元気な鬱
「タカイくん! 今朝の患者さんの治療方針、ちょっと考え直した方がいいんじゃないかね!」
僕が勤務する大学病院の教授はいつも感嘆符をつけて話す。
僕はその分自分の声を落ち着ける客観的な感情を持つことができる。
「教授。ちょうど『疾患により業務に耐えない職員は降格・又は解雇できる』という就業規則が彼の会社にできたらしいんですよ。ですので休職できないと」
「しかし就労しながらの治療だと長引くだろう」
「はい。メランコリー親和型ですから仕事への責任感や義務感が強いのでよくないことは分かっています。ただ、もし病気が原因で職を失うことがあれば、そのことが更に症状を悪化させる危険があると私は考えました」
「だから休職せずに月一度の通院で投薬治療か・・・」
「はい。薬の量も長引かないよう、一気に上限目一杯の処方をします」
「タカイくん」
「はい」
「自殺のリスクは」
「・・・正直、初診の日は早朝に通勤してオフィスの窓を開けて飛び降りる寸前まで行っていたようです。リスクは否めません」
「よし。判断しよう」
「・・・・」
「休職をもっと強く勧めなさい」
「はい・・・」
「覚えているだろう。2年前の君の患者のことを」
忘れられるわけがない。
その子はまだ小学5年生の女の子だった。
学校でいじめに遭い、重度のうつ状態にあった。
明らかに彼女の発症の原因はクラスでのいじめであり、僕はご両親に強く学校を長期欠席することを勧めた。
だが、彼女の父親は、まるで僕がいじめの当事者であるかのような敵意で僕に怒鳴りつけた。
「どうしてウチの子が休む必要があるんですか! 後ろめたさを感じるべきはあいつらでしょうが! 私は堂々と娘を学校に通い続けさせますよ!」
診察室を出た後、少女は突然声を上げて泣き出し、父親を突き飛ばすようにしてエレベーターに駆け込んだ。そして最上階へと向かった。
僕は階段で追ったが間に合わなかった。
彼女は病棟の最上階から更に屋上のドアを開け、そのまま全力で走ったのだろう。
ほんの少女だった彼女の、小さな体は、病院の壁面から、走り幅跳びのように5メートルも離れた地面に眠っていた。
「タカイくん、いいね。 二度とああいうことを起こして欲しくない」
「・・・分かりました」
・・・・・・・
僕は未だに気にかかる患者さんの治療方針を決める時には夜眠れなくなる。
今朝、件のサラリーマンの男性の治療方針を決めるのにも昨夜は眠れずに何度もシミュレーションを自分の中で繰り返した。
ようやく出した就労しながらの治療方針だったが、教授がああ言ってくれたことで、ほっとしている自分もいる。
僕は最近よく考える。
自分は本当に医師に向いているのだろうか。
治療方針の決断の重圧だけではない。
僕は患者さんと話していて、まるで自分と同じじゃないか、と感じることが少なからずあるのだ。
そして、患者さんの中には元気な人もいる。躁鬱の躁状態ということではなく、明らかにうつ病なのに、様々な人生のビジョンや展望を持っている患者さんがいるのだ。もちろん、とても静かで分相応なビジョンではあるけれども。
そんな人と話している時、却って自分の方が、これでいいのか、と感じてしまう瞬間が、特に最近増えてきた。
なんだか、疲れた。
そうだね。
彼女・・・セエノのいるバーに行ってみようか。
なんとなく、だけれども。
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