第44話 少女、見つかる

 生きている実感、というものは誰しも感じたことがあると思います。……えぇ、何度か死にかけている(または死ぬ可能性が高まっている)僕が言うと我ながら説得力がありますね。

 ですがここで述べたいのは死にそうになりながら砂浜に流れ着いて「生きてる……」と吐き出すような重いようなものではなくて、もっと一般的なことです。例えばそう、趣味に興じている瞬間だとか。いやつまり何が言いたいかというと。


「んくっ……ぷはーっ。生きてるぅー……」


 汗と土にまみれて畑仕事をした後に飲む葡萄酒ってこんなにおいしいのか、ということです。軽く感動しました。


「んぐっ、んぐっ……くぅーっ」


 思わず口を離してすぐなのに二口目を付けてしまいます。熱を帯びた喉を爽やかなブドウの香りが駆け抜けて喉が鳴ることやむなし。透き通るような微かな酸味と豊かな甘みが疲れた体に染み渡るようです。なるほど、空腹は最高の調味料とは言いますが労働はアルコール摂取のためにあるのかもしれません。僕は或いはこのために働いたのではないでしょうか。

 渡された木製のコップを半分以上一気に飲んでしまい、充足感に満たされていれば視線を感じます。ふと隣を見てみれば呆れた様子で乾いた笑いを浮かべたベルが。


「……何だよその目は」

「あまりにも先代――いえ、お父様に似てらっしゃったので。とても十六とは」

「嘘、お父様に似てた?」

「えぇ、とても。晩餐でよく見た感じの」

「わぁお……」


 なんだか妙なショックに襲われます。いえ我が父、つまりはロイアウム王国先代国王が嫌いだったわけではなく、むしろ人間としても王としても尊敬できる人ではあったのである意味光栄なのですが……いやその、こう、「お父さんに似てるね」と言われるのは息子として妙な感覚があるというか。抗いようのない血の流れを感じて愕然とするというか。男性なら誰しも分かると思うんですけれども。

 しかしこのまま打ちのめされている訳にもいかない(要するにベルに言われたままなのは気に食わない)のでアルコールに任せて彼女にも乾いた笑みを向けます。


「まぁこのおいしさは堅物には分からないだろうね」

「えぇ、私はルアン様ほど軟弱ではありませんので」


 誰が上手いこと言えと。


「か、勝ち誇りやがって……」

「ルアン様が私に勝とうなんざ二万年早いかと」

「二万年も待ってられないよ……」


 やはり弟という生き物は姉には勝てないものなのでしょうか。もちろん再三にはなりますが僕とベルは血が繋がっているわけではないのですけれど、姉のようなものなので。そも血が繋がっていればこんな軟弱者には育ってません。僕だって犬の獣人に生まれてたらもっとパワフルだったはずです。……多分。

 悔しいのでもう一口あおればブドウの爽やかさが全てを流してくれます。酔わない程度の心地良いアルコールで活力も湧いてくるようで、これはお礼を再度言わねばなるまいとマリアさんを見つけて頭を下げます。


「すみませんマリアさん、本当にありがとうございます」

「いいんですよ~、こちらこそいつもベルちゃんにお世話になってるもの。ね~?」

「えぇ」

「謙遜しなよ……」


 とは言ったものの、普段はベルは大変礼儀正しいのでその彼女がこういった態度をとったところを見ると相当仲が良いと思われます。女性の仲は奇特なものだと城にいた頃から見知ってはいましたが、どうやらこの獣人とほんわかお姉さんは馬が合ったようで、村の方々と良好な関係を築きたい僕としては嬉しい限りです。マリアさんは本当に優しい方らしく、微笑みながらなんと僕に二杯目を注いでくれます。


「ほらほら、飲んで飲んで~」

「あぁ、申し訳ない」


 さすがは酒場の主人といったところでしょうか。勧められると断れない魔力のようなものがあります。僕が流されやすいだけなのかもしれませんが、ここは断る方が野暮というもの。


「今回ははサービスにしておくから~」

「サービス!? いや、それは申し訳ないというか、あの、いつかお代を……」


 急に肝が冷えるルアン・シクサ・ナシオンです。貸しは作らない方が良いとは城でも散々言われました。えぇ、後から何を言われるかわかったものではありませんし、いくらマリアさんが美人でお優しいからといってそこまで甘える訳にはいきません。そもそも初回サービスだって既に使ってますし。


「いや、でも、えぇ……」


 急にサービスなんて言われて僕があたふたしていれば横から豪快に肩を組んできたジョーくんがその不安を豪快に笑い飛ばします。


「マリアさんがサービスで良いって言ってるんだから受け取ってりゃあいいのさルン坊!」

「そうだけど……いや申し訳ないというか」

「おやおやおや、マリアの優しさが信じられませんか?」

「そういう意味でもないですから」


 相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべながら牧師さんもそう僕をからかいます。いやジョーくんはまだしも、夫でマリアさんに心酔している牧師さんが言うと冗談じゃない色を帯びてくるので本当に迂闊に流されてしまいそうになります。しかし、ここは礼儀というものが……。


「ふむ、ではこういうのはどうでしょう」


 悩んでいる僕を一通り眺めた後、牧師さんは人差し指を立てて提案するのでした。


「畑では小麦を作る予定なんですよね?」

「えぇ、はい」

「ふむ。ではその小麦が育ってパンが作れたらそのパンでお代にしましょう。どうかな、マリア?」

「それならいいですよ~」


 要するにツケということでしょう。この葡萄酒を活力にして畑を作ってその畑で出来たパンで払うとのことであればなんとなく筋が通っている気もします。僕もそれなら、と頷きました。


「ではいつか、必ずおいしいパンでお返しします」

「お待ちしています~」


 本当に何年でも待ちかねないくらいまったり言われて嬉しいやら間が抜けるやら、でしたがマリアさんはお店があるらしくここで離脱ということになりました。送ると言って聞かない牧師さんを柔らかな笑みで制したマリアさんを見送って、残るは活力に満ちた農民が四人。


「まさかマリアさんが救援に来てくれるとは思いませんでしたね」

「さすが私のマリアです。ルアンさんもこれで一層頑張れるのでは?」

「もちろん。パン作って返さないといけませんからね」


 やっぱり休憩というのは偉大だったようで、ベルとジョーくんの顔にも気力が満ち溢れているように見えました。感謝すべきは葡萄酒とマリアさんの人柄。

 さてスコップで畑を大きく掘り返した僕らは次にいよいよくわの登場です。くわっ! と復活した愛器を僕も手にしてやる気十分。全員が鍬を手にしたのを確認して今度はジョーくんが説明してくれます。


「さっきは後ろ向きに掘ったけど、今度は前に進みながら耕していくぜ」

「それは何故?」

「鍬がそういう風に使う道具だからじゃねぇかなぁ。俺も詳しいことはわかんねぇけど!」


 爽やかな顔で「さっぱりだぜ!」とのこと。さっぱり、にここまで二重の意味があることを痛感したのは初めてですがともかくそれはそれ、今は畑です。ジョーくんの説明も続きます。


「コツはさっき掘り返した大きな土の塊を砕くことだぁな。割と深く突き刺してくれよ。じゃあ、開始だ!」


 威勢のいいジョーくんの合図と共に僕らは作業開始です。まずは周りをよく確認。誰かを殴ることだけは避けねばなりません、この鍬で殴られれば間違いなく死ぬので。さすがのベルでもただでは済まないはずです、厳重注意。


「ではでは……よっ、と」


 誰にも被害が及ばなさそうだとサッと確認を済ませて、鍬を振り上げてみます。前回、つまりぶっ壊した時には軽々とした印象だったのですがやはり新しくなっているからか頭の方に重みを感じます。それでも斧ほどではないですから、ここでもパン屋の経験が活きてきます。


「むっ……!」


 その手応えを感じながら、重さに任せて振り下ろします。爪のように叉が分かれた刃が深々と突き刺さり、土の塊も砕いてそこには良い具合にほぐれた畑の土壌が。


「なるほど、これが鍬……!」


 初めての経験、その一振りに少し感慨を覚えていると僕の様子を見ていたのでしょう、先を行くジョーくんからお褒めの言葉を頂きます。


「おっ、今回はうめぇじゃねぇかルン坊! 筋が良いぞ!」

「『今回は』が余計だなぁ」

「すまねぇすまねぇ、その調子だぞ!」

「うん、ありがと!」


 軽い冗談を交わしつつも、あのジョーくんに『筋がいい』と褒められたので自信のようなものが湧いてきて思わず頬も緩みます。……まさか、斧と同じ理屈で上手くいくとは思いませんでした。これは本当にパン屋のアドルフさんに感謝しないといけないかもしれません。一つのスキルって意外なところで活きてくるもんなんですね。

 自信を得たならもうこっちのものです。さすがにジョーくんやベルのスピードにこそ及びませんが、さくさくです。土の塊を砕き、土壌を柔らかくし、特に突然現れるデカいミミズに悲鳴を上げつつもスコップより遥かに早いスピードで僕らは作業を進めます。スコップの時は途中で疲れも見えましたが、斧で慣れたからか鍬はすごく手に馴染みました。


「さすが、ガスパールさん……!」


 あの時とはもう違い、何度力強く振り下ろそうと砕けることもなく、そして柄も手が痛まないように丁寧に磨き上げられていて使えば使うほどあのお爺さんの職人気質を感じます。さすが、といったところでしょうか。ベルもそれを感じていたようで、僕ににやりと笑ってみせます。


「これは頑張らないといけませんね」

「うん。色々助けてもらってるからね……!」


 イルエルに来てからは助けて貰ってばかりです。この畑一つとっても、家を見つけてくれたカルロスさん、小麦の種をくれた村長さん、鍬を直してくれたガスパールさん、畑の耕し方を教えてくれる牧師さんとジョーくん、差し入れに来てくれたマリアさん、直接的ではありませんが道具の使い方を教えてくれたアドルフさん……と、枚挙に暇がありません。というか顔見知り皆さんの力を余すことなく借りています。僕らはそのことを改めて痛感すると、よりしっかりと鍬を揮うのでした。


 そして、幾分日も動いた頃。


「……うん、これでよしとしましょう」


 自身で最後の一振りをし、そして額の汗をぬぐいながら耕して来た畑を眺めながら牧師さんがそう宣言します。


「これで畑の土壌としてはほぼほぼ完成です。三人とも、お疲れ様です」


 振り返った僕らの目の前には、つい先日までは雑草が生えまくっていた荒地だったのがすっかり耕されふかふかの土が広がる、まさに畑らしい光景が広がっていました。『終わった』という感覚と共に、これを自分でやったのだという達成感のようなものがこみ上げてきます。

 ジョーくんも確かめるように自分の手で土を触り、うんうんと頷いていました。満足そうな表情の牧師さんが僕に尋ねます。


「さて、どうですかルアンさん。畑を耕したご感想は」

「疲れましたけど、悪くないって感じです。……なんだかスローライフっぽいですね、こういうの」

「そうでしょうそうでしょう」


 ベルの方に目配せしてみれば、彼女も相変わらずのクールな表情でこそありましたが尻尾が満足げに揺れているところを見るとそれなりに達成感を得ているようでした。

 牧師さんもうんうんと頷きますが、ここで終わりではないようで。


「では今日はこのまま種まきまでやってしまいましょうか」

「やってしまいますか」

「えぇ。もう時期が時期ですから早いに越したことはありません。自然は我々の思い通りには動いてくれませんからね」


 この時、恐らく牧師さんはもちろん何の気なしに言葉を選んだのだと思います。『自然は我々の思い通りには動いてくれない』。えぇ、僕としてもそれは重々承知しています。大嵐は祭りの時に限ってやって来たりしますし、食料の少ない時ほど雨が降らなかったりしますし――船旅に出れば、嵐に遭ったりします。


 そう、自然は何が起こるかわからないもので。

 当然僕ら人間程度が御せるはずもなく。

 そして得てしてそういった脅威は忘れた頃にやってくるものでして。


 日も傾いて、いよいよ種まき。これで畑は完成というそのタイミングで畑を眺めていた我々の背中に、不意に声が届きます。


「えへへ、あのねー! もうむかえにきちゃった!」


 その瞬間――僕の背筋が凍り付いたことは言うまでもないでしょう。ベルの全身の毛が逆立ったことも、言うまでもないでしょう。だって、あまりにも聞き覚えのある声。そして、今聞こえるはずのない、聞こえてはいけない声。

 そして……何も知らないジョーくんと牧師さんが「誰だろう」と当然振り返るのも、言うまでもないこと。

 釣られるようにして振り返って――僕は更に、目を見開くこととなります。

 タイミングの悪いこととは重なるものです。


「ほ、ほんとははずかしいんだけどね? でもおとまりだし、ハアトはおよめさんだし……!」


 そこにいたのは紛れもなくハアトでした。ドラゴン状態ではなく、人間状態、つまり艶やかな黒髪を腿過ぎまで伸ばした幼い少女の姿だったのは唯一の不幸中の幸いだったのですが、しかし人間態と言えどいつもとは様子が違いました。

 僕、牧師さん、ジョーくん、そしてベルの四人が見つめる先。

 いつも通り家の裏から現れたのであろうハアトは――一糸纏わぬ姿のまま、そこではにかんでいました。そして僕と目が合って、こう微笑みます。


「きょうのよるは……やさしくしてね、ルアンさま?」


 えぇ、えぇ。

 生きた心地がしないというのはこういうことなんでしょうね、きっと。

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