればだいぶ共同生活っぽさを歩めている光景にちょっと感じ入るものがあります。


「そんなことよりさ」

「「そんなことより?」」

「……これで仲良くないんだから不思議」


 話題を切り替えようと僕が切り出せば、二人ともに声を揃えて振り返られてしまいました。僕に牙を剥く時だけたまに結束するのなんなんでしょうね。女家庭の旦那ってみんなこうなんでしょうか。世の旦那さんたちには同情を禁じ得ません。

 しかし僕はこのままの空気感にしておくわけにはいきませんので、話題はちゃんと振ります。


「夕食どうしようかね。……チーズフォンデュ再々挑戦?」

「ルアン様さすがにそれは」

「そうだよね……飽きるか」

「それに二度目で失敗したのはどちらかというとルアン様です」

「いやまぁ……うん……」


 口だけは達者なクセにぐうの音も出ませんでした。まぁ口の中火傷してるしな。舌が回らないということにしておきましょう。それにしては日中だいぶ回転率良かった気もしますけれどそれは見なかったということで。

 しかしここで、ハアトが僕に尻尾を伸ばします。


「ルアンさま、きょうはハアトのとこ!」


 尻尾!? と驚きつつ見ていれば魔法とは器用なもので、ハアトの小さなお尻からバカ太い黒いドラゴンテールがにゅっと突き出しているのでした。


「……ベル、それでいい……?」


 ちなみにハアトは当然力加減なんか知らないので僕は締め上げられています。ベルはそんな僕の様子に驚いたやら呆れたやらの視線を見せると、鼻で笑いました。


「……構いませんよ」

「やった! じゃあルアンさまもらっていくね~!」


 決まったら一陣の風でした。

 ハアトはベルが許可したのを聞き終わらないうちにその場からカッ飛んでいました。文字通り。ジャンプの要領で一跳びで木々の中を駆け抜けていきます。去り際にベルが「魚仕込んでおきますね」とか言ってた気がしますが半分も聞き取れたかどうかというスピード感。


「そう言えばハアトの家に行くのも久々だっけ……ぐぇ」

「ハアトねー! きょうたべたいものがあるの」


 僕を尻尾で握り締めたままそう教えてくれるハアトに、僕はもしかしてと期待します。


「それはルアンさまにも食べさせてあげたいみたいな?」

「んー……おすきにして!」

「お好きにかぁ」


 ちょっと残念なのは事実です。まぁハアトの『あなたに食べさせたいものがあるの!』と言って食べさせてきたものにロクなものがあったかというと……それは、うん。

 しかし頂点捕食者であるハアトがわざわざ『食べたい』というものはなんだろう……と疑問に思っていたのですが。

 巣に入って、しばらくもしないうちに判明しました。


「これー! どう!? ルアンさま!」


 そう叫ぶ彼女を見守る僕の視線の先では。

 黒い巨躯のドラゴンが、巣の裏手にある海辺に立ち。

 大口を開けて魔法を使い――魚があたかも自分の意志かのように、彼女の口に次々と飛び込む光景がありました。


「……もしかして昨日の漁の時に言ってたヤツ?」

「うん! ちょっとしょっぱい」

「そりゃあしょっぱいでしょうよ」


 一匹でムニエルとして充分食卓を彩れるサイズの魚があたかも小魚のように次々と丸呑みにしていく様はもはや圧巻ですらあります。熊を貪る迫力には劣るものの……なんというか、常識を超えてる度合いではそう変わらないというか。


「にんげんのいとなみってかんじ、しない?」

「人間の営みって感じはしないね」

「ルアンさまもやる?」

「ルアン様はやらないかな……」

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