第30話 運動不足、走る

 偏向報道というものがありますが、あんなに悪意に満ちたものが世の中にあると知った時は憤るというより呆れ果てたような覚えがあります。いえ、僕としては報道も思想語りも大いに構わないというか知ったことではないといったスタンスなのですが、それでも「それはどうなんだ」と思う事例もある訳でして。

 例えば、一番呆れるのは発言を切り取る類のものです。こんな僕ですが少し前までは政界にいましたので、身に覚えがあります。いえ、僕自身がそういう失言をしたわけではないのですが件の大臣なんかはよく揚げ足取ったりしていた訳です。


 例えばですよ? 僕が

「あなたは忙しいから、どうしようもないしね」

と言葉を紡いでも

「あなたはどうしようもない、死ね」

に切り取られてしまうことがある訳ですよ。理不尽にも程がある。つまり僕が何を言いたいかというと。


「いやぁすみません……私としたことが」

「分かって頂けたのなら何よりです……」


 切り取られた言葉というのはかようにも誤解されてしまうんだよ、みたいなことです。

 ガスパールさんに鍬の修理代を払えず、その工面に来た僕らはベル先導で牧師さんとその奥さんのマリアさんが営む酒場に来たのですが。言葉選びとタイミングの悪さが奇妙に合致した結果、様子を見に来た牧師さんにマリアさんたぶらかしの嫌疑を掛けられてしまったのでした。


「はははは、牧師の妻に手を出そうとは中々愉快な後輩ではありませんか」


 そう言う牧師さんの顔は決して愉快な感じではありませんでした。逆光で詳細には見えないのが余計恐ろしかったです。あのまま行けば神罰(物理)が下っていた可能性があります。最悪の場合そのまま神のお膝元へ直行便です。

 突然のことに困惑するしかない僕らだったのであわや昇天、だったのですが幸いにもマリアさんが


「違うんです~!」


と止めに入ってくれたので取り敢えず殴られずには済んだのでした。それから僕――だと性別的に若干こじれかねないのでベルとマリアさんで説明して……今に至ります。


「いやいや、これはなんとお詫びしたらいいか」

「いえいえ、神罰執行はなされてないのでお詫びなんて」

「ははは、王子さまは寛容でいらっしゃる。ありがとうございます」

「やめてください」


 誤解が解けた後の牧師さんはずっとこんな調子でした。いつも通り飄々とはしてますからその発言のほとんどが謝罪です。まぁ彼にしてみれば自分の勘違いが全面的に悪いので気持ちは分からないでもないですが。

 糸目で恥ずかしがるように笑いながら彼は頭を掻きます。


「妻のこととなるとつい、我を失いがちでして……。ここだけの話、彼女は若干危機管理が甘くてですね」

「親しみやすいですよね」

「でしょう? 私の妻です」

「存じ上げてますから」


 苦言を呈するのか惚気のろけるのかはっきりしてほしいところです。ちなみにそのマリアさんはベルを連れて奥の酒蔵へ行ったようでした。僕と牧師さんはそれをここで待っている訳です。


「そう言えばルアンさんはそういう方はいらっしゃらないんですか?」

「僕ですか?」


 僕としてはこのまま惚気を聞くだろうと予想していたのですがその会話の方向が急に向いたので驚きます。


「えぇ。確かベルさんは従者と言ってらっしゃいましたし、立場が立場でしたから奥方がいるのでは、と」


 その言葉に思い起こされるのは長い黒髪をたなびかせるハアトです。いえ、本当の姿は巨大なドラゴンなんですけど……。しかしここで『実は島に来てドラゴンを嫁に貰いまして』なんて告白をしようものなら懺悔では済みません。僕は神職さん相手に嘘を吐くことを心中悔い改めます。


「いいえ、残念ながら」

「おやおや。……あっ、すみません。もしかして既に……」

「死んでませんよ。そもそもいないんですってば」


 勝手に察せられて沈痛な面持ちをされたので慌てて否定します。流される前、つまりまだ王族であった頃も相手はいませんでした。何せ末席の第六王子でしたので。


「お待たせ~」

「ルアン様、頂いて参りました」


 これ以上追及されても僕の童貞性が露わになるだけだな……と危惧していたのですが幸いなことに女性陣が戻ってまいります。そういう話題を振られたのでタイプの違う美人が二人立っていると意識しそうな。

 片や、ふんわり優しい雰囲気の甘い美人マリアさん。

 片や、冴え渡るような美しさの鋭い獣人ベル。

 まぁ片方は人妻で片方は姉みたいなものなのでどうにかなりようがないのですが。そもそも僕だって秘匿してるだけで奥さんいますしね。浮気なんてしようものなら島単位で吹っ飛ばしそうなのが。

 ベルは木を組んだ道具に酒樽を結んで背負う準備を整えると、こちらへ確信したような視線を投げました。


「ではルアン様、これで大丈夫ですね」

「……と言いますと?」

「えぇ……」


 僕が聞き返したら困惑したような呆れたような視線に変わりました。蔑まれている気もします。いや僕としては何が『大丈夫』なのかさっぱりなのですが。


「マジで言ってます?」

「割と大マジ」

「はぁ……いいですか。このお酒をあてるんですよ、修理代に」

「あぁ……!」

「ようやくですか」

「修理代?」


 ここで疑問符を浮かべたのは牧師さんでした。ようやくベルの真意に気付いた僕が手短にこれまでの経緯を話すと、軽快に笑って頷いてくれました。


「あっはっは。なるほどそういうことですか。いえいえ、私も来たばかりの頃は苦労したので分かります」

「ガスパールさんはお酒好きだから、きっと大丈夫です~」


 ついでにマリアさんの保証まで頂きました。僕はお二人に礼を言ってベルと共に酒場を後にするべく立ち上がります。本来であれば僕が担ぐべきなのかもしれませんが力的に無理です。大人しく彼女に任せました。


「また困ったことがあったら私を訪ねてみてください。先輩として、こういうことに関しては村の人よりいくらか知恵が回るかもしれません」

「ありがとうございます」


 酒場を出る僕らに牧師さんがそう言ってくれたので、振り返りながら頭を下げます。


「今度は先に牧師さんに挨拶しますので」

「あははは、次は私も気を付けます」


 酒場からガスパールさんの家までは結構あるのでベルを気遣おうかとも思ったのですが「大丈夫です」とのことでしたので頼りになることこの上なしです。ちなみに帰りも村の方々の歓待にあいました。嬉しいですがベルが大変なので聖者の如く子供たちを掻き分けて進みます。

 村を少し離れた辺りで、僕はベルより先に行くことにしました。


「ベルはそのままガスパールさんのとこに向かって」

「ルアン様は?」

「僕が鍬取ってくる。家の前くらいで待ってて」

「わかりました、お気を付けて」

「そっちもね」


 爽やかにウインクなど決めて山道を軽く駆け上がります。なんという粋で従者思いの提案でしょう。これは間違いなくモテる。ベルに言えば調子に乗るなと言われそうですが人間調子に乗ってるくらいがちょうどいいと思います。

 調子に乗っているくらいが何ごとも上手くいく。生前のお父様だったかお母様だったかはたまた近衛さんだったか言っていた気がしたのですが生憎それは違うらしいことを現実は教えてくれます。急転直下。


「やっほ!」

「オォウ……ハァアト……」


 家が見えてきた辺りで家よりデカい何かが傍にいるな、とは気付いていたのですが寄ってみれば(寄るまでもなく)やはり我が妻ハアトでした。堂々たるドラゴンスタイルです。


「今日は来ないんじゃなかった?」

「きちゃった!」

「来ちゃったかー」


 来ちゃったものは仕方がありません。通い妻なのでここもまた彼女の家である以上、帰れとは言えませんし。庭に座り込んだ彼女はお弁当を持ってきたらしく、さっきまで命だったであろうものが草むしり終わってない辺りに転がっていました。特徴的な牙から察するに猪でしょうか。

 ハアトはそのまま遊んでほしそうでしたが、僕は若干急いでいるので納屋に直行して鍬を持ってきて元の道を戻ろうとします。もちろんハアトは絡んできます。


「ルアンさまなにそれ」

「鍬。折れてるけど」

「くわっ!」


 文字通り大きく口を広げて反芻してくれます。血生臭い吐息と並んだ牙の端々に生肉が引っかかっていることを除けば可愛くないこともないのではないのでしょうか。少なくとも音では可愛く聞こえました。幼い少女の声してるので。


「取り敢えずハアト、すぐ戻ってくるから人間になって待ってて!」


 とにかくこれを渡さねばベルの膂力が報われないので僕はハアトにそれだけ言い残して走り出します。返事は聞かなかったのでちゃんと言いつけを守ってくれるかは彼女次第ですが。女を何人も待たせるなんて罪な男じゃないですか僕? いや言ってる場合か。

 折れた鍬が何かの拍子で僕を耕さないように気を付けながら走ってガスパールさんの家に向かえば、鍛冶場の入り口の前でベルと共にジョーくんが待っていました。


「どうしたルン坊、そんなに走ってよ」

「お見苦しい所を……ごめん、これお願い」


 ベルが既に説明を終えたことを祈りつつ、僕は鍬をジョーくんに渡します。本来であれば一家の長として一緒にガスパールさんにお願いしたいところではありますが、そうもいきません。


「ルアン様どうされました?」


 走ることが滅多にない僕を訝しんでベルが尋ねてきたので簡単に説明します。もちろんジョーくんには聞こえないように。


「ハアトが来てた。すぐ戻るからここ任せていいかな?」

「なるほど……全く。わかりました、お任せを」

「助かる。ありがとう」


 意思の疎通が完璧です。言葉少なで通じるのと『お任せを』の頼もしさにうっかり惚れそうになります。ともかくここはどうにかなりそうなので、僕はジョーくんにも断りを入れます。


「ごめんなさいジョーくん、家に人が来てて相手に戻らなきゃ」

「あぁ、そういうことだったか! おう、行って来い!」


 なんて気風のいい男でしょうかジョーくん。うっかり惚れてしまいそうですがそんな暇はないので深くは聞かない心意気に『これが……トモダチ……』なんてことを思いつつまた山道を戻ります。僕にあるまじき展開の速さではないでしょうか。

 当然そんな僕にあるまじき行為を僕が致すので体は慣れずに脇腹が痛くなります。剣術の稽古とか馬術の稽古を思い出して止みません。ある意味僕の青春時代と呼べるでしょう。……いや、友達と妻がうっかり出来てしまった今の方がよっぽど青春でしょうか。人生は何があるかわかりませんね。


「おかえり!」

「ただいま……」


 人生は何があるかわからないので、僕は家に近付くまでハアトに全く話が伝わっていないこともわかりませんでした。思いっきりドラゴン状態のまま猪食ってます。かろうじて二つ目の目標の『待ってて』は達成されてますが両方達成していない以上クエスト失敗です。

 最早若干投げやりになって、地面に座り込みながら妻との会話に興じます。急いで走っては来ましたが、ハアトの場合僕が目を離さなければ特に火急の案件でもないので。


「猪おいしい?」

「おいしーよ!」

「それは良かった」

「ルアンさまははしってつかれたの? なさけないね!」

「情けない旦那でごめんね……」


 ベルの罵倒は皮肉たっぷりですがハアトの罵倒は無邪気故にストレート過ぎて即死攻撃って感じがします。乾いた笑いが漏れるばかりです。笑いを漏らしてても仕方がないので、改めてハアトにお願いすることで蓋をします。


「ところでハアト、出来れば人間状――」

「あっ! ハアトね、ルアンさまにいうことある!」

「……聞こうかな」


 代わりにハアトの発言でもう一枚上から蓋をされました。よく出来た嫁です。僕が大人しく聞く体勢になれば、ハアトは嬉しそうに若干翼を広げました。


「あのね!」

「うん」

「かよいづま、して! ハアトの巣にきて! いまから! えへへ」


 なるほどなるほど、今日来た要件はこれのようでした。

 確かに前に僕はハアトを通い妻にする代わりに僕も呼ばれたら行くという制度を取っていたので全く問題はない――訳がないでしょう。


「……今!?」

「今!」


 あまりにも急過ぎると思って聞き返したのですが、黒いドラゴンは楽しそうに鼻息荒く答えてくれるだけでした。元気が良くて何よりです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る