神話決戦3

 モサニマノーマにはまともな家がない。

 ……という言い方は正しくないだろう。島民達は立派で頑丈な家を好まない、と言うのが正確だ。

 彼等は稲藁に似た植物で組んだ、大変『質素』な家で暮らしている。童話『三匹の子豚』に出てくる、長男が建てた家と言う方が伝わるかも知れない。『部屋』の概念すらなく、家族の憩いの場も料理も、食事も就寝も、全てが一室で済まされる。村長の家すら一階建てで、他の家より気持ち大きめ……なような気がする程度の差しかない。ハッキリ言えばどれもが粗雑で、オオカミの鼻息で跡形もなく吹き飛びそうな代物だ。

 しかしながら島民達とて理由なしにそのような家を建てている訳ではないし、ましてや怠け者という事でもない。

 頑強な家を建てるためには石材や樹木など、多くの資源が必要である。だが歩いても数時間で一周出来てしまうこの島で、有益な石材がたくさん産出している筈もない。樹木自体はそこそこあるように見えるが、大半が細長く、ぐねぐねと曲がって育っているため建材として利用するには不向きである。おまけにこの島の気候は高温多湿。ガッチリと隙間なく作った家はすぐ蒸し暑くなってしまい、生活に適さないのだ。

 日常生活については、この家の利便性は伝わっただろうか。

 しかし『家』というものにはもう一つ、重要な役割がある。それは災害から身を守るための防壁としての機能だ。

 軽度な雨風なら兎も角、例えば台風、例えば津波、例えば近くの火山が噴火……等々の災害の前では、稲藁の家ではあまりにも頼りない。では島民は災害とどう向き合っているのか?

 これもまた簡潔に述べるなら――――彼等は、という方法を選んだ。

 津波や台風が来た時、彼等は家を捨てて山へと逃げ込むのである。家を守ろうとはしない。耐えられる家を作ろうとしない。どうせ壊されるのだから、立派な物を作っても仕方ないと割り切っているのだ。彼等は自然が、自分達の手に負えるものではないと考えていた。

 そうして割り切れば、天災はあまり怖くなくなる。災害が来たなら何も持たずに逃げれば良いのだ。大切なのは家族の命であり、何時でも作れる『物』なんかではない。家が壊れたからなんだ、簡素な家だから一日もあれば直せる。

 富を捨てた生活により、島民は執着を克服し、不安を拭い去った。日々の食事にだけ気を遣い、脈々と受け継いだ生活をのんびり続けるだけ。家族と一緒に最期の時まで過ごせるなら、これに勝る幸福などありはしない。

 それが、モサニマノーマの住人が選んだ生き方だ。

「……って、感じかな。お父さんの真似してガイドっぽい事してみたけど、楽しんでもらえた?」

 そのように説明をしてくれたサナは、照れるように頬を掻いた。

「うんっ。すごく勉強になったよ。ありがとう」

 花中が正直に褒めると、サナは顔を赤くして俯いてしまう。にへへ、という笑い声が聞こえたので、かなり喜んでいるらしい。容姿はまるで似ていないのに、二人の姿は姉妹のように仲睦まじいものだった。

 花中とサナは今、モサニマノーマの村の中を歩いている。日本から持ってきた時計が示す時刻は午後四時ちょっと前。冬を迎えた日本では今頃薄暗くなっている頃だが、流石は南国の島モサニマノーマ。陽は未だ高く、力強い日差しが降り注いでいる。こんな事もあろうかと持ってきておいた麦わら帽子を被らねば、貧弱な花中にはちょっと厳しかったかも知れない。サナは島育ちなだけあり、平然としていたが。

 そんな二人が居る村は、先程説明されたように並ぶ家はどれも草で出来た質素なもの。数はそれなりにあり、百数十という人口相応の村に見える。まだまだ陽のある時間だけに、家の外で精力的に活動している島民の姿を見る事が出来た。

 しかし道行く人物は女子供ばかり。男の人の姿がない。

 サナ曰く、男達は漁に出ているらしい。モサニマノーマでは漁こそが日々の『糧』を得る方法であり、大半の男達は猟師として生計を立てている。逆に女はこの時間、家や漁具を直したり、そのための材料を集めたりするのが仕事。故にこの時間村に居るのは、長老や医師、通訳である竜二のようなごく少数の知識人を除けば女性と子供だけとの事だ。

 近代社会に触れていないためか、モサニマノーマには性区別ジェンダーの文化が色濃く残っているようだ。文化の話なので良いか悪いかについては島民達に委ねるとして、学術的には中々興味深い。

 サナと一緒に居るだけでも楽しいのに、しっかりとガイドをしてくれているお陰で知的好奇心も満たされる。花中は自然と微笑みを浮かべ、サナも嬉しそうに笑い返す。二人の会話は途切れる事を知らず、ずっとずっと弾みっぱなしだった。

「……つーん」

 そんな花中達の姿を前にして、花中の数メートル後ろを歩くフィアはふて腐れるようにそっぽを向いていた。

 普段なら花中にべったりくっついているフィアだが……今日は花中に断られている。

 少し前に行われた花中の取り合いは、サナの方に軍配が上がった。フィアとは帰国後も会えるのに対し、サナとは何時再会出来るか分からない。どちらかを選べと言われたなら、サナを選ぶに決まっていた。日本に帰ったらたくさん遊ぼうと花中はフォローを入れたのだが……この程度の理屈が通じたら、今まで苦労はしていない。フィアはすっかり拗ねてしまい、口を利いてくれなくなってしまった。尤もこうしてずっと付いてくる辺りがフィアらしいのだが。ちなみにミリオンとミィはそんなフィアの更に後ろにいて、二匹揃って気儘に観光を楽しんでいる様子。

 なんとか機嫌を直してくれないものかと花中は思っていたが、何分今はサナが隣に居る。フィアは後回しにせざるを得ない。

 多分、日本に帰ったら三日は離してくれないんだろうなぁ……嬉しいような困るような、なんとも言えない未来が脳裏を過ぎり花中はくすりと笑う。唐突に漏らした花中の笑いにサナは目をパチクリさせたが、花中は誤魔化すように全く関係ない、ささやかな話を振った。

「そういえば、観光客って、よく来るの? わたし、福引で、ここの旅行券を、もらったのだけど」

「ううん、島の外の人なんて滅多に来ないよ。というか普段は旅行客の受け入れなんてしてないし」

「え? そうなの?」

「うん。そりゃ、観光客が来てくれたらお金が手に入るのは知ってるけど、この島でお金なんて使わないし……輸入とかも全然やってないからね。今回のは古いラジオが壊れたから、新しいラジオを買うためにやったみたい」

「あ、そうなんだ……」

 つまり本当に滅多にないチャンスを引けた、という事らしい。これは幸運と呼ぶ他ないだろう。今年は危うく死ぬところだった不運に何度か見舞われたが、そうして貯め込んだ『幸運』をここで使えたのかも知れない。

 ……或いはここで運を使い切って、来年も同じような目に遭うのかも分からないが。

「まぁ、アメリカの人ならたまに来るから、外の人自体は見慣れてるけどね」

 等と物思いに耽る中、サナがケラケラと笑いながらそんなぼやきを漏らす。危うく聞き逃すところだった言葉に花中は適当な相槌を打つ。

 それから改めて、首を傾げた。

「アメリカの人?」

「うん。ほら、この島って一応アメリカらしいでしょ。だから年に一回ぐらいはアメリカの人が来るんだよ」

「あー……そういえば、そうだっけ」

 全くアメリカらしさがないので失念していたが、モサニマノーマは国際的にはアメリカ領。尤も一つの『国家』として扱われる州ではなく、先住民保護区のようなものらしいが。駐留している米軍の姿があればまだを感じたかも知れないが、防衛関係はグアムのものと共有しているため、軍人すら滞在していないそうだ。

 ……確かこの島は、そのグアムから二千キロほど離れていた筈。有事があった際、グアムからの支援が来るのは色々終わってからではなかろうか。共有とはいうが、実質軍は置かれていないようなものだろう。

「……軍がいないみたいだけど、その、大丈夫なの?」

「ん? 大丈夫って何が?」

「えと、侵略されないか、とか」

「しんりゃく? ああ、島の外の人が、この島を乗っ取ろうとする事だっけ? まぁ、何も知らなかった昔は兎も角、今は心配がない訳じゃないけど……」

 でも大丈夫。

 そう言いながらサナが指差したのは、家々の間から見える大海原の方。青空と海面しか見えない景色を示され、花中は目を凝らしてみる。

 ……何やら地平線の辺りに、ポツンと浮かぶものが見えた。

「ミスナムギーに住んでる神様が、私達を見守ってくれてるからね!」

 その事に花中が気付くのを待っていたかのように、沈黙を挟んでいたサナは自慢気に胸を張って説明する。

 自信満々なサナには申し訳ないが、花中は一層戸惑うだけだった。何しろ『ミスナムギー』なるものが何か、さっぱり分からないので。

「えと、ミスナムギーって、何?」

「ほら、あそこに見える島だよ。意味は『神の島』。今日みたいに天気が良いと、村からでもよく見えるんだ」

 サナは大海原を、正確には地平線に見える島を改めて指差す。花中も改めて地平線を凝視……見えるには見えるが、花中の目にはポツンと何かが浮かんでいる程度にしか分からない。サナにはハッキリと見えているのだろうか?

 ふと、モサニマノーマの近くには火山島がある、とガイドブックに書かれていた事を花中は思い出した。あれがその火山島なのだろう。島の標高次第ではあるが、割とハッキリ見える伊豆大島が本土から二十五キロ程度の距離らしいので、微かに見えるあの島までの距離は五十~百キロ程度か。

 『神の島』という呼び名から推測するに、モサニマノーマの住人はあの島を信仰の対象としているらしい。火山を信仰の対象とするのは、世界中で見られる文化だ。火山が守ってくれる、というサナの考えは島民としては一般的なものかも知れない。侵略する側から見ても、何時噴火によって壊滅するかも知れない土地を奪うのは、デメリットばかりで旨味はなさそうだ。おまけにこの島はアメリカ領。世界最大最強の軍を相手してまでこの島が欲しい人は、恐らく何処の国にもいないだろう。

 しかし『味方』……アメリカから見ればどうだ?

 アメリカ本土からグアムまでは九千キロ近い距離がある。アメリカから七千キロ地点に位置するこの島に基地を整備すれば、有事の際補給や整備などの面で役立ち、グアムの防衛力強化に大いに貢献する筈だ。グアムの基地には極東有事の時には在日米軍と共に『最前線』として機能する役割もあるため、そこの防衛力が高まればアメリカと度々利害が衝突している色々な『某国』に強いプレッシャーを与えられる。いくら噴火が頻繁にあるとはいえ、数十~数百年に一度なら拠点化作業自体に支障はない筈。加えて、その数十~数百年に一度起こる噴火の兆候を知るためにも定点観測が可能な基地はあって然るべきだ。

 何故アメリカはこの島に軍事施設を造らないのか、或いは島民を退避させたい本当の理由はこれなのか……

「っと、そろそろ頃合いかな」

 花中が世界情勢と島の立地に思考を巡らせていると、ふと、サナが小さく独りごちる。頃合い、という言葉は聞こえたので、花中はこてんと首を傾げた。

「? 頃合いって、何かあるの?」

「うんっ! 花中ちゃんに見せたいものがあるんだ。こっち来て!」

 質問に勿体ぶった答えを返すや、サナは花中の手を掴んで引っ張る。花中はサナより二つも年上だが、サナの方が身体は明らかに大きい。そして花中に、抗う気など毛頭ない。

 花中は引っ張られるがまま、村の奥へと連れて行かれる。小さな家々の間を駆け、ついには村を抜け、開けた砂浜に辿り着いた。

 訪れたのは、船着き場だった。

 ただし花中がこの島に来た際に使った、手作り感溢れるあの場所の事ではない。曰くあれは島外からの客人向けに突貫工事で作ったもの。今回花中達が案内されたのは村人達が漁に出る船を泊めておくための、日常的に使っている船着き場だ。こちらは村のすぐ傍に存在し、徒歩でも数分で辿り着ける場所にあった。

 尤も、砂浜に打ち付けられた木の杭に縄が付いているだけの代物を『船着き場』と呼ぶ事に、近代国家で暮らす花中には僅かな抵抗があったが。杭は一本だけでなく何十と生えており、砂浜の美しさと相まって奇怪な芸術品と説明された方がまだ納得出来そうな景色を作り上げていた。

「……ここが、船着き場?」

「うん。この島では陽が昇る頃に海に出て、大体あのぐらいの高さまで落ちた頃に帰ってくるんだ」

 サナは傾いた太陽を指差しながら、そう説明する。非常に大雑把な時間感覚であるが、時計のないこの島で太陽は時間を示す数少ない指標だ。恐らく、島民の誰もが同じ時間感覚を有している。

 であるならば、サナの話が『外れる』なんてあり得ない。

「あ! ほら、見て見て!」

 興奮気味に声を上げたサナが指差す方角を、花中は言われるがまま見遣った。

 指し示されたのは海。そこにはたくさんの船が浮いていて、そのどれもが島を目指して進んでいた。船は勿論立派な船舶などではなく、木を組み立てて作ったのだろう、イカダの発展形のような代物。サイズはバラバラだがいずれもそこまでの大きさはなく、精々二人乗りが限界な様子。そして乗っている人々は誰もが上半身裸の男達で、如何にも海の男らしい屈強な肉体で船を操っていた。

 帰ってきた船はスピードを落とさず、砂浜に乗り上げる形で止まる。何処が誰の場所かなどは決まっていないのか、時には譲り合いをする姿が見られた。船に結ぶロープも空いている物を適当に使っているようで、時折両側の縄が使われて困っている村人が現れていた。しかしその姿に気付いた隣の村人が、自身の船に使っていたロープを躊躇いなく渡すところに、他者への思いやりの強さが感じ取れる。或いは『自分の物』という概念が薄いのかも知れない。

 そうやってのんびり穏やかに後片付けを済ませ、全員の船を縄で結んだのを確認。村人達は足並みを揃えて船から離れた。

「うふふ。今日は大漁かな? 大きなお魚が取れたら、ちょっとした宴が開かれるから楽しみだよー」

 ワクワクを抑えきれない様子で、サナがそう説明してくれる。花中の二つ下であるという事は、サナは日本人なら中学二年生ぐらいのお年頃。食べ盛りであり、食への意欲が最も強い時期と言える。今日の夕飯が楽しみでならないのだろう。

 従妹の可愛らしい姿に微笑む花中。サナと一緒に、帰還した村人達の方へと顔を向けた。

 そして、気付く。

 帰ってきた村人達が、誰一人として笑っていない事に。

 誰もその手に、魚を持っていないという事実に。

「アーヴェ! ナノー、トルーディー?」

 疑念を抱く花中だったが、サナは全く気付いていない様子で村人達に声を掛ける。

 帰ってきた村人達は互いに顔を合わせ、それから年配者らしき人が代表するようにサナの問いに答えた。サナは最初笑顔で話を聞いていたが、段々と表情が曇っていく。

 しかし悲観的という訳でもない。どちらかといえばサナの、そして村人達の顔色は、戸惑いを感じさせるものだった。

 話の詳細は、モサニマノーマの言葉を知らない花中には分からない。けれども彼等の表情からトラブル……それも前例のない事態が起きたのだと予想出来た。

「どう、したの? 何か、トラブル?」

「トラブルというか……なんか、魚が一匹も捕れなかったんだって。一人二人じゃなくて、みんなが」

「みんな……」

 不漁、という事か。

 自然相手の食糧調達。そのような事態も起こり得るだろう――――と思ったのも束の間、停められた船の装備を見て花中は首を傾げた。彼等の漁具は投網だったのだ。必要量が獲れない事はあるだろうが、何十と出て行った船が一隻も成果なしとは……

 確かに、これは何かがおかしい。

「こんな事、誰も経験した事がないって。昨日までは普通に獲れてたのに、まるで今日になって突然海から魚が消えたみたい」

「ふむ。でしたら私が調べてあげましょう」

 戸惑いながら話すサナに、今まで静かに付いてきていたフィアが唐突に声を掛けた。

 いきなり話し掛けられて困惑したのか、サナは僅かながら後退り。されどフィアはサナの事などお構いなしで、返事を待たずに海に向かって歩き出す。村人達を無遠慮に掻き分けながら前へと進み、波打ち際まで行くと立ち止まって湿った砂に手を付けた。

 そのままの体勢でじっとする事、約十秒。

「おや本当に魚一匹いませんね。いえ魚どころかエビなどの甲殻類もいませんしイソメやゴカイも見付かりません。残っているのは貝やイソギンチャクあと海草ぐらいです」

 あっけらかんとした口調で、フィアは花中達に『報告』した。

 サナには意味が分からないだろう。彼女の目には、フィアはただ砂浜に手を付けていただけにしか映らないのだから。

 しかしフィアに水を操る力があると知っている花中には、フィアが能力を用いて周囲の海域を探査したように見えていた。そのフィアが一匹も居ないと結論を出したのだ。間違いなく、この島の周囲に魚はいない。

 例え、それがどれだけ不自然な事であったとしても。

「やっぱり、島の周囲はもぬけの殻?」

「ええ。半径五十キロには何もいませんね。動けない生き物に関しては産卵したり休眠したりしているようです。何がなんでも遠くに逃げるかそれが無理ならなんとか耐えようって魂胆ですね」

「他の動物も感じ取ってる、と」

「そりゃこれだけ存在感を露わにしていますからねぇ……」

 同じく花中達の後を付いていたミリオンからの質問に、フィアは淡々と答える。ミリオンは考え込むように腕を組んだ。

 そして花中は目を丸くする。

 今の会話はなんだ? まるで、何が起きてるか知っているかのようではないか。

「あ、あの、何か、知っているのですか……?」

「いいえ何も。ただ気付いているだけです」

 試しに尋ねてみれば、フィアはあっさりと答える。あたかも誤魔化しているような物言いだが、しかし寸分の言い淀みもない素振りに悪意は感じられない。

 何も知らない。だけど気付いている。

 恐らく言葉通りの意味しかないフィアの答えに、花中はますます困惑してしまった。詳しく訊けばちゃんと教えてくれるかも知れない。

「ま、まぁ! こんな日もあるよ! こーいう時のためにちゃんと保存食は作ってるから、夕飯は心配しなくても大丈夫!」

 しかし、今日はサナが居た。

「あ、えと、サナちゃん。フィアちゃんが……」

 何か知ってるかも、と言いかけ、花中は慌てて口を噤む。

 話したところで信じてもらえない、とは思っていない。が、此処にはサナ以外の村人も多数居る。フィア達に不思議な能力があると知れ渡れば、色々面倒も起こるだろう。

 幸いにして、フィアとミリオンは花中を日本に連れ帰ろうとはしていない。花中が大好きで、かつ花中の気持ちなど考えない二匹が何もしてこないのだ。そこまで逼迫した危機ではない、筈である。

「……ううん、なんでもない」

「? そう? じゃあ次の場所に行こっ! まだまだ案内したいところはたくさんあるんだから!」

 元気さを精いっぱい振りまきながら、サナは先陣切って歩き出す。その足取りは少し早めで、身振りは振り払うように大きい。出鼻を挫かれた事実をなかった事にしたいのかも知れない。

 花中は小さくなるサナの姿を駆け足で追い、フィア達も花中の後ろを付いてくる。

 頭を抱えていては存分に観光を楽しめない。

 まだまだ知らない事ばかりのこの島を、従妹と共に楽しむのを花中は優先するのであった。




 ――――あったが。

「……………なんか、ごめん」

「……………その、こちら、こそ?」

 花中とサナは、揃って項垂れた。

 あれから、色んな場所を見て回った。

 海の次に案内されたのは、島民の貴重な食料の一つである山菜の自生地。その奥にある海鳥の営巣地も紹介してもらった。アシカの休憩所になっているという洞窟や、島中の獣の集まる池も見に行った。

 ところが結果は散々なもの。

 自生地に生えている山菜は何故かすっかり萎れており、大人達が駆け付けるちょっとした騒ぎに。海鳥の営巣地とやらでは、なんと大事な卵を放置した状態で全ての親鳥が姿を消していた。アシカの休憩所ももぬけの殻で、池には獣どころか蟲一匹見当たらない始末。最後にサナは島の中心にある山のてっぺんまで花中を導き、そこから見渡せる大海原の美しさを自慢したが、数秒と持たずに項垂れたあたり苦し紛れだったらしい。確かに絶景なのだが……ぶっちゃけ、海はもう見飽きた。此処まで一緒に来たフィア達も退屈そうで、暇を持て余した三匹は現在花中達の後ろでぐだぐだとしている。

 そしてサナの方も最早ネタ切れのようで、花中達は山頂で立ち往生していた。高い木はなく、草が茂るだけの見渡しの良い場所は休むには心地良いが、観光として成り立っていない。というより南の島とはいえ山頂は地上より少し寒いし、赤味を帯びてきた空に浮かぶ太陽の光は弱々しくて気温がどんどん下がっている。南国向けの格好では徐々に辛くなってきた。正直、もう村に帰りたい。

「うう……なんで今日に限ってこんな事になってんのよぉ……」

 島の見所が悉く潰れサナは悔しそうにしていたが、しかし花中にはそんな悠長にしている場合ではないと考えていた。

 どう楽観視しても、これは異常事態である。

 島の周囲から海洋生物が消え、動物も身を隠している。サナは気付いていないようだが、道中の植物は軒並み萎れ、木々も黄色い葉がかなり多くなっていた。虫も成虫や幼虫は見られないが、卵や蛹は不気味なほど多く見付かった。安心する要素を探すとすれば、死体は全く見当たらなかったという事だろう。

 まるでみんな、何かを恐れているようだ。遠くに行けるモノは遠くに、行けないモノは少しでも頑丈な姿に変わる事で、恐怖に抗おうとしているかのような……

「そりゃこれだけ嫌な感覚がすれば皆逃げ出すでしょう」

 花中が漫然と不安を感じる中、サナの憤りに答えたのはフィアだった。

 あたかも心当たりがある、実際何かに勘付いているフィアの言葉に、サナは飛び付くように振り返る。その表情は助けを期待するようで、しかしすぐに強張ったものに変わっていた。フィアへの悪印象もさる事ながら、まるで全てを見透かしているかのような物言いに不信感を覚えたのだろう。開いた口から出てきた声には、かなりの棘があった。

「何よ。なんか心当たりがあるの?」

「それなりに。詳しくは分かりませんけど」

 問い詰めてくるサナに、フィアは花中の時と変わらぬ答えを返す。無論、サナもこれでは納得するまい。

 ジト目で睨んでくるサナに、フィアは面倒そうに顔を顰める。

「……強いて言えばあそこに原因があるように感じています。なんかヤバい気配があるんですよね」

 それから渋々といった調子で、花中が訊いた時には言わなかった情報を付け足した。

 フィアはその言葉と共に、海の彼方を指差す。一体そこに何があるのかと、じっと目を凝らして花中が見てみると……海に浮かぶ『何か』が見えた。

 勘違いでなければ、あの島は『ミスナムギー』……モサニマノーマの住人が信仰の対象としている火山島だった筈。あそこで『何か』が起きていると、フィアは言いたいらしい。真っ先に連想するのはやはり噴火だろう。自然災害が間近に迫ると、動物達が異常行動を起こすとの話がある。それが現在島で起きている異変の原因なのだろうか?

「原因って……神様が怒ってるって言うの?」

 サナもミスナムギーが原因と言われ、自分なりの考えを口にする。科学文明から切り離されたサナにとって、この異常事態の原因を神秘に求めるのは、ある意味自然な発想なのだろう。

「いや神様なんていないでしょう?」

 尤も、信心など持ち合わせていないフィアは、神様が怒ってると言われても納得出来ないようだが。ミリオンやミィも言葉にはしないが、まるで信じていない事を表情で物語る。

 信じているサナからすれば、面白い話ではないだろう。ムッとしたサナの顔から、うっかり逆鱗に触れてしまったのだと花中は察した。

「居るもん! あの島には神様が居るんだから!」

「そう言われましてもねぇ。見た事があるならまだしもどうせないのでしょう?」

「あ、あるもん! 見た事!」

「本当ですかぁ? 一体何時見たのですか?」

「それは……っ」

 フィアが問い詰めると、サナは言葉を詰まらせる。ハッタリだと思っていたであろうフィアは、それ見た事かとばかりに胸を張った。

 しかし、花中は首を傾げる。

 押し黙ったサナの顔が、言い訳が思い付かないというより、言いたくても言えない悔しさでいっぱいのように見えたからだ。

「……サナちゃん、どうしたの?」

「……あの、誰にも、言わない?」

 訊いてみれば、要求されたのは口止め。どうやら余程隠したい事らしい。ならばそれをベラベラと言い触らすのは、花中だってしたくない。

「うん。誰にも、言わないよ」

 花中が力強く約束すると、サナは少し考え込んだ後、おどおどと辺りを見回した。かなり念入りに見渡しており、余程他人に訊かれたくない事が分かる。

 一分ぐらい、サナは警戒心を露わにしていただろうか。自分達以外の姿がないとようやく認めると、恐る恐る花中の耳元に近付いてくる。

「私、昔ね……神様に、会ったんだ」

 そしてぼそりと、そう話を切り出した。

 曰く、サナが四歳だった頃。この島の子供達の間で『度胸試し』が流行ったらしい。

 簡単に言えばいたずらをして、自分が如何に大人っぽいかを示すものだったとか。自己のアイデンティティを確立したがる幼年期らしい動機と行動だ。しかし問題は、それを監督する大人がいなかったために生じた。

 段々と、内容がエスカレートしていったのだ。一人がなんらかの形で度胸を示したら、次の子供はもっと過激な事をしないと皆が認めてくれない。幼い子供達に、平等という概念は備わっていなかったのだ。客観性以前に最低ラインすら設定していないのだから、評価の厳しさが青天井になるのは必然だった。

 そして自分の番を迎えたサナがやったのは、嵐の夜に舟を出す事。

 詳細を聞かずとも分かるほど危険な行いは、案の定失敗。舟のコントロールは利かず、沖へ沖へと流されてしまった。住んでいる島はどんどん遠くなるが、幼い子供であったサナには船にしがみつく事しか出来ない。

 ついには船が転覆し、サナは海へと放り出されてしまった。周りを海に囲まれた生活なので当然泳げはしたが、嵐の中ではさして役に立たない。もがけどもがけど、島には辿り着けず、段々と身体が沈んでいき――――

 その時、『神様』が現れた。

 『神様』がサナを掬い上げ、守ってくれたというのだ。その後嵐が去ってから『神様』は島の傍でサナを下ろし、ミスナムギーに帰っていった……らしい。

「あの時、神様が助けてくれなかったら溺れ死んでたよ。まぁ、お父さんとお母さんから、なんでみんなと一緒に避難しなかったんだーって大目玉を食らったけど。それに一人で使っちゃ駄目って言われてた船を使ってたのがバレたらヤバいって思って、かくれんぼしてたって嘘吐いちゃったから、本当は海に出てたなんてバレたらまた怒られる……」

「あ、はは……」

 流石に九年前の出来事の真相を知って、怒るとかはないんじゃないかなぁ……等と思ったが、サナは本気でバレるのを怖がっているように見える。相当こっぴどく怒られたのだろう。

 なら、花中からお説教する必要はあるまい。それに怒って機嫌を損ねられても困る。

 折角出てきた『情報』なのだから。

「えと、あの、その『神様』を、他の人は……?」

「見たかって? 多分見てないと思うよ。あの日は嵐が酷くてみんな山に避難していたみたいだし、私が島に戻ったの夜遅くだったから。お父さん達は私を探そうとしたみたいだけど、他の人に抑えられて山に居たみたいだから、きっと見てないよ」

 つまり目撃者はサナ一人。客観的に言ってしまえば、信用に値しない証言だ。

 例えるなら、私はUFOに攫われて宇宙人に会いました、と語る人達と同じぐらい怪しい。いや、これでも信じる人は信じるだろうが、少数派ではある。『私が証拠だ』という宣言ほど嘘臭いものはない。

 しかし花中にとって、サナは大切な従姉妹である。十数年ぶりの再会に加え、会話を交わした時間だって僅かだが……彼女がホラを吹くような人物ではないと信じている。何よりミスナムギーに何かあると言い出したのはフィア達だ。フィアがそれを言わなければ、恐らくサナは若気の至りを打ち明けはしなかっただろう。彼女が辛い想いと共に吐き出した過去を疑うのは、意地悪が過ぎるというものだ。

 恐らく、ミスナムギーには『神様』が居る。それがどのような存在かは分からない ― よもや本当に神様ではあるまい、と花中は考えていた。サナには申し訳ないが信心は持ち合わせていないので ― が、フィア達が違和感を覚えた島に居るのなら何かを知っている可能性がある。もしかすると島に起きている数々の異変の元凶かも知れない。

 無論この島で起きている異変は、花中に直接的な被害をもたらさない。島の問題は島の人間が、或いは統治しているアメリカ政府が解決すべきだろう。しかし同時に、サナ達が遭遇している問題でもある。大切な親戚が困っているのに、どうして見捨てる事が出来るのか。

 花中は、この島で起きている異変を解決したいと思うようになっていた。そのためのヒントを掴んだのだ。無視など出来る訳がない。

 ミスナムギーに住む『神様』に会おうと花中は思った。

「ねぇ、サナちゃん。あの島って、どうやったら行けるの?」

「ミスナムギーに行きたいの? 無理だよ、そんなの」

「そう、無理なんだ……………え? 無理、なの?」

 ところが意気揚々とサナに尋ねたところ、あっさり決意を折られてしまう。

「だってあそこ、神聖な場所だもん。村長も立ち入っちゃ駄目なんだから。大昔は巫女の一族が出入りしてたらしいけど、何十年か前に病気が流行って絶えちゃったらしいし……だから今は誰も行き来してないの。村の人にそれを頼もうとしたら、多分滅茶苦茶怒られるよ?」

 サナの説明に、花中は「むむむ」と唸りながら口を噤む。日本でも女性の登山を禁じている山があったりと、特定の場所で人の出入りを制限する文化は珍しくない。その風習をどうするかは余所の人間が口出しする事ではないが、『真相』を求める立場からすると厄介だ。

 燃える正義感はあれど、方法がなくては意味がない。花中は肩を落とし、諦めるしかないかとため息を漏らす。

「でしたら私が連れて行ってさしあげましょうか?」

 するとフィアがすかさず助け船を出してくれた。

 フィア達は広大な太平洋を渡り、日本列島からモサニマノーマまで生身でやってきた。人間の一人二人を抱えたところで、数十キロ先の島に行くぐらい造作もないだろう。

 フィアの助けがあればあの島に行ける――――その事実に花中は笑みを取り戻し、

 すぐに、がっくりと項垂れる。

「……フィアちゃん、気持ちは嬉しいけど……ここでそれ、言っちゃう?」

「はい?」

 指摘してみたが、フィアは首を傾げるだけで気付く素振りもない。

 サナが居る場所で、それを言ってどうするのか。

 サナは花中の親戚であるが、同時に島民であり、ガイドでもある。ガイドの役割は、観光客を案内するだけではない。不作法な輩が余計な事をしないよう、目を光らせるのも仕事だ。

 そのサナに「ミスナムギーに行こう」と聞かれたなら、止められてしまうに決まっているではないか。こっそり行くとしても、見張られてしまうかも知れない。自分達が邪な考えを持っている事を知られてしまったのだから。

「島に行けるの!?」

 よもや目を輝かせ、身を乗り出しながら尋ね返すなどある訳がない

「……へ?」

 等と思っていたので、花中は素っ頓狂な声を出してしまった。

「ねぇ、ミスナムギーに行く方々があるの!?」

「当然でしょう。我々は日本から単身でこんなくんだりまでやってきたのですよ? 見える位置にある島に行くぐらい造作もありません」

「なら……なら、私を一緒に連れてく事も出来るよね!?」

「勿論。この私の手に掛かれば人間の一人や二人誤差のようなものですから」

 呆気に取られる花中を余所に、サナとフィアはとんとん拍子に話を進めていく。ミリオンとミィはサナの同行をどうとも思っていないのか、話に割り込む気配すらない。

「それなら、私も連れてって!」

「構いませんよ」

 ついにはサナとフィアの話が纏まった、丁度そんなタイミングで花中は我を取り戻した。

「え、ちょ、サナちゃん!? 何言ってるの!? 入っちゃダメな、島、なんだよね!?」

「そうだけど……でも私、もう一度神様に会いたいもん! あの時助けてくれてありがとうって、伝えたい!」

「ぅ……」

 サナの必死な言葉に、花中は声を詰まらせる。

 サナの無垢な気持ちは理解したが、花中の目的はモサニマノーマを襲っている『異変』の調査だ。何があるか分からない以上、サナを連れて行くのはどうなのか。いや、花中も自分の身を守れる訳ではなく、守ってもらう側ではあるが……

「あ、あの、サナちゃん。気持ちは、分かるけど、でも……」

「あー、花中ちゃんそーいう事言うんだ。だったらこっちも考えあるよ?」

「ぃっ!?」

 なんとか止めようとしてみるが、しかしニタリと笑うサナの言葉で声が引っ込む。どんな『考え』かなんて、言われずとも分かる。花中達は、話を聞かれた側なのだから。

「どうしますか花中さん?」

「私達は構わないわよ」

「ま、責任は取れないけどね。余程じゃない限り守ってはあげるけど」

 ミュータント達は呑気そのもの。ミィ以外はサナに身に何があっても構わないのだろう。彼女達にとって、人間とはその程度の存在だ。

 最終決断を委ねられ、花中は視線を右往左往。

 だけど答えを出さない訳にもいかず――――




「きゃーっ!? きゃあぁーっ!? きゃー!」

 歓声なのか、悲鳴なのか、ただ叫んでいるのか。

 いずれにせよサナが上げている大声は、近くに居る花中の頭に響くほどのものだった。ハッキリ言ってかなり五月蝿い。平時なら、いくら年下の従姉妹とはいえ小言の一つぐらいは告げていたかも知れない。

 逆に、平時でないなら仕方ないと諦める訳で。

 モーターボートも真っ青な超高速で大海原を突っ走るのは、どう考えても異常事態であろう。ましてや不安的なフィアの背中に、自力でしがみついているとなれば尚更だ。

「全くやかましい人ですね。花中さんを少しは見習ってはどうですか?」

 尤も相手の事情など何時だって気にも留めないフィアがそのような事情を考慮してくれる筈がなく、不快そうに眉を顰めていた。さらりと褒められた花中であるが、花中はフィアに抱き寄せられた状態である。サナとは安定度がまるで違う。ついでに、この非常識移動は何度か体感しているので割と慣れている。前提条件が何もかも違うのに一体何処を見習うのか、花中にもさっぱり分からない。

「トミューテ! トミューテェーッ!?」

「いや何を言っているのか全く分からないのですけど」

 フィアの物言いに言い返すサナだったが、出てきたのはモサニマノーマ語らしき叫び。どうやら興奮のあまり日本語を失念してしまったようだ。フィアと違い、花中には彼女が何を言いたいのか割とよく分ったが。

 不安定な体勢でこの混乱状態。何かの拍子に手を離してしまい、サナが海に落ちてしまうかも知れない。いや、落ちたところでフィアなら易々と救助出来るが、落ちないに越した事はない。それにこの高速移動中の転落となれば、いくら落ちた場所が水でも怪我をする可能性はあるだろう。当たり所が悪ければ死んでしまうかも知れない。

 安全地帯に居る自分の言葉が届くかは分からないが、花中はサナを宥めようと試みた。

「え、えと、サナちゃん。落ち着いて」

「ツ、ツーディ、ツーディィ……」

「ほら、深呼吸しよう。大丈夫だから、ね?」

 優しく呼び掛け、なんとかサナに深呼吸をさせる。叫ぶのを一旦止めたお陰で改めて叫ぶ事に躊躇が生まれたのか、以降サナは口を閉じたまま。

 フィアに抱き着く腕の力は一層強まったようだが、落ち着きは取り戻せたと見て良いだろう。

「えと、た、確かに、すごく速いけど、でも、速いだけだから。ちゃんと掴まって、いれば、大丈夫、だよ」

「う……ほ、本当……?」

「うん。わたしは、何度も、こうやって、運んでもらってるから、保証、するよ」

「……花中ちゃんが、そう言うなら……」

 花中の説得で、どうにかサナは落ち着いてくれた。とりあえず、これで転落の可能性は最小限になった筈だ。

 花中が安堵している最中、サナは辺りをキョロキョロと見渡す。

 太平洋のど真ん中。鳥や魚以外何もない筈の場所に、今日は異質なものが三つもある。一つは花中とサナを運んでいるフィアなのは言うまでもない。

 もう二つは、ミィとミリオン。

 ミィは水上を文字通り駆けており、ミリオンはスカイダイビング中のように両腕を広げた姿勢で空を飛んでいた。トリックを疑おうにも、天井どころか地面すらない一面の海ではそれも無理。本当に水の上を走り、本当に空を飛んでいる事を認めるしかあるまい。

「か、花中ちゃん、この人達……に、人間、なの?」

 当然、サナがその疑問を抱くのは予想出来る事だった。

 誤魔化したところで、このあり得ない姿を見てしまったサナは信じてくれないだろう。なら、本当の事を話すしかあるまい。

「……その、人間では、ない、よ」

「や、やっぱり!? 魔法使い!? それとも、あ、悪魔とか!?」

「何故そこで悪魔なのですか。そのような胡散臭いモノ共と一緒くたにされるのは心外です」

「じゃあ一体なんなのよ!」

 サナのいきり立った問い掛けに、フィアは「ふふん」と誇らしげに鼻を鳴らして返す。

「ならば教えてあげましょう――――『フナ』即ち魚ですよ!」

 そして自慢気に胸を張って自己紹介。

「は?」

 サナの反応は、酷く冷めたものだった。

 恐らく、とびきり驚いてほしかったのだろう。フィアはサナの反応を見るや自慢気な顔を不機嫌一色に染め上げ、不服そうに唇を尖らせた。

「……なんですかその猜疑心に満ち満ちた反応は」

「いや、魚って……フナ? ってのがどんな魚か知らないけど、どう見てもアンタは魚じゃないし」

「むむ! この私が噓を吐いていると!? ならばちゃんと正体を明かしてやりましょうさぁ見て驚くが」

「フィアちゃん、今それをやったら、一週間、口利かないからね?」

 間違いなく頭をパックリ裂けようとしていたフィアに、花中は牽制の一撃。フィアは口をパクパクさせると、悔しそうに歯ぎしりのような音を鳴らした。確かに正体を明かすなら、『あの』方法が一番かも知れない。が、今それをやったらサナは絶対錯乱する。絶対だ。面倒事を増やしてどうするのか。

「ま、まぁ、人間じゃない、のが、分かれば、良いよ。その、悪魔でもないから。ね?」

「う、うん。花中ちゃんがそう言うなら……こんなのと友達になれるなんて、日本って凄いとこなんだね」

「あ、ははは……」

 サナの中での日本像が、近代国家から魑魅魍魎の国と化した事に花中は苦笑い。なんにせよ、『本当』の自己紹介は無事に済んだ。これで一安心

「はなちゃん。そろそろ上陸するわよ」

 ……する暇は、どうやらないらしい。移動速度が速過ぎるのも考えものである。

 前を向いてみれば、地平線にあった小さな島がすっかり大きくなっていた。思ったよりも立派な三角形をした島の頂点からは、もくもくと白い煙が溢れ出ている。大地の色合いは茶色一色で、草花の姿は確認出来ない。海と隣接している部分は見える範囲に砂浜はなく、何処もかしこも岩だらけだ。

 此処が神の住む島、ミスナムギーか。

 状況が違えば、このまま観光をしたい……そう思わせる迫力に満ちた島だった。モサニマノーマの住人が信仰対象とするのも頷ける。何か、そういった『パワー』が感じられる土地だ。

 しかし今回は、のんびりと島を観に来た訳ではない。フィアは島の岩礁部分に近付くと、軽々とジャンプ。岩礁を跳び越えて内陸部に着地し、しっかりと足場を確認してからフィアは花中を下ろした。サナも、自主的にフィアの背中から下りる。

「ここが、ミスナムギー……」

 初めての土地を詳しく知るべく、花中は辺りを見渡す。

 周囲にあるのは赤茶色の岩石と石ばかり。遠目で見たとおり植物の姿は一切なく、荒廃した世界が広がっていた。植物がないのだから、当然それらを餌とする動物の姿もない。鳥はおろか、昆虫すらもである。島の中央にそびえる山から聞こえる地響きのような、恐らく火山活動によって生じる轟音が辺りに満ちているにも拘わらず、『静寂』しか感じられなかった。茜色に染まった空と相まって、寂しさを一層強く覚える。島の大きさは、モサニマノーマと同じぐらいだろうか。徒歩でも数時間あれば一周出来そうだ。

 果たしてこんな場所に『神様』は暮らしているのか? 少なくとも、周りから何かしらの『気配』を感じる事は出来ないのだが……

「ふわぁぁ……! 上がっちゃった、上がっちゃったぁ……!」

 ……花中が不安になる中、サナはすっかり舞い上がっていた。もう会える気でいるのか、はたまた背徳感からか。いずれにせよ、随分と楽しそうである。

 確かに、不安になるよりは楽しんだ方が良い。やっぱり怖いから帰るといきなり言われても困るし、サナが居ないと神様がどんなヒトか分からないし……

 と、ここで今更ながら花中は気付いた。花中達は、『神様』とやらがどんな姿をしているか知らないのだ。『誰か』と出会う度サナに確認するのも非効率なので、情報共有しておいた方が良いだろう。

「ねぇ、サナちゃん。そういえば神様って、どんな姿、してるの?」

「はわわわわ……え? あ、姿ね。えっと、まずとても大きくてね」

「大きいって、どれぐらい?」

「うーん、端っこが見えない……ぐらい?」

「……はい?」

 具体的なイメージを掴もうとしたところ、サナから返ってきたのは予想外の回答が返ってきた。端っこが見えないサイズとなると、相当に巨大だ。サナが神様と出会ったのは嵐の夜らしいので視界は不良だったろうが、それでも十数メートルは下るまい。確かにこの島は隅々まで見渡せるほど狭くはないし、そびえる火山の裏側ならそのサイズでも十分隠れられるだろうが……

「えと、他の特徴、は?」

「うーんっと、細長くて、目が赤くて……あと、鱗があったかな。でも魚と違って、ヒレはなかったと思う。色は暗くてよく分かんなかったけど、白とか赤みたいな明るい色じゃなくて、緑っぽかった気がする」

 更に詳しく訊くと、サナは淀みなく答える。流石死にかけた中で見た景色と言うべきか、九年も前の出来事なのに簡単に思い出せているようだ。

 しかし花中は一層困惑する。大きくて、鱗があって、ヒレはない? 神様と聞いて勝手に人型を想像していたが、どうやらサナを助けた相手は人とは似ても似つかない姿をしているようだ。

 なんにせよ、情報は情報。それに身体が大きいのは、探す上では都合が良い。友人達の力を借りれば簡単に発見出来そうだ。

 早速行動を起こそうと花中はフィア達の方へと振り向き、

「……やっぱさ、帰った方が良くない?」

「うーん、確かに近付き過ぎたかも。思ったより大きいわよね、これ」

「今までの感覚は余波でしかないという訳ですか。ぶっちゃけ今の時点で既に勝てる気がしないんですけどねぇ」

 不穏な会話が耳に入ってきた。

 ……特に、フィアが口にした「勝てる気がしない」という言葉に、花中は血の気が引くのを覚える。

 フィアは常に自信満々だ。それに見合った実力はあるし、多少の不利はひっくり返せると根拠なく思えるほど前向きな性格をしている。その逞しさに呆れる時もあれば、頼もしさと感謝を覚える時もあった。

 そんなフィアが、余波だけで負けると感じている。

 どれほどの力の差があればそう思えると言うのか。いや、それ以前に何故フィアは急にそんな事を言い出したのか? 一体『誰』がフィアにそんな想いを抱かせたのか。

 そしてそいつは、『何処』に居るのか。

「あ、あの、みなさん……」

「いやはや、まさかこんなのが地球にいたなんて」

「ここ数ヶ月は危ない事なんてなーんもなかったですからねぇ……勘が鈍りましたか」

「だからあたし言ってたじゃん。さっさと逃げようって」

「逃げるって何処によ」

「コイツ相手では何処に逃げても同じじゃないですかね?」

「そうかもだけどさぁー」

 訊こうとするが、フィア達は物騒な会話を暢気に続けている。諦めや達観ではなさそうだが、しかし彼女達がこんな言葉を使うなんて初めてではなかろうか。

 一体、何が起きようとしている?

「ねぇ、さっきから何を話してるの? 早く神様を探しに行こうよ」

 込み上がる不安と恐怖で声が出なくなった花中の代わりに、サナが三匹を問い質す。問われた三匹は顔を見合わせると、代表するようにミリオンが一歩前に出てきた。

「ごめんなさい。ちょっと盛り上がっちゃってね……あと、あなたの言う神様、多分もうすぐ会えるわよ」

「え? ほんと?」

「あくまで多分よ。でもまぁ、人違い……いや、神違いって事はないでしょ。あんなのが二体も三体もいるとか考えたくないし」

 肩を竦め、本気で嫌そうにぼやくミリオン。

 まるでその言葉を、聞いたかのようなタイミングだった。

 突如として、大きな地震が花中達を襲ったのは。

「きゃっ!?」

「うひゃあっ!?」

 一瞬身体が浮かび上がるような、巨大な揺れ。不意を突かれた花中とサナは体勢を崩し、蹲るように地面に手を付く。ゴツゴツとした岩肌が花中の柔らかな掌に刺さり、痛みで花中は顔を顰める。

 そんな花中達を心配する素振りもなく、フィア達は一点を見続けていた。まるで、に何かが居るかのように。

「いよいよ来ますかってうっわなんですかこれ……いや本当になんですかねこれ」

 フィアが呆れるようにぼやく最中も、揺れは一向に収まらない。それどころかどんどん、止まる気配もなく強くなっていく……このままでは、地球が割れるのではと錯覚するほどに。

「ふぃ、フィアちゃん!? 何か、何か知ってるの!?」

「いいえ何も。我々は何も知りません。ただ感じ取っているだけですよ……本能的に」

 恐怖のあまり叫ぶように問い詰める花中に、フィアは視線を向ける事もなく淡々と答える。

 本能。

 人の世で暮らしているとはいえ、フィア達は野生動物だ。ミュータントとなる前は日々天敵や同種との競争に明け暮れ、ミュータント化してからも時折命懸けの争いをしている。確かにここ数ヶ月は平和そのもので、フィアが漏らしたように「勘が鈍った」りもしただろう。だがそれでも人と違うのは、彼女達は普段から自力で獲物を捕らえ、自力で身を守っているから。鈍りはしても、その本能が失われる事はない。

 花中達人間には分からずとも、フィア達は分かるのだ。そこに何か、途方もなく強大な存在が居ると。

 花中はフィア達の視線を追う。フィア達が見つめているのは、島の中央にそびえる火山だった。

 意識した途端、花中は自分達を襲っている揺れが、あの山から来ているのだと気付いた。揺れは未だ弱まらず、際限なく大きくなっている。火口は唸り声のような地響きをならし、白かった噴煙にどす黒いものが混ざり始めていた。

 何か、出てくる。

 そう『確信』して、花中はフィア達と同じく火口を見つめ続ける。故に花中は、その瞬間を目の当たりにした。

 火山の火口からぬるりと、何十メートルあるかも分からないヘビの頭が出てくる瞬間を――――

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