第88話 減らず口、噛み締める

 幸いなことに、浜へ戻る航路に特にアクシデントはなく。

 帰ってきた僕らを浜で待っていたのは、いつも通り痛快に笑っているカルロスさんと、少し安心したような表情でこちらを眺める奥さんの姿でした。


「おうおうおう、帰ってきたなァ……!」


 風邪気味らしいのも相まって、多少勢いに陰りこそ見えますが、丸太みたいに太い腕をぶんぶん振って僕らを迎えてくれます。


「どうだァ坊主。大漁だったか!」

「えっ……と……わ、わかんないです!」


 急に聞かれて、僕は船に縛り付けられていることもあって首をキョロキョロしながらそう答えてしまいました。いや、普段の漁獲量が分からないのもありますけれど、よく考えたら僕、漁の半分も手伝っていないので。……いや本当に何しに行ったんだこいつ。


「わかんねェか、そうか! がっはっは」


 坊主らしい、と意地悪な笑みを浮かべながらカルロスさんは笑って、更に僕の様子に気付いて更に哄笑します。


「おいおいおいおいどうしたァ坊主! 本当に括り付けられてるじゃァねェか!」

「カルロスさんが言ったからみたいなところもありますからね」


 身じろぎもロクに出来ない状況で僕は届かない恨み節を零す他ありません。いや、確かに言い出しっぺはカルロスさんでしたが間違いなく悪いのは僕なので。恨むべくは運命。

 そして奥さんもそんな僕に気付いて隣のカルロスさんの肩を叩いてから僕に声を掛けてくれます。


「ちょっとルアンくん、それ大丈夫なのかい?」

「一応大丈夫ですー」


 むしろこうしてない方が大丈夫ではないと言いますか。

 そんなやり取りをしている間に、艇は元の浜に戻ります。漁師さんたちが浅瀬に飛び降りて、押し引きして二艇とも浜に上げてしまえば、無事帰還と相成ります。


「どうだった嬢ちゃんたち、面白かったかァ?」


 先んじてひょいひょいと船を下りたベルとハアトにカルロスさんが尋ねます。む、と声を掛けられたハアトは弾けるように見上げて。


「おもしろくはあった! さかながあがるとことか!」


 ふんふんと鼻を鳴らします。どうやら好評だった様子。そしてベルの方はと言うと、


「貴重な経験をさせて頂いたと思います」


と深々頭を下げるのでした。カルロスさんはその二人の様子を満足げに眺めると「またやってもいいんだぜ」なんて軽口を叩いています。

 一方僕はと言うと。


「わりぃな縛っちまって」

「いえいえ、むしろ縛って頂いてありがとうございました」


 航路中、櫂を操りながら僕とのお喋りに付き合ってくれていた漁師さんに縄を解いて貰っていました。それを見たカルロスさんは、漁師さんの方に尋ねます。


「どうだった、坊主は」

「『よく流される』ってのは本当みたいだぜ、マストの上まで飛びやがった」

「と、飛んだのあんた?」

「飛びましたね……」


 奥さんが心配と唖然の相中みたいな表情を向けてくれます。僕としては苦笑いを返す他ありません。人が飛ぶわけないと思うでしょう。でも飛んだんですよ。

 僕がやっとのことで船を下りている間に、奥さんは他の漁師さんや牧師さんにも「本当に飛んだのかい?」なんて聞いて、僕が苦い照れを浮かべれば、僕の全身をぺたぺたと触って。


「大丈夫だったの? どこか怪我は?」

「大丈夫……とは言い難いんですけど、まぁ、日常茶飯事と言いますか」

「あんた、全身ボロボロじゃないの……」

「いやまぁそれは元々ですね」


 僕があんまりにも気丈に動くので(自己肯定)皆さんお忘れになることが多いですが、僕は現状全身に打撲とか切り傷とかが絶えない、多分ギリギリ怪我人に分類されそうなレベルでは満身創痍なのです。教会での傷以外、ハアトに治してもらっているわけではないので自然治癒待ちですしね。

 僕の全身を改めて確認すると、奥さんは今日一の掌でカルロスさんの肩をぶっ飛ばします。


「あんたね! こんな子船に乗せてんじゃあないよ!」

「痛って! がっはっは、まァ戻ってきたんだからいいじゃァねェか」

「この人は本当……ごめんねぇルアンくん」

「あはは……いや、普段からカルロスさんにはお世話になってますから」


 確かに今回に関しては「カルロスさんめ」と思った瞬間がないと言えば嘘にはなりますが、それはそれとして、本当にイルエルに来てからずっとお世話になっているのは事実ですから。

 僕がそんな言葉を吐けば当然カルロスさんは気を良くして僕を痛いくらいの力でバシバシ叩いてくれて、「怪我人でしょうが」と奥さんが釘を刺してくれて……という構図。うん、なんとなくですがこのカルロスさんにしてこの奥さんというか、夫婦関係の一つの納得を見た気がします。


「ほら、あとはアンタら男衆がやるんでしょ?」

「おう、任せろ。坊主たちは先に上がってな」


 奥さんに確認に、カルロスさんはじめ漁師さんたちがサムズアップで応えてくれます。それを確認すると、奥さんは二艘目からくたびれた様子で降りてきた牧師さんにも声を掛けまして。


「ほら、ウィリアムくんも! みんなウチに寄ってきな、おやつあげるから」

「おやつ! ハアトおやつすき!」


 文字通り食いつきが良い僕の方の嫁にカルロスさんの奥さんはうんうんと頷いて、彼女の頭に手を伸ばそうとしたのですが――思い出してくれたようで、少し歩くとその手で手招きします。


「うん、ハアトちゃんにも食べさせたげるから。ほら、ベルちゃんもおいで」


 ベルは一瞬何か緊張したように尻尾をピンと張ったのですが、その反応に大人しく頭を下ろしまして。


「ご相伴に預かります」


 その尻尾に僕と、そして僕と同じように背中をぶっ叩かれて送り出された牧師さんが続きます。いてて……と背中をさする牧師さんはというと、船に乗っていた間はあまり気にしている余裕がなかったので気になりませんでしたが、いざ隣に並んでみるとなるほど、海水でぐしゃぐしゃでした。


「牧師さん、お疲れ様でしたね……」

「ルアンさんも、見事な飛行でしたよ」

「それほどでも……むしろ受け止めて頂いてありがとうございました」

「はっはは、網引くのが仕事でしたからねあそこでは……」

「牧師としての仕事が増えなかったことに感謝ですね」

「まぁ私も結婚式用のケーキを葬式用にデコレーションし直すなんてしたくありませんからね」


 お互いに本当に減らず口だな……と思わずにはいられません。

 そんなお互い自嘲しながら砂浜に重い足取りを刻んでいると、どうやら先に着いたらしい女性陣から――というかハアトの元気な声が前方から。


「ルアンさまー! おやつ! おさかな!」


 そう叫びながらこちらに向けてぶんぶんと手を振る、天真爛漫なハアトの姿に癒されます。


「……可愛らしいですねぇ」

「僕のハアトですからね。一応」

「まさか。私にだってマリアという絶世の美女がいますから」


 牧師さんが言うとなんだかこう、妙な心地がするので特に意味のない念を押すと、気付けば自分たちの嫁自慢合戦みたいになってしましました。そうじゃないんだけどな、と僕が思っていると、牧師さんはそんな僕をニヤついた笑みで見下ろし。


「『好き』を見つける作業、順調そうですね」

「この人は本当……」


 その視線に僕は恥ずかしい顔をしたらいいやら苦笑したらいいやら。……『ハアトを好きということにする』という案を出してくれた当の本人を前にして、僕は皮肉の一つでも叩きたくなります。


「……まぁ、見てくれは元々可愛かったですし、ハアト。無邪気に笑うのも……その、『好きなポイント』ですよ」

「はっはっは、理論派ですねぇルアンさん。恋は感覚ですよ」

「言ってくれますよね本当」


 随分と腹立つ言い回しだ……と珍しく負けた舌戦に牧師さんの力を思い知っていると、僕らの足もカルロスさんの家の前に着きまして。

 僕らを待ちかねていたハアトはと言うと、カルロスさんの奥さんが手にした壺から何やら魚を摘まんでいます。


「おっ、来たねぇ男たち」

「今回も頂きます、毎度ありがとうございます」

「ウィリアムくんあんた潮……こりゃあマリアちゃんがまたぷんぷんするね」

「言わないでください、今から怖いので……」


 軽口を叩きながら、ウィリアムさんもまたハアトに倣うようにして壺から魚を一匹。見た目としては、それこそ先程捕ってきた魚……確か漁師さんに聞いた話では、ニシンだったか。それを頭を落としたもののように見えますが……。


「奥さん、それは……?」

「あぁ、そうか。ベルちゃんと一緒であんたも初めてなんだっけ」


 奥さんは僕にそう笑いかけると、壺から一匹、頭を落としたニシンを見せてくれます。


「こいつは浜の方じゃあよく食べるんだけど……ニシンを酢と酒と塩で漬けたもんだね。しゃっきりするよ、はい」

「ありがとうございます……ふむ」


 酢と酒と塩かぁ、と思いながら尻尾の方を摘まみながら鼻に近付けてみます。……なるほど、酸味のある爽やかな香りです。

 じゃあ頂こう――としていると、今度はハアトが、僕と同じように漬けニシンを手にしてこちらへ。


「ルアンさまルアンさま! これね!」

「ご機嫌だねハアト」

「いろんなあじがするめしのひとつだった」

「ハアト料理に対してその言い回し気に入ってるね」

「『りょうり』ってがいねんくらいには」

「良いことだと思うよ。……それで、それがどうしたの?」

「そうそう、このさかなのおやつ! カルロスのよめにおしえてもらったんだけど!」


 ハアトはそう言うと、漬けニシンの尻尾の方を上に、頭があった方を下にして摘まみ上げるとそれをそのまま――ばくん! ……一匹丸ごと飲み込んでしまいました。


「こうやってたべるんだって! ドラゴンみたい」

「……マジ?」


 随分と豪快な食べ方で本当にドラゴン形態のハアトみたいだ、と思いながら奥さんの方を見ると、うんうんと頷いています。


「海の男らしい豪快な食べ方よ!」

「はぇー……」


 ちらりと隣を見れば牧師さんも摘まみ上げて……丸呑み。

 どうやら本当のようです。ならば郷に入っては……僕もそれに倣って、摘まみ上げると、そのままあんぐり開けた口へ放り込みます。


「む。……ん!」


 瞬間感じるのは、酢の爽やかな口当たり。きゅっとするような酸味と、続けて感じるのは塩と酒に引き立てられたニシンのうま味です。ホロリと崩れる肉感は漬けていたことから噛んでいて心地よく、そして僅かながらしっかりと感じる脂もむしろ酸味と合わさって心地よさの一端です。


「おぉ、これは……」


 そして極めつけは、食べた後の感覚。丸呑みする手前、当然顎が上がるんですが、それによってなんだか鼻に余計に香りが抜けやすい気がして、食べている間、そして食べた後にも酢と塩による爽やかな心地が頭の方へ抜けて……


「……目が覚める味……」


 月並みな表現ではありますが、疲れも透き通っていくような。なるほど、これが浜で好まれている理由もわかるような気がしました。


「あはは、一仕事終えた後だと最高でしょ?」

「はい。とってもおいしいです」


 最初は「おやつに魚一匹?」と思わなくもありませんでしたが、ニシンということと爽やかなマリネ風だということもあって、なるほどスルスル入ります。


「ハアト、もういっぴきたべていい!?」

「良いよ、たくさん食べな」


 ……それにしてもハアトは食べ過ぎてる気がしますが。僕が一匹を噛み締めている間に既に四匹ハアトの口に消えている気がします。後で『遠慮』を教えないと……と、思いつつ。

 ハアトが頭からばくばくと丸呑みしている様を見ると、少し思いついたことがあって、近くの陰で休んでいたベルに僕は寄っていきます。


「……ねぇベル」

「レシピなら既に伺いましたよ」

「有能過ぎる」


 別にそれを聞きたかった訳ではないのですけれど、確かに『家でもこれが食べられたらなぁ』と思っていたのも事実ですので、助かることこの上ありません。特訓の後とかすっごい沁みそう。


「えっと、そうじゃなくて。……ベルにもちょっと食べてほしくて。アレ」

「? もうお先に頂いておりますが」

「良いから。どうぞどうぞ」


 僕はハアトを制するついでに奥さんからもう一匹だけ頂いてくると、頭に疑問符を浮かべるベルに手渡します。きっと僕と同じ『郷に入っては』なベルのことです……と期待しながら僕が見つめれば、ベルは訝し気にしながらも漬けニシンを持ち上げます。


「では……頂きます」


 長い白い爪がニシンを摘まみ上げ、ベルの青くて長いマズルが口を開きます。見える犬歯越しに、ニシンが落ちていき……がぶり。


「……なんというか」

「なんですか」


 上を見上げたままだと首筋にかけての毛並みが良く見えるのと、僕を訝し気に見る流し目が切れ長の瞳に生えるのもあって。


「絵になるね、獣人族」


 僕はそんな感想を抱かずにはいられないのでした。


「……これ私はどう受け取ったらいいの? 誉め言葉?」

「褒めてる褒めてる」

「私の感想としては『キモい』なんだけれど」

「心外です」

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