第三章 1




 鉾本相手の任務を終えた珠代はいつものように一週間ほどの休暇を取った。


 それはただの休みではなく次の任務のために必要な時間だった。


 ターゲットの好みに合わせ化粧、髪型、口調を変え、性格そのものさえ演じる珠代にとって本来の自分を取り戻すためにはある程度の時間を掛けて気持ちをリセットしなければならなかったのだ。


 この一週間、珠代は付けていたロングのウィッグを外し、化粧品を処分し別のメーカーの物に変え、鏡の前で表情のチェックをし、坐禅を組んで心を見つめ直して、ようやくその日出勤の時を迎えていた。

 

 一週間振りに所長室のドアを開ける。新しい仕事の始まりだ。六年経っている今でもこの瞬間は少し緊張した。


「おはようございます、ボズ」


「おっ、おはよう。やっぱりプロトタイプのたまちゃんは良いねえ」


「人のことロボットみたいに言わないでくださいよ。ただの薄化粧です」


「いや、たまちゃんがここから任務に合わせて姿を変えていく過程が俺は好きなんだ」


「一応褒め言葉として受け取ります。それで次の任務は?」


「……いつものことだが前の任務の結果は聞かないんだな?」


「私の任務はポイントを取って目の前の相手をフォーリンラブに追い込むことです。その後のことは知る必要のないことですから」


「相変わらず仕事に対してはドライな態度だねえ。じゃあ、これは俺の独り言として聞いてくれ。君は家族の都合で急に仕事を辞めることになったということで処理した。依頼人には鉾本富美を調査して撮った写真を見せ事情を説明したよ。そしたら『こいつ、こんな尻軽女だったのかよ。旦那がじじいだっていうから簡単に奪えると思ってたらとんでもない女だな』だとよ。こんな結果じゃ金は払えないって駄々こねるから、お礼を言って丁重にお帰り頂いた」


「お、お礼って、ボズ、依頼人に何を言ったんですか?」


「なぜか逃げるように帰っていったな、真っ青な顔で。二度とこういう場所には頼みに来ないだろう」

 

 この人を敵に回すとどんなに恐ろしいか、珠代を含め社員はみんな知っていた。


「えーと、わかりました。もうその話はいいです」

 

 そう言ったものの珠代は鉾本のことがまだ少し気になっていた。


 急にいなくなった自分のことを彼は今どう思っているんだろう? 富美とのあんな関係をこれからも続けていくつもりなのか?


 疑問は多いが、それは任務から外れて彼とは無関係になってしまった珠代には出せない答えだった。


「そうか。それじゃ、次の仕事の説明をしてもいいかな?」


「はい、お願いします、ボズ」


「依頼人は町村長次郎、七十八歳、町村商会の社長だ」


「町村って、あの有名な?」


「ああ、そうだ」


「あ、あの、怒らないでくださいね、ボズ」


「それは怒れってフリか? おまえが言いたいことはわかる。あんな大企業がなぜうちのような小さな事務所に依頼してきたのかってことだろう?」


「まあ、そうです」


「当然、彼も最初は有名な大手事務所に頼んだらしいよ。ところがそこが断念し、別の所に頼んで、そこも途中で投げ出したらしい。その後は噂が広まって大小問わず依頼を受けてくれる所が無くなっちまったってわけだ」


「なるほど、そんな難しい案件をどこかの物好きが引き受けたと」


「そう言うなよ。報酬も破格だし、うちにとってはチャンスだぞ、これは。大企業がお得意さんになるかもしれんのだからな」


「それはそうですけど……。でも、そんなにやばい仕事なんですか?」


「依頼自体は普通だ。長次郎が別れさせたい相手は娘の明日香、二十一歳とその恋人の片岡照之、二十五歳なんだが……」


「えっ! 娘さん、まだ二十一歳なんですか?」


「ああ、長次郎ってのは三度結婚していて、過去の二回は子宝に恵まれなかったんだ。三度目の奥さんは確か三十五歳年下とか言っていたな」


「す、すごいですね。世の中にはそんなおじさんがごろごろと……」


「ごろごろとはいないさ。あ、ひょっとして鉾本のことを思い浮かべたのか? 確かに二人ともモテるようだが、長次郎は鉾本とは真逆のタイプだな。仕事も恋も強引で相手を無理やり自分の土俵に上げちまうって感じだよ」


「それでなぜ彼は可愛い娘の恋を邪魔しようと?」


「長次郎はその可愛い娘さえ仕事の道具に使いたいわけだ。どこかの企業の御曹司を婿に迎えてさらに会社を大きくしたいらしい。全くいつの時代の考え方なのかねえ。まさに殿様だな」


「それで今、娘が付き合っている男が邪魔になったというわけですか?」


「そういうわけだ。だから今まで何人もの女性プレイヤーが片岡の元に送り込まれた。その全てが見事に返り討ちになったというわけだ」


「返り討ち……」


「大手のプレイヤーだからもちろん一流の腕利きたちだ。それが為すすべ無く次々にポイントを取られフォーリンラブに追い込まれているようなんだ。しかも噂では真剣に彼に惚れてしまい事務所を辞めて金を貢いでいる女性までいるらしい」


「そんなにかっこいい男なんですか?」


「これが写真だ」

 

 そう言って所長は机の上にあった写真を珠代に渡した。少し眼は細いがなかなか整った顔をしている。しかしじっとそれを見つめた珠代はやがて首を傾げた。


「確かに悪くない顔ですけど。うーん、なんかそんなにパッとしませんね」


「モテると聞いてもピンと来ないって言うんだろう? 正直、俺もそう思った。外見のおかげとは到底思えない。考えられるのは、こいつがとんでもないラブデュエルプレイヤーかもしれないってことだ」


「それってまさか今度こそ例の都市伝説の? でも……」


「言いたいことはわかる。鉾本の時も考え過ぎだったわけだしな。俺だってそんな奴が実際にいるとは思っていないよ。こいつがただの財産目当ての素人兄ちゃんならその方がいいんだがな……」

 

 鉾本か。


 その名を聞くたび珠代の心は少し軽くなった。彼との出会いは良い経験だった。あんな人間がいることを知れて良かったと思う。今なら頑張れそうだと珠代は思った。


「わかりました。その仕事、私がやります」


「本当か? 助かるよ。実は早希に頼もうかと思っていたんだが、彼女も忙しくてね。あいつの代わりができるのはうちではたまちゃんくらいだから」


「先輩には及びませんけど精一杯頑張ります」


「今も言ったとおり得体の知れない相手だ。無理はするな」


「はい、わかっています」


「じゃあ、明日から頼む。場所は片岡が最近よく来るという店だ。客として潜入してくれ。時間は掛かってもいいから確実に相手との距離を縮めるんだ」


「わかりました」

 

 大手の人間さえ逃げ出した相手。珠代はぎゅっと拳を握り写真を睨み付けた。


 



 次の日。


 少し派手めの化粧。胸元の開いた大胆な服。足を組んで格好をつけて珠代は片岡を待っていた。


 ボズの情報によればこの店に彼が現れる曜日は決まっていて今日がその日だった。


 三十分ほど経った時、入り口から大きな笑い声が聞こえてきた。数人の男性たちが入ってくる。その中心にいるのがターゲットの片岡だった。


「おまえ、また女を変えたのかよ」

 

 右隣の男が席に着きながら片岡にそう話し掛けていた。


「変えた? おまえが言ってる女ってどいつのことだよ?」


「あん? ほら、この前連れてた長いウェーブの髪で唇がぽってりした感じの」


「ああ、それ、もう三人くらい前の女だぜ」


「三人? 全く相変わらずだな」

 

 男たちはそんな会話をしながら下品に大きな声でゲラゲラ笑い出した。


 珠代はカウンターの下で血が出そうな程ぐっと拳を握った。任務中じゃなかったら一発かましてやっていたかもしれない。


「でも、ほら、本命いるんだろ? すごいお嬢様じゃなかったっけ? あんまり派手に遊んでいるとまずいんじゃないの?」

 

 左隣の男がそう聞くと片岡はふっと笑った。


「いや、あいつ、俺に夢中だから平気だよ。お嬢様だから世間知らずで俺の言いなりさ。まあ、彼女の親父がバケモンみたいな元気爺さんで、俺たちを別れさせようといろいろ企んでるみたいだけどよ。今の時代、ラブデュエルさえちゃんとやってりゃ裁判沙汰になっても文句は付かねえからな」


「お前、ラブデュエル負け無しだもんな。どんなコツがあるんだ? 教えてくれよ」

 

 右隣の男のその質問に片岡は答えなかった。にやにや無言で笑っているだけだ。


「ああ、ダメダメ。こいつ、いくら聞いても答えてくれないんだよ」

 

 左隣の男がそう言って口を尖らした。


「努力と経験だよ、せいぜいおまえらも……、おっ!」

 

 ニヤニヤ笑いながら店内を見渡していた片岡の視線がある一点で止まった。

 

 よし、掛かったな!

 

 眼の合った珠代は飛びっ切りの作り笑顔で応じてやった。


 するとすっと一人で立ち上がった片岡がゆっくり歩きながら近づいて来た。


「やあ、君一人?」


「ええ、でも、あなたの方はお仲間がいるみたいじゃない」


「ああ、いいんだ。あんな奴ら、ただの金魚の糞さ」

 

 そう言うと片岡は振り返って一緒にいた男たちに「帰れ」と手で合図を送った。すると男たちは「またか」といった表情で肩をすくめニヤニヤ笑いながら店の外に出て行った。


「いいの? 友達なんでしょう?」


「いいの、いいの、いつものことだから」

 

 いつものことか。どうやら噂どおりの男のようだ。


「俺とちょっと話しない?」


「ええ、いいわよ」

 

 片岡が隣りに座る。ここまでは珠代の予定通りに進んでいた。


「君、名前は?」


「まずは自分から名乗るべきでしょ?」

 

 もちろん知ってはいたがそう聞いた。


「俺の名前か。どうせ知ってるんだろ?」

 

 な、なに、どういう意味? 心臓がどきんと鳴った。それを押し殺し珠代は素知らぬ顔で聞き返した。


「知る訳ないじゃない。あなたってこの辺じゃそんなに有名人なの?」


「まあね。あんたらの業界じゃ、そこそこ有名になってるんじゃないのか?」

 

 思わず珠代はバッと立ち上がった。自分でも作り笑顔が崩れたのがわかった。


「あ、あなた、何者なの?」


「片岡照之、二十五歳。どうせ調べてあるんだろう?」


「そういう事じゃなくて……」


「なぜ君がプロだってわかったか、だろう? そりゃ経験の賜物だよ。明日香の親父が何度かそういう女を送り込んできたからな。まっ、全員、落としてやったけどよ。今もまだ俺に夢中な奴が一人いるぜ。良い金づるさ。ハハハ」

 

 自慢気にそう話す片岡に珠代は言い様のない嫌悪感を覚えた。それと同時に疑問に思う。一流のプロプレイヤーたちがなぜこんな嫌な奴に好意を持ったのか。


「そんなことより君の名前教えてくれよ。気になるじゃないか」


「予定変更よ。私がプロだと知っていて近づいて来たなら教えるもんですか」


「どんなトラブルが起きても相手のポイントを狙いにいくのがプロだって聞いてたけどなあ。尻尾巻いて逃げ出すのか。マジつまんねえ」

 

 その言葉に珠代はカチンと来た。


「そんなに名前を知りたきゃ私からポイントを奪われればいいじゃないの! ラブデュエルが教えてくれるわよ」

 

 無理を承知でそう言ってやった。他人へ好意を持つかどうかなんて自分でコントロールできるものじゃないということはラブデュエルのプロである珠代にはわかりきったことだった。相手が自分を好きになるように働き掛けることは出来ても、好きでもない相手を好きになることなど自分の意志では出来ないのだ。


「じゃあ、そうするよ。君に恋してあげる」


「はっ? 何言ってるの? 無理よ、そんなの」

 

 そんな珠代の言葉を無視し片岡はじっと彼女を見つめだした。


 僅か、その数秒後。


「さあ、君を好きになったよ」


「だから、無理……」

 

 タタタタタン。タタタタタン。


「えっ!」

 

 思わず珠代は大きな声を上げた。


 ニヤリと笑った片岡がポケットからスマホを取り出す。彼はちらりとその画面を見た後、珠代の方へそれを向けて見せた。


 (プレイヤーは鈴村珠代に一目惚れし1ポイントのダメージを受けました)


「鈴村珠代か。『たまちゃん』とか呼ばれてるのかなー?」

 

 そ、そんな馬鹿な……。珠代は呆然とその画面を見つめた。絶対にありえないことが目の前で起きている。この男は自分の心を自在にコントロールしたというのか? しかも最小限のポイント消失に抑えて?


 ありえない。こいつ、人間じゃない。


「……あなた、サイボーグか、何かなの?」


「アハハ、そんな馬鹿な。漫画の読み過ぎじゃねえの? これは単なる自己暗示だよ」

 

 違う! 珠代はすぐにそう思った。確かに自己暗示というものはある。しかしそれは時間を掛けて徐々に自分の気持ちを変化させていくもののはずだ。こんなに瞬間的に自分自身の感情を操作するなど到底人間業とは思えなかった。


「たまちゃん、気に入ったよ。俺の女にならないか?」


「私がプロだってわかった上でそんなこと言うの? 随分自信過剰なのね」


「自信はあるけど過剰なわけじゃないぜ? みんな最初はそう言うんだ。あんたみたいな男を好きになる訳ないって。でもすぐに気付くのさ、俺の魅力に。そして抜け出せなくなる」


「……聞いてるこっちが恥ずかしくなるわね。あなたがどうしても明日香さんと別れる気がないって言うなら、もう私の役目は終わりよ。帰らせてもらうわ」


「どうぞ。でも、君とはまた会うと思うな。俺は狙った獲物は逃がしたことがないんだ」

 

 そう言ってニヤッと片岡が笑った。その瞬間、珠代はぞぞっと背筋が寒くなった。

 

 ……わかった。狐だ、こいつ。

 

 人を馬鹿にしたような態度。何を考えているのかわからない嫌な眼。まさに昔話に出てくる化け狐だった。


 化かされてはたまらない。


「も、もう二度と会わないわ。あなたみたいなタイプが私は一番嫌いなんだから」

 

 それは駆け引きとかではない思わず漏れた本音の言葉だった。


 珠代は走って逃げ出したい気持ちを押さえてゆっくり入り口に向かって歩き出した。その背中に追い打ちを掛けるように狐が鳴いた。


「じゃあねー、たまちゃーん。今度会った時はもっとゆっくりラブデュエルで遊ぼうよ」

 

 背中に鳥肌を立てながら一度も振り返ることなく珠代はバーの外へと逃げ出した。






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