幕間十五ノ十六

 真冬を迎えた日本のとある山奥。

 森の木々は寒さに耐えるべく葉を落とし、幹と枝だけの姿となっている。地面は秋に降り積もった真新しい落ち葉で覆われ、赤褐色の色合いに染まっていた。下草は生えておらず、開けた空間が広がっている。

 生物達にとって、この景色は辛く厳しいものだろう。隠れる場所はない。食べ物もない。寒さばかりが厳しく、生きるのが辛い……故に多くの生物は姿形を変えて休眠し、一部の生き物達は秋に蓄えた栄養を使いながら細々と生き長らえる。

 この過酷な世界に、賑やかな命の歌声は似合わない。背筋が凍り付くほどの静寂こそが相応しい。

 だが、今日の森は賑やかだ。

「あははははっ!」

「みゅわーっ」

「んだぁー」

 暢気な幼女達の声が、あちらこちらからしているのだから。

 幼女と言ったが、声の主の姿は人間とやや異なるものだった。身長は約五十センチ。頭が大きく、身体の三分の一ほどを占めている。胴体は寸胴で、正しく幼児体型のそれ。手足がとても短く、坂道で転べば、ボールのように何処までも転がっていきそうだ。

 そして何より特徴的なのは、その間の抜けた顔付き。

 所謂ゆるキャラだろうか。いや、ゆるキャラでもここまで緩いものはそうあるまい。兎にも角にも覇気がない。頬はぷるんぷるんしていて、目は丸くてつやつや。口は小さく、鼻は見当たらない。五歳児が書いた落書きのような、著しくデフォルメした人間のような……思い付く表現は多々あれど、かの間抜け面を的確に言い表す語句はどの言語にもないだろう。

 一つ間違いなく言えるのは、一般的には『可愛い』と呼ばれる類の見た目である点ぐらいだ。雛鳥のふわふわとした羽毛のような、とても温かな純白の毛玉を服として着ており、ファンシーさに拍車を掛けている。履いている靴は子供靴のような可愛いもので、よたよたとした歩みにとても似合っていた。

 尤も、全員同じ顔をしているとなると些か不気味な光景にも見えるだろうが。

 幼女らしき生き物……仮に幼女もどきと呼ぶとして……幼女もどき達は五匹も居て、それぞれ子供並の身体能力で森の中を駆けていた。時折転んでころころと転がり、助けようとした誰かも一緒に転び、巻き込まれた子までもころころ転がる。幼女もどき達の山が出来ると、他の子はその中に跳び込んで、山は呆気なく崩れた。とても元気いっぱいだった。

「ねー、おかーさまー」 

 そうして楽しく遊んでいると、一匹の幼女もどきが他の幼女もどきに話し掛ける。『おかーさま』と呼ばれた幼女もどきは、こてんと首を傾げた。

「なにー?」

「おなかすいたのー。ごはんまだー?」

「あ、そうだーおなかすいてたんだー」

「ごはんごはーん」

「ごはんまだー?」

 一匹が空腹を訴えると、続けて他の三匹も空腹を主張し始める。『おかーさま』と呼ばれた幼女もどきは「そっかー」と暢気な返事をした。

「じゃあ、そろそろおうちにかえろっかー」

「そだねー」

「そーしよー」

「さんせー」

「ごはーん」

 『おかーさま』の提案に、四匹の幼女もどき達はろくに考えた素振りもなく同意する。五匹はてくてくと、森の奥に向けて歩き出した。

 ――――彼女達の歩みは異様だった。

 その丸い靴と子供らしい覚束ない歩みは、どう考えても森の中を進むのに適さない。ふかふかとした落ち葉を踏み締めるにはしっかりとした靴底と、強い体幹が必要だからだ。ましてや切り立った崖など、四肢をしかと使わねば大人でも降りられない。

 されど幼女もどき達は難なく前へと進む。分厚く積み上がった落ち葉の上をするすると、切り立った崖すらまるでそこが平面な床であるかのように乗り越える。

 やがて幼女もどき達が辿り着いたのは、一本の古木。寒さに耐えているのではなく、命が尽きたからこそ葉を持たないその木には大きな洞が出来ていた。大きなと言っても、一メートルもないような高さと横幅だが。

 幼女達は小さな身体を洞にねじ込み、奥へと入る……と、彼女達はすっと姿を消した。

 洞の中に、よく整備されたスロープがあるからだ。

 スロープにはマーブル模様が描かれており、ワックスでも塗られているかのように艶やか。長さは果てしなく、何十メートル、何百メートルも下まで伸びている。

 しばらくして幼女もどき達はスロープ ― というより子供が夢見る特大滑り台のような代物 ― の終わりに到着。ぽーんっと投げ出されるように空を飛んだ幼女もどき達は、しかと着地……したのも束の間、後ろから飛んできた別の幼女もどきにぶつかられ、すってんころりん。再び幼女もどきの山が出来る。

「おかえりー」

「ただいまー」

 そうしてスロープを使った幼女もどき達に、その場に居た別の幼女もどきが出迎えた。出迎えられた幼女もどきの一人が、元気に暢気に返事をする。

 そしてその返事は周囲へ瞬く間に広がる。

 だからこの場に居た、幼女もどきが、一斉に帰還者達の方へと振り向いた。

「おかえりー」

「おかえりー」

「おかえりー」

「おかえりー」

 口々に幼女もどき達は、帰還者達を出迎える。ぞろぞろかさかさと歩み寄り、取り囲む。

 帰ってきた幼女もどき達もまた立ち上がり、この空間に居た幼女もどき達と向き合う。

「おなかすいたー。ごはんあるー?」

「あるよー」

「ごはんだってー」

「ごはんがかりだれー?」

「わたしだー」

「わたしもー」

 一匹が伝えた訴えは、あっという間に彼方まで広がる。わいわいと賑やかな声が空間に満ち……やがてペットボトルのような、ストロー付きの半透明な容器が運ばれた。中身は液体で、ちゃぷちゃぷ音を立てている。

 帰還者達は容器を受け取り、ちゅーっと中身を吸い取る。ただし一口分だけ。それだけで彼女達は誰もが満足したような、蕩けた笑みを浮かべた。

「ありがとー」

「まんぷくー」

「でも、もうごはんののこり、すくないよ」

「すくないよねー」

「おはなもくだものもないんだもーん」

「おかーさまー、どーするー?」

 わいわいざわざわ。幼女もどき達は口々に『おかーさま』に尋ねる。『おかーさま』は天を仰ぎながら、ぼけーっと考え込み……

「おかーさまー。あれ、かんせいしたよー」

 その『おかーさま』に、一匹の幼女もどきが報告を行った。

 ざわざわとした話し声が周囲に広がる。誰もが『アレ』とはなんであるのかを理解していたがために。

 そして誰もが笑みを浮かべた。

 一様に、寸分違わず同じ微笑み。感情の色がなく、ただただ口角が上がっただけの顔。

 誰もが言葉を使わず訴える。それを使えと、今がその時であると、何を迷う必要があるのかと。

 『おかーさま』も理解する。

 いよいよ、自分達の計画を実施する時が来たのだ。

「よーし。できあがったみたいだから、このまえはなしたけーかくをはじめまーす。みんなー、のりこんでー」

「「「「はーいっ!」」」」

「「「「みんなー、のりこめだってー!」」」」

 あからさまに今決めた、計画性の欠片もない計画実行の指示。されど幼女もどき達は疑問やツッコミを口にせず、続々と返事と伝言を始めた。

 そして伝言を終えた者達から順に、足下の床を叩く。

 するとどうだ。床はぱかりと開き、幼女もどき達はそのまま下へと落ちていった。『おかーさま』も自分の足下を叩き、開いた床下へと落ちていく。

 数万もの数がひしめく幼女もどき達だったが、迷いない行動と伝言により、ほんの五分たらずで全員が床下に落ちた。

 訪れた静寂。しかしそれが続くのは、ほんの数十秒だけ。

 やがて世界が震え始めた。

 揺れが襲うのは、幼女もどき達が居た空間だけではない。この広大な空間が存在する、山そのものが震えていた。冬山とはいえ木々や動物達がひっそりと暮らしていた世界。シカが慌ただしく走り、クマが冬眠していた穴から這い出てくる。鳥達は全力で飛び、昆虫さえもが冷めきった身体を無理矢理動かした。

 だが、彼等の抵抗はほぼ無意味だった。

 幼女もどき達の居た空間が。空間は天井の上にある莫大な土砂をなんの困難もなく持ち上げた。幾万年もの月日不動を貫いた山体が崩落し、不運な動物や植物が土石に巻き込まれる。生物達は最後まで足掻こうとしたが、十数億トンもの土砂をどうこう出来る訳もない。為す術もなく、運悪くその場に居た殆どの命が潰える。

 大自然の権化たる山が崩壊するのに、一分と掛からなかった。最早そこにかつての山は存在しない。あるのはひっくり返され、茶褐色の大地が剥き出しとなった大穴と――――山の跡地を覆うほど巨大な影のみ。

【さぁ、はっしんだー!】

 壊滅的な破壊の中で、幼女もどきの明るい声が響く。























 彼女達の『帝国』は、その言葉通り動き出したのだった。






















第十六章 異種族帝国






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