あなたはだあれ4

 子供というのはハンバーグ好きなものである。

 というのは少々決め付けが過ぎるだろうが、嫌いな子供よりは好きな子供の方が多いだろう。小麦や卵、肉や野菜など多様な食材を使うレシピであるためアレルギーには注意すべきであり、また肉料理なので信仰・信条などの理由から食べられない人もいるだろうが……そうでないなら、誰に出しても恐らく問題にはならない料理である。

「おおおおお……!」

 実際、ハンバーグを出された清夏は目をキラキラさせていた。

 まだ一口も食べていないうちとはいえ、ここまで喜んでもらえるとは――――花中としても、作った甲斐があるというものである。

 夕飯時を迎え、お腹を空かせたのだろうか。自力で目覚めてリビングまでやってきた清夏のために、花中はハンバーグを手作りした。『お客様』に料理を振る舞うのは、実のところ久しぶりだ。此度のハンバーグは普段以上に手間を掛けて ― ただしお腹を空かせた清夏を待たせぬよう迅速に ― 作った自慢の一品。これなら誰かに食べさせたいと思える、何時も不安げな花中が胸を張れるぐらいの完成度だ。

「も、もう、食べても良い……?」

「はい、勿論です。召し上がれ」

「い、いただきまふ!」

 花中がOKを出した、瞬間、言うが早いか清夏はハンバーグを頬張った。出来たハンバーグは湯気を立ち昇らせ、熱さに喘ぐ清夏の口から白い煙がほわほわと噴き出てくる。しかし清夏はそんな事などお構いなしに、白いご飯も口にかき込み、肉汁と白米のコラボを満喫していた。

 清夏が料理を問題なく堪能してくれている事に、花中は安堵する。

 清夏の正体がミュータントである事を知っている花中だが……清夏の『種』までは把握していない。知ろうと思えば、ミリオンという頼もしい友達の力を借りる事で簡単に出来るだろう。しかし正体を知ってしまったら、ふとしたきっかけでその正体を口にしてしまうかも知れないし、無意識の態度に表れる事もあり得る。

 それならば正体を知らない方が『ボロ』を出さなくて済むだろう。そう考えたがために、花中は清夏の正体を知らないままにしておいていた。

 だからもしかすると、清夏にはハンバーグが食べられない可能性があったのだ。念のため作る前に「食べられないものはないですか」と尋ね、「野菜は嫌い」という答えだったので遠慮なくハンバーグに練り込んだが……どうやら本当に問題なかったらしい。これで一安心である。

「ずずずずっ……ぷはぁ。偶にはこういう食べ方も悪くないですねー」

 ちなみに清夏とテーブルを挟んで向かい側に座るフィアは、どろどろのスープを飲んでいた。スープといっても、捕まえた虫を原型がなくなるまでフィア自らがすり潰したものであるが。流石に虫をそのまま食べると、フィアが人間ではないとバレてしまうので。

「フィアはスープだけで良いの? お腹空かない? わたしのハンバーグ食べる?」

「遠慮します。牛肉とかタマネギとか卵とかニンジンとか好きじゃありませんし」

「……逆に何が好きなのよ、アンタ」

「そりゃあ活きの良い昆」

「はーい、私達も食べましょうねハンバーグ。はなちゃんも早く座ってー」

 ……ミリオンが居なかったら、虫をそのまま出した時と大差ない早さでバレていただろうが。キリキリと走る胃の痛みを堪えながら、花中も自分のハンバーグと炊き立てご飯を持ってフィアの隣の席に着く。果たして一日でも秘密を守れるのか、いきなり不安で仕方ない。

 尤も、席に座った花中の頬は、やがてとろんとろんにふやけてしまうのだが。

 四人掛けのテーブルに、四人が座って食事をする。何時もよりたった『一人』多いだけなのに、凄く賑やかになったような気がして堪らない。楽しい事、フレンドリーな事が大好きな花中には、ワクワクが止まらないシチュエーションだった。こんなにも楽しそうな中に居て、どうして何時までも不安なままでいられるのか。

 心配性な割にゆるゆるな花中の脳みそは、自分の置かれた幸福をあっさりと受け止める。

「じゃあ、わたしも……いただきますっ」

 食への感謝を言葉にした時、花中はすっかり悩みなど吹き飛んでいた。箸で切り分けた自分のハンバーグを一口食べれば、肉汁と共に溢れる楽しさで満面の笑みが浮かぶ。

 ここに楽しいお喋りが加わったら、一体自分はどうなってしまうのだろうか。

「だけど花中って凄いね。小学生なのに、こんなに料理が上手なんて」

 答えは清夏の一言で明らかとなった。

 ただし思い描いていた結果とは真逆の、笑みが強張るというものだったが。ギギギと音が鳴りそうな鈍い動きで顔を上げ、花中は首を傾げる。

「……はい?」

「だから、小学生なのに凄いねって。わたし、中学生なのに料理とか全然出来ないもん」

「……………あ、えっと……」

 返事に窮し、花中は目を泳がせる。

 確かに、花中自分は小さい。

 清夏と大体同じぐらい……いや、ほーんのちょっぴりだけ小さい事は否定しようがない事実である。清夏は中学一年生らしいので、清夏よりも小さいなら小学生に間違われるのも仕方ない。大体にして小学生呼ばわりは慣れている。

 そう、慣れているのだが。

 ……昨年まで小学生だった子にそう呼ばれると、如何に花中でもダメージが大きかった。

「花中さんって高校生ですよね?」

 そして一番の友達であるフィアが、そんな花中の複雑な乙女心を察してくれる筈もなく。

 あっさりと明かされた花中の『秘密』に、清夏は大きくその目を見開いた。

「嘘!? え、高校生なの!? って事は年上!?」

「あ、はい。一応、二年生です……」

「しかも二年生って……わたし、学校でもそこそこ小さい方なのに」

「ぐふっ」

 清夏の無邪気な一言が、花中の脆弱なハートに突き刺さる。項垂れた花中を前にして清夏はおろおろしてしまい、花中の気持ちなど分からないフィアは自分のスープをゆっくり味わうばかり。ミリオンはくすくすと笑いながら、どうせ味など分かっていないハンバーグを淡々と食べていた。

 慰めがないのでなんとか自力で復帰し、花中はちょっとばかり背筋を伸ばす。決して、背を伸ばそうとした訳ではない。決して。

 なのに清夏は花中の『ストレッチ』を見るや、噴き出すように笑った。ムスッとした花中から清夏は顔を逸らし、笑われた側である花中も段々笑いが込み上がってくる。

 気付けば、清夏と花中は二人して笑っていた。

「あははっ! あはははっ! あー、もう……こんな楽しいご飯、久しぶりだぁ」

「ふふっ。それは、何よりです」

「うん……ありがと。ちょっと、元気になれた」

「そうだとしたら、わたしとしても、嬉しいです」

 明るく振る舞う清夏を見て、花中は心からそう思う。

 言うまでもなく、清夏は本調子を取り戻した訳でも、ましてや心のわだかまりが全て消えた訳でもないだろう。『両親』や故郷の友人達と再開するまで、本当の幸せはきっと訪れない。

 だけど、その辛さをほんの一時でも忘れさせる事が出来たなら……清夏の幸せを祈る一人として、光栄の極みといったところだ。

 故に、

「さて、十分元気を取り戻したみたいだし、あなたを追う輩について詳しく教えてもらえるかしら?」

 清夏の笑みを曇らせたミリオンの一言に、花中は抗議の眼差しを向ける。

「……ミリオンさん」

「あら? 何かおかしな事を言ったかしら? 何時またやってくるか分からない以上、後回しにしたら探るチャンスを逃しかねない。そうでしょ?」

「それは、そうですけど、でも――――」

 ミリオンの『正論』に対し、花中は『感情』をぶつけようとする。

 気持ちを昂ぶらせる花中を止めたのは、清夏が伸ばしてきた手だった。

「花中、大丈夫だから……その、花中達のお陰で、元気になれたから、今なら平気だよ」

「でも……」

「それに、話さないといけないとは思ってるし。また何時アイツ等がやってくるか、分からないんだから」

「……無理は、しないでください」

「うん。ありがとう」

 清夏は強く頷くと、ミリオンと向き合う。視線から外された花中だったが、清夏の話にはしかと耳を傾ける。

 お陰で清夏の、少し不安げで、震えた小声を聞き逃さずに済んだ。

「アイツ等の目的とか、正体とかは、よく分かんない。血を採られたりしたけど、でも、その血で何をしてるかは、知らない」

「血、ねぇ……何人ぐらい居るとか、そういうのは分かるかしら?」

「ううんと、少なくとも五十人ぐらい? なんか捕まってた時に、それぐらい大勢に囲まれた事があるよ。特に何もされなくて、なんか好きな食べ物とか、そんなのを訊かれたぐらいだったけど」

「ふぅん。誘拐された時の事は思い出せる?」

「えっと、その……もしかしたら、見間違いとか、かもだけど……」

 ごにょごにょと言葉を濁す清夏。先が気になる花中だったが、時間はたっぷりあるのだ。急かしはしない。ミリオンも清夏と向き合ったまま、自身のハンバーグを食べるだけ。

「……救急車に、詰め込まれたような気がする」

 やがて清夏は、恥ずかしそうにそう答えた。

「救急車?」

「う、うん。そんな感じの乗り物。連れて行かれた場所も病院ぽかったから、わたし、てっきり病院に攫われたんだって思って……その……」

 すっかり声が萎んでしまったが、花中には清夏の言いたい事はすぐに分かった。同時に、得心もいく。

 清夏が半狂乱になって逃げたのは、花中が病院に連れて行こうとしたからだ。

 救急車に攫われ、病院らしき場所に監禁されていたのだ。病院やそれに関するものにトラウマを抱くのは至極当然の事だろう。むしろ知らなかった事とはいえ、心の傷を抉る真似をしてしまった事を花中としては申し訳なく感じる。

 その件については、今度ちゃんと謝ろう。そう考えつつ、花中は別方向へも思考を巡らせる。

 清夏を襲った者達の正体は何か。

 清夏は何かの見間違いかもと思っているようだが、別の何かを救急車と見間違うのは中々難しいように思える。また、救急車に暴れる少女が押し込まれたとして……それを目撃した時、どれだけの人が『怪しい』と感じるだろうか? 恐らくそんなに多くはないだろう。救急隊員が人攫いをするのだから。用意出来るのなら、救急車を誘拐に使うというのは意外と理に適っている。

 それから構成員が五十人を超えるという、清夏を狙う『組織』。話を聞く限りだと、その五十人は清夏を調べようとした調査員のように思える。フィアが撃退した十数名のメンバーは戦闘員だと思われるが、よもや調査員との兼任はしていまい。食事の用意や武器の補充要員も考慮すると、数百から数千人規模の大組織だと予測される。これほどの人員を動かすとなれば、資金力も相応でなければならない。スポンサーを含めれば、果たしてどれほどの規模になるのか……

 そして彼等は、清夏がミュータントである事を知っている可能性が高い。

 こういっては難だが、『普通の人間』を捕まえて一体なんの意味があるのだろうか? ましてや定期的に血を採り、快適な環境を提供するなど、花中には理解不能である。数百人を超える人員を動かすとなれば尚更だ。

 しかしミュータントの研究であるなら、人智を超える生命体の秘密を知ろうとしていたのなら、清夏に降り掛かった『不幸』の説明が付く。

 巨大な組織、優れた軍事、底なしの資金、世界の秘密に届く知識……それら全てを兼ね備えた存在を、花中はたった一つながら知っている。

 否、花中達は、と言うべきか。

「ふふふ。成程成程そういう事でしたか」

 花中が一つの推論に辿り着いたのと時を同じにして、フィアが不敵な笑みを浮かべながら独りごちる。

 自信に満ちたフィアの態度を前にした清夏は目を輝かせ、ハンバーグを食べるのを止めて身を乗り出した。そわそわと揺れ動く身体が、清夏の期待を物語る。

「何? もしかして、アイツ等に心当たりがあるの!?」

「ふふふ。心当たりも何も奴等とは一戦交えた事もあります。まぁこの私の力の前では奴等など虫けら同然でしたがね」

 清夏の問いに、フィアは自信満々に答えた。そう、自信満々に。

 故に彼女は寸分の躊躇いもなく、堂々とその可愛らしい口を開き、

「奴等の正体はタヌキです!」

 臆面もなく、自身の考えを打ち明けた。

 打ち明けられた清夏は、笑顔のまま固まる。先程までのそわそわわくわくな気持ちは何処へやら、油が切れたオモチャのように、ぎこちなく首を傾げた。

 無理もない。清夏は『タヌキ』がどれほど恐ろしいか知らないのだから。今頃清夏の頭の中では、ぽんぽこお腹を叩いている可愛らしいマスコットキャラクターが恐ろしい軍勢を率いるというシュールなイメージ映像が流れている事だろう。少なくとも、この国の総理大臣の顔は絶対に浮かんでいない。

 付け加えるならば。

「フィアちゃん……」

「はい花中さんなんでしょうか?」

「それ、多分外れだから」

「えっ」

 花中が伝えたように、フィアの導き出した結論は間違いである可能性が高かった。

 世界人口の一割を占める勢力の巨大さ、人類の一世紀先を行く科学力、何兆という大金を動かす資金、そして自らがミュータントであるが故の知識……確かに『世界の支配者タヌキ』達ならば、全ての条件を満たす。

 だからこそ解せない。

 タヌキ達は、ロボット兵士を開発するほどの科学力があるのだ。ところが昼間襲撃してきた集団は、『中身』が存在していた。機械は壊れたなら再生産すれば良いが、人員はそうもいかない。フィア達ミュータントの実力と思想を知っていれば、そんな消耗品扱いは出来ない筈である。

 仮に、なんらかの理由で『中身』を入れる必要があったとして……花中には変身したタヌキと人間の区別は付かないが、優れた嗅覚を誇るフィアと、体内への侵入が可能なミリオンが彼等を人間と呼称している。ならば、恐らく彼等は人間に違いない。

 彼等の資金力なら人間の傭兵を雇うのは容易いだろう。しかし何故人間という『部外者』を中身にする? もしもその中身が人間側のスパイだったなら、技術を奪われるかも知れないではないか。数で上回る人間がタヌキ達のテクノロジーを持ったら、今の力関係はひっくり返ってしまう。そのようなリスクを彼等が犯すとは考え難い。

 人間を使うという事は、人間の組織である筈なのだ。

「……なーんだ、間違いかぁ。いや、うん。そーだよねぇ。というかなんでタヌキ? 中身人間だったじゃん」

 そんな花中の推測など知る由もない清夏は、ケラケラと笑いながらフィアの考えを扱き下ろす。実際のところフィアの考えはそこまで的外れでもないのだが……花中から間違いだと言われたフィアは言い訳をする事もなく、不思議そうに首を傾げるだけだった。基本、弁明という考えはフィアにはないのである。魚類には必要のない行為なのだから。

 ともあれ、清夏の話から分かるのはこのぐらいが限度だろう。勿論かなり重要な情報の数々であり、じっくりと考えればいくらでも発想を広げられる。

 そして花中的には、胸を撫で下ろすに足る情報だった。

 相手の正体、規模、目的は未だ未知数だが……人間相手なら、フィア達がきっとなんとかしてくれると信じられる。彼女達の力は、本気を出した『人類』さえも虫けら扱いにしてしまうほど圧倒的なのだから。

「うん、これだけ分かれば今は十分ね」

 ミリオンも花中と同じ結論に至ったのか、ぽつりと独りごちる。

 その声を聞き逃さなかったようで、今度の清夏はミリオンの方へと身を乗り出した。

「え!? 何か分かったの!?」

「ええ、分かったわ。私達の勝利は揺らがないって事が」

「? どういう事?」

「人間相手なら負ける訳がないって事よ。私達『超能力者』の力なら、ね」

「お、おおお……! なんかカッコいいし、凄い自信だ……! というかあなたも超能力者なの?!」

「ええ。その通り。熱を操る力を持っているわ」

「熱系! 漫画だと主人公が使うタイプの力だね!」

「あら、能力で主役かどうかは決まらないわよ? 主人公をやるために必要なのは、勝ち続ける事。どんな状況でも、持ち前の手札と頭で切り抜ける者こそが主人公と呼ばれるに相応しいわ。ま、私はどんな状況でも、どんな敵が相手でも負けはしないけどね」

 清夏の正体を隠しながら、ミリオンは飄々と清夏の質問に答える。フィアならば今頃三回は正体が露呈しているところだろう。

 加えて下手に誤魔化しもせず、清流のように速やかな返答は会話のお手本のようでもある。清夏だけでなく、花中も無意識にミリオンの話に惹かれていた。

「ところでミリオンとフィアって、どっちが強いの?」

 尤も、花中が暢気に惹かれていられたのは、清夏が無邪気に地雷を踏むまでだったが。

 ぷつりと、ミリオンの答えが途切れる。ちらりと視線を向けた先にはフィアが居て、フィアもまたミリオンをちらりと覗き見る。視線が合った二匹は同時に顔を向き合わせ、にっこりと微笑んだ。

 瞬間、両者同時に腕を伸ばし、互いの手を握り締める。握手か? 否。

 腕相撲のポーズだ。

「ほほうこの私に勝負を挑みますか。一度は負けた癖に」

「あら、一体何時まで昔の栄光にしがみつくのかしら? あれから対抗策を研究し、更に身体機能も改善してるのよ。あの時の私とは次元が違うの。お分かり?」

「それこそこちらの台詞です。当時の私は力に目覚めたてのほやほやですよ? 老衰寸前のあなたと違い私の伸びしろはこれからです。あなたこそあの時の私と違う事を理解しなさい」

「……丁度良いわ。決着を付けようじゃない」

「望むところです」

 交わす視線の間で火花を散らし、今にも跳び掛かりそうなケダモノの笑みを浮かべるフィア達。放たれる闘争心はただの人間である花中にもピリピリとした電気信号として感じられ、全身にオーラがあるのではないかと思わせる『雰囲気』を二匹は纏っていた。

 まさか自分の迂闊な一言でこんな事になるとは思いもしなかったであろう清夏は、今にも泣きそうな顔で右往左往している。しかしどうすれば良いのか分からなかったようで、やがて助けを求める眼差しを花中に向けてきた。

 とはいえ花中にも、フィアとミリオンを止める事は無理だ。花中からの頼み事は結構聞いてくれる二匹だが、自分自身の『やりたい事』を我慢してくれた事は殆どないのだから。無論人間の中でもとびきり脆弱な花中の力では無理矢理止める事も叶わない。

 だから花中に言えるのは、ただ一つ。

「遊ぶのは良いけど、家の外、それも人気のないところで、してね? でないと、一週間、口聞いてあげないから」

「「アッハイ」」

 成長したのは二匹だけではないと、笑顔で伝える事だけだ――――
















「遭遇後すぐに交戦するも、十数秒で完全に無力化。こちらの攻撃を受けてもダメージはなく、防戦に移る間もなく文字通り全滅……成程、清々しいほどの敗北だね」

 読み終えた書類をデスクの上に投げ捨て、『彼』は特段機嫌を悪くした様子もなく感想を述べる。

 全面ガラス張りで、何処からでも地上を見下ろせる高層ビルの一室。『彼』が陣取るその部屋には『彼』と、『彼』と向き合うように立つスーツ姿の女性の二人しか居なかった。『彼』の感想を聞かされた女性も顔色一つ変えず、自身の掛けている眼鏡の位置を片手で直しながら頷く。

「はい。戦闘員は全員生存していますが、骨折や打撲などにより重傷を負っています。治療をするより、交換をした方が良いと思われます」

「そうだろうね。ま、数は幾らでも揃えられるし、調整に使う薬品も量産体制が整いつつある。だからそこは問題じゃない。問題なのは」

「先の戦力では何度挑もうと、規模を倍増させようと、結果は変わりません」

「その通り。いやぁ、困った困った。あの品質の武器でも結構高いし、生産には時間が掛かるんだけどねぇ」

 『彼』は席から立ち上がり、窓際までゆったりの歩く。何度も何度も、わざとらしく「困った」と呟く『彼』だったが、その仕草に困惑を感じさせるものは何もない。

 あまつさえ『彼』の顔に浮かぶのは、子供のように無邪気で、残忍な笑み。

 窓辺まで移動した『彼』はやがて踵を返し、デスクの下まで戻ってくる。自分がばら撒いた書類の上に肘を突き、おもむろに電話を手に取った。

「保安部。僕だよ。次のサンプル捕獲作戦時に、第二部隊を追加だ。彼等には試作八番装備を付けた状態で出撃させるように。真面目な実戦データが欲しくなったし、そろそろちゃんとサンプルの確保もしたいからね」

 そして受話器に向けて一方的に語ると、返事も待たずに子機へと戻した。

 言いたい事を言い終え、『彼』は椅子の背もたれにだらしなく寄り掛かる。そのままニタニタと、楽しげな笑みを浮かべた。

 『彼』のそんな顔を見た女性は、微かに眉を顰める。

「今より準備を進めた場合、出発まで十八時間ほど有しますが」

「だからこそだよ。成果が上がる頃は、丁度お昼時だ。勝利するにしろ負けるにしろ、食事をしながら面白い話を聞く事に勝る幸福はない」

「……あまり無駄遣いはしないでください。性能の高い『人材』は有限なのですから」

 どう転ぼうと構わない。そんな気持ちを隠しもしない『彼』を、女性は淡々とした言葉で窘めるだけ。

「しかし量産可能だ。なら、寿命が来る前に使う方が正しいと思わないかい?」

 『彼』はその小言を、あっさりと聞き流す。

 これより散るかも知れない命に、なんの興味も抱いていないかのように――――

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