第156話 面接練習

「お、なんで織田がいるんだ」

 イスに腰かけ、背筋を伸ばすと同時に、声をかけられた。

 教えられた通りイスに浅く座り、膝のあたりに丸めた拳を置く。顎を少し引いた感じで、俺は面接官役をしている藤原先生に答えた。


「端数が出たらしいので。課題研究準備中に、急遽呼ばれました」

 藤原先生は手元の名簿に視線を落とす。隣の赤松先生が指を伸ばして、「ほら、この班だけふたりなので」と小声で告げている。「このふたり、ちょっとアレなんで」と。



 数分前のことだ。

『なんだ、お前ひとりか』

 化学実習室でクスノキの葉っぱをちぎっていたら、科長が急に入ってきた。


『なんすか』

 ちらりと目だけ上げて尋ねる。その間も、手は葉をちぎっては投げ、ちぎっては投げしていた。床に敷いたブルーシートには、木っ端も含めてクスノキだらけだ。


『蒲生はものづくりコンテストの練習に別棟行ってますし、他の班員はクスノキを取りに山に行ってます』


 そう。夏休みが始まり、二週間が経ったというのに、俺たち「油班」は毎日学校に登校し、樟脳しょうのう採取に尽力していた。


 足りない。圧倒的に樟脳が足りない。


 毎日クスノキを伐採し、樟脳を蒸留しているというのに、足りない。このままでは、うっすいセルロイドが出来てしまう。

 それなのに、蒲生が『全国ものづくりコンテスト』化学分析部門で、全国大会に進出しやがった。おかげで、奴は毎日キレート滴定の練習に励んでおり、班員マイナス一、だ。


 俺だって二学期が始まったらすぐに、市職員の願書を出し、受験のための追い込み勉強をしたい。毎日毎日クスノキの葉をちぎっている場合ではないのだ。

 最近では、いっそのこと、樟脳を買うしかないのではないか、と誰もが思い始めている。


『くさいな、この部屋』

 科長は顔を顰めて独りち、それから俺に命じた。


『お前ちょっと、こっち手伝え』

『こっち、ってどっちです』

 今ここを離れたくはない。この後、茶道部たちが大量のクスノキをまた持ち帰ってくるのだ。とにかく、手持ちのクスノキの葉と小枝をさっさと別けたい。


『面接練習だ』

『面接練習?』

 思わずおうむ返しに尋ねた。科長はおもむろにうなずく。


 夏休み。

 一・二年生であれば、部活動のために毎日学校に来ているが。


 三年生は、違う。

 面接練習と課題研究のため、ほぼ全員が登校している。

 面接練習というのは、当然「就職のための」面接練習だ。早ければ、夏休み明け直後から就職試験は始まる。

 まぁ、俺のように公務員志望の者や進学希望者は対象外なので、あんまり気にかけていなかったが……。


 面接練習は多岐にわたって用意されており、面接官役は教員だけではなく、保護者の中で人事を担当している人が混じっている場合もあるという。


『生徒三人ずつやっとるんだが、最後の班だけ二人でな。まぁ、二人でやってもいいんだが……』

 ふむぅ、と科長は鼻から息を抜く。


『ちょっと、緊張しすぎのふたりだから。お前も入って、三人でやってくれ』

 えー、という表情をしたのだろう。科長は『これは命令だからな』と強権を発動した。


 そうして、俺は意味もなく、面接練習に参加させられている、というわけだ。


「それでは、所属と名前を教えて下さい」

 赤松先生が咳ばらいをし、改めて俺たちに告げた。面接練習が始まる。


 ちらり、と横目で他の生徒を見やる。

 全員他科のようではあった。

 さっき、順にこの教室に入ってきたのだが、とにかくガチガチに緊張している。練習だというのに、ここまで強張っている奴を初めて見た。入室するときも、右手右足を同時に出しているぐらいだ。


――― こいつら、推薦入学じゃないのか?


 ふと、そんなことを思う。

 俺はクロコウに推薦で入った組だ。

 一般入試では、五教科が試されるが、推薦は、小論文二題と面接がある。

 中学時代、さんざん面接の練習をさせられたから、そんなに緊張もないのだが。

 こいつらは、違うらしい。


「では、私の向かって右から」

 ちらり、と赤松先生が俺を見る。向かって右。俺だ。はい、と返事をしようとした矢先。


「ひゃいっ」

 別の奴が声を上げた。一瞬、教室に微妙な空気が流れる。

 順番を間違えている、ということと、上ずりすぎて「ひゃい」となってしまったことの気まずさに、俺と面接官役の先生は口をへの字に曲げた。


「えー……。私から向かって、右、ですので。彼ですね」

 赤松先生は区切るように言うと、俺に向かって手を向けた。「どうぞ」。言われて、俺は口を開く。視界の隅では、「ひゃい」と返事した生徒が真っ青になって冷や汗を垂らしていた。


「県立黒鷲工業高等学校三年工業化学科の織田律です。本日はよろしくお願いいたします」

 赤松先生が大きくうなずく。となりで藤原先生が何かを書き込んだ。たぶん、書き込んだふり、だろう。


「次」

 赤松先生が俺の隣を見る。「はい」とか細い声が聞こえ、藤原先生が瞬きをした。俺も思わず右隣りを見る。


「………県立黒鷲工業高等学校三年………」

 あとは正直、聞こえない。隣との距離は十センチあるかないかだろうに、ほぼ、聞き取れない。赤松先生が、途中、「なんて?」とさすがに聞き返したほどだった。


 最後に、フライング生徒が改めて所属と名前を言う。

 が、彼はいまだに緊張が解けないのか、自分の名前すら音程がひっくり返っていた。


「では、いくつか質問をしたいとおもいます。まず、左端のあなた」

 赤松先生が、緊張男子を見た。ぶるり、と奴が身じろぎしたのが、俺の位置からでも見える。


「志望動機を」

「ぼっ」

 奴は、大きく、「ぼ」を発声したのち、早口でまくし立てた。


「僕はっ 僕がっ 僕のっ 僕でっ 僕とっ」

 僕の活用形……、なんだろうか、これ。


「ぼ、僕がっ、僕の……っ、僕としてはっ」

 それを最後に、「がはっ」とせき込み始め、赤松先生が、「大丈夫!?」と慌てて席を立つ。


「織田。とりあえず、君も言いなさい」

 藤原先生が、緊張男子が落ち着くまでの場つなぎとしてそんなことを言い出し、仕方なく俺は適当に口にする。隣の小声男子も、その後、ぼそぼそと何か言ったようだ。


「……ちょっと、君は声が小さいな。次の質問は大きな声で、はきはきとこたえるように」

 藤原先生が指導し、小声男子は、今までの中で最高の音量で、「はい」と答えた。

 おお。やればできるんじゃないか、と俺も、それから緊張男子の背中を撫でている赤松先生も思った。藤原先生はおもむろにうなずき、その小声男子に問う。


「例えば、最初は希望の部署に配属されたとして……。その後、違う部署に異動を命じられたとき、君はどう思いますか?」


 へぇ、こんなことを聞かれるのか。

 俺が受けたのは推薦入試なので、当然「校風についてどう思うか」とか「中学時代に頑張ったことはなにか」といったことだったと思う。

 小声男子は滑舌かつぜつ良く話し出した。


「もし、僕がとしても、その時は」

 飛ばされた、って言った! しかも、今までの中で一番の大声で!

 俺は目を剥いたが、それは藤原先生も同じだったようだ。


「待った!」

 立ち上がって制止する。

「飛ばされた、という表現は止めなさい。。な? 先生、さっき、、って言ったろ?」

 訂正を求める藤原先生を、小声男子は不服そうに睨む。いや、おかしいだろう、とツッコミたかったが、小声男子は、もそもそと、「異動先でもこれを経験の場ととらえ、頑張る」ということを告げた。


「君は落ち着いたかな?」

 藤原先生が今度は緊張男子に目を向ける。咳は止まったらしい。赤い顔で、「はい」と応じた。

 赤松先生が生徒から離れ、着席するのを見計らうと、藤原先生が質問をする。


「では、聞きます。君は日勤希望のようですが、三交代についてどう思いますか」

「はいっ」

 緊張男子は返事をし、大きな声で話し始めた。


「徳川政府が実施したこの政策により、諸国の代表は毎年徳川に忠誠を誓うため、道路の整備、橋の安全確保など……」


 ……俺だけではなく、教室中にいた誰もが「ん?」となった。

 面接練習だということも忘れ、身を乗り出して、緊張男子を見る。俺の隣の小声男子もだ。


 そんな視線など全く感じないのか。

 緊張男子は、滔々とまくしたてている。


「外様などの大名は毎年莫大な支出を迫られ……」

「待て」

 呆気にとられた俺たちの前で、藤原先生が緊張男子の演説を遮った。


「君の言っているのは、だ。先生が聞いたのは、だ」

 藤原先生はその後、厳かに告げる。


「君を江戸に派遣する予定はない」


 緊張男子は、「あ……」と小さくつぶやいたきり、微動だにしない。

 教室には再び、微妙な空気が流れる。


 なんとなく。

 俺が入ったところで、この面接練習、どうにもならないと感じた。

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