ふたり、答えを
紗と出会って、多くのことを彼女に教わった。
最初に教わったのが、短歌の作り方。短歌は爆弾のようだと誰かが言っていたけど、私たちが作っていたのは、小さな線香花火のようだったと思う。
紗は私の横で、一緒に線香花火を作ってくれた。
彼女とふたり、並んで線香花火をつくり、火をつけて、すぐに落ちちゃったとか、次はもっと綺麗に作ろうねとか、そんなことを話していた思う。
線香花火を作っていくうちに、私は彼女が作った花火をもっと見たいと思うようになって、自分が作った花火をもっと見てほしいと思うようになった。
でも私はお子様だったから、花火の煌めきにばかり目がいっていた。
私があまりにも幼くて、横で一緒に作っている人の気持ちにこれっぽっちも気づいていなかった。
だから手首をつかまれたとき、唇が触れた時、彼女がわからなかった。
「怖い」と思ってしまった。
結果的に、彼女を傷つけて、彼女は私の前から消えた。
彼女がいなくなって、私はもう一つ教えられた。
私は、自分で思っているよりも、ずっとずっと情熱的な人間だった。
生きていくうえで、特別なものなど何一ついらないと思っていた。何かに懸命に取り組むなど、考えられなかった。
でも、彼女がいなくなって気づいた。
彼女は、私にとっては特別だ。それはもう、揺るぎのないものだった。彼女に戻ってきてほしい。彼女に会いたい。
自分でも驚くくらい、今までの自分を裏切ってしまっているけど、でも、実際にそうなってしまっているから仕方がない。
だって、彼女のいない世界は、こんなにも暗くて、寒くて、辛い。
彼女に会いたいと、強く思う。
私は、彼女が好きだ。
会いたい。会ったら怒った後、謝って、おねだりをする。
だから、早く、探しに来て。
待っているから。
(日曜日だったのが、良くなかった)
紗はベッドの上で、ころんと寝返りを打った。
日曜日に、一二三の家に招待され、一二三の部屋で同意のないままキスをしてしまった。
一二三からは拒絶され、紗自身もショックのあまりどうやって帰ったかも覚えていないほどで、気づいたら自宅のベッドで泣いていた。
翌日月曜日はそのまま休み、ずるずると今日に至るまで休んでしまった。
(せめて土曜日だったら、水曜くらいには出れたかも…)
紗が学校を休み始めて、本日金曜日で五日目。最初は風邪をひいたと言っていたが、さすがに一週間は長すぎて、親にも学校にも変な心配をかけている。
(本当は、振られただけなのに)
そう思うと、涙が滲む。
紗は自分でも驚くくらい立ち直っていた。日曜日から月曜にかけては、比喩でなくずっと泣き続けていた。
泣いて、泣き疲れて眠る。起きてまた泣く。そんなことを繰り返し、脱水症状で死んでしまいたいと紗は思った。
しかしどうもそんなことはなく、喉の渇きに耐えられなくなり水を飲むと、今度は空腹を感じ、食事をとる。そして家族とわずかに会話をすると、すこしずつ精神も回復してきた。
なんとか生きていけそうだと、今は思っている。
だが、一二三のことを考えるとまだ涙が出る。
(ふみちゃん、やっぱり好きだよ…)
一二三からは二度連絡が来た。月曜日と水曜日、いつもの部活が始まるくらいの時間に「待ってる」とだけ。
紗は何も返せずにいた。
頭ではわかっている。会いに行かねばならない。会って謝らなければならないと。
ただ、なにも行動できずにいた。
一二三はおそらく紗を責めたりはしないだろう。
そしてあの日のことが、なにも無かったように日常が続いていく。
紗は自分の気持ちがゆっくり死んでいくのを眺めながら、その日常に耐えていかねばならない。
その覚悟が、出来なかった。
いっそ短歌部を解散してしまおうかとも考えたが、一二三のことを考えるとそれもできなかった。
一二三は短歌を好きになったし、紗の短歌を好きだと言っている。
きっと一二三にとっても、部活の時間は幸せだっただろうと思う。それは紗にとってもうれしいことではあるのだけれど。
結局、紗がふたりの幸せを壊してしまった。
ふたりの幸せには、見るだけではわからない、触れて初めて分かる、温度差があった。我慢できずに強く引き寄せれば、壊れてしまうのが当然だった。
紗の幸せは、もはやもとには戻せない。ただ一二三の幸せだけは作り直せると思った。
紗が日常に戻り、何事もなかったかのように振る舞えば、きっと一二三の幸せは取り戻せるだろう。
また二人、短歌を作る日々に戻れる。
でも、そうするには、紗は気持ちを殺し続けなければならない。
紗にはそれをやり続ける自信がなかった。
いつかまた、彼女の気持ちに触れ、お互いを傷つけてしまうのではないかと考えて、踏み出せずにいた。
といえ、ベッドでごろごろし続けるだけで解決するわけではないことも理解している。
(やっぱり、ふみちゃんに会いに行こう)
そう決めて、のろのろとベッドから起き上がる。授業は休んでしまったが、部活動だけ行くことに決めた。
そんな折、スマートフォンが鳴る。
一二三からだった。
『真っ白の空間にいる早く来て無かったことにしてもいいから』
読んだ瞬間、紗はどきりとした。
「無かったことにしてもいい」とはあの時キスをしてしまったことだろう。あの時キスをしたことはもう許してあげるから、早く来なさい、とそんな意味に読める。
しかし「真っ白の空間にいる」とは何のことだろうか。単純に部室を表しているようにも見えるが、どうも違うように感じられる。部室の壁はそんなに白くない。
「真っ白の空間」は一二三の心象風景だろう。壁から床、天井までが真っ白な空間。そんな像を思い浮かべる。その部屋は誰かを待つ部屋ではない。閉じ込められる部屋だ。
紗の脳裏に、イメージが浮かぶ。
真っ白な空間に閉じ込められ、何もない部屋でうずくまり、ただ泣きながら誰かを待っている一二三。すると、「無かったことにしてもいいから」が悲痛な叫び声のように思えてくる。
紗は、自分が勘違いしていたのではないかと思った。
自分より、一二三のほうがずっとずっと苦しんでいたのではないか。
そんな思いが、ぐるぐると巡る。
『今行くから』
それだけ返信すると、慌てて支度を始めた。
今行くから。
たったそれだけの言葉が、今の自分には何よりも強く響いた。
紗が来てくれる。
それだけで、真っ白な世界に色がついていく。
二か月前までは、苦手な人。
数日前には、距離の近い友達。
あの瞬間は、こわいひと。
今は、私を助けてくれる大切な人。
何なんだろう、あの人は。
印象もころころ変わるし、表情もころころ変わる。
短歌を好きなところも変わってると思うし、私を好きなところも変わってると思う。
なぜ私を、好きになってくれたのだろうか。
想像もつかない。
私のいいところなんて、一つも思いつかない。
性格は悪いし、目つきはきついし。
でも、彼女は私を選んでくれた。
それは誇らしいし、嬉しい。
でも、不安。
彼女が私を想ってくれているように、私は彼女を想えるのだろうか。
彼女が勇気を出して触れてくれたように、私も彼女に触れられるだろうか。
わからない。
もう、彼女が来る。
上手におねだりが、できるだろうか
部室のドアを開けると、一二三はパイプ椅子に腰かけ、長机に手を乗せていた。
紗が声をかけるより先に、一二三が口を開いた。
「座ってください」
一二三の顔に表情はない。
声のトーンは冷静というより、どこか怒気をはらんでいるように感じる。
(あれ、怒ってる…?)
一二三に言われた通り、一二三の正面のパイプ椅子に腰掛けようとすると、「こっちに」と一二三の隣の椅子を指示された。
おとなしく言われたほうに腰かける紗に、一二三が開口し、言った。
「怒っていますので、謝ってください」
「…えっと」
紗は、一二三の言葉が一瞬理解できなかった。怒っている人に、怒っていると言われたのは初めての経験だ。
混乱したまま、とりあえず思いつくままに謝ることにする。
「あの日、キスをしてごめんなさい」
椅子に座ったまま頭を下げるが、
「私が怒っているのはそこではありません」
と返される。
紗はますます混乱した。一二三が悲しんでいると思って来てみれば怒っているし、キスしたことを怒っていると思っていたらそこではないらしい。
何だろう何だろうと、次に思いつくことを口にする。
「…部活を休んでごめんなさい」
「はい、それだけですか?」
とりあえず、一つ当たったらしい。紗は胸をなでおろす。
一二三の声はずっと冷静で、紗は恐怖を感じていた。
「連絡を無視してごめんなさい」
ちら、と一二三の顔を覗き見ると、少しだけ表情が和らいだように思えた。
「…ええ、そうですね」
そういって、一二三はふっとため息をつく。
それが合図だったかのように、一二三の声のトーンもいつものように戻ってくる。
「私も、紗に謝りたいことがある」
紗は顔をあげて一二三の顔をよく見ると、目のあたりが赤くなっているのがわかった。
「あの時は、紗を怖いと思ってしまった。ごめんなさい。あなたの気持ちを考えなくて、ごめんなさい」
頭を下げる一二三。
紗は、急に謝られてさらに混乱した。
「いや…あの、ふみちゃんが謝ることじゃないから…」
何を謝られたのかも曖昧なまま、あわてて紗は言葉を濁す。
「ふみちゃんの気持ちを考えられなかったのは、私のほうだよ…」
そういって、紗は一二三の顔をもう一度じっくりと見た。目が赤くなっており、瞼のあたりが腫れているように見える。
(やっぱり、泣いてたのかな…)
「紗、聞いてくれる」
「う、うん」
急に声をかけられ、驚いてしまった。
一二三は胸に手を当てて、深呼吸している。
紗は何を言われるかわらず、居住まいを正す。
「あのね…」
「…うん」
意を決したように、一二三が口を開く。
「…私は、紗が好き」
一二三がそう言うと、紗は呆けたような表情をした。
「…へ?」などと言っている。
「気づいたの。私は紗が好き」
一二三はもう一度気持ちを伝える。
紗は今日はずっと混乱しているようだ。
「…え、なんで?」
「なんではお互いさま。何で紗は私のことなんか好きなの?」
一二三がそう言うと「え、いや…」と口ごもる紗。
「ちょっと待って…今考えるから」
そんなことを言う紗に、一二三は小さくため息をついた。
姿勢を正し、まっすぐ紗を見つめる。
「紗、お願いがあるの」
「え、あ…うん」
紗も姿勢を正す。
一二三はすこし、考えてしまう。この想いを伝えたら、紗はどんな顔をするだろうか。
もしかしたら、怒るかもしれない。
泣いてしまうかもしれない。
いつもの困った顔をするかもしれない。
…いや、大丈夫、きっと笑ってくれる。
「私は紗が好き。でも、あなたの好きと同じかがわからない。だって、私はあなたにキスをしたいと思ったことがなかったから」
自分の正直な気持ちを伝える。嘘は、一つもない。
紗は真剣な面持ちで聞いている。
「でもね、あなたが私にキスをしたいと思っているのなら、私はそれを受け入れたい」
あの時、キスをしたいと思ってくれた紗の気持ち。それは一二三にとって、確かに嬉しいものだった。
「あなたが私にキスをしたいと思ってくれるなら、私もあなたとキスがしたいと思う」
一二三は僅かに顔を伏せる。それは、おねだりの準備。
「私は、紗に求められるのが、嬉しい」
一二三は紗の手を取る。これも、おねだりの準備。
「だから、お願い。私を求めて欲しい。あなたが私にしたいこと、私としたいこと、もっともっとしてほしい」
顔をあげて、目一杯の上目遣い。少しだけ、涙を滲ませて。
「だめ?」
紗の顔を確認する。
…おねだりの効果は、絶大みたいだ。
「ふみちゃん…」
泣きだした紗を見て、一二三も我慢できなくなる。
滲んでいた涙が、少しずつあふれてくる。
(あー、私は)
涙は、あふれ続けている。
(本当に、本当に、この子が好きだ)
一二三は泣きながら立ち上がり、紗を抱きしめた。
「紗?」
「うん」
「キスしていい?」
「…うん」
一度、顔を離す。紗の顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
なんて愛おしいのだろうと、一二三は唇を寄せた。
「ねえ、ふみちゃん」
「ん?」
「この、『大切なあなたへ』のページ、もらっていい?」
「………………」
「…そんなに悩む?」
「…何に使うの」
「まあ…見てにやにやする、かな」
「…わかった」
「やった」
「…ただし、あなたも書いて」
「?」
「同じ『大切なあなたへ』のテーマで、書いたら私に提出」
「いいよ。いくらでも書けそう」
「…そう」
「ふみちゃん、嬉しそう」
「…紗もね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます