第二十三夜

男より、まず、今だ。


同僚を連れ出して向かった居酒屋は、フランチャイズか、客の年齢層の高いファミレスといった雰囲気で、BGMはなけれど、店内の喧騒が気まずくあることをゆるしてくれず、かえって僕たちに利するよう感じた。

腹減ってるからひととおり食い終わるまで待ってろと発した同僚は、そばめしやとん平焼きを、届く端から次々、ビールで流し込んでいる。

隣の卓の紫煙が流れ込み、僕は霧散するまで目で追った。

今夜は喩える形でなく、ポゥポゥは風のどこにもあり得なかった。

何杯目かの酒を片付けた頃、ごとんと音を立てジョッキを置いた同僚が、射抜くように目を合わせ、ようやくと口を開き、この場は始まった。

「悪い。待たせた」


「山を散歩してたら仙人がいたんです」

まずは非礼を謝った。そうして、あの場所のことを全て話した。酒のこと、音楽のこと、僕があの場所で何を感じ何を得たか。内面のことまで打ち明けてしまわねば、それはフェアじゃない。秘めておきたかったが、それは所詮薄っぺらのプライドに過ぎぬ。同僚はあの布を大切なものと表した。ならば、僕も曝け出すことで応じたいと思った。


彼は黙したまま聞き入り、話の一区切りがついたところで、店員を呼んだ。

生中二つ、おかわり。あと、串盛り合わせと、若鶏の唐揚げ。

僕も被せて、きゅうりの一本漬けと言った。

店員が去り、彼は言う。

お前、今日どんだけきゅうり食うのよ。こないだも似たようなんばっかだったよな。

好きなんですよ、放っといてくださいと、僕は答える。

ああ、もう大丈夫だ。同僚は笑う。僕も笑む。都合の良い思いかもしれないが、ゆるされたのだ。意固地になることは多々あろう。けれど、僕らは大人だ。

ありがとう、僕はやっと臆病から脱せれた。


「こないだしてくれた変な仙人の話、あれやっぱ映画じゃなかったんだな」

「ええ、秘密にしておきたかったんですけど、でも喋りたいって気持ちもかなりあったんで。この間みたいな言い方しちゃいました」

「そうかよ。で、あのハンカチ、お前が拾って、仙人に返して、いま俺が持ってると」

「そうです」

「あのハンカチな、兄貴のらしいんだよ。兄貴、もう結構前に失踪しててさ、それで、いなくなる前に持ってたもんらしい」

「じゃあ、もしかしてあの男って、お兄さん?」

同僚はもったいぶるように串焼きを頬張り、少しだけ考える素振りをする。

「違うと思う。このハンカチ、兄貴の親友が届けてくれたんだよ、たぶん」

「たぶんですか?」

「そう。無記名で配達されてきたから。けど、恐らく、その人で合ってる。兄貴とその人、よく橋のとこで飲んでたからさ」

「あ、橋って」


隣の団体はすっかり帰ってしまっていて、殷賑な空気は遠く離れていた。

そうか。同僚と男とは、そういう関係にあったか。

「橋の下の、せり出したところだろ」

「そうです。金蓋を押し開けて入る」

「バイパスのとこの」

「行ったことあるんですか」

「一度だけな」


少し嫉妬する。

僕なんかよりも前にあの場所を知っていたことに。

だが話を聞いてなお、打ち明けてくれたということは、僕の意思を尊重してくれたということに他ならない。

切り出すなら、この時をおいてない。

「少し、手伝ってほしいことがあるんです。協力してくれませんか」


帰り着き扉に手をかけ、振り返ると居待月が見下ろしていた。

今日の飲み食いの会計は全額僕が支払った。これでチャラ。明日からまた、これまで通りの仲が戻ってくるだろう。

先輩にも謝っておかなくては。

扉を閉める間際、虫の音が耳に飛び込んだ。それは遊ぶように部屋の中を跳んだ。

僕はベッドに倒れこむ。

「おやすみなさい」

意識は途切れた。

この夜はもうここまで。そして、明日から永劫続く。

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