あなたはだあれ10

「微生、物……?」

 連れ去られる恐怖など忘れてしまったかのように、呆けた顔を浮かべながら清夏はぽつりと呟く。

 先程まで飛び交っていた悲鳴と罵声と呻きは消え、ビリビリと建物全体を襲う震動の音だけが部屋を満たす。思わず飲んでしまった花中の息さえも、まるで大声のように全員によく聞こえただろう。

 アルベルトはにたりと口角を歪めながら、足下を這いずる花中から目を外し、清夏と向き合う。悪意に満ちたその顔は、下から眺めているだけの花中すら震い上がらせた。清夏は思わずといった様子で後退りするも、アルベルトが腕を掴んでいるため離れる事は叶わない。

「ああ、そうだ。お前は人間じゃない。ただの微生物の集まりだ」

 だから、アルベルトの言葉から逃げる事が出来なかった。

「調査によると、君は酒蔵の中で捨てられていたんだろう? おかしいと思わないか? 普通子供を捨てるのに、酒蔵なんかを選ぶかい? 誰か居るかも知れないし、不法侵入じゃないか。そんな事をするぐらいなら、コインロッカーの中や川にでも捨てる方が合理的だろう?」

「そ、それ、は……で、でも、わ、わたしは……!」

「み、御酒さん! 聞いちゃ、ダメです! そんなの、う、嘘で……!」

 アルベルトが一言一言告げる度に、清夏の顔色がどんどん青くなる。堪らず花中はアルベルトの言葉を全否定しようとしたが、するとアルベルトは一層愉快そうに笑った。

「嘘じゃあない。証拠を見せてあげよう」

 彼は楽しげに宣言するや懐から黒い何か――――所謂拳銃のようなものを取り出し、清夏の脳天に銃口を向ける。

 そしてなんの迷いもなく、引き金を引いた。

 あまりにも一瞬の出来事だった。花中には声を出す暇すらなく、清夏は恐怖で顔を引き攣らせる時間すら与えられない。刹那のうちに銃はその機能を正確に発揮し、小さな出口から鉛玉を吐き出す。その鉛玉は清夏の脳天に食い込むや、速やかに……爆散。

 清夏の頭の半分が、粉々に砕け散った。

「……あ……あぁぁ……!?」

 花中の口から、言葉にならない声が溢れる。

 人間なら即死する状態。人間なら命を失う損壊。人間なら抗いようのない傷。人間なら取り返しの付かない結果。

 しかし清夏にとっては違う。

 頭を半分失いながら清夏は倒れず、自力で体勢を立て直す。命は失われず、それどころか傷口が蠢きながら塞がっていく。十数秒も経った頃には、何もかもが元通りになっていた。

 清夏は死ななかった。人間なら死に至る一撃を受けながらも。なら、彼女が『人間』であると思える者が何処にいるのだろうか?

 彼女自身でさえも、そんな『出鱈目』を信じられるのか?

「え……あ、や、だ……やだ、やだ、やだやだイヤアアアアアアアアアアアアッ!?」

 清夏の叫びが、幻想の終わりを告げた。

「あなた、は……あなたは……!」

「おや、どうして怒るんだい? 僕はただ、真実を伝えただけじゃないか。勘違いは正した方が良いだろう?」

「それが、誰かを傷付けて、良い理由に、なるのですか!?」

「当然だろう? 人間じゃない癖に人間のふりをするなんて、人間に対する冒涜じゃないか……ほら、もう邪魔だから、退いてくれないか? こんな微生物相手に命を賭けても仕方ないだろう?」

 何を怒っているのか、何故そこまで必死なのか分からないと言わんばかりに、アルベルトは肩を竦める。

 腸が煮えくり返るとは、今のような感情を指す言葉か。

 産まれて初めての、憎悪と呼んで差し支えない感情が花中の中から溢れてくる。炎よりも熱く、マグマよりも粘着いた負の感情が、痛め付けられた花中の身体を立ち上がらせた。

「しつこい」

「うぐっ!?」

 しかし立ち上がったところで、アルベルトの蹴りに耐えられる身体になった訳ではない。

 お腹を蹴られた花中は、またしても床に転がり……今度は起き上がれず、その場で丸くなってしまう。

 邪魔者が居なくなり、アルベルトは清夏の腕を引く。今の清夏は抗う事もなく、引かれるがまま歩き出した。アルベルトの後ろをのろのろと、しかし一歩ずつ着実に進んでいく。刻々と花中から離れてしまう。

 花中は、その後ろ姿を眺めるばかり。

 このまま、何も出来ないのか?

 自分に力がないから、清夏を救い出せないのか。無力だから、奪われるしかないのか……悔しさやら悲しさやらで花中の目に涙が溜まり始める。しかし痛め付けられた身体は床を叩く事すら出来ず、花中は歯を噛み締めるばかり。

 やがてアルベルトは部屋の壁に近付く。あの壁は自動ドアみたいなもので、これまでに見てきた建物の変形機能と同様のものが搭載されていると思われる。きっと何処からでも、彼は部屋から出られるのだ。

 即ち手を引かれる清夏もまた、このままでは部屋を出てしまう。

 花中は清夏を呼び止めようとした。なのに喉は震えるだけで、声は出てきてくれない。何度も何度も、口が空回りするだけ。声とは呼べない、擦れた吐息が出てくるばかり。

 だから清夏が一瞬花中の方を見てくれたのは、ただの偶然だろう。

 その偶然の中で見せた清夏の、何もかもを諦めたような表情が花中の心を揺さぶった。

 このまま、アルベルトの好き勝手にされて良いのか?

 友達を攫い、泣かせた輩に、されるがままで良いのか?

 あの子を……『一人』にさせて良いのか?

 ――――何を馬鹿な事を。

 このまま、逃がして堪るものか。

「……ん? なんだ、扉が開かないな……クソ、さっきの震動で歪んだのか? いや、この自立変形壁は自己修復機能があるからそんな事は……んん?」

 アルベルトが間近に立っても、壁はガタガタと揺れるだけで、人が通れるほどの隙間を作らない。こじ開けようとしてかアルベルトは隙間に指を入れて力を込めるが、壁は一層激しく揺れるだけ。目の前の壁が開くのを諦めて別の場所に移動するが、そこの壁も開かない。

 脱出しようと奮戦、或いはもたもたしているアルベルトの後ろで、花中はゆっくりと立ち上がった。

 身体の痛みは、あるにはある。けれどもそれ以上に身体が熱い。身体の内側に熱した鉄の棒が埋め込まれたような気分だ。

 それは怒りだった。

 人間以外の生き物を踏みにじるアルベルトへの怒り。彼に対し何も出来なかった無力な自分への怒り……まぜこぜになる中で、一つだけハッキリとした形を残す怒りがある。その怒りが花中の身体を動かし続けた。

 花中は歩く。アルベルトの方へ。

 アルベルトは花中が立ち上がった事にすら気付いていないのか、後ろを振り向く事もなく、苛立ちを露わにしながら壁を開けようとするばかり。花中がその背後まで近付く事は難なく成功し、

「ふ、にゃあっ!」

 花中は間の抜けた、けれども花中自身としては渾身の力を込めた拳を振り上げた!

 念のために言うと、花中は頑張ってアルベルトの後頭部を殴るつもりだった。

 殴ってどうなるとは考えていない。怒りに突き動かされた、衝動的行動だった。反撃される事も分かっていたが、それすら厭わぬ激昂が頭の中を支配していた。そもそも身長的にどう考えても届かないのだが、怒りで我を忘れてそこまで考えが回らなかった。

 即ち声を上げた瞬間、アルベルトが振り向いたのはただの偶然である。

 その偶然により、アルベルトの顎に花中の拳が当たった事も……当たり方が悪くてアルベルトの頭ががくんと揺れた事も、花中の意図した事ではない。

「ごうっ!? お、ご……!?」

 しかし結果的にアルベルトは頭を揺さぶられ――――がくんと、膝を折った。そのままバタリと倒れ、動かなくなる。

 突然の衝撃に備えが間に合わず、脳しんとうを起こしたのかも知れない。或いは倒れた拍子にまた顎でも打ったのか。倒れたアルベルトはビクンビクンと何やら危ない痙攣をしていたが……普段なら自分の起こした結果に震えるところだが、怒りに満ちている今の花中は息を荒くするだけ。むしろ興奮した鼻息を吐き、やってやったとばかりに笑みを浮かべた。

 それから花中は、アルベルトが倒れた拍子に手放した清夏と向き合う。

 清夏は花中と目が合うと、驚いたように身体を跳ねさせる。次いで逃げるようにその視線を逸らした

 直後、花中は両手で清夏の顔を掴む。

「逃げないでくださいっ!」

 そして振り絞るような大きな声で、清夏への『怒り』をぶつけた。

 怒鳴られた清夏は、諦めたような顔に驚きと恐怖の色を見せる。またしても彼女は花中から逃げるように目を逸らすが、花中は清夏の顔から手を退けない。今ここで手を退かしたら、清夏が何処かに逃げてしまうような気がしたために。

「……どうして、逃げるの、ですか?」

「だ、だって……さっきの、見たでしょ……わたし、頭が、吹き飛んで……あんな事が出来るのなんて、人間じゃ、ないんだよ……」

「見ました。確かに、人間じゃ出来ない、事です」

「なら、なんで……なんでわたしを、助けようとしてくれるの?」

 清夏は花中に問い掛けながら、目を潤ませる。清夏の涙に気付いた花中は一瞬息を飲んだ。

 その一瞬の沈黙を、言い淀みや躊躇いと思ったのかも知れない。

 花中が答える前に、清夏は己の想いを爆発させた。

「人間じゃないんだよ!? こんな、頭が吹き飛んでも生きてるなんて……そんなの、漫画に出てくる気持ち悪い化け物と同じじゃん!」

「……化け物なんかじゃ、ありません。あなたは」

「嘘! 本当は花中だって、気持ち悪いって思ってるんでしょ!? だってこんなんじゃ、友達に会えない、彼氏なんか作れない、お母さんとお父さんに顔向けも出来ない……みんなから、気持ち悪いって言われて……わたしだって、好きでこんな身体に、なった訳じゃないのに……なんで、なんでなの……こんな、こんなの……嫌だよ、わたし、なんでこんな気持ち悪い……う、ううう……!」

 花中が否定をしても、清夏は聞く耳を持ってくれない。叫びはやがて嗚咽に変わり、身体からは力が抜け、花中が顔から手を放すと清夏はその場にへたり込んでしまった。

 花中は無言のまま、清夏の前にしゃがみ込む。泣いている清夏の顔をじっと見つめながら、彼女が気持ちを吐き尽くすを、ただただ待ち続ける。

 人間じゃない事だけでもショックなのに、その正体が微生物の仲間となれば尚更だろう。己の正体が人を傷付けてしまう超能力者どころか、醜くおぞましい怪物だと告げられて、動揺しないでいられる筈がない。清夏の気持ちは極めて正しく、即ち『正常』である。

 だからこそ清夏は――――

 しばらくして、ほんの少しだけ清夏の嗚咽が静かになる。未だ清夏は俯いていて、花中と目を合わせようとはしない。立ち上がる気配もない。

 だから花中は出来るだけ顔を近付け、そっと言葉を囁く。

「あまり、わたしの友達を、気持ち悪いって、言わないでください」

 未だ胸のうちで燻る、清夏への『怒り』を乗せて。

「……かな、か……?」

 花中の声に怒りがあると気付いたのか。清夏は顔を上げると、呆けたように呟く。対する花中は、ムスッと口をへの字に曲げていた。普段からあまり良くない目付きを鋭くし、真っ赤な瞳で清夏を睨み付ける。

「さっきから、気持ち悪い、気持ち悪いって。友達が、気持ち悪いって言われたら、どう思いますかっ」

「え……それは、その、なんだコイツとは思うけど……」

「わたし、今すごく、そう思っています。不愉快です。謝ってください」

「いや、でもさっきのは自分に向けた言葉で」

「謝りなさいっ!」

「ご、ごめんなさい!?」

 気圧されたかのように、清夏は謝罪の言葉を伝えてくる。

 謝ってもらえた花中は荒々しく鼻息を一つ吐き、それからにっこりと、微笑んだ。

「……そんなに、自分を嫌わないでください。わたしは、御酒さんの事が、好きなんです。好きな人の事を、悪く言われたら、悲しいじゃないですか」

「だけど、わたし、人間じゃなくて……菌だって、言われて……」

「御酒さんは、わたしが人間だから、友達に、なったのですか?」

「それは……」

 花中からの問いに、清夏は言葉を詰まらせる。

 友達を作る時、相手が人間かどうかを考える者などいやしない。何故なら普通は、目の前で喋っている者が『人間』だと思って友達になるのだから。

 だけどその判断は、生物学的見地から行われたものではない。出生を辿り、DNA検査を施してから友達になろうとする奴なんて何処にいる?

 人間は友達を作る時、相手が人間であるとどうやって判断する? 何を以て友達になろうと思う?

 人間とは、なんだ?

「……御酒さんは、自分が人間じゃなくて、ショック、ですか?」

「そんなの、当たり前じゃない……」

 花中からの問いに、清夏は少しだけ苛立ちを含んだ答えを返す。花中は、そうかそうかと頷き、清夏の目を見る。

「フィアちゃんも、人間じゃ、ありません」

 それから自分の『友達』の正体を、清夏に明かした。

 清夏は一瞬、その目を大きく見開いた。すぐにその目を元に戻せたのは、『超能力』を有する自分が人間ではないのだから、同じく力を持ったフィアも人間ではないと考えられたからだろう。

「正体は、魚、です。水の中を泳いでいる」

「そう、なんだ……」

「ミリオンさんは、ウイルスです。ミィさんは、猫です。みんな、最初から自分の正体を、知っています」

「……なんだ。知らなかったの、わたしだけなんだ……」

「はい。だから、みんな、自分が人間じゃない事に、ショックなんて感じません……そもそも、人間でいたいとか、思ってもいない、子達です」

 フィアが言っていた。自分がフナではなくナマズだったとして、それの何が悲しいのかさっぱり分からないと。

 当然である。種なんて概念は、人間が学問のため勝手に作り出したものだ。いや、人間同士ですら種の概念は統一されたものとは言えない。Aという種がBという種へ進化する時、何百~何万世代も掛けて徐々に推移・分岐するのである。人間の都合でキッチリと分けられるものではないのだ。

 そんな種の概念を、他の生物がどうして気に留めるのか。する訳がないのだ。その区分けは人間の都合で決められたもので、他の生物にとってはどうでも良いもの。自分がなんという種なのか、そんなのは自分の有り様とは関係ないのだから。

「あの子達にとって、自分が何者かなんて、ものは、自分で決める、ものです。誰かに言われたり、何かに縛られたり、するものでは、ないんです。人間である事に、価値なんて、ないんです」

「……でも……」

 花中が励ましても、清夏は俯くばかり。人間じゃなくても気にするな、という花中の言葉は、清夏の力にはなれなかったらしい。

 その事実に花中は微笑む。

 清夏にとって人間とは、それだけ価値がある事なのだ。そして人間に価値があると思う生き物は、この地球上にたった『一種』しかいない。

「それでも、人間でいたかったと、思うのは……人間だけです。なら、あなたは、きっと人間なんですよ」

 故に臆面もなく、花中はその言葉を清夏に告げる。

 こんなのは、詭弁かも知れない。筋の通らない話なのかも知れない。

 だけど。

 それでも『一人』の女の子の涙を止められたなら……きっとそれは、価値のある言葉なのだと花中は思った。

「……わたし、人間……なのかな」

「そもそも、人間って、実は明確な定義が、ないんですよ? 具体的に定めると、差別を許す事に、なりますから。だったらきっと、誰かが人間だと思ったなら、それはきっと人間なんです。その誰かには、勿論、自分自身も含みますよ」

「何それ。人間って、そんな適当なものなの?」

「はい。適当なものが、確かなものって、思うから、色々、面倒な事が、起きるんです。例えば……今、あそこに居る、人みたいな」

 花中はそっと、清夏の背後を指差す。

 そこに立つのは、一人の男性。

 額に青筋を立て、目を血走らせ、歯を食い縛り……その顔には、お世辞にも理性を感じさせない。怒り狂った獣の顔であり、本性を露わにしたと感じさせる。

 人間至上主義者アルベルト・クラーク・ノイマン。

 何時の間にか目覚めていた今の彼に、知性は微塵も感じられなかった。

「小娘……優しくすれば、付け上がって……!」

「優しく? 優しい男性は、小さな女の子を、ぶったりは、しないと思いますけど。というか、すごく非人間的な、行動ですよね、それ」

「この……!」

 花中の煽りに、アルベルトは一層怒りを露わにする。

 されどどうした事か、不意に彼の口許が笑みを浮かべた。額の青筋は未だ消えず、口の中身を食い縛ったままにも拘わらず。

 アルベルトの笑みの意図がまるで分からず、花中は顔を顰める。そんな花中が見つめる中、アルベルトは後退りをするように花中達から離れ……懐から小さな機械を取り出した。機械は片手に収まる大きさで、真ん中に一つ大きなボタンが付いている。

「やはり、浪漫というやつは追い求めるに越した事はないね」

 そしてぽつりと独りごちながら、彼は機械のボタンを押した。

 すると、部屋がぐらぐらと揺れ始める。

 フィア達が一層暴れているのか? 近付いてきているのか? ――――そうではないと、花中はすぐに察した。揺れ……いや、振動は自分達の足下から迫り来ている。それもかなりの速さで。

 やがて揺れは立つのもやっとな程になる、と同時に部屋の一部の床が割れるようにスライドを始めたではないか。床の下にあるのは大きな穴で、覗き込んでみなければ詳細は分からないが、一メートルや二メートル程度の深さではなさそうである。落ちたらただでは済まないと、花中は清夏と共に部屋の隅へと逃げた。

 直後、穴から『何か』が現れる。

 それは人の形をしていた。しかし人間ではない。全身が金属で覆われた、全長五メートルはありそうな人型機械だった。ただしフィア達の迎撃に向かった、パワードスーツとは違う。ガッチリとしたフォルムだったパワードスーツとは違い、こちらは手足がすらりとしており、一見して女性的にも思える形態をしている。背中には昆虫の翅のようなパーツが付いていた。頭部にも触覚のような物が二本生えているが、アンテナの一種だろうか。

 さながらアニメに出てくるロボット兵器のようなそれは、まるで自らの意思を持つかのように床へと降り立ち、独りでに静かにしゃがみ込む。アルベルトは駆け足でロボットの傍へと向かい、しゃがみ込んだロボットの胸部に手を翳した。するとロボットの胸部が開き、中にあるコクピットを露わにする。

 アルベルトは、迷わずコクピットへと乗り込んだ。

 コクピットの蓋は自然と閉じ、ロボットはゆっくりと立ち上がる。全身の電子機器が光り、文明の力をその身に滾らせた。それからロボットは、花中達に掌を向けてくる。

 掌にぽっかりと空いた穴。

 それがただの穴だと思うほど、花中は楽観的ではなかった。

「な、何、これ……!?」

【まさかこれを出す時が来るとはね……これはね、そこのサンプルのデータを応用し作られた、最新式の強化外骨格さ! 特異生命体相手には流石に力不足なのと、量産化するにはコストが掛かる代物だったけど……むしろ今はそれが丁度良い!】

 ロボットからアルベルトの声が響く。それと同時に一歩、二歩と、ロボットの足が動き始めた。

 無論、そのロボットは花中達に迫ってくる。

 自分達……否、清夏を捕獲するつもりかと花中はアルベルトの考えを察する。生身では埒が明かず、力尽くでやる事にした訳だ。天才が聞いて呆れる乱暴さであるが、しかしシンプル故に対抗策も限られてしまう。少なくともこの巨大ロボットに清夏が捕まったら、花中が幾ら殴り掛かったところでどうにもならない筈だ。

 捕まってはならない。とはいえ走って逃げきれるとも思えない。何しろ相手は数世紀先のテクノロジーを用いて作られた、人類の浪漫と夢の結晶体なのだ。時速百キロで走っても全く驚かない。

 一体どうしたら……悩む花中だったが、ふと自らの手に優しい圧力を感じた。見れば、清夏が花中の手をギュッと握り締めている。

「……御酒さん?」

「大丈夫。わたし達なら、なんとか出来るよ」

 清夏はにっこりと花中に微笑みを向け、それからアルベルトが乗るロボットを睨み付けた。

「もうアンタの好きにはさせないんだから! あっかんべぇーっ!」

 続いて相手を小馬鹿にした顔を見せ付ける。

 突然の清夏の行動に花中は一瞬呆けてしまう。けれどもすぐ、吹き出すように笑いが込み上がってきた。

 最新式のロボット兵器がなんだというのか。超科学がなんだというのか。アルベルトの魔の手から逃れなければ、清夏は平穏と幸せを手に出来ない。向こうに話し合うつもりがないのなら、黙って不幸を受け入れるか、戦って勝ち取るかの二択だ。

 清夏はその二択のうち、後者を選んだだけ。

 花中も同じ気持ちだ。自分も同じ立場なら、同じ選択をしただろう。勿論花中に目の前の巨大ロボットを倒すような力はない。だけど……知恵を貸す事は出来る。

 きっと自分達なら大丈夫。乗り越えられる。

 花中はそう信じ、清夏のフォローに全力を尽くす事を決意。自信に溢れた笑みを浮かべる清夏と顔を合わせ、花中も笑顔を浮かべる。

 丁度その時、清夏が何かを言おうとして口を開いた。なので花中は清夏の言葉に耳を傾け、

「さぁ、花中! さくっとやっちゃって!」

 何故か、清夏は花中に助けを求めてきた。

 ……何故求められたのか分からず、花中はこてんと首を傾げる。清夏も、合わせるように首を傾げた。アルベルトが操る機械も、その場に立ち尽くす。

「……あの、わたしに、何をやれと?」

「え? いや、だって花中も人間じゃないよね? フィア達と一緒に居るぐらいだし。わたしは力が封じられてるから、ここは花中に頑張ってもらわないと」

 尋ねると、清夏は何を言ってるのとばかりに答える。思い返すと、確かに清夏は捕まる際に力を封じられていた。自分ではどうにも出来ないから助けを求めてきた訳かと、花中は得心がいく。

 顔から、血の気はどんどん引いていたが。

「いえ、わたしは、ただの人間ですけど……」

「あ、そうなの? てっきり花中も人間じゃなくて、フィア達ぐらい強いと思ってたんだけど」

「まさかそんな。むしろ、見た目通り、へなちょこです。完全に、御酒さんに頼ろうと、思ってましたし」

「へぇー、そうなんだ……」

「……………」

「……………」

 沈黙が、二人の間に流れる。やがて二人は揃って、錆び付いた機械のようにぎこちなく、正面を向いた。

 立ち塞がる巨大ロボット。現代科学とミュータント工学の結晶体であるそれは、小娘二人の力でどうこう出来る相手ではない。搭載されているであろうトンデモ兵器なんて使わずとも、一メートルはありそうな足で踏み潰されたら一発KOだ。

 そんな相手に向けて、後先考えずに挑発してしまった訳で。

 花中と清夏の顔は揃って青ざめた。

「あ、えと……その、や、これは、勢いと言いますか、そ、それよりも早く逃げた方が、あの、フィアちゃんが来て」

【建物内の移動速度からして、此処に到達するまで約三百秒。建物の迎撃システムを攻撃モードから防衛モードに切り替えたから六百秒は持つ筈だ】

 反射的に飛び出した花中の情けない脅し文句は、極めて理知的なアルベルトの計算により粉砕される。

 アルベルト達の高度な科学力が導き出した値だ。フィア達が此処にやってくるまで六百秒掛かるという予想は、恐らく寸分の狂いもなく正しい。彼等の超科学を打ち破った、あの劇的な『成長』がもう一度起きる……のを期待するのも無駄だろう。あの急成長は困難に見舞われたからこそ起きた事だと思われ、今や受け身になったアルベルト達がフィア達を苦しめられるとは考えられないからだ。

 そして六百秒とは、言い換えれば十分という事。

【もうサンプルさえ確保出来れば良い……覚悟は出来ているな?】

 十分もの間、超科学により建造された巨大ロボットから逃げきれると考えるほど、花中は楽観的な性格ではなかった。

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