地獄の魔物8

 いよいよフィア達とムスペルの戦いが始まる。

 花中と晴海が居るのは、ムスペルからざっと四十キロ以上離れた地点の『空中』。ミリオンの個体の一部が絨毯のように広がり、足場となってくれている。高さが上がれば地平線も遠くなり、ムスペルの姿がより一層ハッキリと見えるようになった。

 とはいえやはり四十キロ超えという距離は遠い。障害物は全くないが、体長五百メートルもあるムスペルは兎も角、フィア達の姿なんてもう全く見えない状況だ。

 これより繰り広げられるのは、人智を超える大決戦。非力な自分達人間の知恵が必ずしも役立てるとは限らないが、まともに見えなければ活躍のしようがない。花中の隣に居る晴海は必死に目を懲らしていたが、それでは見えるものにも限度がある。

 必要なのは拡大した画像だ。

「ミリオンさん。あの、望遠鏡みたいな事って、出来ますか? 出来ればムスペルの姿を、もっと、ハッキリ見たいです」

「ええ、それぐらいならお安いご用よ」

「あ。そういやあたしの時にもやってくれたね」

 花中が頼むと足場のミリオンは快諾し、晴海は自分が一度はその恩恵を受けたと語る。

 わたしの時はフィアちゃんが接近戦仕掛けたから要らなかったんですよね……等と思いつつ、花中はミリオンから生えてきた『望遠鏡』の接眼レンズ部分を覗き込む。晴海も同じく覗き込んだ。

 ミリオンが作り出した『望遠鏡』……勿論ミリオン自身により形成されたものだ。原理はよく分からないが、自身が普段解析している『光情報』を表示しているのだろうか……には、ムスペルの拡大画像が映し出されていた。あまりにも大きな画像、そしてその生物的質感に、驚いた花中は思わず後退り。レンズに付けていた目を離してしまう。

 離れた拍子に『望遠鏡』そのものを見れば、接眼レンズには『摘まみ』があり、回せる構造となっていた。本来望遠鏡の倍率は接眼レンズと対物レンズの性能から決定されるものであり、摘まみを回して調整出来るものではない。しかしこれはあくまで望遠鏡っぽいものであり、望遠鏡ではないのだ。

 花中は再びレンズを覗き込み、視界を埋め尽くすムスペルに慄きながらも摘まみを回す。するとムスペルがより一層近付いてきた。慌てて逆に回せば、ムスペルの画像は小さくなる。

 見やすい大きさまで画像を遠ざけ一安心、する暇は生憎ない。

 その時には既に、フィア達がムスペルに隣接していたのだから。

【バルォオオオオオオオオオオンッ!】

 吼えるムスペル。併せて大地を埋め尽くす溶岩が大津波のようにうねり、弾ける。地獄のような光景とは正にこの事であり、その中心に立つムスペルは圧倒的巨体で存在感を露わにしていた。

 対するフィアが取った行動は、同じだけの巨体でぶつかる事だった。

【嘗めんじゃありませんよこの虫けらがああああアアアアアアアアッ!】

 人の言葉を発しながら、しかしなんの理性も感じさせない雄叫び。

 次の瞬間、拡大しても豆粒ほどの大きさでしかなかった人影……フィアが一気に膨れ上がる! まるで爆炎のような急激な巨大化に、さしものムスペルも驚いたのか。僅かながらムスペルは後退り。

【ゴガアアアッ!】

 その隙すら逃すまいと、フィアは巨大化の途中で殴り掛かった! 生えた拳はムスペルの頭部を正確に捉え、強烈な一撃を上から叩き込む!

 ゲンコツのような打撃をもらい、ムスペルは更に後退。その間にフィアはますます大きくなっていく。

 十数秒もすればフィアは戦闘形態である怪物の姿へと至った。魚を彷彿とさせる流線形でのっぺりとした顔立ち。カエルにも似た体躯を屈強な二本の足と、体躯と同じ長さがある太い尾で支えている。胴体にはカエルのものと似た形の腕も付いているが、カエルと違って非常に太くて逞しい。近接戦闘を考慮した、恐ろしい身体付きである。

 されど花中にとっては見慣れた、幾度となく自分を守ってくれた姿だ。見るだけで勇気を与えてくれる。加えて此度のサイズは数十メートル程度ではなく、ムスペルに匹敵する五百メートル近い規模。半透明な身体は足下の溶岩が放つ光を受け、神々しさすら感じさせる輝きを纏う。見た目の上では一先ずムスペルと互角だ。

 水で出来ている筈のフィアの『身体』は、しかし平然と溶岩の湖に足を付け、直立してみせる。足を動かす度に溶岩の津波が起こり、周辺に甚大な被害をもたらす……人間的には大したものではない。拡大する溶岩の側から人々はとうの昔に避難しているか、或いは既にもうこの世にはいないのだ。思う存分やってもらって構わないし、そもそも今はそんな『些事』を気に掛けている余裕なんてない。

 これから始まるのは冗談抜きに、地球の命運を賭けた戦いなのだから。

【バルォオオオォンッ!】

 頭を殴られたムスペルは、しかしこの程度どうという事もないとばかりにその身を大きく振るう! その動きは、花中の目には速さを誇っていた。

 即ち五百メートルという巨体ながら、ムスペルは圧倒的スピードを兼ね備えているという事。そしてムスペルの巨体を思えば体重が数百万トン……比較的形態が似ているアザラシを基準として考えれば、三百万トンを超えていてもおかしくはあるまい。

 やっている事はただの体当たり。

 されどその威力は、文字通り流星の衝突に値する!

【グヌゥッ!】

 フィアの巨体は突き飛ばされ、溶岩の湖に全身を叩き付ける。衝撃で溶岩が何百メートルも跳ね上がり、フィアの『巨体』を覆い隠す。

 ムスペルはそんなフィアに接近し、足の付け根に噛み付く! そしてあろう事か、ムスペルと同じく数百万トンはあろうフィアの『身体』を軽々と持ち上げ、溶岩で満たされた大地に叩き付けた! 溶岩が爆発したかのように飛び散り、衝撃の大きさを物語る。

 フィアはもう一方の足でムスペルを蹴り上げるが、まるで効果がない。何度も何度も、ムスペルはフィアを叩き付けた。

 生半可な生物ならばこの時点で大きな怪我を負い、形勢は不利なものとなるだろう。されどフィアの巨体は紛い物。噛まれようが叩き付けられようが本体にはなんのダメージも届かず、戦闘に支障はない。

 フィアは魚面の顔をニヤリと歪めた

 瞬間、フィアの『身体』から無数の水触手が生えてくる! ムスペルが己の失態に気付き顔を上げるも既に手遅れ。水触手はムスペルの身体やヒレに絡み付き、縛り上げて身動きを封じた。

「おっしゃあああああああああっ!」

 そこを追撃するのがミィだった。四十キロ先まで届く勇ましい咆哮を上げながら、彼女はムスペルに肉薄する。

 今のミィもまた人の姿はしていない。体長三メートルを超えるネコ科の猛獣……本来の姿を取っていた。人間の姿や、小さな猫の姿は人の世で暮らすためのもの。筋力で骨格を変形させ、その筋肉も形態維持のため収縮させた、いわば『リミッター』が掛かった状態だ。

 本来の姿を取ったミィの力は圧倒的だ。全身の筋肉を余す事なく使い、姿を維持するために費やしていたエネルギーを乗せられるのだから。

 彼女の放つ一撃は、流星をも超える。

 ミィは全体重を乗せた蹴りを、身動きの取れないムスペルの下顎に喰らわせた!

【バルルォオオオオオオオオオオォンッ!?】

 重たい打撃を受け、ムスペルが悲鳴染みた声を上げた。大きく身体を仰け反らせ、全身の筋肉をはち切れんばかりに膨れ上がらせる。ミィの蹴りにより与えられた、全身を駆け巡る破滅的な力に耐えようとしているのだろう。

 全力の助走から放たれた蹴りは、ミィにとって最大最強の一撃だった筈である。それを耐える以上、ミィの攻撃がムスペルには通じない事を意味していた。

 尤もそれは、ミィがここで攻撃の手を弛めれば、の話だが。

「オラァッ! これでも! 喰らえッ!」

 ミィは決して手を弛めず、身動きの取れないムスペルの身体の側面へと回り込むや、拳と足による打撃を三発喰らわせた!

 ムスペルは更に全身を膨らませ、己の筋力でこれを堪える。しかし何時までも、永遠に使えるものではないらしい。全身の肉が今にも弾けそうな状態で、ギチギチという肉の張り詰める音が遠く離れた花中にまで届く。これ以上は無理だと泣き叫ぶかのようだ。

「これで、どうだっ!」

 止めとばかりに、ミィは長く伸びた尾をムスペルの胴体に叩き付ける。

 瞬間、ミィが尾を叩き付けたのと丁度反対側に位置するムスペルの皮膚が、爆発するように弾けた! 血液だけでなく肉片も飛び散り、大きな傷をムスペルに刻み込む!

 されどムスペル、この程度では死なず。

 それどころか機敏に身体を動かし、ミィの方に顔を向けてきた。ミィは不味いと思ったのかすかさず跳び退く。

 もしもあと数瞬遅ければ、ムスペルの口より吐かれた半透明な何か……直撃したマグマが爆発するような攻撃を受ける羽目になっただろう。とはいえ直線的な攻撃であれば、ミィの驚異的反応と素早さを用いれば回避は容易だ。そう簡単には当たるまい。

 そう、直線的であれば。

【バル……ルォォォォオオオオオ……!】

【ぐっ!? 不味い!】

「やっべ!」

 ムスペルが唸り始めた、次の瞬間フィアとミィが動いた。ただし攻撃ではない。フィアは『身体』を崩してムスペルの傍から脱出し、ミィは全力疾走で離れる……即ち逃走だ。

 遙か四十キロ離れた花中ですら感じる、ぞわぞわとした悪寒。千三百万人、否、そんなものでは収まらない人命を易々と奪い去る破滅の力が来るのだと察したがために。

【オオオオオオオンッ!】

 一際大きな叫びと共に、ムスペルを中心にして半透明な靄がドーム状に広がった!

 自衛隊の戦闘機や、テレビ局のヘリコプターを溶解させた一撃だ。直撃すれば一瞬にして溶かされてしまうだろう靄に、フィアとミィは慌ただしく逃げる。されど広がる靄の速さは凄まじく、ミィは兎も角フィアの足では間に合わない。

 広がる靄にフィアの『身体』が触れた。溶岩を生み出すほどのパワーに、フィアの『身体』もどろりと溶ける

 筈だった。

 しかしフィアの『身体』は靄を受けても溶けず、怪物の姿を保っていた。なんの影響も受けなかった、という訳ではない。靄に触れた瞬間フィアの身体は猛烈に震え、今にも弾け飛びそうになっている。されど弾ける事はなく、なんとか堪えていた。

 ついに靄はフィアの全身を通り過ぎ、フィアの『身体』の震えは収まる。

 これにはムスペルも驚いたのだろう。目が見当たらず表情の読み取れない顔が、驚愕の感情で歪むのを花中は確かに感じ取る。

【おおっ! 存外いけるじゃないですか。あなたも偶には役立ちますね】

 そして耐えきった当人であるフィアさえも、大きく驚いていた。遠くまで響くフィアの声を聞き、花中も何が起きたのかを悟る。

 ミリオンのお陰だ。恐らくミリオンは今、フィアの表面ないし内部に潜んでいる。そのミリオンが、フィアに襲い掛かった靄……何もかも溶かしてしまう振動波を中和したのだ。熱 = 粒子の運動エネルギーを操るミリオンにとって、粒子の振動を抑えて状態を維持させる事は十八番と言えよう。

 ミリオンはミィの体表か体内に入り、彼女の身も守っているに違いない。勿論ミュータント化したムスペルの力に抗えるかは実際に受けるまで未知数であり、だからこそフィアとミィは靄から逃げたのだろうが……杞憂だったようだ。

【それじゃあ第二ラウンドといきましょうかァッ!】

「よっしゃあッ!」

 致死の一撃を耐えられると分かれば、恐れるものはない。フィアとミィは雄叫びと共にムスペルに向けて駆ける!

 ムスペルも大人しくやられはしない。否、退く気配すらないと言うべきか。猛然と駆けるフィアとミィを前にして、こちらも怯みもせず、むしろ自らも前へと駆け出す!

 三体は同時に激突。途方もなく巨大なエネルギー同士がぶつかり合い、衝撃波が広がる。溶岩は大津波となり、フィア達を中心にした大きなクレーターが形成された。底はかなり深く、どうやらムスペルの力により、東京は地下百メートルほどが溶解していたようだ。

 溶岩に囲まれたクレーター内部は、さぞ熱くなっているに違いない。何しろ溶岩の温度は一千度を超えているのだから。溶岩の発する高熱を受ければ、その中心もまた同等の高温になる事は容易に想像出来る。

 しかし獣達を止めるには全く足りぬ事もまた、彼女達と何年も暮らしてきた花中には分かる。

【バルォオオオオオオオオッ!】

【ヌゥアアアアアアアアアッ!】

「フシャアアアアアアアアッ!」

 三体の怪物が叫び、ぶつかり合う。灼熱地獄の中でも闘争は止まず、むしろ三匹の殴り合いは地獄の熱量さえも凌駕しているようで、三体を囲う溶岩が消し飛ぶように飛び散っていた。叫びとエネルギーが外部へと放たれ続け、出来立ての地獄さえも破壊する。

 まるで神々の戦。

 それとも地獄に潜む魔物達の闘争。

 どちらの言葉もしっくり来ないのは、彼女達が神も魔物も関係ない、一つの『生命』であると花中は理解しているからだろう。

「す、凄過ぎ……」

 或いは単に見慣れただけだろうか? 同じ光景を見ている筈の晴海がぽつりとそんな言葉を漏らしていたので、単に自分がおかしいだけかもと思い花中は自嘲気味に笑みを零した。

 しかしながら晴海の言葉に全く同意しない訳でもない。確かに彼女達の戦いは人智を超えており、最早「凄い」というなんの捻りもない言葉ぐらいしか例えようがないほど。

 特にムスペルのパワーは圧倒的だ。その上今は、最初の頃の激突とはまた違う立ち回りをしている。

 フィアに喰らわせるのは噛み付いてからの叩き付けではなく、体当たりや尾による殴り飛ばし。先の水触手拘束を警戒し、常に距離を取ろうとしているのだろう。フィアが伸ばした水触手は口から放つ振動波できっちり吹き飛ばし、決して自分に近付けない。

 ミィの攻撃も今ではあまり効果がない。先程のように筋力で受け止めていないのか、身体の膨張が殆ど見られなかった。三度は肉が弾け飛びそうなぐらい攻撃を受けているのに、ムスペルにはなんの支障も出ていない。なんらかの、未知の方法で対抗しているのだろう。

 形勢は有利とは言い難い。しかしながらフィア達も大人しくやられてはいない。フィアは振動波で砕ききれないほど太い水触手でムスペルのヒレを拘束し、ミィがムスペルの脇腹に一際強烈な一撃を喰らわせて怯ませる。ムスペルが反撃として放つ振動波が命中しても、ミリオンの力によりこれを耐えた。

 三匹は善戦していた。この星を生まれ変わらせようとしている神を相手にし、苦しいながらも戦い続けているのだ。

 ――――奇妙なほどに。

「……おかしい」

「え? 大桐さん、どうしたの? 何かアイツの弱点について分かった?」

「いえ、弱点では、ありません。おかしいんです。フィアちゃん達が感じた、あのムスペルの力は……以前出会った、とあるミュータントに匹敵、していました。もし本当に、彼女ほどの力が、あるのなら、こんな善戦、あり得ません」

 花中は思い出す。フィアがムスペルの力を、とある『大蛇』に値すると称していた事を。

 アナシスだ。人類が大出力水爆を投じても無反応だった異星生命体を、苦戦の果てとはいえ駆逐した脅威の存在。その尾の一撃は百五十メガトンの水爆など比にならない威力を有し、全力で暴れれば星をも砕きかねない。

 フィア達はあの時よりずっとずっと強くなった。しかし花中は知っている……水分子を固定する能力も、原子を共鳴により破壊する力も、抵抗を減衰させる力も、アナシスから見れば虫けらの試行錯誤でしかない。彼女が軽く尾を振れば、それだけでフィア達は全滅する。それほどの力の差があるのだ。

 仮にムスペルの力がアナシスより劣るとしても、そんなのは羽虫目線がプロの格闘家と一般成人男性の戦闘力を比べるようなものだ。羽虫側から見ればどちらも勝ち目のない、出鱈目な強さを誇る相手。アナシスに匹敵するとは、それだけ次元が違う存在という事である。

 なのにフィア達は、見たところ苦戦はしているが一瞬で負けそうな気配もない。三匹のアリが人間の手を煩わせる事など、果たしてあり得るのだろうか?

「それは、やっぱアレじゃない? 別のところに力を割いているから、とか」

 考え込む花中に対し、晴海は思い付いたように自分の考えを口にした。花中は『望遠鏡』から目を離し、晴海と向き合う。

「別のところ?」

「ほら、例えばアイツの周りにある溶岩。全然岩石にならないどころか、むしろどんどん温度が上がってる感じでしょ。範囲も、少しずつ広がってるみたいだし……アイツが作り続けているんじゃない?」

 花中が問うと晴海もまた『望遠鏡』から目を離し、遠くを指差す。

 晴海が指し示した溶岩は、ムスペルを中心に三十五キロ以上の範囲に広がる溶岩の一部分。他と比べ特段特徴のないその場所の溶岩は、確かに冷めていく様子はなく、ボコボコと煮えたぎっていた。

 晴海の指先はそのまま溶岩と大地の境界付近へと移る。そこはゆっくりとだが着実に大地が溶岩へと変化し、マグマオーシャンの範囲を広げていた。

 晴海の言う通り、ムスペルは今も溶岩の形勢と拡大を行っているらしい。アナシス級の力を誇るムスペルといえども、多量のマグマを生み出すには力の大部分を割かねばならないだろう。成程、世界の在り方を変えるため全身全霊を向けているとすれば、飛び回る羽虫退治に力を割り振れないのも頷ける。

 しかしムスペルは、何故そうまでして地上を溶岩の海に変えているのか?

 正直なところ花中は、此度の惨事を引き起こした動機が、単なる遊び半分という可能性が最も高いと考えていた。野生を生きる生命は、他種の事などこれっぽっちも考えない。地上侵出が出来そうなら「じゃあちょっとやってみよう」というノリで始めてしまう存在だ。その結果地上に暮らす何千億もの生命体が滅びようとも、ムスペルは気にも留めないだろう。

 だが、フィアやミィという『強敵』を前にしてもなお作業を止めないのは何故か。どうして、そうまでして地表を溶岩で満たそうとしている? コイツは一体『何』を目指して……

 疑念を深めていく花中。されどのんびり思考に没頭するような暇はない。

 フィア達との戦いが拮抗している理由が地球に大部分のエネルギーを差し向けているから、というものならば……解決方法は極めてシンプル。地球に向けていたエネルギーを、ほんの少しだけフィア達に割けば良いだけ。

 そして能力を自在に操るミュータント達にとって、そんなのは児戯にも等しい技である。

【バルォオオオオオオオオオオォンッ!】

 ムスペルが一際巨大な咆哮を上げた。

 その叫びは彼方まで響き渡り、花中達の身体をびりびりと震わせる。途方もないエネルギーを放出し、その力を高めていくのが伝わってきた。

 されど溶岩の海の広がりが止まったのを、花中は見逃さなかった。

 ぞわりとした悪寒が花中の背筋を走る。だがその悪寒をフィア達に伝える術はなく、ムスペルが大口を向けるまでフィア達は動かない。

【バルルルルオオオオオオオオンッ!】

 ムスペルは一際大きな叫びと共に、口より振動波を放つ!

【ムッ……!】

 直線上に居たフィアは、素早くその身を捩る。大きく動けるほどの時間がなく、咄嗟の判断だったのだろう。その判断は正しく、直線的に伸びてくる振動波らしき大気の歪みは、フィアを直撃する事はなかった。

 とはいえ完全な回避も出来ておらず、太く逞しい右腕が振動波を受けてしまう。

 直後、フィアの右腕が

 文字通り消え失せたのだ。跡形もなく、蒸気という痕跡すら残さずに。あまりにも瞬間的な消失に、最初から右腕なんてなかったかのように思えてくる。

 しかしそんなのは現実逃避の考え方。

【バルルォオオオオオオォンッ!】

 すかさず放たれたムスペルの第二射がフィアの頭の半分消滅させ、花中に現実を突き付けた。

 フィアの『身体』は今もミリオンが守っている筈。少なくとも先程の全方位攻撃には見事耐えていた。なのに今の一撃は耐える事はおろか、数秒と堪える事すら出来ていない。

【小癪なァッ!】

 フィアは即座に腕を生やし、ムスペルに殴り掛かる! ケダモノらしい咆哮と共に放った拳は、衝突の瞬間白い靄のようなもの……強烈な衝撃波を放つほどの威力を持っていた。都市さえも壊滅させるであろう、人智を超えた一撃。

 なのに直撃を受けたムスペルは微動だにしなかった。まるでそんな攻撃は、もう何も感じないと言わんばかりに。

【ッ……おのれェ!】

 パンチが効かなかったと分かり、フィアはムスペルより後退――――したのも束の間、全速力で前進!

 それは圧倒的速さでの体当たり。

 純粋な運動エネルギーの攻撃が、ムスペルの身体に激突する! 五百メートルはあろうかという巨体にも拘わらず、花中にはフィアの動きが殆ど見えなかった。即ち音速の数十倍ものスピードでの激突である。流星であろうとも、これほどの速さと質量のものは稀。大量絶滅をも引き起こす『体当たり』だ。

 星の環境をも変える破滅的一撃は、しかし周りには大きな被害を与えない。液状の溶岩が僅かに舞い上がっただけ。即ち衝撃波や熱という形でエネルギーが分散せず、大半がムスペルという一個の生命体に注がれたという事。

 だが、これでもムスペルは

 数多の種族をも滅ぼす神の鉄槌に比する一撃を、ムスペルはそよ風のように耐えてみせたのだ。

【ナ、ニィ……!?】

「ガアアアアアアアアアアッ!」

 予想以上の頑強さにフィアが僅かながら怯んだ、その隙を潰すように今度はミィがムスペルに接近する。

 全身の筋肉をはち切れんばかりに膨らませ、生じた熱によるものかミィの身体は赤く輝く。これまでとは比にならないパワーを生産し、力に溢れた身体をぐるんと一回転。

 その勢いに乗せて放った蹴りを、ムスペルの身体の側面に喰らわせた!

 ミィの特技は桁違いの身体能力。単純な力比べなら、何百万トンという質量の水を操るフィアすら超える。そのミィが全力の蹴りを、フィアの身体よりも何万倍も小さな面積しかない足に乗せて放ったのだ。単位面積当たりの衝撃は、ざっと数万倍。

 棍棒で殴るような、致死的なダメージは与えられないかも知れない。しかし針で突き刺すような、着実かつ深刻な傷は負わせられる。これを繰り返せば如何にムスペルでも……

 人間二人は希望を抱いた。人の期待に応えるように、ミィは更に数発の蹴りをお見舞いする。

 ムスペルは動かなかった。

 微動だにしていない。まるでなんの攻撃も受けていないかの如く。

 これにはミィも驚いたのか、慌てて後退。フィアと共に距離を取り、ムスペルの様子を窺おうとした

【バルォオンッ!】

 刹那、ムスペルが吼える。

 すると突如虚空から、半透明な『何か』が無数に出現――――フィア達の身体を取り囲み、身動きを封じた!

【ヌッ!? コレは……!】

「ギャンッ!?」

 フィアは全身の七割ほどが半透明な何かに取り込まれ、ミィは全身が飲み込まれた。フィアは力を入れて現れた『何か』を砕こうとするが、しかし全く動く気配もない。

 フィア達を取り込む半透明な代物は、一見して何かの結晶体のようにも見えた。観察すれば正六面体のキューブが幾つも連結して出来ているのが分かる。キューブのサイズは小さければ人間一人を丸々包み込む程度、大きなものはざっと一辺三十メートルはありそうだ。

 美しさの感じられる結晶体だが、しかし正体は全くの不明。一体アレはなんなのだ? 何処から現れた? 疑問を抱く花中だったが……野生生物の闘争は花中の理解を待ってくれない。

【バルルルォオオンッ!】

 ムスペルの呼び声に呼応し、虚空より『槍』のようなものが突如として現れた! 複雑な模様や形状がない、木の棒を削って作ったようなシンプルな形をしている。長さはざっと三百メートル。そこらのビルなど比にならない巨槍は、フィア達を取り込むキューブと同じく半透明な代物だ。

 違いがあるとすれば、その先端が鋭く尖っている点ぐらい。

 ムスペルはぐるんと身体を一回転させ、長大な尾で槍を殴り付ける! 巨体から与えられた打撃により槍は直進。目指すは、フィアの『身体』!

 槍はフィアを易々と貫通し、その威力を物語る。無論フィアの『身体』は作り物であり、貫通しようがダメージにはならない。戦闘は継続可能だ。

 しかし更に何十本と槍が生み出され、その全てがフィアを狙っていたなら?

 もしかすると、一本ぐらいはフィアの本体を傷付けるかも知れない。

【ぬ……ヌゥオアアアアアアアッ!】

 フィアは身体より二本の腕を生やした、が、次の瞬間腕は虚空より出現した半透明なキューブにより動きを封じられてしまう。槍を弾き返そうという動作すら、ムスペルは許さぬつもりらしい。

 放たれた何十という槍は、全てフィアを貫く!

 最早逃げる隙間すらないのではないか? そう思えてくるほど、槍はフィアの全身にくまなく突き刺さった。あまりにも刺さり過ぎて、フィアの『身体』よりも槍の占める面積の方が大きいぐらい。その姿は最早怪物ではなく、槍の束という方が正しいだろう。

 親友の姿が一瞬にして変わり果てたところを目の当たりにし、花中は血の気が引いていく。正直、どうして倒れなかったのか分からないほど。

 或いは本能的に、フィアの無事を確信したからか。

 血の気が引いてしばらく経ってから、花中の理性もフィアが槍の猛攻をやり過ごしたと理解する。フィアが能力により創り出している怪物型の『身体』が、崩れていなかったからだ。どうやらフィアはほんの僅かな隙間になんとか逃げ込めたらしい。

 勿論フィアが無傷とは限らない。槍が掠めて大怪我を負っている可能性はある。しかしフィアならば、きっと致命傷は避けている筈。花中はそう信じたかった。

 キューブに閉じ込められたミィも、恐らく生きてはいるだろう。身体能力を操る彼女の生命力は、猫という高等動物のそれではない。全身を謎物質に固められた事で呼吸が出来る状態ではなさそうだが、血中酸素の効率的な再利用ぐらいはやっているだろう。彼女もすぐには死なない。

 フィアもミィも生きている。ミリオンも分散している事で幾らかは生き残っている筈だ。

 問題は、何時までも生き続けられる訳ではないという事。

【……バルルルルォォォォン】

 ムスペルは掠れた声で鳴きつつ、警戒するようにフィア達を見つめていた。這いずるように動きながら、フィア達をあらゆる角度から観察している。

 奴も察知しているのだ。フィア達が自らと同じミュータントであると。ミュータントのしぶとさはミュータントが一番よく理解しているだろう。ならば今の猛攻で死んでいないだけでなく、反撃のチャンスを窺っている事も察しているに違いない。

 特にムスペルが睨んでいたのは、フィア。完全にキューブに閉じ込めたミィと違い、こちらは穴だらけとはいえ『身体』は残っている。その事に違和感を覚えたのか、或いはフィアの方が脅威度が高いと判断したのか。

 ごくりと花中は息を飲む。フィアが少しでも動きを見せれば、ムスペルは止めの一撃を与えてくるだろう。しかしここをやり過ごせば、ムスペルには大きな隙が生じる筈。

 どうかフィアちゃん、動かないで――――

「ね、ねぇ、大桐さん。あの」

 そんな祈りを抱いていた花中は、傍に居た晴海の声に酷く驚いてしまう。跳ねるような動きで振り返ってしまい、晴海もまた飛び跳ねるぐらい驚かせてしまった。

「あ、ご、ごめんなさい……」

「う、ううん。あたしこそごめん、急に話し掛けちゃって」

「気にしないで、ください。それで、なんでしょうか?」

 花中が尋ねると、晴海は一瞬口を閉じる。驚かせてしまった手前、少し話し辛いのか。

 されど話さないという選択のある質問ではないらしく、晴海は恐る恐る尋ねてきた。

「その、フィア達を固めてる四角い奴とか、槍とか……なんか、こう、突然出てきたわよね? アレ、一体なんだと思う?」

「……分かりません。ミュータントの、能力は、色々見てきましたけど……あんな、魔法みたいな力は、初めてです」

「ま、まさか本当に魔法なんて事は」

「あり得ません」

 晴海のおどおどとした言葉を、花中は強い言葉で否定した。

 そう、魔法なんて事はあり得ない。

 この世には重力を操作する生命も、あらゆる物質を合成する生命も、何処までも成長する生命も存在する。生存に役立つなんらかの術があれば、どんなものであろうと、人間では活用する術が思い付かずとも、生命は必ず制御してみせる。数多の超生命体を見てきた花中は、その事実を幾度となく突き付けられてきた。

 もしもこの世に魔法なんてものがあるならば、生命はとっくにそれを使筈だ。何故なら魔法が便利であればあるほど、魔法を使える生物は生き残りやすくなるのだから。やがて魔法を使える生物は子を産み、それらの子孫も魔法を使って生存競争に勝ち抜こうとするだろう。段々と魔法を使う生物は世界中に広がり、魔法は有り触れたものと化す。これが『自然の摂理』だ。

 今の地球には魔法を使う生物がいない。これこそがこの世に魔法が存在しない、存在出来ない確固たる証拠である。故にムスペルの力は魔法ではない。

 なら、一体なんだ?

 あたかも無から有を生み出すような、あの力の原理はなんなのか……

「……っ!」

「大桐さん!?」

 考えを巡らせるが、途端、ズキンッとした痛みが頭を襲う。迂闊にも考え過ぎてしまったか。晴海が駆け寄って支えてくれなければ、そのまま蹲ってしまったに違いない。

 へばっている場合じゃないのに。あの力の謎を解けば、もしかしたら逆転の一手が……

 頭の痛みを堪え、それでも花中は考えようとする。だが、状況が動き出す。

 ムスペルの頭上に、とびきり巨大な槍が現れる。

 槍は刻々と成長していき、五百メートルはあるムスペルよりも更に巨大になっていく。急激な巨大化に槍自身が悲鳴を上げているのか、ギジギジと歪な音が辺りに鳴り始めた。よくよく見れば表面がボロボロと崩れ、強引な巨大化である事が窺い知れる。

 更には、花中達の周りの気温が下がり始めた。

 感覚的なものではない。明らかに寒くなってきていた。続けて息が辛くなってくる。吸っても吸っても、息苦しさが抜けない。

「(何、これ……まるで……)」

 突如として起きた異変。しかしその異変に考えを巡らせる余裕など、今の花中にはない。

 ムスペルの頭上に形成された槍は、全長千五百メートルはあろうかというサイズになっていた。流石にこれほどの大きさになると、ムスペルとて雑には作れないのだろう。奴は少しだけだが身を仰け反らせ、アシカが鼻先にボールを乗せている時のような、上向く体勢で槍を見つめていた。キューブと同じく半透明な材質で出来ている筈のそれは、しかしあまりに大き過ぎるからか、濁っているように見える。

 あまりの巨大さ故に、槍の先端は最早鋭いとはいえない丸みを帯びていた。だが、全長千五百メートルというサイズから見れば十分に『細い』。大質量とスピードの力を以てすれば、あらゆるものを易々と貫通するだろう。

 何より『身体』の何処かに隠れ潜んでいる今のフィアにとっては、大きいというだけで十分過ぎる脅威。残った『身体』にあの槍を差し込まれたなら、いよいよ本体と巨槍が衝突してしまう可能性が高い。

 逆に上手くやり過ごせれば、ムスペルはフィアを仕留めたと油断する筈。

 ムスペルの槍が、フィアの『身体』の何処かに向けられる。遠くからそれを観察する花中に、その切っ先の行く手にフィアが居るかは分からない。

 花中は祈った。星の命運も、自らの無事をも差し置いて、そこに居るかも知れない親友の無事を。

 花中の祈りは――――届かなかった。

【ッオオオオアアアアアアアッ!】

 全身槍塗れの状態のまま、フィアが雄叫びを上げながら動いたのだから。

 ボロボロの『身体』を強引に動かし、フィアはムスペルに拳を振り上げる。狙いは上向きになっているムスペルのボディー部分。人間相手どころか並の怪物相手ならば十分形勢逆転を狙えるだろう強烈な一撃だが……ムスペル相手に通用しない事は、先の肉弾戦でミィがどれだけ胴体に拳を喰らわせてもビクともしなかった点から明らか。最早苦し紛れの攻撃でしかない。

 ムスペルはフィアの反撃を悠々と耐え、いや、無視して攻撃を行う。そうするだけでフィアの命運は尽きるのだ。

 花中ですらそれを察している。野生の本能を有し、直にフィアと対峙しているムスペルが理解していない筈もない。

 ないのだが。

 ムスペルの取った行動は、事だった。しかも力を失ったように、槍を消滅させた上で。

「……えっ?」

【ん?】

 花中は呆気に取られ、フィアもキョトンとした声を漏らす。フィアが振り下ろした拳はムスペルの側頭部を打ち、ムスペルは平然としていたが……花中はその『当然』の結果を呆けた顔で凝視する。

 伏せた、という事は守りを固めたのか。成程防御は重要だ。どんなに有利な展開でも、大きな一発を貰えば逆転もあり得るのだから――――馬鹿馬鹿しいにも程がある。フィアの豪腕を何度頭から受けても平然と耐えていたムスペルが、どうしてこの期に及んで守りを固めるのか。ハエが胸目掛け飛んできたからといって、両腕を正面で構えて身を守る人間が何処にいる。

 ましてや伏せた瞬間、じっくり大きく育てた槍が蒸発するように消えた。確かにムスペルからしたらそれは些末なものかも知れないが、何十秒と掛けて作り上げたものを放棄せねばならぬ状況ではない筈。

 何かがおかしい。なんだ、フィアは何をしようとしたのだろうか。花中は思い出そうとするが、ピンと来るものが全くない。

 フィアがやったのは、精々アッパーのような動きで、仰け反るような姿勢を取っていたムスペルに拳を振っただけ

「ああああああああああああああっ!?」

 と考えていた最中、晴海が突然の大声を上げた。ビックリした花中は今まで頭の中にあった考えが全て吹っ飛び、反射的に晴海の方へと振り返る。身体は縮こまり、申し訳ないがすっかり怯えてしまった。

「は、はひ!? え、あ、な、何、か」

「分かった! 分かったのよ!」

「えっと……?」

 おどおどする花中に、晴海は要領を得ない言葉で訴えるばかり。

 何が言いたいのだろう? 分からないままだと怒られるかも……そんな小心者染みた理由で晴海の言おうとしている事を必死に考える花中だったが、晴海は花中の気持ちなどお構いなし。

 自分の中でどう言うべきか纏まったのだろう。晴海は戸惑う花中に、更にこう伝えるのだ。

「アイツの弱点! お腹、お腹が弱点よ!」

 一発逆転のチャンスを、ついに見付けたのだと――――

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